11.狼くんとリトルバニー(1)
夜の深寂が、カーテンの隙間から差し込むかすかな朝の光によって押し流されていく。
天蓋の重厚な布地を透過した柔らかな光が、ベッドの上へと静かに降り注いでいた。
荒く乱れていた息遣いは落ち着き、灼熱のような体熱もすっかり引いている。一命を取り留めたレオナルドは、ゆっくりと瞼を開いた。
毒の不快感は消え去り、意識は驚くほど冴え渡っている。視界が焦点を結ぶにつれ、彼の視線はベッドの脇へと向かった。
「……」
そこには、椅子の背もたれに体を預け、ベッドの端に腕を折ってうつ伏せに眠り込んでいるケビンの姿があった。小さな肩が、規則正しい寝息とともにゆっくりと上下している。
「……あのまま、ここにいたのか」
レオナルドの口から、低い独り言が漏れた。
不敵な笑みが、その薄い唇に自然と浮かび上がる。
自分を殺すと豪語していた暗殺者が、標的の枕元で無防備に泥睡しているのだから笑うしかない。
朝日を浴びたケビンの寝顔は、息をのむほどに美しく、どこか幼かった。
まるで赤ん坊のように柔らかでサラサラとした金髪が、シーツの上に散らばり、朝光を受けて黄金色にキラキラと輝いている。
透き通るような白い肌は、昨夜の灼熱の手ぬぐいの看病を物語るように微かに上気し、長いまつ毛が頬に美しい影を落としていた。
少し開いたピンク色の唇からは、小さく可愛らしい吐息が漏れている。
普段の生意気で尖った態度は影を潜め、そこにあるのはただただ無垢で愛らしい存在だった。
レオナルドは静かに手を伸ばすと、その柔らかな金髪へと指を滑らせた。
絹のように滑らかな感触が指先を撫でる。そっと、起こさないように優しく頭を撫で下ろすと、ケビンは心地よさそうに小さな鼻を鳴らし、擦り寄るように顔を埋め直した。
その愛らしい仕草に、レオナルドの瞳の奥が甘く揺れる。
「まったく……甘い男だ」
レオナルドはベッドから静かに体を起こすと、ケビンの肩からすべり落ちそうになっていた手ぬぐいを取り上げ、代わりに傍らに置いてあった重厚な毛布をそっとその華奢な肩へとかけてやった。
音を立てずに立ち上がり、身支度を整える。
着替えを済ませたレオナルドは、眠り続けるケビンに一瞥をくれると、静かな足取りで寝室を後にし、ダイニングへと向かった。
◆◇
「……ん……っ」
頬を撫でる温かな光と、どこからか漂う香ばしい紅茶の香りに、ケビンは微かに身悶えした。
重い瞼を持ち上げると、眩しい朝の光が視界に飛び込んでくる。
(あれ……俺……?)
自分がベッドの脇で眠り込んでいたことに気づき、ハッと体を起こした。
その瞬間、肩から滑り落ちたものがある。上質な毛布だった。
(毛布……? セレスがかけたのか……?)
疑問を抱いた瞬間、視線が自然とベッドへと向かう。
——そこにいるはずの男が、いなかった。
「……っ!? レオナルド……!?」
シーツは整えられ、そこには誰もいない。昨夜まで死の淵で苦しんでいたはずの男の姿が消えているのだ。
血の気が引くのを感じた。最悪の事態が頭をよぎる。
身体が勝手に動き出し、ケビンは逃げるように寝室を飛び出した。
◇
「おいッ! レオナルドっ!!」
廊下を走り抜け、勢いよくダイニングの重厚な扉を押し開ける。
そこに広がっていたのは、いつもの穏やかな朝の光景だった。
洗練された優雅な室内。大きな窓から差し込む光の中で、レオナルドは上質な磁器のカップを手に持ち、静かに紅茶を口に運んでいた。
完璧に整えられた身なり、どこにも病人の面影を感じさせない隙のない佇まい。その圧倒的な存在感に、ケビンは立ち尽くした。
「……な……」
驚きのあまり言葉が出ない。思わず近くへ駆け寄ると、ケビンはテーブルを両手で叩きつけるようにして詰問した。
「大丈夫なのかよッ!? あんた、昨夜あれだけの高熱で死にそうだったろ!? それに毒はどうなんだよ! なんで普通に起きて紅茶なんか飲んでんだよッ!?」
息を荒らげるケビンに対し、レオナルドはゆっくりとカップをソーサーに戻した。カチャン、と綺麗な音が響く。
レオナルドは緩やかに目を細めると、薄く不敵な笑みを浮かべた。
「残念だったな、ケビン。俺を殺す最大のチャンスを、お前は逃したわけだ」
その言葉と、彼から溢れ出る圧倒的な気品、そしてどこか危険で甘やかな色気に圧倒される。
ドクン、とケビンの胸が跳ねた。
(な……なんだよ、この威圧感……。さっきまで死にかけてた奴の放つ空気じゃねぇだろ……っ)
一瞬だけ息を呑み、胸の鼓動が高鳴った自分に激しい屈辱を覚える。それと同時に、彼が本当に無事だったのだという安堵感が胸の奥を拭い去っていった。
だが、そんな自分の本心を悟られるわけにはいかない。ケビンは引きつりそうになる表情を強引に作り直し、鼻で笑ってみせた。
「ハッ! 冗談言うなよ。病人を狙うほど、俺はまだ落ちぶれちゃいねぇんだよ! あんたがくたばるなら、俺の手で正々堂々と引導を渡してやる!」
「ほう……。あれほど看病に精を出しておいて、よく言う」
「か、看病なんてしてねぇッ! ただ見張ってただけだッ! あんたが勝手に死んだら、俺の復讐がうやむやになるからな!」
顔を真っ赤にして叫ぶケビンを、レオナルドは愉しそうに眺めながら、優雅にパンにバターを塗る。
「そうか。では、今朝の朝食も毒味をしてから食べるべきだな。……お前が盛ったかもしれん」
「盛ってねぇよッ! ……ちっ、食欲あるなら重病人ぶるんじゃねぇよ馬鹿皇帝!」
「口が悪いぞ、リトルバニー。座れ。冷めないうちに食え」
促されるまま対面の席にドカリと腰掛けたものの、ケビンは悔しそうにナイフとフォークを握りしめた。
余裕たっぷりに自分を翻弄する目の前のこの男が、やっぱり憎らしくて、そして何より——無事であったことが、悔しいほどに嬉しかった。




