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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ガリロルザ 編

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23

「ま、巻いた……?」

「索敵中」


 ミライは瞳を明滅させ、天井を見上げた。


「振動感知……直上に高熱源体を確認」

「……え」

「停止しました」


 ツルカの顔から血の気が引く。


「うそ……真上にいる……?」

「肯定。静かに」。


 厚い石材で隔てられているというのに、放射されるバリオンの熱量によって、天井表面が徐々に熱され、地下水路を満たす空気まで、肌へ纏わりつくように重くなっていく。


「……チッ」


 頭上から、微かに声が聞こえてくる。


「どこ行きやがった……」


 ツルカは両手で口元を覆い、呼吸すら止める勢いで静かにした。

 ミライも微動だにせず、視線だけを天井へ向けている。


「…………」


 やがて、ミライの瞳が僅かに動いた。


「……熱源、移動を開始」


 ツルカはすぐには声を出さず、数秒待ってからゆっくりと口元から手を離した。


「……行った……?」

「はい」

「よかったぁ……」


 緊張から解放されたツルカは壁へ背中を預け、膝の力を抜きかける。


「駄目です、マスター」

「……休ませてよ」

「敵は魔力感知能力を有しているはず。ここに留まり続ける方が危険です」

「……一分だけ」

「却下します」

「三十秒」

「却下です」

「……なら、十秒──────」

「移動しながら休んでください」

「無理でしょ……」


 ツルカは唇を尖らせながら壁から身体を離し、地下水路を歩き始めた。汚水を掻き分ける足取りだけが、この空間を静かに響かせている。


「……ねえ、ミライちゃん」

「はい」

「バリオンって……どれくらい強いのかな……」

「基準を指定してください」

「なら……僕が勝てるかどうかで」

「計算します」


 ミライの瞳に淡い光が走る。


「現在までに観測したマスターの戦闘能力、敵個体の出力、反応速度、耐久性能を総合した場合……勝率は五パーセント以下です」

「…………」

「戦闘は推奨できません」

「……そっか」


 ツルカは前を向いたまま、唇を強く噛んだ。


「逆に言えば、魔王相手に五パーセントもある、と考えるべきでしょうか」

「励ましてくれてる?」


 ほんの僅かに口元を緩めたツルカだったが、その表情は長く続かなかった。

 この世界には、あのバリオンのような怪物が、想像すらできない数だけ存在している。

 自分では太刀打ちできない存在が、まだたくさんいる。

 そう考えた途端、途轍もない震えが指先まで伝わった。


「僕……」


 ツルカは自分の両手を見下ろした。


「本当に、やれるのかな」

「マスター?」

「守るために来たとはいえ、相手は魔王。正直、何とかなるとか思ってたけど……」


 拳を握ろうとして、震える指が思うように閉じない。


「でも、あんなのが相手なんでしょ……」

《マスター》

「上には上がいるって言うけどさ……上すぎるよ」


 自嘲気味に笑い、ツルカは俯いた。


「怖いな……」


 ミライは数歩先へ進んでから立ち止まり、肩越しにツルカを振り返った。


「ですが、諦めてはいけません」

「……ミライちゃん?」

「まだ、マスターは歩けています」

「だから……?」


 ツルカは少しだけ目を見開いた。


「まだ逃走可能です」

「あ、戦えとは言わないんだね……」

「勝率が低いので」

「そこは正直だね……」


 ツルカは小さく息を吐き、再び足を前へ出した。


「ですが、古い言い伝えがあります」


 ミライは記録を検索するように、ツルカに向けて瞳を光らせた。


「──────人間は、諦めなければ何物でも叶うと。勇敢に、しつこく、抗う。それが、人間……と」

「なにそれ……言い方ワル…………でも、なんとかしなきゃね。確かに、諦めるのは良くない。僕は、僕たちは……この国を守りに来たんだから……!」


 ツルカは震えた指先でやっと拳を握り、精悍とミライに向き直った。


「この戦いだけは終わらせる。逃げるだけじゃ、何も変わらないから」

《その意思は尊重します。ただし、無謀な戦闘は許可できません》

(分かってるよ、アイナ─────)


 だが、下水道の静けさは突然失われた。

 前方の石壁に、複数の亀裂が一気に走っていく。


「……なに?」

「高熱源反応を確認──────」


 次の瞬間、壁面が炎を帯びた凄まじい突風で崩壊し、灼熱の空気が水路全体へ押し寄せた。


「ハハハハハ!」


 炎の向こうから、嫌というほど聞き慣れた笑い声が響いてくる。


「やっぱりネズミは下水道がお似合いだなァ!」


 ツルカは目を見開き、震えながら後退した。


「なんで……」


 炎の中から姿を現したバリオンを見つめ、顔を引き攣らせる。


「ちょこまかしやがってよぉ」


 バリオンは肩を回しながら風穴を潜り抜け、鼻を鳴らすように笑いながら、指で自分の鼻先を叩いた。


「俺の鼻を舐めるなよ、光の子。恐怖ってのはな、どれだけ隠しても臭うんだよ」


 口角を歪ませ、バリオンはツルカを舐め回すように眺める。


「お前からは特に濃い匂いがするぜ……。そんなに怖いかぁ? この俺と戦うのは……。よぉ~く分かってんじゃねえか」

「……くっ」

「流石のお前でも分かるか。この俺に勝とうなんざ、不可能ってくらいよぉ」


 バリオンが指を鳴らすと水路の前方と後方へ炎の壁が形成され、狭い通路を両側から塞いだ。ツルカとミライは、完全に包囲されたのだ。


「さて」


 バリオンは両腕を広げ、逃げ道を見失った二人を楽しげに見比べた。


「ここで蒸されるか」


 足元の汚水が急激に温度を上げ、白い蒸気が空間を満たしていく。


「それとも、地上で灰になるか」


 獲物を甚振るかのような下ひた目つきで、バリオンは激しく炎を滾らせる。


「好きな方を選ばせてやるよ」

「……っ」


 どうにか逃げ出せないかとツルカは視線を巡らせ、そして果敢な決断を下す。


「──────ミライちゃん! 上に抜けるよッ!」

「同意します」


 ツルカは両腕を天井へ掲げ、魔力を集中させた。


「はぁぁぁぁっ!」


 放たれた魔力弾が天井に直撃し、無理やりに押し広げる。


「逃げられると思うなァ!」


 崩れ落ちてきた瓦礫を避けながら、ツルカはミライの腕を掴んだ。


「来てッ!」


 二人は崩落した天井の開口部から地上へ飛び出した。

 そこは、かつて広場として使われていたと思われる開けた空間だった。

 しかし、ツルカは周囲を見回した瞬間、その表情を凍らせる。


「……うそ」


 そこはすでに、無数の火球が広場を取り囲むように空中へ配置されていた。


「マスター」

「分かってる……」


 ツルカは息を呑み、ミライと共に後退した。。


「……罠だ」


 地下から暴れ狂うように吹き上がった炎の中から、バリオンがゆっくりと上昇してくる。


「お前の考えることなんざ、簡単なんだよ、光の子」


 残忍なバリオンの笑みが、その顔面いっぱいに広がっていた。


「ここまで逃げ回った根性だけは褒めてやるよ」

「ううっ……」


 ツルカとミライは背中合わせになり、四方を囲む火球を睨みつけた。


「ミライちゃん……何か策はある……?」

「残念ですが……現在の勝率、0.1パーセント未満」

「…………」


 完全にバリオンの手の上だった。勝ち目など、あるはずもなかった。


「マスター」


 しばらくミライが瞳を明滅させていると、再びツルカに言葉を投げる。


「私の自爆による陽動を提案します」


 その発言を聞いた瞬間、ツルカの顔色が変わった。


「……馬鹿なこと言わないで」

「最も生存率の高い手段です。その間に、逃げることができるかもしれ──────」

「駄目……!」

「ですが、マスター」

「絶対駄目ッ!」


 ツルカは振り向き、ミライの手を両手で強く握り締めた。


「僕を生かすために、ミライちゃんが死ぬとか絶対に許さない」

「私の機体損失とマスターの生命では、優先順位が」

「うるさいッ!」


 ミライの言葉を遮り、ツルカは涙の溜まった目で睨み返す。


「僕にとっては同じなの……!」

「……」

「もう、誰も……死なせない」


 ツルカはミライから手を離し、バリオンへ向き直った。

 震えながらも両手を胸の前で構え、光の力を引き出そうとする。

 しかし、ツルカの意思とは裏腹に肉体は戦闘を拒んでいた。膝は細かく震え、指先には力が入らず、呼吸も一定の間隔を保てない。


「出て……」


 掌に生まれた淡い光が不安定に揺らぐ。


「お願い……出てよ……! これじゃあ、戦えないよ……!」


 まるで内側に眠る光は、ツルカの恐怖によって引きこもっているかのようだった。


《マスター、精神状態が不安定です。それでは、光の力は使えません……!》

「……くうっ!」


 だが、自分自身へ言い聞かせるように声を張っても、光は弱まる一方だった。

 敗北への恐怖。

 仲間を失う恐怖。

 幾重にも重なった感情が思考を曇らせ、光の力の根源である『希望』は、ツルカの恐怖によってさらに濁っていく。


「……ハッ」


 バリオンはその様子を眺めながら、愉快そうに口を歪めた。


「なんだよ、そのツラ。守るんじゃなかったのか?」

「うるさい……」

「震えてるぞ?」

「……っ」

「泣いてるじゃねえか」

「黙れって……!」

「そんなんじゃあ──────隙だらけだァッ!」

「ッ!?」


 バリオンの姿がツルカの視界から消えた、ほんの一瞬後。ツルカの瞳がバリオンを捉えた時には、炎に包まれた拳がすでに目前まで迫っていた。


「────マスター!」


 横から入り込んだ小さな影が、ツルカの身体を強く突き飛ばした。


「ミライちゃ────ッ!?」


 宙へ投げ出されたツルカの視界に映ったのは、自分の代わりに拳の正面へ立つミライの背中だった。


「回避成功を確認。マスター。必ず、生きてください」

「やめ────」


 炎を纏った拳がミライの腹部へ深く食い込んだ。胴体が大きく折れ曲がり、ミライの身体が凄まじい速度で後方へ弾き飛ばされる。


「ミライちゃんッ!?」


 瓦礫の山へ衝突したミライは、そのまま深く埋もれた。

 腹部は大きく欠損し、内部構造が露出している。断線した配線のようなものから火花が散り、破壊された駆動部からは、血液や黒いオイルが石材を伝って流れ落ちていた。

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