16.新人二等兵
地鳴りのような咆哮と、金属が打ち合わされる重厚な打撃音が、地下の壁面に乱反射していた。
「おいおい! どうしたコンラッド二等兵! 剣の握りが甘ぇぞ!」
「くっ……あぁぁぁッ!!」
激しい金属音が鼓膜を破らんばかりに響き渡る。ケビンが手にしていた鉄製の訓練用大剣は、アーサーの一振りであっけなく弾き飛ばされ、湿った石造りの床を派手に転がった。
「ハァ……ハァ……ッ……くそっ……!」
両手の掌は擦り切れ、真っ赤な血がにじんでいる。全身の筋肉が断末魔のような悲鳴をあげ、足の膝は生まれたての子鹿のように激しく震えていた。
周囲を囲む数百人の黒騎士たちからは、容赦のない野次と大歓声が巻き起こっている。
「へっ、威勢がいいのは顔だけかよ!」
「おいおい、そんな弱腰じゃあ黒の騎士団の飯は食えねぇぞ!」
「しっかり立ちやがれ、二等兵!」
(ふざけるな……ふざけるなよ……ッ!)
ケビンは血の味がする唾を吐き捨て、震える手で泥と汗に塗れた前髪を押し上げた。
見習い兵相手の訓練とは、文字通り次元が違っていた。
手加減など一切ない。ここにいる男たちは皆、無数の戦場を超え、敵の命を肉ごと断ち切ってきた本物の「悪魔」たちだ。
アーサーの振るう剣圧だけで皮膚が切れそうになり、放たれる殺気の重圧だけで息が詰まりそうになる。
「さあ立ち上がれボウズ! 歓迎訓練はまだ始まったばかりだぞ!」
悪魔のような笑みを浮かべたアーサーが、容赦なく木剣を振り上げる。
逃げ場など存在しない。ケビンは歯を食いしばり、転がった鉄剣へと再び這い進むしかなかった。
◇◆
──数時間後。
皇帝のプライベートダイニングルームには、重厚な燭台から落ちる柔らかい光と、高級な銀食器が触れ合うかすかな音が満ちていた。
テーブルの端に腰掛けたケビンは、文字通り「ボロボロ」の様相であった。
さっと湯を浴びて着替えさせられはしたものの、全身の関節という関節が疼き、フォークを握る手すら細かく震えて力が入らない。
美しい金髪は湿り気を帯びて額にへばりつき、透き通るような白肌の各所には、紫色の打ち身や擦り傷が痛々しく残っていた。
そんなケビンの対面に座る男──皇帝レオナルド・オーウェンは、深く落ち着いたチョコレートブラウンの髪を優雅になびかせ、まるで絵画から抜け出したかのような手つきでワイングラスを傾けていた。
「どうした、リトルバニー? 今夜のジビエのローストは肉質も柔らかく、極上の仕上がりだが……口に合わないか?」
何事も知らぬ顔で、心底不思議そうに首をかしげるレオナルド。
その甘く低い声には、隠しきれない愉悦の響きが混ざり込んでいた。
ケビンは震える手でフォークをテーブルに叩きつけた。カチャン、と銀器が高い音を立てる。
「……白々しいんだよ、このクソジジイッ!!」
「これこれ、コンラッド二等兵。陛下に対してその口調は感心しませんね」
レオナルドの背後に静かに控えていたセレスが、どこまでも穏やかで柔らかな微笑みをたたえたまま、優しく嗜めた。
昼間、最深部の地下修練場で「囚われの身として惨めに野垂れ死ぬか」と冷酷な選択を突きつけてきたあの絶対的将軍と同一人物とは到底思えない、完璧で執事然とした立ち振る舞い。
(この城の人間は全員頭がおかしいのかッ!?)
ケビンは怒りで顔を真っ赤にし、レオナルドを射殺せんばかりの目付きで睨みつけた。
「セレス! お前だってそうだ! 昼間あんな悪魔みたいな真似をしておいて、よくそんな澄ました顔でスープなんて注いでいられるな! 外堀埋めてハメやがって……っ!」
「おや、滅相もございません。私はただ、将来有望な若者に我が軍の素晴らしい選択肢をご提示したまでに過ぎませんよ?」
セレスは眼鏡の奥の瞳を細め、完璧な角度で一礼してみせる。
「本日はコンラッド様の歓迎会。騎士たちもとても楽しんで歓迎していたではありませんか?」
その、わざとらしく、それでいて隙のないセレスの態度が、かえってケビンの神経を苛立たせた。
「歓迎……!? あれのどこが歓迎だッ! あいつら本気で俺を殺しにかかってきてただろ! 腕は折れかけるし、あざだらけだし……っ!」
「──あざだらけ、か」
静かに響いた声とともに、レオナルドが悠然と立ち上がった。
足音もなくケビンのすぐ脇へと歩み寄ると、驚く暇すら与えず、テーブルに置かれていたケビンの細く痛々しい手を、そっと自らの大きな手で包み込んだ。
「な……っ!?」
「……本当だな。この美しい白肌に、痛々しい紫の傷……実に可哀想に」
レオナルドは指先でケビンの手首のあざをそっと撫で上げながら、ゆっくりと顔を近づけた。
吐息が触れ合うほどの距離。至近距離で見つめ返してくるのは、濃密な蜂蜜を溶かし込んだような、妖しく揺らめくブラウンの瞳。
そこから溢れ出る圧倒的なレオナルドの色香と、熱を帯びた危険な甘さに、ケビンはドクンと心臓を跳ね上げさせ、息を呑んで一瞬フリーズした。
「……こんなに傷ついてしまって……俺が撫でて治してやろうか、リトルバニー?」
甘く痺れるような低い声音。耳元に吹きかけられた熱い吐息に、ケビンの顔が一瞬でカッと熱くなる。
「っ……あ……っ!?」
ハッと我に返ったケビンは、弾かれたように椅子ごと大きく身を仰け反らせた。
「な、何すんだッ! 触るな! 離せ、このエロジジイッ!!」
ケビンは振り払うように手を引き抜き、真っ赤になった顔を背けて激しく怒鳴り散らした。
その胸は動揺と怒りで激しく上下している。
そんなケビンの慌てようを、レオナルドは喉を鳴らして楽しげにクスクスと笑った。
「くははっ、本当に良い反応をする。実に愛くるしい」
レオナルドは満足そうに目を細めると、冷たくも艶やかな笑みを浮かべたままで言った。
「だが、安心しろ。それだけのあざで済んでいるということは、まだ手加減されていたということだ。感謝こそすれ、愚痴をこぼすのはお門違いというものだろう?」
「っ……あ……!」
息が詰まる。甘い嘲弄のすぐ裏に覗く、絶対君主としての圧倒的な威圧感。
ケビンは悔しそうに歯を噛み締めながらも、可憐なリトルバニーの仮面を脱ぎ捨て、剥き出しの悪ガキのような獰猛さでレオナルドを睨み返した。
「ふん……言っておくがな、俺は諦めてなんかいないからな! お前が俺をあの猛獣部屋にぶち込んだのは、俺を壊すためだろ!? だがな……俺は絶対死なねぇ! お前の望み通り力をつけて、その首をこの手で叩き落としてやる!!」
「くっ……くははははッ! 威勢だけは一人前だな、リトルバニー。実に素晴らしい」
レオナルドは優雅に自分の席へと戻ると、グラスを傾けながら心底楽しそうに言った。
「存分に強くなるといい。……だが覚えておけ。お前が這い上がり、俺の喉元に刃を届かせる前に……その華奢な肉体が砕け散らないよう、精々しがみつくことだな」
「……チッ! 言われなくてもそうしてやるよ!」
噛み合わない優雅で危険な夕食の空気の中で、ケビンは真っ赤になった耳を隠すように顔を背け、握りしめた拳を激しく震わせるのだった──




