第22話 フェイズ・シブリング(位相の異なる兄妹)
異世界。
清泉県 潮凪区 翠松町(せいせんけん しおなぎく すいしょうまち)。
初夏の瑞々しい気配を孕んだ陽光が、アスファルトの路面を眩しく照らし出す。
街を行き交う人々は、一様に「それ」を二度見、あるいは三度見していた。
すれ違う誰も彼もが、あからさまに、好奇と戸惑いの眼差しを投げかけてくる。
「……ねえ、兄さん。ちょっと歩きづらいんだけど」
不機嫌極まりない声を漏らしたのは、レイイチの半歩後ろを歩く亜依だった。
「兄さんのその風変わりなコスチュームのせいで、みんながこっちを凝視してるのよ」
「だって、仕方ないじゃないか。これは壱誠の……世界の観測用装備としてこれが一番適しているんだから。それに、亜依だってその服は十分に目立っていると思うよ」
「私は、カーネルに付与されたバトルスーツを着てるだけ。戦闘能力の維持にはこれが必須なの」
言い返す亜依だったが、流石にこの実数世界の穏やかな日常において、近未来的な装甲を纏った女の子と、出所不明の奇妙なタイツスーツを来た青年が並んで歩けば、ただの「重度のコスプレイヤーの二人組」にしか見えない。
目的地は、秋月乃亜が搬送されたという海凪病院。
だが、病院の受付にこの格好で突撃すれば、ノアに会う前に確実に警備員か警察官に包囲される。
「とにかく、服を買おう」
レイイチの提案に、亜依も深く同意して頷いた。
「そうね。流石にこの視線の圧力には耐えられないわ。……でも、お金はあるの?」
「あるよ」
レイイチが答えたその時、亜依の目が近くの自動販売機に貼られた、商品の価格表示に留まった。
「『円』……。何から何まで、本当に私たちが知る日本と同じ構造の世界なんだね」
レイイチが何気なく右手を空間に差し込み、指先を軽く動かす。
刹那、その掌の上に、刷り上がったばかりの最高解像度の「一万円札」の束が、物質化されて出現した。
「ちょっと、何やってるのよ兄さん!?」
亜依がその束を引ったくるようにして、レイイチの手を叩いた。
「それって、偽札製造よ!」
「え? でも、任務で異世界に行ったとき、貨幣が流通する世界ではいつもこうやって現地通貨を用意していたよ? 何の不都合もなかったけれど」
「ダメ! それは絶対にダメ!」
亜依に叱られ、レイイチはしょんぼりと肩を落とした。
「通貨の直接生成はダメなの?」
「当たり前でしょ。……そうだ、直接お金がダメなら、何か別の珍しいものを生成して!」
「珍しいもの?」
「そう。貴金属とか、アンティークとしての価値がありそうなもの。それなら、売ってお金に換えることができるわ」
レイイチは少し考えると、再び手を虚空にかざした。
光の粒子が集束し、レイイチの掌の上にコロンと重々しい物体が落ちてきた。
手のひらサイズの、仏像のような置き物。
だが、その顔の造形はどこか歪で、ものすごく不機嫌そうな、しかしユーモラスな「変な顔」をしていた。
「……これは何?」
亜依が顔を顰めて、その奇妙な置き物を指先で突いた。
「亜依の像」
「これが私? 私こんなに不細工なの?しかも怒った顔してる……」
ますます不機嫌になる亜依だったが、その置き物を持ち上げた瞬間、ずしりとした尋常ではない重みに目を丸くした。
「これって……もしかして、金?」
「そうだよ。純度99.99パーセントの純金」
「ナイス兄さん」
亜依は即座に親指を立てて笑った。
その頬が、嬉しさにほんのりと染まっている。
「これなら文句なしよ。買い取り専門店に持っていけば、一瞬で大金に化けるわ」
「ねえ亜依、お金を作るのはダメで、金を作ってお金に換えるのはいいの?」
「い、いいのよ、それが経済システムの建前ってやつなの」
二人はさっそく、この街の買い取り専門店を探し始めた。
「ねえ兄さん。何度かこの世界に来たことがあるんでしょ? 近くにそういう買い取り専門店はないの?」
「骨董品店ならあるよ」
「骨董品店?」
「ノアに頼まれてデジカメ……だったかな、それを買った店がこの近くにあるんだ」
亜依は歩きながら、ジロリとレイイチを盗み見た。
「ねえ、兄さん。そのデジカメを買った時のお金はどうしたの?」
「生成し――」
「やっぱり言わなくていい!!」
ともかく、いま手元にあるのは「純金製の変な顔の亜依像」だ。
「とりあえずこの金の仏像なら、高値で売れるはず。当面は困らないくらいにはなると思う」
二人はレイイチの記憶を頼りに、路地裏にある、ひなびた骨董品店のドアを叩いた。
チリン、と古めかしい鈴の音が、微かな余韻を残して響く。
しかし、店主の老人が提示した査定額は、亜依の予想を遥かに下回るものだった。
「……10万円」
店主がポチポチと、どこか冷淡に電卓を弾く。
「少なくないですか?」
亜依がカウンターの電卓を指さした。
「これ、純金ですよ」
「いやぁ、お嬢ちゃん。いくら素材が金でもね、この『顔』が致命的だ。美術品としての価値がゼロ、というかマイナスだ。潰して地金にするにしても、うちじゃあこれが限界だよ」
「にしたって10万円って……」
「証明がない金は“金じゃない”んだよ」
「でも、もう少しなんとかなりません?」
「どこで手に入れたか分からないとね〜、どうしても価値が落ちる」
結局、押し問答の末、これ以上粘っても警察を呼ばれるリスクがあると判断した亜依は、泣く泣く10万円を受け取って店を後にした。
「……顔が変だからって、失礼しちゃうわね」
「僕はよく特徴を捉えて作ったつもりだったんだけどな」
「余計なこと言わないで、兄さん」
それでも、10万円あれば服を新調するには十分な大金だ。
二人はすぐに近くのカジュアルな洋服屋へと飛び込んだ。
試着室から出てきた二人は、どこからどう見ても、この街の風景に溶け込む爽やかでカジュアルな服装に変貌していた。
レイイチはシンプルなシャツにチノパン、亜依は動きやすいカットソーにデニムのスカートだ。
鏡に映る自分たちの姿を見て、亜依はようやく満足そうに息を吐いた。
「ふふ、お母さんと一緒に行ったお買い物を思い出すなあ」
亜依が髪を整え、レイイチの顔を見る。
二人がこれまで着ていた風変わりな衣服は、レイイチの権能によって異空間のストレージへと収められた。
その時、亜依の耳元で微かな電子効果音が鳴り、通信が開いた。
『レイイチ、亜依。聞こえるかい?』
通信の向こうから届いたのは、壱の声だった。
「お父さん! ええ、聞こえてるわ」
亜依が通信用デバイスへと応答する。
『そちらの空間座標の定着を確認した。実数世界への適応状況はどうだ?』
「バッチリよ。今、現地の服を買って着替えたところ。これで怪しまれずに動けるわ」
『そうか、重触を避けるための判断としては正しい。だけど、くれぐれも目立つ行動は避けてくれ』
「了解。ノア先生の所在を確認してすぐにそっちへ連絡するわね」
『頼んだよ。通信を待つ』
静かに通信が切れると、亜依は気持ちを切り替えるように大きく息を吸い込んだ。
「捜索再開よ! いざ、海凪病院へ!」
レイイチは頷き、それから、ふっと思い出したように付け加えた。
「……そういえば、僕は二人の姿を消せるけど」
「……え?」
歩き出そうとした亜依の動きが、完全に停止した。
からくりのようなぎこちない動作で首を回し、兄の顔を凝視する。
「だから、僕の透過権能を使えば、最初から誰にも見られずに病院へ潜入できたなと思って」
「……」
「亜依?」
「――じゃあなんで先に言わないのよこの大馬鹿兄貴ぃーーーーっ!!!」
夏の翠松町の青空に、亜依の絶叫が鮮やかに響き渡った。
実数世界の常識と、兄のあまりの天然ぶりに早くも胃を痛めつつ、二人はようやく、ノアの所在を確認すべく海凪病院へと向かって歩き出すのだった。




