17
ガリロルザ国が誇った堅牢な石造りの街並みは、もはや往時の面影を失っていた。
家々は壁面を抉られ、石畳は地中から引き剥がされている。街路の各所から立ち上る黒煙は陽光を覆い隠し、爆撃による震動と金属同士が衝突する剣戟が至る所から絶え間なく続いていた。
「────総員、傾注!」
レオナルドが胸を張り、生き残った義勇兵たちを一人ずつ見渡していく。
「城壁の内側へ入ったからといって、安全などどこにもない。目を逸らすな! この光景を、その目に焼きつけろ!」
レオナルドは半壊した民家を指し示した。
崩れた壁の隙間には、逃げ遅れた住民の亡骸が瓦礫に挟まれていた。
「我が国の民が、兵が、今この瞬間も、あの鉄屑どもに蹂躙されている……!」
レオナルドは屈辱に拳を握る。怒りに染まった双眸は、王城の尖塔から吐き出される黒煙を見据えていた。
「我々はこれより三つの部隊に分かれ、王城を目指す! 第一の目的は、孤立している友軍および避難民との合流! 第二に、進路を塞ぐ敵戦力の破壊だ!」
「王城まで、本当に辿り着けるのか……?」
誰かが掠れた声を漏らした。
だが、レオナルドは問いかけた者を決して責めなかった。斧を静かに地面へと突き立て、大きく息を呑んだ。
「……分からん」
その率直な答えに、義勇兵たちの顔が強張る。
「我々が生き残れる可能性はゼロに近い。王城がまだ持ち堪えている保証さえない。だが、ここに留まれば、待っているのは確実な死だ」
レオナルドは斧を再び持ち上げ、王城へ向けた。
「ならば、進むしかない。王城への道を切り開き、避難民を救護する! 恐怖はあるだろう。足も竦むだろう。私だって怖い!」
義勇兵たちの間に、ざわめきが広がった。
死ぬことが怖くない者など、いるはずないのだ。
「だが、恐怖を抱くことと、背を向けることは違う! 戦え! 生きるために剣を振るえ! 隣にいる仲間を、生きて故郷へ帰すために戦うんだ!」
「……おう」
一人の戦士が、俯いていた顔を上げた。
「ここまで来て、尻尾を巻いて逃げられるかよ……!」
「俺も……! 俺の家族はガリロルザ国に住んでる。まだ、生きてるはずだ……! 王城に向かって、必ず助ける」
「私たちも行くわよ!」
生き残ったおよそ三十名の義勇兵たちは、次第に意志を取り戻していく。
「ただいまより三部隊に分かれ、王城を目指す! 第一隊は東側の大通りへ! 第二隊は住宅区を経由しろ! 第三隊は俺に続け!」
レオナルドが斧を振り下ろした。
「全隊、進軍開始!」
そして、義勇兵たちは三方へ散開した。
瓦礫の山と化した市街地へ、それぞれの生存を懸けた戦いへと身を投じていく。
市街戦は平原での会戦とは比べ物にならない陰惨さを呈していた。
入り組んだ路地や半壊した建物の陰、崩れかけた屋根の上など、視線の届かない場所のすべてが、敵の潜伏地点となり、バルゴゾーンは予兆もなく獲物へ襲いかかってくる。
ある路地では、熟練の冒険者パーティが三体のバルゴゾーンに包囲されていた。
「盾を前へ! 魔法使いを守れッ!」
「無理だ、こいつ……重すぎる!」
ドワーフを素体とした重装甲型が突進し、盾役の男が石畳を踏み締めて受け止める。
「くあっ!?」
しかし、その推進力に押し負け、盾ごと弾き出された男の身体が、民家の外壁を突き破った。
「前衛が抜かれた!」
「伏せろ!」
仲間の警告が届くより早く、エルフ型のバルゴゾーンが壁面を足場にして跳躍し、魔法使いの女性の背後へ素早く降り立つ。刃物に変形した両腕が交差し、無防備な喉元へと吸い込まれる。
「いやだ……死にたく──────」
女性の唇から言葉が失われ、鮮血が胸元を染める。喉元を切開かれ、女性は力なく倒れ伏した。
「──────貴様ぁぁぁッ!」
またある場所では、剣士が仲間の亡骸を抱き寄せ、その身体を盾として掲げていた。
「すまねえ……! 相棒ッ!」
直後に放たれたバルゴゾーンによる魔導砲が死体を焼く。それでも彼は亡骸から手を離さず、仲間の死体を利用して敵の懐へ潜り込んだ。
「クソ野郎がぁぁぁッ!」
折れかけた剣を両手で構え、バルゴゾーンの顎下へ突き入れた。刃は頭部装甲の継ぎ目を貫通し、内部機構を破壊した。
「──────今だ! 右脚の関節を潰した!」
別の街路では、瓦礫の下に身を隠していた男が、目の前を通過するバルゴゾーンの隙を突いて、脚部へ短剣を差し込んでいた。
「全員で押さえろ!」
「起き上がらせるな! 頭を狙え!」
戦士たちが倒れたバルゴゾーンへ殺到した。斧、槌、剣が同じ箇所へ集中し、頭部装甲を破壊する。
ガリロルザの兵たちもまた、獣人特有の身体能力を活かして抵抗を続けていた。
「屋根へ上がれ! 正面から砲撃を受けるな!」
「西側に三体。弓兵、狙えるか!」
「任せろ、撃ち落とす!」
獣人兵たちは壁面の突起や窓枠を足場にし、建物から建物へと素早く飛び移り、敵の視界外から槍や矢を打ち込んでいく。
「ここは俺たちの国だ! 好き勝手に踏み荒らさせるものか!」
額から血を流した老兵が、折れた槍を杖代わりにして立ち上がる。
「隊長、もう下がってください!」
「若造が年寄りを気遣うな! その暇があるなら一体でも多く倒せ!」
自らの国を守るため、最後の一兵になろうとも退かない。圧倒的な戦力差を前にしても、その覚悟だけは消えることはなかった。
そんな混沌の最前線を一際鋭い一団が駆け抜けていく。
『青嵐の翼』の四人と、それに随伴するミライである。
「────そこだッ!」
ジンが大剣を振り抜いた。
路地の角から飛び出してきた獣人型のバルゴゾーンが、ジンの存在に気づかずに、刃で胴体を両断される。身体は崩れ、地面に倒れる。
しかし、上半身だけを動かし、バルゴゾーンは動こうとする。
「ひぇ!? ま、まだ動くよ! ジン、離れて!」
「分かってる!」
「させないっ!」
マリナが片膝をつき、弓弦を引き絞った。
ナドラナ町で調達したミスリル製の矢が獣人型の眼窩へ進入し、頭部の奥深くまで突き刺さった。視覚機能を失ったバルゴゾーンは、自棄糞のように両腕を振り回す。
「ナユ、今だよ!」
「ま、任せて!」
ナユは杖の先端をバルゴゾーンへ向け、魔力を集中させる。
「【穿て、風の刃】! 『ウィンド・スライサー』!」
圧縮された風の刃が、倒れ伏すバルゴゾーンの胸部を切裂いて穿つ。コアが破壊され、動力源を失ったバルゴゾーンは間もなく力を失って石畳へ沈んだ。
「停止を確認しました」
ミライが敵の沈黙を確認する。
「はぁ……三人がかりで、ようやく一体かよ」
ジンは大剣の切っ先を地面へ置き、額の汗を前腕で拭った。
「三人じゃなくて四人でしょ。ミライちゃんが敵の位置を教えてくれたんだから。先手を取れたのはそれのおかげでしょ」
マリナは新たな矢を取り出しながら、ジンの背後へ目を向けた。
「それと、休むなら後にして。左の建物に二体いるみたい」
「先に言え!」
「今言ったじゃん」
「二人とも、喧嘩してる場合じゃないよぉぉぉ!」
ナユが杖を胸元へ引き寄せ、崩れた窓の奥を警戒する。
バルゴゾーンの強さはAランク相当と言われながらも、ジンたちもBランクへ昇格した実力は伊達ではなかった。
個々の戦闘能力もさることながら、特筆すべきは連携の滑らかさだ。ジンが敵の意識を引きつけ、マリナが弱点を射抜き、ナユが魔法で行動を制限する。その連携もあってか、強敵であるバルゴゾーンも辛うじて討伐可能だった。
「前方、敵影四体。鳥人型。屋根上より接近中です」
ミライが顔を上げ、瞳を明滅させる。
「分かった! 僕がやる!」
ツルカが石畳を蹴り、半壊した民家の壁面へ向かった。
「おい、ツルカ! 一人で行くな!」
「大丈夫、すぐ戻るっ!」
「そういう問題じゃねぇ!?」
ジンの制止を背に受けながら、ツルカは窓枠と壁の亀裂を足場にして高度を上げた。傾斜の急な壁面を駆け上がり、そのまま屋根の上へ身体を躍らせる。
その時、待っていたと言わんばかりに四体の鳥人型バルゴゾーンが、羽ばたきながら一斉に魔導砲を構える。
《マスター、正面より斉射。回避を》
「うん、見えてる!」
魔導砲による光弾の群れがツルカに殺到した。
ツルカは腰を沈め、最初の一発を上体の傾斜だけで回避した。続く砲撃も避け、掌を当てては軌道を逸らす。
「何発撃っても当たらないよっ!」
ツルカは砲火の間隙を縫い、鳥人型の眼前へ進出した。
「まずは一体……!」
腰の回転を利用した回し蹴りが、バルゴゾーンの側頭部へ食い込んだ。
頭部装甲は頸部ごと破砕され、胴体だけとなったバルゴゾーンが屋根の傾斜を転落していく。
二体目が腕から翼状の刃を展開する。
「遅い!」
ツルカは刃の内側へ入り込み、魔力を込めた拳をバルゴゾーンの胸部へ放った。装甲を貫通した拳が内部のコアへ達し、機能を停止する。
「残り、二体……!」
バルゴゾーンは刃を剥き出しにして、翼を羽ばたかせて左右から同時にツルカを襲った。
「……はっ!」
刃が届く寸前、ツルカは屋根を強く踏み、跳躍した。二体の攻撃は標的を失い、互いの胸部装甲を貫通する。
「……ごめん」
コアを貫通され、バルゴゾーンの機能が停止した。力尽きた残骸が、砕けた屋根材と共に街路へ落下する。
ジンは頭上を仰ぎ、呆れを含んだ息を吐いた。
「……相変わらず、デタラメな強さだな」
「四体を一人でって……、同じ人間とは思えないよ……」
マリナが弓を下ろし、屋根の端に立つツルカへ半眼を向ける。
「ツルカちゃん、怪我してない!?」
「平気だよ! みんなも無事?」
「こっちは敵より、お前の戦い方を見てる方が心臓に悪い」
ジンが眉間へ深い皺を刻み、大剣を担ぎ直した。
隣では、ミライがツルカの動作を分析するように視線を往復させている。
「肯定します。マスターの戦闘効率は極めて高い水準にあります」
「ほら、ミライちゃんも褒めてくれたよ」
「ただし、敵の増援速度がマスターの殲滅速度を上回っています」
「それ、褒めた後に言うことかな? なんか弱く見えるじゃん」
ツルカが困ったように眉尻を下げた。
「だけどよ、ここで全部を相手にしてたら、日が暮れる前に体力切れになって全滅だ」
ジンは周囲を見渡し、王城の方角を確かめた。
「急ごう。この区画を抜ければ、王城へ続く大通りに出るはずだ」
「大通りに敵が集まっている可能性は?」
マリナが歩調を速めながら問いかける。
「高いだろうな」
「それでも行くの?」
「他に道があるなら教えてくれ」
「……ないね」
「なら決まりだ。ナユ、まだ走れるか?」
ナユは青ざめた顔のまま、杖を抱き締めた。
「走れる。けど、置いてかないでよ!?」
「誰も置いていかねぇよ。ツルカも、勝手に先へ行くな」
「分かった」
「よし」
一行は瓦礫を乗り越え、王城へ向かって前進した。
だが、進路上の広場へ足を踏み入れた瞬間、ミライが鋭く腕を伸ばす。
「全員、停止してください。時計塔の基部に異常な魔力反応を検知」
「異常って、何が────」
ナユが言い終わる前に、時計塔の基部が内側から破裂した。
「なっ……!」
巨大な石造りの塔が支えを失い、一行の進路を横断する角度で傾き始める。
「全員、離れろッ! 巻き込まれるぞ!」
ジンがマリナの肩を掴み、後方へ引き寄せた。
「ナユ、こっち!」
「待って、足が……!」
「私の手を掴んで!」
マリナはナユの腕を引き、広場の端へ退避する。
倒壊する時計塔から無数の石材が降り注いだ。やがて地面へ衝突し、その衝撃で周囲の建物まで連鎖的に崩壊していく。
「ミライちゃん!」
ツルカは近くにいたミライの腰へ腕を回し、後方へ跳躍した。
「マスター、私よりご自身の安全を優先してください」
「ミライちゃんだって大事だよ!」
「その判断は非合理的──────」
「そういうのは後で聞くからねぇ!?」
着地と同時に、砂塵が二人を包み込んだ。
地面が大きく震動し、崩れた石材が視界を奪っていく。
やがて崩落が収まり、風に押し流された砂塵の向こうに見えたのは、倒壊した時計塔と、それに巻き込まれた周囲の建物が、巨大な瓦礫の壁となって広場を横断している姿だった。




