22
巨大な炎龍が、眼前に立つツルカを呑み込もうと迫った、その刹那だった。
「あ?」
遥か上空を覆い尽くしていた黒煙の天蓋が、断ち割られたかのように左右へ押し退けられると、その亀裂から一本の光芒が地上へ向かって降り注いだ。
それは、ただ眩いだけの光ではなかった。
──────赤、青、緑、茶、黄、黒、白。
七つの色彩が幾重もの螺旋を描き、一つの細長い光条へと収束しながら、炎龍へ迫っていく。
「……は」
バリオンの口元から笑みが消え、吊り上がっていた眉が僅かに下がった。
直後、七色の閃光は炎龍の眉間を寸分違わず貫き、その巨体を引き裂いた。
すると、炎龍を貫いた七色の光は空中で鋭角に軌道を変えると、標的をバリオンへと向けた。
「待て……!?」
ようやく危険を察知したバリオンが肩を引き、片腕を前に突き出す。
「なんだコリャァッ!?」
だが、バリオンの防御魔法が完成するよりも早く、七色の光は懐へ潜り込んでいた。
「──────グギャアアアアアッ!」
右肩が深々と抉り取られ、バリオンの上半身が大きく仰け反る。
傷の断面へ纏わりつくように、七色の粒子が火花に似た輝きを散らし、バリオンの魔力そのものを侵食しながら、傷口の奥深くまで焼灼していた。
「クソが……! 消えろッ! 俺の身体から消えやがれ!」
バリオンは右肩を左手で押さえ、力任せに七色の魔力を払い除けようとする。
「ぐっ……ァ……!」
バリオンはそのまま地面で倒れ伏して、痛みにもがき苦しんでいた。
「……た、助かった……?」
ツルカはふと空を仰いだが、そこに人影らしきものは見当たらない。
「誰……?」
ツルカは眉を寄せながら目を凝らす。
「今の……誰が撃ったの?」
ただ、七色の残光だけが天上から細い尾を引き、やがて消えていく。
《────マスター、何をしているのですか!》
「っ!?」
突然のアイナの声に肩を跳ねさせ、ツルカはようやく地上へ視線を戻した。
《魔王バリオンが倒されたわけではありません! 今のうちに、ここから離脱してください!》
「あ、うん……! そうだ、逃げないと!」
ツルカは慌てて踵を返すと、数歩先に立っていたミライの手首を掴んだ。
「ミライちゃん、行くよ!」
「承知。撤退行動へ移行します」
ミライは引かれるまま数歩走ったところで、自分の手首を掴んでいるツルカの指先へ視線を落とした。
「私は歩行が可能ですので、手を引かれる必要はありませんが」
「いいのぉ! 黙ってついてきて!」
ツルカはミライを引き連れて迷路のように入り組んだ路地裏へ飛び込んだ。
その直後、二人の背後から途轍もない熱気が押し寄せ、積み重なった石材の隙間からは高熱の炎が立ち上っていく。
「────誰だァァッ!」
バリオンの怒声とともに、周囲の石畳が急速に赤熱していく。
「俺の邪魔をしたクソ野郎はどこのどいつだァッ!」
抉られた右肩からは七色の残滓が未だ煙のように立ち上っているが、バリオンは炎で無理やりに消滅させ、傷を覆っていく。
「……くそがっ、あいつら、逃げやがったか……どこだ……? あぁ?」
バリオンは遠ざかっていく二つの背中を見つけると、口角を大きく吊り上げた。
「くくっ……逃がさねぇ……!」
右肩を押さえていた手を離し、バリオンは全身に炎を滾らせる。
「逃がさねぇぞォォォッ! 光の子ォ! ヒャッハァァァァァァッ!」
「うわ、来た来た来たぁぁぁっ!」
背後から迫る熱気に恐怖し、ツルカは顔色を引き攣らせながら走る速度を上げた。
「ミライちゃん、もっと速くぅぅ!」
「現在、マスターに歩調を合わせています」
「合わせなくていいから!」
「では先行します」
「な、いやぁぁぁぁぁっ!」
次にミライが前に出ると、ツルカの身体が浮くほどに、凄まじい勢いで引きながら全力で走り出した。
──────ガリロルザの城下町は、本来であれば大小の街路が複雑に交差する堅牢な都市だった。しかし、今は倒壊した民家や路上を塞ぐ石壁など、至るところに積み重なって、逃走者であるツルカたちの進路を容赦なく遮っていた。
「前に瓦礫だ!」
「視認済み」
ツルカは脚部へ魔力を集中させると、積み重なった瓦礫の直前で踏み切り、それを越えて向こう側へ着地した。着地と同時に膝を深く曲げ、跳ねるように加速すると、その勢いで崩れかけた壁を二度蹴り、家屋の屋根へ駆け上がっていく。
ミライもまた、細い脚を正確に運び、足場の強度を瞬時に計算しながら、ツルカの背後へ一定の距離を保ったまま追随していた。
「ミライちゃん、あれ!」
屋根の端まで走ったツルカが、斜め下方に見える道路を指差した。
半壊した石橋の向こうに、鉄格子で閉ざされた地下水路への入口が残っている。
「地下に隠れよう! そしたら、あいつから逃げられるかも!」
「同意します」
ミライが短く答え、屋根から地上へ跳躍した瞬間だった。
「────逃がすかよォッ!」
上空から轟いた怒声に、ツルカが顔を上げる。
炎を纏ったバリオンが血相を変えて、ツルカたちを見下ろしていた。
「ゴキブリどもがァッ! まとめて焼け死ね!」
バリオンが両腕を掲げると、周囲に数え切れないほどの火球が形成された。
「ミライちゃん、まずいよ!」
「広域攻撃を確認。回避を推奨します」
「見れば分かるよぉ!」
バリオンが放った火球は、街区そのものを焼き払うように広範囲へ飛翔した。
次々と地上へ降り注いだ炎が建物を崩しては、道路を抉り、ツルカたちが目指していた地下水路の入口も瓦礫ともに埋没していく。
「うそでしょ……! くぅ、空からじゃ逃げ場が……!」
《マスター、左側です!》
(……え?)
《左の路地へ進んでください。建築物が密集しているため、上空からの視認を遮られます!》
(う、うん……!)
ツルカは急いで狭い路地へと進路を変更した。
「ミライちゃん、左にいくよ!」
「承知」
二人が路地へ滑り込んだ直後、先ほどまで走っていた道に、一本の熱線が貫いた。石畳は瞬時に溶け、溶岩となって周囲へ広がっていく。
「危なっ……!」
「ひとまず、前方を走り続けましょう。入り組んだ道を活かせば、まけるかもしれません」
「だね……!」
しばらく二人は狭い路地を複雑に走り続け、次の角を曲がると、その先に広がっていた路地の壁が、高温によって急速に変形し始める。
「─────え?」
ツルカは立ち止まると、石材が高温によって融解し、その向こう側から人影が迫ってきた。
「見ぃつけたぞォ!」
「嘘ぉ!?」
バリオンは建物そのものを融解させながら、ツルカたちへ一直線に接近していた。
「ひぇぇぇぇぇぇ~!」
ツルカは咄嗟に踵を返した。
「どこまで逃げても無駄だぜ、光の子ォ!」
ツルカは背後を確認しながら、必死に駆けた。
「ミライちゃん、なんでもいいから、視界を遮れない!?」
「承知。魔導砲による目眩ましを試行します」
ミライは両掌をバリオンへ向けて突き出すと、腕に内臓された魔導砲が剥き出しになり、標準を合わせる。
「魔力充填率、八十……百……百二十パーセント」
「百二十って大丈夫なの!?」
「推奨上限を超過しています」
「じゃあ駄目じゃん!」
こうしている間にも、バリオンが刻々と迫る。
「しかし、緊急です。やむを得ません」
「それはそうだねぇ!?」
魔導砲の銃口が眩い光を放ち、鼓膜を劈くような起動音が空間を支配した。
「拡散魔導砲、発射します。マスターは前方のみを確認してください」
ミライの魔導砲に圧縮された魔力が収束し、直後、無数の魔力弾となって広範囲へ放たれる。
「効かねえよ、そんな豆鉄砲!」
バリオンは鬱陶しそうに眉を歪め、腕を横薙ぎに振るうと、甚大な炎が前方に放たれ、迫っていた魔力弾は次々と炎に呑まれていく。
しかし、大量の魔力弾によって、バリオンの視界を短時間ながら完全に塞ぐ。
「今です。右方向に交差路」
「曲がるよ!」
「承知」
二人は交差点へ差しかかると、直角に進路を変更し、またしても別の通りへ逃げ込んだ。
数秒遅れてバリオンが視界を取り戻した時、すでにそこに二人の姿はない。
「……チッ。すばしっこいネズミだぜ……」
炎を纏った脚で壁を蹴り、屋根へ向かって一気に上昇する。
「だが、いつまで逃げられるかね」
それからの逃走劇は、街路だけでは終わらなかった。
ツルカとミライは屋根から屋根へ飛び移り、崩落した足場を避けながら窓を越え、半壊した民家の内部を駆け抜けては、裏口から別の通りへ飛び出す。
「マスター、右後方」
「え?」
「熱源反応、接近」
「もっと早く言ってぇ!」
飛翔してきたバリオンが屋根の上へ降り立ち、人差し指をツルカへ向ける。
「そこだァッ!」
一点へ凝縮された熱線が放たれ、ツルカの右足を掠めていく。
「っ……!」
ブーツの踵が焼かれ、踏み込んだ足が不自然な角度へ傾むいた。
「うっ……!」
「マスター!」
ツルカは咄嗟に両腕を前へ突き出して屋根の上を前転し、そのまま片膝を立てて前方へ走り出した。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない! けど、危なかったぁ!」
あのまま転倒していれば、間違いなく焼き焦げていた。
《右前方に監視塔があります》
アイナの声に従って視線を向けると、広場の一角に半壊した石造りの監視塔が残っていた。
《あれを倒壊させましょう。瓦礫と粉塵で一時的に敵の追跡を妨害できます》
(それ採用!)
ツルカは挫いた足を引きずるように動かしながら、監視塔へ向けて進路を変えた。
「ミライちゃん、あそこまで!」
「承知。同行します」
バリオンも二人の目的を察したのか、空中で身体を前傾させて加速する。
「何企んでやがる!」
バリオンの掌へ巨大な火球が生まれる。
「全部まとめて焼き尽くしてやるッ!」
ツルカは監視塔の基部へ滑り込み、掌を石柱へ押し当てた。
「とりあえず砕けろぉ!」
掌から放出された魔力が石柱を破壊した。支持力を失った監視塔は大きく傾き、バリオンの進路へと覆い被さるように倒壊していく。
「こんな瓦礫で──────」
バリオンの身体を包む炎が一段と激しさを増していく。
「──────俺が止まると思ったかァ!」
バリオンは真正面から監視塔へと突貫し、厚い石材を全身の炎で全て消し炭にした。
「やっぱ止まらない!」
「マスター。足元」
「え……?」
そこには、下水道へ繋がる人孔があった。
「標的の視界を遮断できています。今のうちに」
塔の崩壊によって大量の粉塵が広場を覆っていた。バリオンの姿も、灰色の幕の向こうへ隠れている。絶好の機会だ。
「隠れるなら今だね……!」
ツルカは下水道の蓋へ両手を掛け、全身の力を使って持ち上げた。
「重っ……!」
「補助します」
ミライが横から手を添え、二人がかりで蓋をずらす。
「いくよ」
ツルカが地下へ飛び込み、その直後にミライも続く。
ミライはすぐさま蓋を元の位置へ戻し、指先から発した熱で金属の縁を周囲へ接着させた。
「封鎖完了」
「……はぁ……はぁ……」
ツルカは汚水に浸かったまま壁へ手をつき、肩を大きく上下させた。




