14.黒い悪魔(2)
「よう。またお前の顔をここで見ることになるとはな……」
低くて聞き覚えのある声。
訓練していた集団をかき分けるようにして現れたのは、重厚な黒銀の鎧を身にまとい、大きな剣を肩にかつぐ男──アーサー・マクベリだった。
かつて見習いの練習場でケビンと剣を交え、死闘の末に「引き分け」となった男だ。
アーサーはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、ケビンを頭から足元まで値踏みするように見つめた。
アーサーはケビンから目をそらすと、隣に立つセレスを見て、ニヤリと口角を上げた。
「セレス様。わざわざあんたがここにコイツを連れてきたってことは……今度は『手加減なし』で剣を交えていいってことだよな?」
「……え……?」
ケビンの頭の中が真っ白になった。
自分の耳を疑うような言葉。思わずアーサーの顔を食い入るように見つめる。
(手加減……なし……? 何を言っているんだ……?)
記憶が急激によみがえってくる。
あの日の手合わせ。自分は全身全霊をかけて、死に物狂いで剣を振った。
息を切らし、血を吐くような思いで攻撃をくり出し、やっとの思いで引き分けに持ち込んだはずだった。
自分の持てる技術をすべて出し切り、泥まみれになりながら手に入れた勝ちに等しい引き分け。
あれがあったからこそ、自分はまだ戦えるのだと必死に思い込もうとしていた。
それが──手加減されていた……?
「あ、アーサー……っ! あんた……あの時、手加減をしてたっていうのか……!? 俺は……本気で……っ!」
驚きと恥ずかしさで声を震わせるケビンに対し、アーサーは呆れたように肩をすくめ、鼻で笑った。
「ハッ、当たり前だろ? いくらなんでも、敵国の生き残り王子に手の内を見せるわけないだろ。……あの時は『お坊ちゃんの遊び相手』をしてやれって陛下に命令されてたんだよ」
「〜〜〜〜っっっ!??!」
頭の中で何かが激しく弾け飛んだ。
激しい痛みが胸を突き刺す。自分があの時感じていた小さなプライドも、達成感も、すべてはレオナルドが用意した「おままごと」の上に過ぎなかったのだ。
(まただ……またあのクソ皇帝に……!! 俺は笑われていたのか……っ!!)
爪が手のひらに食い込むほど拳を強く握りしめる。恥ずかしさと怒りで、体がガタガタと震えた。
レオナルド・オーウェン。どこまで自分をバカにすれば気が済むのか。どこまで自分を絶望の底にたたき落とせば満足するのか。
だが、混乱する頭の中で、ケビンはふと一つの引っかかりを思い出した。あの時の、アーサーの自己紹介。
「……待てよ。あんた……確か自分のことを『副将』って言ってなかったか?」
ケビンはアーサーを睨みつけながら言った。
「副将ってことは、まだ上のトップ……本当の『将軍』がいるはずだろ! 将軍はどこにいるんだよ! まだ俺に隠し事をするつもりかッ!?」
感情を剥き出しにしてアーサーとセレスに詰め寄るケビン。
怒りで肩を上下させるケビンに対し、アーサーはくっくと肩を揺らして笑うだけで、何も答えない。
代わりに、隣に立っていたセレスが、どこか困ったような苦笑いを浮かべた。
「ふふ……困りましたね」
セレスのその反応に、アーサーがニヤニヤしながら付け加えるように口を開いた。
「ハハッ! おめでたい頭だな、お坊ちゃん。隠すもなにも、コンラッド殿はもうとっくに会ってるぜ? 我がシュナイゼル帝国が誇る、一番強い第一騎士団、別名『黒い悪魔』の最高将軍にな」
「……え?」
ケビンは眉をひそめた。
「会ってる……? どこでだよ……」
「どこって……毎日だろ?」
アーサーの楽しそうな答えに、ケビンの思考がフリーズする。
毎日会っている存在。この城で、自分が毎日顔を合わせている人物……。
「……ッ!? まさか……!」
ケビンの顔から血の気が引いていく。恐ろしい可能性が頭をよぎり、声が裏返った。
「レオナルド・オーウェン皇帝が……自分で将軍もやってるっていうのか……!?」
皇帝自身が軍のトップとして指揮を執り、最強の将軍として君臨している。
あの化け物のような男ならあり得る話だ、とケビンは思った。
だが──
「まさか〜」
アーサーが呆れたように手をひらひらと振って笑う。
「あの陛下がそんなことするわけねぇだろ」
「……え?」
一瞬、地下練習場に微妙な空気が流れた。
ケビンは「何を言っているんだ?」という顔で、隣に立つセレスを見た。
「まさか……な……?」
セレスは、相変わらず上品で優しい苦笑いを浮かべているだけだ。
いつもの親切で柔らかい、秘書官としてのセレスの顔。
だが、その沈黙があまりにも重い。
「う、嘘だろ……? おい、嘘だと言ってくれ……」
現実を受け入れられず、冷や汗をダラダラと流しながらガタガタと震えるケビン。
するとセレスは、可愛らしく首をかしげると、細い人差し指を自分の唇にそっと当てた。
「……ふふ。我が帝国の最高機密事項ですので……どうか御内密にお願いしますね、コンラッド様?」
その声はどこまでも可憐で、しかし一切の冗談を許さない、本物の「頂点」だけが持つ恐ろしい迫力に満ちていた。
「〜〜〜〜っっっ!??!」
あまりのショックに息が止まるケビン。
そんなケビンを見下ろしながら、アーサーが心底悔しそうな、苦々しい顔でボソッと吐き捨てた。
「……ちっ。俺だってな……セレス様には一度だって剣を届かせたことねぇんだよ。一回くらい一矢報いてみたいもんだぜ」
「えっ? アーサー……あんたが……?」
あの怪物のような巨漢の副将アーサーが、完全に負けを認めている。
ケビンが絶句したその瞬間だった。
──ズシンっ!!
地鳴りのような音が響き渡り、地下練習場にいた数百人の精鋭騎士たちが、一斉にその場に膝をついた。
甲冑がぶつかり合う重密な音が地下全体に響き、猛者たちが一人の人物に向かって、深く深く頭を垂れる。
「「「セレス将軍閣下!! 本日の訓練場へのお運び、ありがたき幸せ!!!」」」
響き渡る怒号のような敬礼。
騎士たちの視線が注がれていたのは──ケビンの隣で、可愛らしくにっこり微笑む華奢な書類係のセレスだった。
「う、嘘だろ……ッ!?」
信じられない光景を前に、ケビンの膝がガクガクと震え出す。
「あ、あんた……ただの秘書官じゃないのかよ!? 書類を運んだり、お茶を淹れたりしてたろ!? レオナルド陛下の傍にぴったりくっついてるだけの。なんであんたが最高将軍なんだよッ!?」
「だから陛下の側近なんだよ。坊や」
アーサーが、ケビンを見下ろしながら嘲笑う。
混乱と絶望でパニックになるケビンに対し、セレスは困ったように微笑みながら、すっと真面目な顔つきに戻った。そして、深くため息をつくように言った。
「はぁ……本当はもっと早く引退して、のんびりお茶でも飲んで暮らしたいのですけれどね。……そろそろ私を引退させてくれませんかね、コンラッド殿? あなたが私を倒してくれれば、私もようやく解放されるのですが」
真剣な目でケビンを見つめてくるセレス。その瞳の奥には、絶対に勝てないと直感させるほどの、底知れない強さが秘められていた。
嘘だろ。
嘘だと言ってくれ。
あいつだ。あの「たぬき皇帝」レオナルド・オーウェンだ。
そしてこの……セレス。
たぬき兄弟があァァァ!!
最初から何もかも分かった上で、一番恐ろしい最高将軍を俺のすぐ隣に案内役として配置し、俺がおどけて踊る姿を二人して遠くから笑って眺めていたのだ。
(あのクソたぬきジジイーーーーーーーッッッ!!!)
絶望と悔しさと、あまりの衝撃に、ケビンはその場に膝から崩れ落ちた。
自分はいったい、どれほど巨大で恐ろしい怪物たちの渦中に飛び込んでしまったのか。
手加減なしの精鋭たち、そして笑顔でとんでもない強さを隠し持つ史上最強の将軍を前に、ケビンの命がけの復讐劇は、あまりにも過酷な次なるステージへと引きずり込まれていくのだった。




