15.地獄への扉
石造りの冷たい床に両手をつき、荒い息を吐く。
頭の中がグツグツと沸騰しそうだった。
「……くそっ……ふざけるな……ふざけるなよッ……!」
地を吐くような声で絞り出し、ケビンは目の前の二人を睨みつけた。
だが、セレスはそんなケビンの殺気や絶望など微塵も気にする様子もなく、眼鏡を整えると、事もなげに言った。
「さて……状況を正しくご理解いただけたところで、本題に入りましょうか、コンラッド殿」
「……本題……?」
ケビンが激しい警戒心を露わにして身構えた瞬間、セレスが懐から一枚の重々しい羊皮紙を取り出した。
それにはすでに幾つかの筆跡で署名がなされており、末尾にはシュナイゼル帝国王家の印章が深紅の蝋で押されていた。
「こちらは、我が第一騎士団への特別入隊誓約書となります。すでにレオナルド陛下の署名は済んでおります。あとは……あなたのお名前をこちらにお書きいただくだけです」
「は……!? な、何を言ってるんだ!? 誰がそんなもの……入隊なんてするわけないだろッ!!」
ケビンは弾かれたように立ち上がり、一歩後ずさった。
「断る! 俺は敵国の元王子だぞ!? なんでお前たちの兵隊にならなきゃいけないんだ! 冗談じゃない、俺は帰る!!」
ケビンの言葉にセレスはふっと静かに口元を緩めた。
「ならば、選択肢は二つしかありません。我が帝国のトップシークレットを知った以上……。「囚われの身」としてここで野犬のように惨めに野垂れ死ぬか。……それとも、我が第一騎士団の毒を喰らい本物の力を手に入れるか」
セレスは静かに、しかし絶対に拒否を許さない強烈な圧力をもって、ペンをケビンに差し出した。
「さあ……お選びください、コンラッド殿。これは、あなたが『復讐者』として生き残るための、唯一のチケットなのですから」
(く……くそ……っ!!)
知的な微笑みの裏にある、圧倒的な「将軍」としての押し。断ればどうなるか、火を見るよりも明らかだった。
断ればここで黒騎士たちに囲まれ、二度と日を見ることはないだろう。
全ては、あのレオナルドがセレスを使い、外堀を完璧に埋めた上で、自分をこの騎士団という檻の中に閉じ込めようとしている。
断る権利など、最初から存在しなかったのだ。
「……くっ……クソがッ……!!」
ケビンは震える手でセレスからペンをひったくるように奪い取ると、殴り書きのような雑さで羊皮紙に『ケビン・コンラッド』と署名した。
「これで満足かッ!?」
叩きつけるようにペンを投げ捨てると、セレスは満足そうに微笑み、羊皮紙を愛おしそうに丁寧に折りたたんだ。
「はい、完璧です。ようこそ、第一騎士団へ。……コンラッド二等兵」
「二等兵だと!? 俺は元王子だぞ!?」
「ここでは過去の身分など一切関係ありません。一番下からのスタートです」
セレスはくすくすと上品に笑いながら、羊皮紙を大切そうに懐へとしまった。
「ではアーサー。あとは任せましたよ。コンラッド二等兵の『教育』を、しっかりと……行なってあげてくださいね」
「任せてください。セレス将軍閣下!」
アーサーがニタァッと悪魔のような下劣な笑みを浮かべ、ボリボリと大きな拳を鳴らした。
「さてと……じゃあ早速、新兵の特別歓迎訓練を始めるとするかぁ!」
「は……? ちょっと待て、歓迎訓練って何だ!? い、今から?」
ケビンが反論しようと口を開いた瞬間だった。
「うわっ……!?」
視界が激しく揺れ、上下が逆転した。
アーサーが一切の予兆もなくケビンの懐に踏み込み、その巨体と圧倒的な筋力をもって、ケビンをまるで米俵でも担ぐかのようにひょいと右肩へ担ぎ上げたのだ。
「な、何をするんだッ!? 放せ! 放せアーサーッ!!」
「はははっ! 大人しくしてろボウズ! 威勢がいいのは結構だが、これからお前が行くのは修練場の中央──地獄の特等席だぞ!」
「放せと言ってるだろッ! 下ろせ! 下ろせーッ!!」
ケビンはアーサーの頑丈な背中を拳でドカドカと殴り、足をバタバタと暴れさせた。
だが、黒銀の重甲冑を着込んだアーサーにとって、ケビンの抵抗などハエが止まった程度にしか感じられないようだった。
アーサーは豪快に笑いながら、ずしりずしりと重い足音を立てて地下修練場の中央へとケビンを連行していく。
「おーい野郎ども! 新入りのコンラッド二等兵様だ! 今日から死ぬほどかわいがってやるぞーッ!!」
「「「ウオオオオオオオオオッ!!!」」」
アーサーの掛け声に応じるように、周囲を囲んでいた数百人の黒騎士たちが、地鳴りのような歓声を上げた。
剣の柄や槍の柄で床を打ち鳴らす重厚な音が、地下空間全体にビリビリと響き渡る。
逃げ場はどこにもない。完全に黒い人垣の中央へと引きずり込まれていく。
「ひ……っ!?」
まるで猛獣の檻の中に放り込まれた生贄のような状況に、ケビンの顔から急速に血の気が引いていく。
「セレス! おいセレス助けろ! あんた秘書官だろッ!?」
助けを求めてセレスの方へ叫ぶケビンだったが、セレスはどこまでも優雅に手を振り返すだけだった。
「ふふ、頑張ってくださいね、コンラッド二等兵。期待していますよ?」
「〜〜〜〜っっっ!??!」
アーサーはバタバタと暴れるケビンを担いだまま、修練場の一番中央、広い殺戮の舞台へと豪快に足を踏み入れていく。
逆さまになった視界の中で、ケビンの脳裏に鮮明に浮かんだのは、ただ一人の男の顔だった。
執務室でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、自分をここまで見学という名目で誘導し、外堀を完璧に埋めてハめやがった、あの喰えない「たぬき皇帝」。
(レオナルド・オーウェン……ッ! あのクソジジイイイイイイイッ!! 絶対に許さない……絶対に殺してやるからなあああああッ!!)
「放せーッ!下ろせーーーッ!アーサーの馬鹿野郎ーーーッ!!」
ケビンの悲痛な絶叫と、黒騎士たちの野太い歓声が地下深くに虚しく響き渡る中、彼の死と隣り合わせの地獄の騎士団生活が、こうして半ば強制的に幕を開けたのだった。




