25
ガリロルザ王城へ続く大通り。
そこをヒナはたった一人で歩いていた。
周囲は崩壊した家屋が並び、焼け焦げた石壁や折れた街灯が道路の随所に横たわっている。上空を覆う黒煙によって陽光は遮られ、昼間であるにもかかわらず、城下町全体が薄暗い灰色に沈んでいた。
その先に聳える王城の正門には、本来であれば王都最大戦力の一つである近衛師団が布陣しているはずだった。
しかし、ヒナの視界に映る兵力は明らかに少なかった。
城門前へ並んでいる兵士たちは数こそ揃えているものの、重装騎士の姿は僅かであり、負傷者や年若い兵士まで隊列へ組み込まれている。
「……やはり」
ヒナは歩調を変えないまま、正門前の陣形へ冷淡な視線を巡らせた。
「王が不在ですね」
辺にはバルゴゾーンの破壊された姿が散っている。決死の防衛を敷いていたのは確かだ。
「大体のバルゴゾーンは処理して、王はすでに移動をしたか……」
事前にチルノーヤから伝えられていた情報では、ガリロルザ王は満身創痍と聞いていたが、まだ戦場を走れるほどに元気はあるらしい。
「ガリロルザ王自身は現在、ゼクスと交戦していると連絡を受けましたが……、恐らくその戦闘へ多くの精鋭兵が動員されているみたいですね」
つまり、この王城は最後の防衛線でありながら、肝心の牙を外へ持ち出してしまっている。
「アホですね。バルゴゾーンならいざ知らず、私のような敵が来ては、対処できないではないですか。せっかく、王に話をしようと考えていたのに」
ヒナはため息をつきながら歩いていると、城門前から近衛兵が長槍を構えながら前へ踏み出した。
「止まれ!」
「それ以上、王城へ近づくな!」
ヒナは十数メートルほど手前で足を止めると、乱れひとつない赤紫の髪を背中へ垂らしたまま、兵士たちを静かに見渡した。
「戦うつもりはありません」
「……何?」
「私は、この王城にいる責任者と話をしに来ただけです。あなた方が武器を下ろすのであれば、こちらから攻撃する意思はありません」
その穏やかな声色とは裏腹に、ヒナの周囲には闇の魔力が静かに漂っていた。
兵士たちは誰一人として槍を下ろさず、それどころか彼女の正体に気づいた者から順に顔色を失っていく。
「まさか……」
一人の兵士が震える指で剣を握り直した。
「『漆黒の女王』……ヒナ=ノーノン……!」
「総員、戦闘態勢!」
号令に合わせ、兵士たちが一斉に武器を前へ向けた。
「……やはり、こうなりますか」
ヒナは僅かに瞼を伏せ、長い息を鼻から吐き出す。
「侵略者が何を白々しい!」
「避難民のいる王城へ単身で乗り込んできておいて、戦うつもりがないだと!?」
「随分と都合のいい話だ!」
四方から向けられる敵意を浴びても、ヒナは表情を変えない。
「私は、あなた方を殺しに来たわけではありません」
「信じられるものか!」
「信じる必要もありません。ただ、道を開けてください」
ヒナは右手を静かに持ち上げ、掌を兵士たちへ向けた。
「最後に一度だけ警告します。武器を下ろしてください」
「断るッ!」
最前列の兵士が地面を蹴り、ヒナへと槍を突き出した。
「ここから先は、ガリロルザ最後の砦だ! 一歩たりとも通すものか!」
「……そう、ですか」
槍の穂先がヒナの胸元へ到達する寸前、ヒナは身体を半歩だけ横へ傾けた。刃が服を掠めて通り過ぎると同時に、ヒナの指が槍の柄へ添えられる。
「では、少し眠っていてください」
「な────」
ヒナの足元から伸びた黒い影が兵士の身体へ絡みつき、その四肢を拘束したまま後方へ投げ飛ばした。
「一斉にかかれ!」
「魔法隊、詠唱開始! 城門を突破させるな!」
近衛兵たちは恐怖を振り払うように隊列を組み替え、前衛が盾を重ね、その背後から魔法使いたちが杖を掲げる。
「……面倒ですね」
ヒナは殺到する兵士たちを眺めながら、ほんの僅かに眉間へ皺を寄せた。
直後、ヒナに向かって数十の火球や氷球、風塵や魔力弾が放たれる。
ヒナは外套の裾を翻しながら片腕を横へ滑らせ、正面に闇の障壁を展開した。あらゆる魔法がその表面へ接触した瞬間に形状を失い、障壁に沈み込むように消滅していく。
「魔法が……消えた?」
「怯むな。魔法使いは所詮近接では何もできん! 接近戦へ持ち込め!」
「その考えは浅はかですね。現代の魔法使いを侮りすぎです」
包囲しようと左右から回り込んできた兵士へ向け、ヒナは指先を曲げると、石畳から無数の黒い帯が伸び、兵士たちの腕と脚へ絡みついた。
「ぐっ……!」
「動けない!」
「なんだ、この魔法は……!」
「骨を折られたくなければ、抵抗しないでください」
ヒナは拘束された兵士たちの間を悠然と通り抜ける。
隙を見て一人の兵士がヒナの背後から剣を振り下ろすが、ヒナは振り返ることすらせずに闇をまとった掌で刃を受け止めた。
「……まだ続けますか?」
「ッ……!」
闇に包まれた手で刃を握り、軽く手首を捻ると、鋼鉄の長剣は中央から捻じ曲がる。
「今の戦力で私を止められないことくらい、あなた方自身が一番理解しているでしょう」
ヒナは折れ曲がった剣から手を離し、周囲へ視線を巡らせた。
「私はこれ以上、無意味な死者を増やさないために来たのです」
「なんだと……」
近衛兵たちの間に、ざわめきと動揺が一斉に広がる。
だが、依然として道を開ける者はいなかった。
「この王城には……」
若い兵士が盾を握り締めながら、震える声を絞り出した。
「この王城には、民がいる……」
「知っています」
「戦えない老人も、子どももいるんだ! 何も知らずに戦争に巻き込まれ……友達も、家族も失った人たちがいるッ!」
「だからこそ、私は一人で来ました」
その返答に、兵士の瞳が揺れる。
「私が軍勢を連れて踏み込めば、あなた方は徹底抗戦を選ぶでしょう。そうなれば、この場所まで戦場になる」
ヒナは城門の向こう側へ視線を移した。
「私は、それを望んでいません。無実の民をこれ以上甚振るのは、私の趣味ではありません」
「……だったら、何が目的だ」
隊長格と思われる兵士が、傷ついた肩を押さえながらヒナを睨みつける。
「領土か……?」
「いいえ」
「王の、首か……?」
「興味ありません」
「なら、何を奪いに来たッ。これだけの事をして……命を奪い……何を……ッ!」
ヒナは少しだけ沈黙すると、空を仰いだ。
「──────七光玉です」
近衛師団たちの顔に、困惑が浮かんだ。
「……七光玉?」
「何だ、それは……」
「ほう……知らないのですか」
「聞いたこともない」
ヒナは兵士たちの目を順番に確認するが、嘘を吐いている様子は見受けられない。
「……なるほど」
チルノーヤから聞かされていた通り、まだ七光玉の在り処も分からないとなると、それは遠い昔に語られたお伽噺となっているようだ。どうやらガリロルザ側は、自国に『七光玉』が存在していることさえ認識していないらしい。
(しかし、ここに七光玉があるのは確実。長い文明のなかで、その伝説は埋もれてしまったようですね)
ヒナは改めて兵士を見渡し、手を横に振り抜いた。
「であれば、こちらで探します。王城を明け渡してください」
「ふざけるな! 城内を好き勝手に探させられるものか! それを認めたら降伏したと同じだッ!」
「その通りです。さっさと降伏してください。もちろん、王城内の避難民へ危害は加えません。兵士の武装を解除し、城内の捜索を許可してください。それだけで構いません」
「…………」
「目的の物を確保できれば、ガリロルザへこれ以上用はありません」
ヒナはさらに視線を鋭くする。
「加えて、『不朽の栄光』ノンナがいるはずです。彼女は危険。身柄をこちらへ渡すのであれば、より確実に戦闘を終結させることができます」
「ノンナ様を……?」
「殺すつもりはありません。可能であれば、生け捕りにします」
「そんな条件を飲めると思うか! 不朽の栄光様だぞ!?」
「ですが、あなた方にとっても悪い話ではないと思いますが」
ヒナは表情をほとんど動かさないまま、背後に広がる荒廃した城下町へ視線を向けた。
「このまま戦闘を継続すれば、さらに多くの人間が死にます」
「…………くっ」
「ガリロルザは既に劣勢です。ここで国の存続を賭けて戦うより、人命を残す方が合理的でしょう」
「国を攻めておいて、それをお前が言うのか!」
兵士たちが憤怒に顔を歪ませ、獣特有の殺伐とした視線を向ける。
「……そうですね」
ヒナはうつむき、冷徹な仮面の奥にほんの一瞬だけ、苦悩が覗いた。
「それでも、これ以上死なせない方法があるのなら……私は、そちらを選びますがね」
そしてヒナが再び顔を上げた時には、すでに感情は押し込められていた。
「道を開けてください」
「断る!」
「では」
ヒナの足元へ黒い魔力が集まる。
「殺さない程度に、排除します」
その後、王城正門の防衛線が崩壊するまでは一瞬だった。
ヒナは兵士の武器を破壊し、闇による拘束で兵士たちの自由を奪い、城門を突破した。
倒れ伏した兵士たちの大半は意識を失っているだけで、呻きながら身体を起こそうとする者にも、ヒナは追撃を加えなかった。
「……どうして」
地面へ横たわった兵士が、遠ざかる背中へ問いかける。
「どうして……殺さない」
ヒナは歩みを止めず、横顔だけを傾けた。
「必要がないからです。敵だからといって、必ず殺さなければならない理由はありません」
黒い外套を揺らしながら、ヒナは王城内部へ続く道を進んでいった。
「私は……もう、無意味に誰かが死ぬのを見るのは勘弁です」
その言葉だけは、誰へ向けたものなのかヒナ自身にも分からなかった。




