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「ま、巻いた……?」
「索敵中」
ミライは瞳を明滅させ、天井を見上げた。
「振動感知……直上に高熱源体を確認」
「……え」
「停止しました」
ツルカの顔から血の気が引く。
「うそ……真上にいる……?」
「肯定。静かに」。
厚い石材で隔てられているというのに、放射されるバリオンの熱量によって、天井表面が徐々に熱され、地下水路を満たす空気まで、肌へ纏わりつくように重くなっていく。
「……チッ」
頭上から、微かに声が聞こえてくる。
「どこ行きやがった……」
ツルカは両手で口元を覆い、呼吸すら止める勢いで静かにした。
ミライも微動だにせず、視線だけを天井へ向けている。
「…………」
やがて、ミライの瞳が僅かに動いた。
「……熱源、移動を開始」
ツルカはすぐには声を出さず、数秒待ってからゆっくりと口元から手を離した。
「……行った……?」
「はい」
「よかったぁ……」
緊張から解放されたツルカは壁へ背中を預け、膝の力を抜きかける。
「駄目です、マスター」
「……休ませてよ」
「敵は魔力感知能力を有しているはず。ここに留まり続ける方が危険です」
「……一分だけ」
「却下します」
「三十秒」
「却下です」
「……なら、十秒──────」
「移動しながら休んでください」
「無理でしょ……」
ツルカは唇を尖らせながら壁から身体を離し、地下水路を歩き始めた。汚水を掻き分ける足取りだけが、この空間を静かに響かせている。
「……ねえ、ミライちゃん」
「はい」
「バリオンって……どれくらい強いのかな……」
「基準を指定してください」
「なら……僕が勝てるかどうかで」
「計算します」
ミライの瞳に淡い光が走る。
「現在までに観測したマスターの戦闘能力、敵個体の出力、反応速度、耐久性能を総合した場合……勝率は五パーセント以下です」
「…………」
「戦闘は推奨できません」
「……そっか」
ツルカは前を向いたまま、唇を強く噛んだ。
「逆に言えば、魔王相手に五パーセントもある、と考えるべきでしょうか」
「励ましてくれてる?」
ほんの僅かに口元を緩めたツルカだったが、その表情は長く続かなかった。
この世界には、あのバリオンのような怪物が、想像すらできない数だけ存在している。
自分では太刀打ちできない存在が、まだたくさんいる。
そう考えた途端、途轍もない震えが指先まで伝わった。
「僕……」
ツルカは自分の両手を見下ろした。
「本当に、やれるのかな」
「マスター?」
「守るために来たとはいえ、相手は魔王。正直、何とかなるとか思ってたけど……」
拳を握ろうとして、震える指が思うように閉じない。
「でも、あんなのが相手なんでしょ……」
《マスター》
「上には上がいるって言うけどさ……上すぎるよ」
自嘲気味に笑い、ツルカは俯いた。
「怖いな……」
ミライは数歩先へ進んでから立ち止まり、肩越しにツルカを振り返った。
「ですが、諦めてはいけません」
「……ミライちゃん?」
「まだ、マスターは歩けています」
「だから……?」
ツルカは少しだけ目を見開いた。
「まだ逃走可能です」
「あ、戦えとは言わないんだね……」
「勝率が低いので」
「そこは正直だね……」
ツルカは小さく息を吐き、再び足を前へ出した。
「ですが、古い言い伝えがあります」
ミライは記録を検索するように、ツルカに向けて瞳を光らせた。
「──────人間は、諦めなければ何物でも叶うと。勇敢に、しつこく、抗う。それが、人間……と」
「なにそれ……言い方ワル…………でも、なんとかしなきゃね。確かに、諦めるのは良くない。僕は、僕たちは……この国を守りに来たんだから……!」
ツルカは震えた指先でやっと拳を握り、精悍とミライに向き直った。
「この戦いだけは終わらせる。逃げるだけじゃ、何も変わらないから」
《その意思は尊重します。ただし、無謀な戦闘は許可できません》
(分かってるよ、アイナ─────)
だが、下水道の静けさは突然失われた。
前方の石壁に、複数の亀裂が一気に走っていく。
「……なに?」
「高熱源反応を確認──────」
次の瞬間、壁面が炎を帯びた凄まじい突風で崩壊し、灼熱の空気が水路全体へ押し寄せた。
「ハハハハハ!」
炎の向こうから、嫌というほど聞き慣れた笑い声が響いてくる。
「やっぱりネズミは下水道がお似合いだなァ!」
ツルカは目を見開き、震えながら後退した。
「なんで……」
炎の中から姿を現したバリオンを見つめ、顔を引き攣らせる。
「ちょこまかしやがってよぉ」
バリオンは肩を回しながら風穴を潜り抜け、鼻を鳴らすように笑いながら、指で自分の鼻先を叩いた。
「俺の鼻を舐めるなよ、光の子。恐怖ってのはな、どれだけ隠しても臭うんだよ」
口角を歪ませ、バリオンはツルカを舐め回すように眺める。
「お前からは特に濃い匂いがするぜ……。そんなに怖いかぁ? この俺と戦うのは……。よぉ~く分かってんじゃねえか」
「……くっ」
「流石のお前でも分かるか。この俺に勝とうなんざ、不可能ってくらいよぉ」
バリオンが指を鳴らすと水路の前方と後方へ炎の壁が形成され、狭い通路を両側から塞いだ。ツルカとミライは、完全に包囲されたのだ。
「さて」
バリオンは両腕を広げ、逃げ道を見失った二人を楽しげに見比べた。
「ここで蒸されるか」
足元の汚水が急激に温度を上げ、白い蒸気が空間を満たしていく。
「それとも、地上で灰になるか」
獲物を甚振るかのような下ひた目つきで、バリオンは激しく炎を滾らせる。
「好きな方を選ばせてやるよ」
「……っ」
どうにか逃げ出せないかとツルカは視線を巡らせ、そして果敢な決断を下す。
「──────ミライちゃん! 上に抜けるよッ!」
「同意します」
ツルカは両腕を天井へ掲げ、魔力を集中させた。
「はぁぁぁぁっ!」
放たれた魔力弾が天井に直撃し、無理やりに押し広げる。
「逃げられると思うなァ!」
崩れ落ちてきた瓦礫を避けながら、ツルカはミライの腕を掴んだ。
「来てッ!」
二人は崩落した天井の開口部から地上へ飛び出した。
そこは、かつて広場として使われていたと思われる開けた空間だった。
しかし、ツルカは周囲を見回した瞬間、その表情を凍らせる。
「……うそ」
そこはすでに、無数の火球が広場を取り囲むように空中へ配置されていた。
「マスター」
「分かってる……」
ツルカは息を呑み、ミライと共に後退した。。
「……罠だ」
地下から暴れ狂うように吹き上がった炎の中から、バリオンがゆっくりと上昇してくる。
「お前の考えることなんざ、簡単なんだよ、光の子」
残忍なバリオンの笑みが、その顔面いっぱいに広がっていた。
「ここまで逃げ回った根性だけは褒めてやるよ」
「ううっ……」
ツルカとミライは背中合わせになり、四方を囲む火球を睨みつけた。
「ミライちゃん……何か策はある……?」
「残念ですが……現在の勝率、0.1パーセント未満」
「…………」
完全にバリオンの手の上だった。勝ち目など、あるはずもなかった。
「マスター」
しばらくミライが瞳を明滅させていると、再びツルカに言葉を投げる。
「私の自爆による陽動を提案します」
その発言を聞いた瞬間、ツルカの顔色が変わった。
「……馬鹿なこと言わないで」
「最も生存率の高い手段です。その間に、逃げることができるかもしれ──────」
「駄目……!」
「ですが、マスター」
「絶対駄目ッ!」
ツルカは振り向き、ミライの手を両手で強く握り締めた。
「僕を生かすために、ミライちゃんが死ぬとか絶対に許さない」
「私の機体損失とマスターの生命では、優先順位が」
「うるさいッ!」
ミライの言葉を遮り、ツルカは涙の溜まった目で睨み返す。
「僕にとっては同じなの……!」
「……」
「もう、誰も……死なせない」
ツルカはミライから手を離し、バリオンへ向き直った。
震えながらも両手を胸の前で構え、光の力を引き出そうとする。
しかし、ツルカの意思とは裏腹に肉体は戦闘を拒んでいた。膝は細かく震え、指先には力が入らず、呼吸も一定の間隔を保てない。
「出て……」
掌に生まれた淡い光が不安定に揺らぐ。
「お願い……出てよ……! これじゃあ、戦えないよ……!」
まるで内側に眠る光は、ツルカの恐怖によって引きこもっているかのようだった。
《マスター、精神状態が不安定です。それでは、光の力は使えません……!》
「……くうっ!」
だが、自分自身へ言い聞かせるように声を張っても、光は弱まる一方だった。
敗北への恐怖。
仲間を失う恐怖。
幾重にも重なった感情が思考を曇らせ、光の力の根源である『希望』は、ツルカの恐怖によってさらに濁っていく。
「……ハッ」
バリオンはその様子を眺めながら、愉快そうに口を歪めた。
「なんだよ、そのツラ。守るんじゃなかったのか?」
「うるさい……」
「震えてるぞ?」
「……っ」
「泣いてるじゃねえか」
「黙れって……!」
「そんなんじゃあ──────隙だらけだァッ!」
「ッ!?」
バリオンの姿がツルカの視界から消えた、ほんの一瞬後。ツルカの瞳がバリオンを捉えた時には、炎に包まれた拳がすでに目前まで迫っていた。
「────マスター!」
横から入り込んだ小さな影が、ツルカの身体を強く突き飛ばした。
「ミライちゃ────ッ!?」
宙へ投げ出されたツルカの視界に映ったのは、自分の代わりに拳の正面へ立つミライの背中だった。
「回避成功を確認。マスター。必ず、生きてください」
「やめ────」
炎を纏った拳がミライの腹部へ深く食い込んだ。胴体が大きく折れ曲がり、ミライの身体が凄まじい速度で後方へ弾き飛ばされる。
「ミライちゃんッ!?」
瓦礫の山へ衝突したミライは、そのまま深く埋もれた。
腹部は大きく欠損し、内部構造が露出している。断線した配線のようなものから火花が散り、破壊された駆動部からは、血液や黒いオイルが石材を伝って流れ落ちていた。




