第二話 あの時も、暑い夏だった
積もる話と尽きない笑顔で空白を埋めるような、慌ただしくも幸福な二日間が、瞬く間に過ぎ去っていった。
眼下に広がる景色は、いつしか無機質なビル群から、複雑に入り組んだ海岸線と、紺碧の海に散らばる大小の島々へと変わっている。
美知子は光里と二人で、九州の小さな漁師町、母の待つ故郷ヘ向かう飛行機の中にいた。
今回、留学先からの帰国を機に、二十歳を迎えた娘の姿をひと目見せてあげたい。
その思いを胸に美知子は、光里と共に、故郷の地を踏んだのだった。
漁船の行き交う港。
遠くの汽笛は、心地よく響きわたる。
潮の香りが懐かしく、
久方ぶりの故郷はあの頃と何も変わっていなかった。
波打つ音に混ざり、風が坂道を駆け上がってくる。やがて潮騒へと変わり、梢を揺らす音は辺りを包みこんでいく。
海を一望する高台。
静かに佇む墓石には、亡き父が眠る。
風に髪をなびかせながら、じっと手を合わせる娘の姿。側には母の笑顔があった。
その後ろで、目を閉じ静かに手を合わせる美知子。
(……お父さん、見てる?)
美知子は目を閉じ、亡き父へ届くように、胸の内でそっと語りかけた。
(泣き虫で、ちっちゃかった、あの光里がもう二十歳よ。すっかり大人びて、綺麗になったでしょ)
美知子は指先で目元を拭い、懐かしむように遠い日へと思いを馳せる。
(お父さんったら、いつも口を開けば、光里、光里って…… 暇さえあれば軽トラに乗せて、よく出掛けていたよね。あの時の光里の嬉しそうな顔ったら、……フフ、思い出すだけで、涙が出ちゃうわ)
墓前に手を合わせていた美知子の胸を、ふいに熱い風が通り抜けた。
――あの時も、今日と同じように、暑い日だった。
最愛の人を、不慮の事故で亡くしたあの日……
夫は建築設計士として、現場の立ち会いに行っていた。
その日、突然足場が崩れ、逃げ切れずに下敷きとなってしまい、病院に運ばれた時は、まだ息をしていたという。
けれど、美知子が駆けつけた時には……
もう、静かに息を引き取った後だった。
ベッドに横たわる夫を見た瞬間、
美知子の世界は音もなく止まった。
ついこの前、光里の三歳の誕生日を三人で祝ったばかりだった。
笑い声の余韻すら消えぬうちに、
幸福だった日々が、指のあいだからこぼれ落ちる砂のように、音もなく崩れていった。
胸の奥が引き裂かれるのに、
なぜか、涙は出なかった。
ただ、身体のどこかがぽっかりと消えてしまったようで……
悲しみに暮れる中、美知子は、なす術もなく娘の小さな手を握りしめ、生まれ育った小さな漁師町の実家へと身を寄せた。それからの一歩一歩を支えてくれたのは、何も言わずにただ寄り添ってくれた、両親の存在だった。
安らかな光里の寝顔を見ては、込み上げてくる涙を堪えきれず母の胸に顔を埋めて泣き明かしたことも…… その度に、いつも傍には母の温もりがあった。
失われた夫の影と、その欠けた部分をそっと埋めるように、父と母の温かな存在が寄り添ってくれていた。
あの頃の美知子は、その温もりに救われていたのだった。
――お父さん。
私がここまで光里を育ててこれたのは、お父さん達が傍にいてくれたからなの。
あの時、私ひとりでは無理だったわ
心で呟いた瞬間、胸の奥でそっと何かがほどけていくようだった。
蝉の声が遠くで響き、墓前の花が静かに風に揺れていた。




