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第11話 朝光のなかの再会

1. 残響の警告



 キィィィィン――と、鼓膜を鋭く刺すような、おぞましい高周波の警報音が地下室に鳴り響いた。



 テスト起動で安定していたはずの転送の光の「向こう側」から、あり得ない方向へのエネルギーの逆流――凄まじい因果の逆流(タイムパラドックス)の突風が吹き荒れ、地下室のコンクリートの壁を激しく叩きつけた。



ビットの制御パネルがパチパチと制御不能なエラーログを吐き出し、過負荷で派手な火花を散らす。


「馬鹿な、あり得ません! まだ誰も跳んでいない、ただの試験起動のゲートなのに……何者かが、境界の向こう側……はるか遠い時間軸の先からこちらの座標を逆探知して、この転送ゲートを無理やり力技でこじ開けてくる……!?」



 空間そのものと化しているビットの、驚愕に引き裂かれた声が地下室に木霊する。



 完璧に制御されていたはずの光の裂け目が不自然に歪み、のたうち回り、指示された座標ではない「未知の時空」と強引に直結していく。



 空間がバグったように激しくブレ、まばゆい光の奔流とともに、次元のゲートがこじ開けられた。


 溢れる極光の中から現れたのは、一人の謎の女性だった。


 息をのむほどに気高く、凛とした佇まいでそこに立っている。


一切の迷いを感じさせない揺るぎない眼差しと、威風堂々とした立ち姿は、まるで一国の女王のようだった。


しかし、ゲートの光がゆっくりと収まり、彼女を包む影が濃くなった一瞬――その美しい横顔に、世界の終焉を何度も見てきたかのような、深く、果てしない寂しさが宿っていた。



「――零に限界まで力を使わせないで」



 地響きのような威厳を湛えた声が、地下室の空気を凍らせる。



「デジットにビット。そしてレイイチ…さん……あなたたちなら、その言葉の意味がわかるわね」



 それだけを告げると、女は追究を許さぬ速さで、再び激しい光の中に溶けるようにして消え去っていった。



 過負荷の嵐が嘘のように収まり、火花を散らす精密機械の音だけが残される。


「あれは……」


 ビットの戸惑う声に、粒子化を解いたデジットが灰色の瞳を鋭く光らせた。


「ああ……間違いない、あれは『未来のノイズ』そのものだ」


 セルフビルドした肉体の不可視化を解いたレイイチもまた、自らの胸の奥の回路を抑えながら、消え去った光の残痕をじっと見つめていた。



「あ……」






2. 黒い来訪者



 数日後。


 ノアの救出作戦という見えない嵐を前に、世界はまだ深い静寂のなかにあった。



 神崎邸のリビングには、どこか張り詰めた、しかし穏やかな朝の空気が満ちている。



 その日の朝早く、壱は秋山と共に、作戦の命綱となるバイナリ時計の改良と最終調整を施すため、慌ただしく職場へと向かった。


彼らの背中を見送った後、自宅に残されたのは、零と、まだ無垢な瞳を持った2歳の幼子、亜依の二人だけだった。



 窓辺のカーテン、その僅かな隙間からこぼれ落ちる柔らかな朝の陽光が、宙に舞う小さな埃を金色にきらめかせながら、静まり返った床を優しく照らしている。


亜依の規則正しい小さな息遣いだけが、その静謐な空間に溶けていくようだった。


 その温かな平穏のなかに、突如としてインターフォンのチャイムが鳴り響く。


 それは静かな空間を優しく揺らす電子の音色であり、変わらない日常の続きを告げるかのように、ひっそりとした邸宅に心地よく響き渡った。



「はーい」


 零が何気なくモニターを覗き込むと、そこに映っていたのは、全身黒い服を身に纏った見知らぬ若い女性だった。


「(なにあれ……コスプレ?)」


 あからさまに堅気ではない雰囲気に眉をひそめながら、零は受話器を上げた。


「はい、どちら様でしょうか」


『神崎さんのお宅ですよね。……重要な話があって、参りました』


 モニターの中の女の目は、冷徹なようでいて、どこか必死だった。


零は直感する。


「重要って……どんなお話でしょう」


『――ノア博士救出に関する話です』


 その単語が出た瞬間、零の脳裏に電撃が走った。


なぜこの人間が、極秘裏に進めている作戦を知っているのか。


「……少しお待ちください」


 零は冷静に告げると、すぐさま手元の端末で律とデジットへ緊急連絡を入れた。


「今すぐ私の家に来て。至急よ」


 そして、2歳の亜依を家の中に備え付けられた絶対安全な防壁空間「パニックルーム」へと静かに隠した。


「亜依、いい子にしててね」と優しく頭を撫でると、幼い娘はコクンと頷いた。


何か不測の事態が起きても、現在の零が持つ異能があれば、一人で十分に目の前の女を制圧できるという計算と覚悟があった。


 ガチャリ、と鍵を開け、謎の女をリビングへと招き入れる。


 近くで見ると、女が着ているのはただの黒服ではなく、身体のラインに完全にフィットした特殊なバトルスーツだった。


「戦闘服……? あなた、いったい何者?」


 警戒を隠さずに問いながら、零は女にリビングのソファに腰掛けるよう促した。


 ソファに腰を下ろした女は、零の問いにすぐには答えず、ゆっくりと家の中をキョロキョロと眺め回した。


壁の傷、飾られた写真、部屋の空気。


その瞳は、どこか酷く嬉しそうで、言葉にできないほどの深い慈しみに満ちあふれていた。


まるで、二度と戻らないはずの楽園に、奇跡的に足を踏み入れた迷子のような目をしている。


 零は警戒を維持したまま、彼女の前に淹れたてのハーブティーのカップを置いた。


 女はしばらくそのカップから立ち上る湯気を愛おしそうに見つめていたが、そっと両手で持ち上げ、宝物を扱うように一口、口に含んだ。


 ほう、と、張り詰めていた緊張のすべてを解き放つような、熱い吐息が女の唇から漏れる。



「……懐かしい。この味……」



「それで?」



 零が鋭く先を促すと、女はハーブティーを置き、悪戯っぽく微笑んでオウム返しに言った。



「それで?」



「あなたはいったい誰なの? なぜノア先生のことを知っているの?」



 まっすぐに射抜くような零の視線を受け止め、女は静かに、けれど世界で一番優しい声で微笑んだ。



「――私は亜依よ、お母さん」



「え……?」



 あまりにも突拍子のない単語に、零の思考が一瞬フリーズする。



「私は20年後の未来から来た、あなたの娘。神崎亜依(かんざき あい)よ。……今の私の特性は『次元跨ぎの観測者(特異点的観測)』。お母さんは、もうその力の片鱗を知っているはずよ。実数次元、虚数次元、そしてマルチスレッド(並行世界)のすべてを、なんのフィルターも通さず、生身の意識のまま『視る』ことができる能力」



 女――22歳の亜依は、自らの白く細い手を見つめながら淡々と、けれど誇らしげに、そして少しの切なさを滲ませて語る。


「宇宙の絶対定数の干渉を唯一受けない『特異点』であり、私が観測を確定させることで、不確定な未来を一つの現実へと固定できる。実はこの力、幼少期から段階的に解禁されていく能力だったの。今の私は、未来の因果を確定させて仕留める[因果絶火]、並行世界の自分と同時攻撃する[千裂の同期]、存在確率をゼロにする[確率淘汰]まで扱えるわ。22歳の今が、覚醒段階のピークに達している最強の状態。……だから、私はきっとお母さんたちの役に立つはずよ」



 目の前で滔々と語られる、かつてないほど濃密で圧倒的な設定の数々。


零は目の前の美しく成長した女性を見つめ、激しい困惑の中に、血脈が伝える確かな繋がりを感じ取っていた。


その綺麗な鼻筋、少し気が強そうでいて根は優しい拒絶の構え、すべてが自分と、そして愛する壱の面影を濃く宿している。



(本当に……この子が、あのちっちゃい亜依……なの?)



「そう。今回のノア博士救出作戦に加わるか加わらないか、カーネルに選択肢を貰ったの。……未来を、正しい形へ確定させるためにね」



 驚きと混乱が天元突破した結果、零の脳内から出たのは、母親としてのあまりにも素朴で、不器用な現実逃避に近い疑問だった。



「亜依が大人になると……こんなに立派なお嬢さんになっちゃうの? ……ねぇ、彼氏は!? 彼氏はいるの!? 変な男だったら、私、絶対に許さないからね!」



「えっ!? お、お母さん、何言ってるの急に……」



 さきほどまで軍神のように凛々しかった22歳の亜依が、一瞬にして年相応の女の子のように顔を真っ赤にして大慌てで手を振る。


その、あまりにも「我が家の血筋」を感じさせる素直で可愛い反応に、零はふっと全身の緊張を解き、すべてを受け入れて愛おしそうに微笑んだ。



「そっか。よかった。……うん、本当によく無事で、ここまで来てくれたね、亜依」


差し込む朝の光のなかで、静かに交わされたその言葉は、数多の時間軸と絶望の果てにようやく手繰り寄せた、あまりにも温かで確かな一つの奇跡だった。






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