「ちゃんと帰ってきますから」
悲鳴。
車の急ブレーキ。
逃げ惑う人々。
夜の商店街は、
一瞬で地獄みたいになった。
空の裂け目から現れた黒い腕は、
ゆっくり街へ伸びてくる。
アスファルトが、
めきめき割れる。
修は、
フィアナの手を掴んだ。
「逃げるぞ!」
でも。
フィアナは動かなかった。
その青い瞳は、
空の亀裂を見つめている。
震えていた。
怖いからじゃない。
知っているからだ。
あれが、
どれほど危険なのか。
フィアナは、
ぎゅっと拳を握る。
「……修さん」
「ん?」
「逃げてください」
修が固まる。
フィアナは、
空を見上げたまま言う。
「魔獣は、人間では倒せません」
「だったら尚更――」
「わたくしが行きます」
修の胸が、
冷たくなる。
フィアナは、
ゆっくり振り返った。
その顔は。
いつもの、
コロッケで喜ぶ女の子じゃなかった。
王女だった。
強くて。
覚悟を持った顔。
「フィアナ……」
「本当は」
フィアナは、
少し寂しそうに笑った。
「もう少しだけ」
「普通の女の子でいたかったです」
修の心臓が痛む。
フィアナは、
そっと修の手を離した。
その瞬間。
淡い光が、
彼女の体を包む。
銀色の髪が、
風に舞う。
白いワンピースが、
魔力の光へ変わっていく。
青白い光の粒が、
夜空へ散った。
そして。
現れたのは。
純白の装束を纏った、
異世界の王女。
胸元には、
蒼い宝石。
背中には、
光の紋章。
商店街の人々が、
息を呑む。
修も、
言葉を失っていた。
フィアナは、
ゆっくり前へ出る。
その姿は、
綺麗で。
でも。
少し遠く感じた。
フィアナは、
空の魔獣を見上げる。
その瞬間。
空気が変わる。
優しい彼女から、
“王女”へ切り替わった。
フィアナが、
静かに詠唱する。
すると。
夜空に、
巨大な魔法陣が広がった。
青い光。
複雑な紋様。
街中が、
幻想的な光に包まれる。
逃げていた人々が、
思わず足を止める。
修だけが、
苦しそうな顔をしていた。
綺麗だった。
でも。
その姿は、
自分の知らないフィアナみたいだった。
フィアナは、
小さく呟く。
「境界固定術式――起動」
次の瞬間。
轟音。
空の亀裂へ、
巨大な光の鎖が撃ち込まれる。
魔獣が咆哮した。
夜空が震える。
そして。
フィアナは、
振り返らないまま言った。
「修さん」
声は、
少しだけ震えていた。
「……わたくし」
「ちゃんと、帰ってきますから」




