10.嫉妬(2)
──急遽手配された侍医たちによって、レオナルドは寝所へと運び込まれた。
命に別条はないレベルの解毒剤が処方され、何とか一命は取り留めたものの、ベッドの上のレオナルドは浅い呼吸を繰り返し、苦しそうにうなされていた。
部屋の隅で、ケビンはその光景をじっと見つめていた。
解毒剤。そう、侍医の口から出たのは『毒』という言葉だった。
(毒……? 誰が……? なんで……っ!?)
怒りと混乱で頭がおかしくなりそうだった。血管が引きちぎれそうなほど脈打つ感覚に呼吸が荒くなる。
ケビンは静かに部屋を出ようとしたセレスの元へ凄まじい勢いで詰め寄ると、その胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「おいッ!! どういうことだセレスッ!!」
「……コンラッド様、お離しください」
「離せるかよッ! なんで黙ってんだ!? 誰が毒を盛ったんだよ! 皇帝が毒を盛られたんだぞ!? なんで仕返しに行かねぇんだよッ!! 犯人を追い詰めてぶっ殺しに行かねぇのかよッ!?」
唾を飛ばし、怒号をぶつけるケビン。
だが、セレスは胸ぐらを掴まれたまま、眼鏡の奥の瞳で静かにケビンを見つめ返してくるだけだった。
何も答えない。ただ冷ややかに、そしてどこか哀れむようにケビンを見つめている。
「なんでだよ……ッ! なんで何も言わねぇんだよッ!!」
叩きつけるように手を離すと、ケビンは逃げるようにその場を走り去った。
自分でもなぜこれほど取り乱しているのか分からなかった。
床を蹴る足が微かに震えているのを感じて、歯を喰いしばる。
ただ、あの絶対的な男が弱り果てている姿を見ることが、耐えられないほど恐ろしかった。
◇
足音が遠ざかり、完全に静まり返った室内。
セレスは乱れた襟元をゆっくりと整えると、ベッドで横たわる主に向かって深いため息をついた。
「はぁ……本当に無茶をなさる。こうなることは分かった上で……わざわざ敵に……」
レオナルドの立てた『計画』に、セレスは何度も猛反対した。だが、レオナルドはその制止を最後まで無視し、自ら敵の仕掛けた罠にはまりに行ったのだ。
敵を完全に油断させ、本当の意味での役者を舞台に上げるために──
疑いを確信にするために自ら囮になる道を選んだのだ。
「まったくもう。もう少し遅かったら……どうなったことやら……」
セレスが苦笑した、その時だった。
「……ふ……」
ベッドの上から、低いかすれ声が漏れた。
ゆっくりと開かれたレオナルドの瞳に、薄く光が戻っている。
毒の苦痛に耐えながらも、その唇は微かに吊り上がっていた。
「……ケビンは……どうした……?」
「激高して自室へ戻られましたよ。だから危険だとあれほど言ったではないですか。いくら貴方様が訓練して耐性があるとは言え……飲むふりでよかったものを……」
珍しく怒りを露わにしたセレスに、レオナルドは、ただ無言のまま、薄く笑みを深めるだけだった。
◆◇
自室に戻ったものの、胸のざわつきは収まるどころか増すばかりだった。耳の奥で、自分自身のうるさい鼓動が鳴り響いている。
激しい怒りと、己の中に潜む理解不能な感情を鎮めるように、ケビンは足音を消して再びレオナルドの寝室へと向かった。
天蓋付きのベッドの上で、荒い息を吐く男。汗に濡れた髪が額にへばりつき、白い肌は不気味な熱に赤らんでいた。
近寄るケビンの微かな気配に気づくと、レオナルドは焦点の定まりきらない瞳を開け、かすれた声で不敵に笑った。
「……ふ。来たか……ケビン。……どうした? 今なら……無防備な俺を、容易く殺せるぞ……?」
「……馬鹿じゃねぇのか、あんた? 本当に殺されたいのかよ」
己の命が風前の灯火であるというのに自分を愚弄してくる態度に、ケビンの血が沸騰する。
視界が怒りで赤く染まる。身を乗り出し、レオナルドの無防備な首筋へ手を伸ばした。
(これで……終わりだッ! この男が死ねば、王国も、俺の苦しみも……っ!)
——ガシィッ!
「っ!?」
首筋に触れる直前、手首を強靭な握力で掴み取られた。
振り払おうとしたケビンだったが、その瞬間に目を見開く。
(熱っ……!?)
手首から伝わってきたのは、焼けた鉄を押し当てられたかのような尋常ではない灼熱だった。
掴んできたレオナルドの指先は微かに震えており、必死で力を込めているのが分かった。
強がってはいるが、身体は限界を迎えている。
「……ちっ! やめだ、やめ。病人相手に暗殺に成功したなんて言ってみろ、一国の王子の恥だ。……今日のところは休戦してやるよ」
「ふん。……甘いな、お前は……」
レオナルドは力なく手を落とすと、固く目を閉じた。
だが、苦しそうに歪む顔。
いつも完璧で自分を弄んでいた絶対者が、目の前で耐えかねた表情を浮かべる。
ズキン……ッ
それを見た瞬間、ケビンの胸の奥が激しく引き裂かれるように痛んだ。内臓を素手で握りつぶされるような苦しさが襲う。
(な……んだよ、これ……っ!?)
恋人の存在への激しい嫉妬と屈辱。暗殺者としての殺意。
それなのに——
目の前で弱り果て、苦しむこの男を見ていると、狂いそうなほど心が乱れ、居ても立ってもいられなくなる自分自身への恐怖。
(殺したいほど憎いはずなのに……なんでこんなに……胸が苦しいんだよ……ッ!?)
ケビンは乱暴に頭を掻きむしると、ベッドの脇に椅子を引き寄せ、ドカリと腰掛けた。
洗面鉢の冷水で硬く絞った手ぬぐいを、無雑作にレオナルドの灼熱の額へ押し当てる。ひやりとした感覚に、レオナルドがかすかに息を吐いた。
「……勘違いすんなよ。あんたが勝手に死んだら、俺の復讐が終わらねぇから見張ってやるだけだ」
吐き捨てた言葉に、返答はない。ただ荒い息遣いと、高熱にうなされる声だけが重く静かな部屋に響いていた。
恋人の存在へのわだかまりと、目の前の弱った男への解けない愛憎。
ふたりの長く深い夜は、静かに更けていくのだった。




