19
一方、ツルカと逸れたジンたちは、絶体絶命の窮地へ追い込まれていた。
三人が逃げ込んだのは、半壊した教会の礼拝堂跡。
天井の一部は崩落し、神像は頭部を失っていた。四方の窓と扉は破壊され、建物の半壊した開口部全てから、バルゴゾーンが侵入して来ていた。
その数は、すでに三十体を超えていた。
対するこちらは三人。
しかも、前衛を務められるのはジン一人しかいない。
「くそっ、しつこいんだよ、テメェら!」
ジンが大剣を横薙ぎに振るい、正面から迫る二体をまとめて押し返す。
「マリナ、右の窓を見てくれッ!」
「見てるよ!? ちょ、ナユ、伏せて!」
「ひぃぃ!?」
マリナの矢がナユの頭上を通過し、窓枠を越えようとしていた敵の頭部を射抜く。
「左からも来るよ!」
「俺が止める。お前らは絶対に後方で支援してくれ!」
ジンは大剣を引き戻し、左側の敵へ向き直った。
しかし、その腕は限界を迎えようとしている。
剣を振るうたびに肩が沈み、切っ先の軌道も徐々に低くなっていた。
(クソっ……! ツルカ……お前がいれば……。ダメだ、いつも頼っていられねえ。俺はリーダーだッ!)
連戦による疲労もあるが、最大戦力が背後にいないという不安が、より一層ジンの心を蝕んでいた。
「ジン、無理しないで! 一度下がったほうがいい!」
「下がったら誰が前を守るんだよ!」
「でも、そのままじゃ体力が持たない!?」
「動かなくなってから考える!」
「馬鹿なこと言わないで!」
「だったら代案を出せ! ここから助かる方法ッ!」
マリナは言葉を失い、弓を握る指へ力を込めた。
代案などあるわけがない。
「いやぁぁぁっ! 来ないでぇっ!」
背後で、ナユが杖を振り回した。
恐怖に震える唇のせいで詠唱も覚束なく、呼吸も乱れ、魔力の流れすら制御できない。
「炎よ、集まって……違う、うぅ、来ないで! 来ないでよぉ!」
杖の先から放たれた火球は敵の頭上を越え、礼拝堂の天井を焦がしただけだ。
「外した……また、外したぁっ……!」
「ナユ、落ち着いて! 私を見て!」
マリナは矢を放ちながら、肩越しにナユを振り返った。
「息を整えるの! 吸って、吐いて! いつも練習してるでしょ!?」
「そ、そそ、そんなの無理だよ! こんなにいるんだよ!? どんどん入ってくる!」
「分かってる! それでも詠唱しなきゃ、私たち全員死ぬよ!」
「死にたくない……私、死にたくないよ!」
「私だって死にたくない!」
いつも冷静沈着なマリナの声にも、隠しきれない恐怖が混ざった。
次の矢を取ろうとした指が、矢筒の底へ触れる。
「……嘘……!?」
残っている矢は、わずか数本だった。それが尽きれば、マリナに戦う術はなくなる。
「ジン、矢がもうない!」
「何本だ!?」
「三本!」
「なら、三本で三体仕留めろ!」
「無茶言わないで!」
ジンの背中には、複数の切創が刻まれていた。
破損した鎧の隙間からは血が流れ、皮服を濃く染めている。足取りはすでに不安定だが、ジンは二人の前から退こうとしなかった。
「……駄目。このままじゃ、全滅する……!」
マリナの背筋を冷たい汗が伝った。
Bランクに昇格したとはいえ、所詮はBランクでしかない。一体ごとがAランク相当の脅威を持ち、それが三十体以上もいる。この戦力差を前にしては、個人の武勇など微々たるものだ。
包囲網は時間と共に狭まり、ジンから剣を振るう空間さえ奪っていく。
「こいつを……!」
ジンが大剣を構えたその直後、獣人型のバルゴゾーンによる巨大な腕が、剣の腹へ衝突する。ジンの疲労した腕では衝撃を受け止めきれず、大剣は手から離れ、礼拝堂の床を滑って遠方へ転がった。
「ジン!」
「くそっ……!」
無防備となった胴体へ、鳥人型バルゴゾーンが踏み込む。鋭利な爪がジンの脇腹を引き裂き、鎧ごと肉を削ぎ落とした。
「ぐあっ……!」
ジンは片膝を突き、傷口を押さえる手が大量の血で塗れる。
「ジン、下がって! 今、治療を……!」
「来るな、ナユ!」
すると崩落しかけた天井から、蜘蛛を模したような多脚のバルゴゾーンが顔を出す。針のように細い脚先が、無防備なナユの頭部へ向けられていた。
「─────ナユ、上だよッ!」
「あ……」
ナユは頭上を見上げたまま、動きを失った。杖を握る指が開き、足元へと落とす。
「────させるかァァァッ!」
ジンが決死の覚悟でナユへ飛び込み、ナユの身体を横へ押し出した。
「─────きゃっ!」
ナユは床へ倒れ込み、代わりに針状の脚がジンの肩口を貫通した。
「がぁぁぁぁッ!」
「ジンッ!?」
肩を貫いた脚が引き抜れると、傷口から血がしぶき、ジンは崩折れる。
「逃げろ……二人とも……」
ジンは床へ片手をつき、立ち上がろうとする。
「俺が、まだ動けるうちに……裏口から逃げ─────」
「─────何言ってるのッ!」
マリナは矢を放ち、ジンへ群がろうとした一体の足を射抜いた。
「置いていけるわけないでしょ!?」
「三人で死ぬよりマシだ……ッ!」
「勝手に決めないで!」
「マリナ……ッ!」
「約束したでしょ……! 『青嵐の翼』は世界一になるって……! ツルカちゃんが戻ってきた時、私たちがジンを見捨てたなんて……言えるわけないッ!」
マリナの目から涙が零れた。
弓を下ろさず、二本目の矢をつがえる。残り一本だ。
「ううっ……!」
ナユも即座に杖を拾い、涙目になりながら魔法を詠唱し、バルゴゾーンの脚を止めていく。
「ごめん……ジン……ッ! 私のせいで、ケガが……!」
ナユの唱えた火球がバルゴゾーンの胸部を焦がすが、コアまで届かない。
「……置いていけなんて言わないで。最後まで、抵抗しよう」
「……馬鹿野郎」
「ジンに言われたくない」
二本目の矢が放たれ、敵の胸部装甲へ突き刺さった。
しかし、コアには届かず、敵は胸元から矢を引き抜き、床へ投げ捨てた。
「ははっ……効いてない……ね」
マリナが矢筒へ手を伸ばす。
指先に触れたのは、最後の一本だ。
バルゴゾーンは一斉に距離を詰めてくる。
ナユは魔力切れによる疲労が溜まり、ジンに至っては致命傷だ。
マリナは最後の矢を握り、涙を前腕で拭った。
(……こんな終わり方、ないよ。まだ……未練ばっかり……)
マリナの脳裏に、過去の記憶が蘇る。
暗闇に紛れ、泥水をすすり、人の幸せを奪ってきた裏の自分。そのツケが、まさか回ってきたのか。
(……いいザマじゃんか……)
マリナは失笑し、ため息をついた。
『一緒に行こう』
ふと、記憶に降り立ったその言葉。
迷うことなく、汚らわしい私に差し出してくれた、あの手。
『なんだ、行かないのか?』
『そうだよ。いっしょに、まずはご飯でもいこう?』
そう。自分を仲間として受け入れてくれた、あの日の言葉。
(……諦めちゃ駄目だッ)
マリナは震える手で最後の矢を弓につがえた。
(私は、『青嵐の翼』の射手なんだから……! もう、何も……失いたくない……! 後悔、したくないッ!)
これは、ただの弓矢ではない。
ツルカが付与魔法を施した、意思を魔力へ変換する特別な弓だ。
かつて模擬戦で使用した際には、十分な力を引き出せなかった。魔力も持たないマリナにとっては、弓を介した魔力の流れなど理解できず、通常より速い矢を放つだけに終わっている。
(そうだよ。これは、魔法道具)
ツルカの声が、記憶の奥から蘇る。
『イメージしてみて。この枝に、炎が宿るイメージを』
「意思が……形に……」
マリナは弓を胸元へ寄せた。
「マリナ……?」
ナユが床に座り込んだまま、マリナの横顔を見上げる。
「……ナユ。少しだけ、時間を稼げる?」
「時間って……」
「一瞬でいい。最後に、私を信じて」
マリナの瞳から、迷いが消えていた。
ナユはその表情を見つめ、震える手で杖を握る。
「……いいよ。信じる……!」
「ありがとう。ナユ」
ナユは涙を拭い、杖を正面へ構えた。
「……【守れ、源素。堅牢なる盾となれ】……! 『プロテクション』……!」
ナユは残された魔力を集め、礼拝堂の中央へ魔力障壁を作り出す。
障壁は敵の前進を完全には止められないが、僅かな猶予を生み出した。
「長くは持たないよっ!」
「十分……!」
マリナは目を閉じ、必死にイメージした。
(必要なのは炎じゃない。風でも、土でも……)
この状況を打破するために求められるものは、敵の殺到を阻む停止。
北国の凍てつく冬を思い描く。
大地を白く閉ざし、河川を封じ、吹雪の音だけが響く氷の世界。
「お願い……ツルカちゃん。力を貸して……!」
矢を握る指先から、体温が奪われていく。弓が淡い光を帯び、マリナの意思を吸い上げていく。
「マリナ、その手……!」
ナユの目が驚愕に見開かれた。
マリナの指先が白く変色し、薄い霜に覆われている。凍傷を我慢しながら、マリナは弦から指を離さなかった。
「ここで……止める」
マリナは鬼気迫る表情で、弓を限界まで引き絞った。
「私たちは、まだ死なないッ!」
押し寄せるバルゴゾーンの群れを見据え、マリナは胸の奥から声を放った。
「───────凍れッ!」
弦から解放された矢が、蒼白い冷気を纏って飛翔した。
狙いは敵の個体ではなく、バルゴゾーンが密集する、その足元の床だった。
矢が石床へ突き刺さった瞬間、内包されていた力が解放される。
着弾点から氷結が放射状に拡大し、礼拝堂の床を白く染め上げた。敵の脚部は厚い氷の層へ埋没し、完全に固定される。
「……え?」
ナユは杖を構えた姿勢のまま、眼前の光景を見つめた。
「マリナ……!」
「うまく……いった……!」
慣れない技を行使したせいか、マリナは弓を支えきれず、膝を床へ突いた。
「……凄い……!」
敵の動きが止まった。
その千載一遇の好機を見て、ジンの口元に獰猛な笑みが浮かぶ。
「───────でかした、マリナァッ!」
ジンは血に濡れた身体を強引に起こした。
「ジン、動いちゃ駄目!」
「このチャンス逃したら、もう終わりだぁッ!」
傷口から鮮血が溢れ出ることなど意にも介さず、ジンは床に転がっていた大剣へ手を伸ばす。
体力はとうに限界を迎えている。だが、この好機を無駄にするという選択肢はない。
「ナユ、マリナを連れて下がれッ!」
「ジンは!?」
「ケリをつけるッ!」
ジンは大剣を肩へ担ぎ、身動きの取れないバルゴゾーンたちへ踏み込んだ。
「まとめて吹き飛びやがれぇぇぇッ!」
大剣が真一文字に振り抜かれる。
渾身の膂力を乗せた刃が、氷結した機体の胴体を連続して捉えた。
凍ったことによって脆化した装甲が砕け、複数の機体が上半身と下半身に分断される。
「まだだァァァッ!」
ジンは大剣を引き戻し、残る敵の脚部を薙ぎ払った。足を失った機体が重なり合うように倒れていく。
「完全にぶっ潰してやるッ!」
ジンは大剣を逆手に持ち替え、倒れた敵の頭部へ突き下ろした。荒い呼吸を重ねながら、地に伏したバルゴゾーンの頭部と胸部を執拗に破壊していく。
「こいつで……最後だッ!」
最後の一体が伸ばしたジンの足首を掴むが、ジンはそれを踏み潰し、大剣を胸部へ突き立てた。
ついに、礼拝堂からバルゴゾーンの駆動音が消える。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
ジンは突き立てた大剣に両手を置き、辛うじて立っていた。
視界は霞み、仲間の姿さえもう朧気だ。
「ジン……?」
ナユが恐る恐る近づこうとする。
「終わった……よな?」
「うん。もう、動いてない」
「そう、か……」
するとジンは、大の字になって身体が倒れた。
「ジン!」
「心配すんな……生きてる」
ジンは半壊した天井から空を仰ぎ、口元へ薄い笑みを浮かべた。
「ちょっと……休むだけだ……」
「ちょっとじゃないでしょ! 傷を見せて!」
ナユが傍らへ膝をつき、震える手を傷口へかざす。
「治癒魔法、使えるの?」
「ちょっとした、やつなら……。魔力はほとんど残ってないけど……止血くらいならできるかも……!」
「なら、マリナを先に見ろ。あいつの指、真っ白だぞ」
「私は、大丈夫だよ」
マリナは壁へ背を預け、床へ座り込んでいた。
弓を握っていた指先は感覚が失われ、白く変色した皮膚には霜が残っていた。
それでも、マリナの顔には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「大丈夫な手じゃないよ、それェ!?」
「でも、ジンの傷の方がやばい。先に、診てあげて……」
「ううぅ、ごめんね、二人とも。私、なんにも役に立てなかった……!」
「そんなことねえよ。お前のおかげで、時間も稼げたしなぁ……」
ナユは涙を溜めながら、初級の治癒魔法を紡ぎ、ジンの傷口へと注いだ。
「まったく……寿命、減ったなぁ……」
マリナがため息混じりに、力なく呟いた。
「そう、だな……マリナも、ナユも……ホント、強くなったよな……。昔まで、俺ばっかり頼ってたくせに……」
「心外だね。私はちゃんと働いてたけど。ナユだけじゃない? ずっと泣き叫んで、脚引っ張ってたの」
「そんな言い方ないじゃないぃぃぃ……」
「……ふふっ。ウソだよ」
「そうさ。お前は貴重な魔法使いだ。いつも、大事なところで役に立ってる……」
「そ、そんななこと……」
ジンは床へ倒れたまま、血の混じった息を吐く。
「それに……今回は……怖かったのに、逃げなかっただろ。十分だ……」
「……ジンに褒められると、何だか気持ち悪いかも」
「殺すぞ」
しかし、密かにナユの頬を、一筋の涙が伝った。
満更でもなさそうに、ナユは満面に笑みを貼り付けていた。
マリナは冷え切った両手を胸元へ寄せ、改めて周囲を見渡す。
「……それにしても……本当にやったんだね、私たち。あの数を」
「ああ」
「ツルカがいなくても……三人で」
「へっ、ざまあみろ……」
ジンは天井を見上げたまま、血の混じった唾を横へ吐いた。
「Bランクを……舐めんなよ……」
「さっきまで死にかけてた人が、偉そうにしないで」
マリナの口元に、安堵の笑みが浮かぶ。
「勝ったんだから、少しくらい格好つけさせろ」
「ツルカちゃんに会ったら、全部話してあげるね。せっかくツルカちゃんが直してくれた大剣を飛ばされて、二回も倒れた! ってね」
「余計なこと言うな!」
「それだけ元気なら、死ぬ心配はなさそう」
「ちょ、ちょっとマリナぁ……! ジンの傷に響くから、あまり刺激しないでよぉ!?」
三人の間に、束の間の安堵が訪れた。
だが、礼拝堂の外からは、なおも戦闘の気配が伝わってくる。これは、敵の一部隊を退けたにすぎない。
マリナは壁へ手をつき、立ち上がる。
「少し休んだら、行こう」
「どこに?」
ナユが不安そうに顔を上げる。
「そんなの、決まっているでしょ。王城だよ」
「でも、ジンはこんな怪我だし、私たちも……」
「ツルカちゃんが待ってる」
マリナは崩れた扉の向こうへ視線を向けた。
「きっと、ツルカちゃんも私たちを探してる。だから、ここで止まるわけにはいかない。それに、ここに留まってたら、また敵が寄ってくるかも」
「そうだな」
ジンは腕へ力を込め、苦痛に顔を歪めながら上体を起こした。
「合流したら、まずツルカを叱ろう」
「ど、どうしてぇ?」
するとジンは至って真面目な顔で拳を握った。
「勝手に分断したからだ」
「やば。逆ギレといいところだよ。別にツルカちゃんのせいじゃないじゃん」
「分かってる。だが、何か言わねぇと気が済まねぇな!」
ナユは困ったように眉を下げ、それから小さく笑った。
「じゃあ私は、会えたら抱きつく」
「私は……そうだね」
マリナは凍傷を負った指先を見つめ、弓を胸へ抱き寄せた。
「この弓で、ちゃんと魔法を使えたって伝える」
「きっと喜ぶよ」
「うん。だから、生きて会いに行こう」
三人は互いの顔を見つめ、傷ついた身体を支え合いながら、再び王城を目指すのだった。




