第八話 潮風に運ばれるように
美知子と亮は、初島へ向かうフェリーのデッキに立っていた。
富士山を背に、潮風に吹かれながら、追いかけてくるカモメと戯れている。
「……初めてフェリーに乗った時のこと、思い出すわ〜」
進行方向の背に、富士山がくっきりと浮かんでいる。
「ねぇ、亮ちゃん。初めて会ったときに、初島のことを教えてくれたじゃない。せっかくだから行ってみたのよ」
少し懐かしむように、遠くを見つめる。
そして、カモメを目で追いながら、ぽつりと呟いた。
「あの時も、今日みたいに、富士山がくっきり見えて…… 綺麗だったなぁ』
「そうそう! カモメが寄り添うみたいに付いてくるのを、光里が目で追いながら、もう大はしゃぎで! あの時の喜びようったらなかった……」
潮風に運ばれるように、言葉は自然と続いていく。
「そういえば、澤田さん、元気?」
唐突な話題の転換に、亮は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑って答えた。
「ああ。あいつは、放送局の出世コースを真っしぐらだよ。今は、イギリスにいる」
「へぇ、……カメラマンとして、ちゃんと頑張ってるんだね」
「同期の写真部で、仕事として活かせてるのは澤田だけだよ」
亮は、少し誇らしそうに言った。
「俺たちとは、カメラとの向き合い方が全然違ってた。あの頃から、一目置かれてたもんな……」
美知子は、光里と澤田が無邪気にはしゃいでいた姿を、ふと思い出していた。
すると亮が、何かを思い出したように、くすくすと肩を揺らした。
「あの時さ。みんなで、ダルマさんが転んだ、やっただろ」
美知子も思わず吹き出す。
「そうそう。負けた人が、カフェで全員分おごり、って賭けしてたのよね。
だいの大人がさ、あんなに必死になって……」
「負けたくなくてさ。全員、本気だったよな」
二人は顔を見合わせて、堪えきれずに笑った。
その笑いが静まるのを待つように、美知子は小さく息を整えながら、亮へ語りかけるように言った。
「光里ね…… 熱海から帰ってから、表情が少しずつ変わっていったのよ」
「由里ちゃんもね、あの子が見違えるほど明るくなったって、驚いてたわ」
亮は、納得したように目を細める。
「それにさ、やっぱり親子なんだなって。
光里ちゃんも、笑い出したら止まらなくなるところ、みっちゃんにそっくりだって――楽しそうに、いじってきたけどね」
美知子は、少し照れたように目を伏せた。
それを聞いた亮は頷くように
「確かに!!」
と笑いを堪えきれず
「由里ちゃんらしいな」
とクックッと笑い出だす。
すかさず美知子に
「笑いすぎ!」
と一喝された亮は、小さく肩をすくめるのだった。
しばしの沈黙の中で、亮は出会った頃の情景を心に描き出していた。
まだ幼かった、あの日の姿が思い出される。
「みっちゃんたちと初めて会ったときは
光里ちゃん、まだ、小さかったよなぁ」
少し間を置いて、亮は続けた。
「今はもう二十歳かぁ…… 気づけば独りでアメリカに留学だもんな」
ふとこぼれた亮の言葉に、
美知子はしばらく黙ったまま、遠くを見つめていた。
やがて深い呼吸を一つ置くと、自分自身に言い聞かせるように応える。
「ほんとにね……」
穏やかな吐息と共に続ける。
「東京に出てきたばかりの頃は、人見知りが激しくて学校にも馴染めなくって。私のそばを片時も離れようとしないで、手を焼かせてばかりだった、あの光里が……」
そこで言葉が途切れ、溢れそうになる思いを噛みしめた。
「今では、私の手を離れて、遠い世界へ飛び立っていくみたいで……」
美知子の瞳は波立つ水面を映し優しく揺れる。
「嬉しいような、寂しいような、複雑でホント親って大変だよね」
美知子は遠くを見つめながら呟いていた。
亮の目には、光里の人懐っこさや、ふとした仕草が、美知子と重なって見えていた。
可笑しそうに笑うその表情は、まるで、美知子そのものだった。
「由里ちゃんじゃないけど、やっぱり親子なんだよなぁ」
そう言って、いたずらっぽく肩をすくめてみせた。
カモメと戯れながら、二人はしばし言葉を交わすこともなく、それぞれの想い出に身を委ねる。
潮風に吹かれているうちに、時間は静かに流れ、気づけば初島は、もうすぐそこまで迫っていた。
「ねぇー亮ちゃん、フェリーを降りたら、ちょっと早いけど…先にお昼にしない? お腹空いちゃった」
亮も、待ってましたと言わんばかりに、
「おー良いね! 俺もペコペコだよ。折角だから、新鮮なアワビの刺身なんてどうかな? 絶対に美味いよ!」
「わぁ〜最高ね!」
「さっ、降りるぞ! 忘れ物ない?」
二人は足早にデッキを進む……
弾んだ声は、潮風に乗って、島へと流れていった。




