第28話 死都の偽碑
1、 陰府の迷宮
スーツに備えられた照射装置は、現世の光学技術を遥かに超越していた。
大気中の微粒子に散乱することのない純白の光束は、一キロメートル先の深淵すら鋭く刺し貫く、文字通りの「光の槍」だった。
だが、崩落する大地を無我夢中で疾走しながら、その光が最深部の闇を捉えた瞬間、彼らはことごとく息を呑んだ。
光の届く限界――遥か一キロメートル先に聳え立っていたのは、光そのものを貪り喰らう黒い石の巨城。
紫のモヤが薄れ、剥き出しになった闇の深淵の奥に、それは突如として屹立していた。
そしてその足元を埋め尽くすように、左右の果てまで巨大な黒い石の構造物群が、まるで巨大な防壁のように立ちはだかっている。
死都、あるいは屍街――。
「……母から聞いたことがあります!」
背後から迫る破砕音に負けじと、走りながら陽菜が声を張り上げた。
「冥界には、死者が集まる『陰府の街』があるって! あそこ、それかもです!」
背後からは絶え間なく地脈の崩れ落ちる重低音が追いすがってくる。
秋山は息を切らしながら、病身の岡崎を力強く背負い直した。
スーツの人工筋肉と多層力場の補助があるとはいえ、極限の全力疾走だ。
だが幸いにも、スーツの機動性は彼らの予想を上回っていた。
時速60km。
割れゆく大地が裂け目を広げる速さよりも、一行の駆ける脚のほうがはるかに速い
一歩踏み出すごとに衝撃波のような推進力が生まれ、ライトの光束が目まぐるしく流れる闇を切り裂いていく。
だが、奇妙なことに、あれほど獰猛だった大地の崩落そのものが、巨大構造物群に近づくにつれて、徐々にその勢いを緩め始めているようだった。
「……はぁ、はぁっ……もう、歩いても大丈夫なんじゃないか?」
マスターが額の汗を拭いながら問う。
「いや、走ったほうがいい! いつまた速度を上げるか分からない!」
秋山が叫び返す。
構造物群へ近づくにつれ、闇の中にその異様な輪郭が鮮明になっていく。
それは生活の息づく「街」などでは断じてなかった。窓も扉も持たない、研ぎ澄まされた幾何学のまま、生者の意思を拒絶した石柱の密集地帯。
足元の大地の脈動が完全に収まったところで、一行はようやく足を止め、荒い息を吐き出した。
「……モノリスか」
そびえ立つ無数の黒い巨石を見上げ、マスターが呟く。
「まるで列墓だな」
岡崎をそっと降ろした秋山が、警戒を露わにして眉をひそめた。
「ネクロポリス……古代ギリシャ語で『死者の街』と呼ばれる巨石墓地群ですね」
律が乱れた呼吸を整えながら、ランタンのように周囲を照らす白い光条を見つめる。
「並んでいるこの構造物群の正体は、実はすべて死者を弔う……あるいは、何かを封じるための墓やモノリス(石碑)の集まりなんでしょうか」
見渡す限り、無数のモノリスが複雑に入り組み、まるで巨大な迷宮のような隙間を穿ちながら広がっている。
ここを通り抜けなければ、あの黒い城へは辿り着けない。迂回しようにも、左右の闇の彼方まで黒い列柱が壁のように連なり、先が見えなかった。
目の前に口を開けている、石柱と石柱の間のわずかな隙間――それだけが、唯一先へと続く隘路のようだった。
2、 解呪の咆哮
「これ、モノリスじゃないです」
ふと、巨石の根元に近づいた陽菜が、きっぱりと言い放った。
「「「え!?」」」
秋山と律、マスターの声が重なる。
「これ、モノリスのニセモノですよ。この刻印、前に同じものを見たことがあります。本物のモノリスはもっと純粋なエネルギーの結晶体なんですけど、これは地球上の物質をこねくり回して作られた、呪い付きの石板。……って、デジットが言ってました!」
「呪い……?」
秋山が怪訝そうに目を凝らす。
「そう。絶対に触らないほうがいいです。何か出てくるかもしれません!」
「な、何か出るって何が出るんだよ!?」
律が思わず後ずさりする。
「取り敢えず、なんとかします!」
陽菜が気合を入れると、彼女の着用している『は虫類ちゃんスーツ』の胸部と腕部から、極小の力場の鱗がシャラシャラと心地よい音を立てて剥離し、宙で再構成を始めた。
光の幾何学模様を描きながら結合し、形成されたのは――一本の細身のマイクスタンドのような銀色の棒。
「ビットに特注して作ってもらった、私の呪具♡」
陽菜は自慢げにウィンクすると、スタンドの先端、マイクヘッド状に編まれた力場へとそっと口元を寄せ、囁くように唱えた。
「隠り世の糸、顕に復せ。……急急如律令」
彼女の掲げた呪具の先端から、漆黒の闇を切り裂く青いエネルギーの一閃が迸った。
閃光は狂いなく、正面のモノリス群の核を射抜く。
激突の刹那、黒い石肌の表面に、まるで乱れた液晶画面のような紫色の幾何学模様――モノリスを縛り付けていた旧式の呪術コードが、おぞましい密度で一斉に浮かび上がった。
呪式は青い光の圧力に抗うように激しく明滅し、空間を歪める拒絶の波動を放つ。
しかし、陽菜の注ぎ込む純粋な霊力は、そのすべてを上書き(オーバーライド)していった。
――解呪。
限界を迎えた紫のコードが、ガラスの割れるような高音とともに一気に炸裂した。
石柱を埋め尽くしていた不気味な紋様がひび割れて剥がれ落ち、虚空へと霧散していく。
呪縛という「プログラム」を完全に消去された巨石は、ただの物言わぬ、冷たい岩塊へと還っていった。
「……オカルトだ……」
律が呆然と呟く。
その刹那、世界の悲鳴がピタリと止んだ。
背後に迫っていた、鼓膜を圧迫する大地崩落の重低音が、嘘のようにフッと途絶えたのだ。
マスターたちが恐る恐る振り返ると、スーツのライトが、彼らの二百メートルほど後ろでスパリと断絶した大地の「断面」を鮮明に照らし出していた。
底知れぬ漆黒の奈落。
その寸前で、空間を侵食していた亀裂の網目はピタリと動きを止め、凍りついたように静止している。
モノリスに付与されていた呪式が解かれたことで、この階層を満たしていた異常な位相歪動が強制停止し、空間の構造が辛うじて再固定されたのだ。
「……止まった、のか?」
誰かの掠れた声が、冥界の静寂に吸い込まれていく。
「罠は解除されたにしても、この迷路みたいな道を通って進むのか」
秋山が前方の入り組んだ石柱の群れを見やり、眉を寄せた。
「まだ未知の危険が潜んでいそうだな」
振り返れば断絶された奈落。
縦横無尽に走る亀裂のせいで、もうエレベーターの元へは戻れない。
一行には、前に進むしか道は残されていなかった。
3、 最短距離の突破口
「ビットは、我々の座標を上手く捉えてくれるだろうか……」
マスターが懸念を抱いたその時、手首のバイナリ時計が微かに反応を示した。
『ビットには、こちらから皆さんのバイナリ座標をリアルタイムで送り続けていますよ』
時計のスピーカーから、壱の落ち着いた声が届く。
『皆、怪我はありませんか?』
「ああ、無事だ」
マスターが安堵を込めて応じる。
「背後の大地が崩落したが、なんとか持ちこたえた。辺りは大地の裂け目と、モノリスの迷路……そしてその先には、黒い石の城が見えている」
『こちらのモニターからも、周囲の空間トポロジーの概況は把握できました。……退路がない以上、前へ進むしかなさそうですね』
その通信に割り込むように、澄んだ凛とした声が重なった。
『マスター、聞こえますか。ビットです』
「ビットか!」
『そちらの領域で発生していた位相歪動の消失を確認しました。現在、サルベージ用脱出ルートの構築を急いでいます。……ですがその前に、こちらの研究所内で極めて不可解な兆候を感知しました。そちらの対処を先に行います』
「気になること……? 何があったんだ」
『……』
一瞬、バイナリ回線の向こうでビットが言葉を呑むような、不自然な間が空いた。
『今は、言えません。私を信じてお待ちください。……決して、背後を許さないで』
「……分かった。ビット、お前も気をつけるんだぞ」
『はい、承知いたしました』
通信が切れる直前、壱の声が添えられた。
『引き続き、店に残っているもう一人のビットと共に、そちらの生命反応と座標を監視し続けます。無理だけはしないでくださいね』
「了解した」
通信を終えながら、マスターの胸中にはビットの残した警告が冷たい棘のように引っかかっていた。
「ふぅ……じゃあ、行きますか。この気味の悪い迷路を……」
律が意を決して歩き出そうとした、その時だった。
「ちょっと待ってください! 道、作れるかもです!」
陽菜が満面の笑顔で手を挙げた。
「皆さん、危ないですから少し離れてくださーい!」
「え? 陽菜ちゃん、何を――」
律が制止する間もなく、陽菜はマイクスタンド型の呪具を片手でくるりと軽やかに回した。
そしてスタンドをぐっと両手で握りしめ、ヘッドを唇に押し当てると――深く、肺の奥底まで息を吸い込んだ。
その溜め込んだ息を一気に叩きつけるように。
「――ッらあああああああああああああ!!」
歌ですらない。
旋律も歌詞もない。
ただの、純度百パーセントの圧倒的な生命の咆哮。
陽菜の喉から放たれた声に呼応し、測定限界を軽々と突破した尋常ならざる霊圧が、物理的な極大衝撃波へと変換されて漆黒の石板群へと真正面から叩きつけられた。
――ドバァァァァァァンッッッ!!!
一閃。
巨石の迷路を形成していたモノリス群が、粉々に粉砕され、一直線に吹き飛んだ。
瓦礫が爆風で両脇へと押し退けられ、黒い城の門へと続く、遮るものの何一つない「最短ルート」が闇の中に切り開かれる。
紫の闇の中、粉砕された岩石の白いチリが、淡い雪のように舞い散っていた。
「おま……なんちゅう破壊力だ……」
秋山が顎が外れそうなほど口を開けて硬直し、背後の岡崎は言葉すら失って呆然と立ち尽くしている。
「でへへへ〜。では、サクサク行きましょうか!」
陽菜は何事もなかったかのように呪具を肩に担ぎ、鼻歌まじりに先頭を歩き出した。
4、 闇の武者たち
――だが、その足が、唐突にピタリと止まった。
「どうした? 陽菜」
マスターが訝しげに声をかける。
粉塵が晴れゆく道の先――粉砕されたモノリスの瓦礫の影から、音もなく、不穏な気配が滲み出るように現れ出でていた。
一人ではない。十、二十……。
彼らが纏っているのは、闇を塗り固めたような漆黒の甲冑。
顔面を覆う禍々しい面頬の奥で、無機質に赤く発光する暗視ゴーグル。
まるで、血塗られた日本の歴史の暗がりからそのまま這い出してきたかのような、異形の武士の集団だった。
「陽菜ちゃん……っ!」
律が息を呑み、即座に身構える。
「出たね! モノリス派!」
陽菜が呪具を構え直し、鋭い眼差しで睨みつけた。
「こいつらが……モノリス派か!?」
秋山がデバイスを構え、マスターが腰の装備に手をかける。
「こいつらがうちの神社を襲撃してきたとき、私はぐっすり寝てたんですけど、デジットと婆ちゃんがボコボコにやっつけたんです! 後から聞いた出立ちと全く同じだから、間違いなくこいつらがモノリスです!」
「……寝てたって、どういう……」
律の思わずこぼした脱力混じりの突っ込みは、しかし冷たい虚無の闇へと静かに溶けていった。
赤く灯る無数の眼光が揺らめき、亡霊のような甲冑の群れが、抜き身の刃の切っ先を音もなく彼らへと向ける。
闇を纏う異形の武者たちと、静かに切っ先を照らし返す純白の光条。
死者の街の冷え切った静寂のなか、抜き放たれた鋼の切っ先だけが、彼らの命を刈り取る瞬間を待ちわびるように、青白く澄んだ殺気を帯びていた。




