第13話 つかの間の家族
リビングには穏やかな時間が流れ、しばらくの間、他愛のない雑談が交わされていた。
亜依が身に纏っているバトルスーツや、腰に下げられた銃のような兵器について、本人もなぜこの格好で跳ばされたのか分かっていないのだという。
「カーネルの差し金か……」
デジットの呟きを聞きながら、零は22歳の亜依の肩をぽんと叩いた。
「よし! そんな物々しい格好じゃお出かけもできないし、これから二人でお買い物に行きましょ! 私があなたに最高に似合う可愛いお洋服を選んであげる! 律くん、ベビーシッターお願いね」
「ええっ!? 買い物……?」
亜依の胸が、ドクンと大きく跳ね上がる。
ちょっぴり恥ずかしく、けれど飛び上がるほど嬉しい感情が、彼女の顔を満面の笑みへと変えていく。
零のクローゼットから借りたシンプルなワンピースにひとまず着替え、二人は昼下がりの風が吹く街へと繰り出した。
隣を歩く零が「あっちのお店、可愛い服が多そうなのよね」と楽しそうに道を指差すたびに、つられて心が弾んでいくのを感じていた。
「さあ、着いたわ!」
零が小気味よい音を立てて開け放ったのは、ガラス張りの明るいセレクトショップのドアだった。
色とりどりの春夏の新作が並ぶ店内に、亜依は少し圧倒されたように立ち尽くす。
そんな亜依の手を引いて、零は嬉々としてラックの間を巡り始めた。
「ねぇ、これなんかどう? 亜依は色白だから、こういう淡いミントグリーンのブラウスが絶対に映えるわよ」
「えっ、あ、うん」
「ほら、迷ってないで鏡の前に立って! 次はこっちのプレアスカートね。あ、このワンピースも絶対に可愛い!」
零の目は完全にきらきらと輝いていた。
2歳の亜依にお洋服を着せて遊ぶときの、あの母親としての純粋な楽しさが、そのまま22歳の亜依へと向けられている。
まるで大きくなった我が子を「着せ替え人形」にするかのように、次から次へと服を抱えては亜依の身体にあてがっていく。
亜依は恥ずかしそうに頬を染めながらも、拒むどころか喜んでその提案をすべて受け入れていた。
零に促されるまま、何度も試着室を往復しては、新しい服に身を包んでカーテンを開ける。
「どう……かな?」
「きゃー! すっごく可愛い! やっぱり私の目に狂いはなかったわ」
零が手を叩いて喜ぶ姿を見るだけで、亜依の胸の奥は温かいもので満たされていく。
試着の合間、ラックを眺めながら二人は自然と言葉を交わした。
「お母さんは、普段からこういう洋服が好きなの?」
「そうね。壱くんがいつも無頓着だから、せめて私と亜依くらいはちゃんとお洒落して驚かせてあげたいじゃない? 亜依は普段、どんな服を着ているの?」
「私は……その、機能性重視のものばかりで。こんな風に、自分のために洋服を選ぶなんて、本当に久しぶり」
「じゃあ、今日は遠慮なんて一切禁止! 私が全部プロデュースしてあげるからね」
お互いにあれこれと鏡の前で合わせながら、零が「こっちの方が似合うわよ」と笑いかけるたび、亜依は本当に嬉しそうに何度も何度も頷いていた。
零に選んでもらった服は、どれをあてがわれても、亜依にとっては世界に一つだけの宝物のようだった。
買い物の後、両手いっぱいの紙袋を抱えて、二人は通り沿いにある小さなカフェに入った。
向かい合ってパフェを食べるその時間は、亜依にとって、人生の中で最も美しく、至福のひとときだった。
「美味しい……」
「でしょ? ここのパフェ、ずっと気になってたのよね」
スプーンを動かしながら、零が語る他愛のない日常の話や、壱のちょっとした愚痴に楽しそうに耳を傾ける亜依の瞳は、年相応の輝きに満ち溢れていた。
夕方、二人がたくさんの買い物袋を抱えて自宅に戻ると、壱が職場から帰宅していた。
律やデジットからすでに全ての事情を把握していた壱は、玄関で大人の姿になった娘を見つめ、驚きつつも、どこか誇らしげに「おかえり」と優しく微笑んだ。
その温かい声に、亜依は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら「ただいま」と返し、少し涙ぐむ。
壱は亜依の元へゆっくりと歩み寄り
「本当に……大きくなったな」
「お父さんは、若いね」
「これでも毎日必死なんだ」
壱が頭を掻きながら笑う。
リビングには、いつもの派手なヒーローコスチュームではなく、壱に用意してもらった「カジュアルな服」に着替えたレイイチも待っていた。
ちょこんとソファに座っている姿は、どこか愛らしく、幼さを残している。
「今夜はみんなで亜依の歓迎会をしようと思って、出掛ける準備をしていたんだ」
胸に灯る温もりを分かち合うように、壱は目を細めた。
「だからレイイチが着替え……させられたのね」
可笑しさと愛おしさを混ぜ合わせて、零は小さく息をこぼした。
デジットと律は「じゃあ、気を使わせる前に退散するよ」と、粋な計らいで笑顔のまま帰っていった。
夜の街。
壱、零、2歳の亜依、未来人の亜依、そして少し照れくさそうに歩調を合わせるレイイチ。
夜風が心地よく5人の頬を撫でていく。
元気いっぱいに歩く2歳の亜依が、壱と零の手を交互に握って楽しそうに跳ねるのを、22歳の亜依はただ愛おしそうに見つめて歩いた。
「何が食べたい?」
ふいに投げかけられた壱の言葉に、未来の向こうからやってきた亜依は、小さくはにかみながらどこか懐かしい響きを持つ和食ファミリーレストランの名を挙げた。
「普段使いのファミレスもいいけれど、今日は記念すべき日なんだから、もっと贅沢に、この時代の食文化のトップを味わいに行ってもいいのよ? 遠慮しないでね」
零はふわりと目を細め、気遣うような優しい声音で語りかけた。
「ううん、ファミレスがいいの。行きたいの」
亜依は懐かしさに胸を膨らませるように、けれど譲らないまっすぐな瞳で応えた。
「ファミレス!ファミレス!」
大人の会話に混ざるように、2歳の亜依が嬉しそうにその言葉を復唱して、小さな手をパチパチと叩いた。
「じゃあ、そうしよう」
壱は降参したように目元を緩め、愛おしそうに娘の頭を優しく撫でた。
にぎやかなレストランに入り、テーブルを囲んで腰を下ろす。
注文した料理が並び、賑やかな灯りの中でみんなが楽しそうにその器を箸でつついた。
ふと、零が箸を美味しそうに運ぶ亜依を見つめながら、興味津々といった様子で身を乗り出した。
「ねぇ亜依、未来の話を少し聞かせてよ。私たちのいた未来って、どんな感じなの? みんな元気にやってる?」
壱も箸を止め、穏やかな目を娘に向ける。
「ああ、気になるな。やっぱり、車とか空を飛んでたりするのか?」
二人の純粋な問いかけに、22歳の亜依はふっと目を細め、いつもの優しい声で頷いた。
「ううん、未来でも車は飛んでないよ。みんなが想像するようなSFの世界とは違うかな。ここと変わらない、たわいのないことで笑って、普通に時間が流れてる。……うん、みんな元気だよ。お父さんも、お母さんも、みんな」
「なんだ、車は飛ばないのか。ちょっと期待してたんだけどな」
壱が冗談めかして笑うと、零も「もう、壱ったら。でも、みんな元気ならそれが一番ね」
と嬉しそうに微笑んだ。
その時、テーブルの端で、レイイチが自分の前に置かれたハンバーグをじっと見つめたままでいるのに壱が気づいた。
「レイイチ、どうした? ほら、もっと食べろよ。せっかくの歓迎会なんだから」
壱に促され、レイイチはパーカーの袖を少し引き上げながら、大真面目な顔で答えた。
「……壱誠、僕は食べ物で栄養を摂取しなくていいんだよ。エネルギーは別の回路から補給できるからね」
「何を言ってるんだ。受肉した身体なら、ちゃんと動かすために栄養は必要なんだよ。ほら、口を動かす」
壱が苦笑しながらレイイチの皿にフォークを差し向ける。
その親子のやり取りを見て、22歳の亜依はたまらずクスクスと笑い声を上げた。
「ふふ、本当に変わらないなぁ。未来でも、レイイチ兄さんは同じようなことを言って、人の体で現れても何にも食べないんだから」
「えっ? そうなのか?」
レイイチがハンバーグを見つめたまま、驚いたように大きな目を亜依に向けた。
亜依は楽しそうに頷きながら話を続ける。
「私は精神体の兄さんでも見えるから知ってるよ。最近の未来では、兄さんは人間の体にはなってない時が多いかな。時々、なにかの帰りにうちにふらっと寄ることが多いの。お母さんに『聞いてよ零、カーネルがさぁ……』って、いつもグチを言いに」
「ええっ? 僕は未来で零にグチを言ってるの? ……ちょっと、それは僕としてかなり嫌だな……」
端正な顔を少し赤くして戸惑うレイイチの姿に、壱も零も声を上げて笑った。
そんな大人たちの賑やかな会話の真ん中で、2歳の亜依が「にぃに、あーん!」と、自分のスプーンですくい上げたポテトサラダをレイイチの口元へと差し出した。
「あ……うん、亜依」
レイイチは少し照れくさそうに屈み、小さな手が差し出したポテトサラダをぱくりと口に含む。
「ほら、美味しいだろ?」
と壱が笑い、零が2歳の亜依の口元を優しくナプキンで拭ってあげる。
にぎやかなレストランでテーブルを囲んで、みんなで楽しそうにしている姿は、どこからどう見ても、最高に幸せな「一つの家族」の団欒そのものだった。
神様がくれたような、つかの間の平和。
22歳の亜依は、笑い合う父と母の姿、そして自分の目の前でおいしそうにご飯を食べる2歳の自分の姿を、その瞳に、その魂に、一瞬たりとも忘れないよう深く、深く焼き付けていた。




