15
ナドラナを発ち、険峻な山路を越えること四日。
馬車の列は、荒涼とした険しい峠の頂へとゆっくり登っていた。
「……見えてきた」
御者台に近い席に座っていたジンが、低い声で車窓を眺めた。
ツルカも窓から身を乗り出すと、眼下に広がる巨大な盆地の全貌が視界に飛び込んできた。
天然の要害とも言うべき山岳地帯に囲まれた盆地にあるガリロルザ国。本来であれば、そこには壮麗な城塞都市が広がっているはずだった。だが、今のツルカの瞳に映ったのは、黒煙と劫火に包まれた地獄の光景だった。
遥か盆地の中央に鎮座する王城からは、まるで噴火のような黒煙が立ち上り、空を灰色一色に染め上げていた。城下町の至る所から赤い炎が舌を伸ばし、散発敵に爆発の轟音が、風に乗ってここまで届いてくる。
「……ひどい……」
マリナが口元を押さえ、言葉を失った。
他の馬車からも、冒険者たちの絶句や呻き声が漏れ聞こえてくる。
「これが……戦争……」
あの惨状が三週間続き、他国に知られることもなく、そして応戦を求めることもできず、孤独の戦いを続けている。
ツルカは拳を握りしめ、その光景を睨みつける。
(待ってて。……今、行くから)
決意を新たにした、その時だった。
「─────警告」
隣に座っていたミライの瞳が、赤に激しく点滅を始めた。
「どうしたの」
「敵性反応、多数接近。……前方、距離三百、二百、百。接近中」
「え……?」
「奇襲です……来る」
ミライの無機質な声が終わるのと同時、隊列の先頭を走っていた馬車が、何の前触れもなく爆散した。
木っ端微塵に粉砕された馬車の残骸が空を舞い、馬の断末魔と、乗っていた冒険者たちの叫びが木霊する。
「なっ……!?」
ジンが叫ぶ間もなく、二台目、三台目の馬車が次々と破壊されていく。
「────────敵襲ッ! 全員、馬車から降りろ! 迎撃しろッ!」
外でレオナルドの怒号が響き渡った。
ツルカたちは転がるように馬車から飛び出し、地面に降り立つ。
そこには、すでに地獄が顕現していた。
破壊された馬車の周りには、無残に切り刻まれた冒険者たちの遺体が散乱していた。
首を斬り落とされた獣人、胴体を両断された人間。そこらに散らばる腕や脚。
大量の鮮血が、乾いた大地に吸い込まれていく。
「うっ……!」
「……見るな、マリナ……っ!」
その残酷な光景に、マリナは吐き気を催す。
「……なんなの、あれ……」
ナユが震える声で指差した先には、返り血を浴びて立ち尽くす、異形の敵軍だった。
ある者は長い耳を持つエルフ、ある者は剛毛に覆われた獣人、そしてある者はごく平凡な人間。他にも鳥人やドワーフ。
だが、生気は全く存在せず、その四肢は無慈悲に切断され、代わりに回転鋸や魔導砲といった、原初的な殺戮機構が埋め込まれている。
「……あれは……!」
「該当データにはあのような機械の記録はありませんが、私のように、殺戮に特化した旧式の同機だということは間違いないでしょつ」
ミライが冷静に告げ、護衛するかのようにツルカの前に立つ。それは、ミライが強制初期化される前に言っていた、『バルゴゾーン』で間違いない。
(あれも……あれも……元はヒトだったって言うの……ッ)
合計二十体。そのどれもが、虚ろな瞳で次の獲物を物色していた。
「────許さんッ!」
咆哮と共に、レオナルドがバルゴゾーンの一体に向かって突進した。
残された右腕で巨大な斧を振るい、最も近くにいた獣人型のバルゴゾーンに斬りかかる。
「対象……Aランク相当」
バルゴゾーンの回転鋸と、レオナルド斧が火花を散らし、激しい金属音が響く。
「ぬぉぉぉッ!」
「警告。過負荷」
レオナルドの膂力が勝った。雄叫びと共に斧を押し込み、バルゴゾーンを肩口から股下まで一刀両断にした。
ドサリと崩れ落ちる人形。しかし、その切断面から溢れ出したのは、赤い血肉だけではなかった。オイルのような異臭を放つ透明な液体と、複雑に絡み合った金属部品、そして魔導回路の破片など、人からは出てくるはずのないものばかりだ。
「こいつらが、今城を襲っている不明の軍勢だ!」
レオナルドは斧を構え直し、周囲の冒険者たちに檄を飛ばす。
「見ろ、腕が刃物になっている者、魔導砲を仕込んでいる者……個体によって武装が違う! だが、共通しているのは、痛みを感じず、死を恐れないということだ!」
レオナルドの言葉通り、両断されたはずのバルゴゾーンは地面を這いずり、レオナルドの足首を掴もうとしていた。レオナルドはそれを踏み潰し、さらに声を張り上げる。
「油断するな! こいつらの戦闘能力はAランクに匹敵する。単独で挑まず連携しろ! 一網打尽にしなければ、こちらが狩られるぞッ!」
「Aランク……!?」
「来るぞ、構えろッ!」
レオナルドの警告に応えるかのように、バルゴゾーンたちが一斉に動き出した。
その速度は、常人の目では捉えきれないほど速い。瞬きする間に間合いを詰められた冒険者が、反応する間もなく首を飛ばされる。魔導砲の一斉射撃が馬車を吹き飛ばし、爆風に巻き込まれた者たちが宙を舞う。
「……うぅ……っ」
ツルカは、その光景に絶句した。
これほど目の前で命が遊ばれ、そして消え去るなんて耐えられなかった。
陰に潜む記憶が蘇っていく。目の前で大切な命が散った、あの日。
(死んでいく人なんて、もう、見たくないのに……!)
涙目になりながら、ツルカは拳を握りしめた。
「……ふざけるなッ!」
ツルカは近くにいた人間型のバルゴゾーンの背後へと瞬動し、躊躇いながらも渾身の蹴りを叩き込んだ。骨と金属がひしゃげるような音がすると、人形の背骨があり得ない角度に折れ曲がる。
「なっ……!」
だが、それでも人形は止まろうとしなかった。内部構造が著しく破壊されたというのに、駆動音を響かせてツルカの方へと、首を百八十度捻じ曲げて襲いかかろうとする。
「ッ!?」
死なない。痛くない。ただ殺すためだけに動く。惨めすぎる執念に、ツルカが一瞬怯んだ時だった。
「──────危険を察知」
影が走った─────ミライだ。
ミライはツルカとバルゴゾーンの間に滑り込むと、その掌に内蔵された鋭利なパイルバンカーを射出した。銀色の杭が、バルゴゾーンの胸部──コアを正確に貫く。
人形は痙攣し、糸が切れたように崩れ落ちた。
「対象、機能停止。どうやら、コアの位置は同じようです。ですが、不思議です。自律型魔法道具のようですが、ほんの一部だけ、有機生命体が保有する臓器が確認できます。これは……」
ミライが解析をするが、記録を消されたミライの情報では、その解析結果は出ない。
「記録なし。ひとまず、マスター。無事ですか?」
「……うん。ありがとう、ミライちゃん」
ミライはツルカの無事を確認すると、即座に次の敵へと向かっていった。その背中を見送り、ツルカはジンたちへと叫ぶ。
「みんな……! 動きは速いけど、直線的だ! 今までの経験を活かせば、集中して避けられるはず!」
ツルカは戦場全体を見渡し、即座に指示を飛ばす。
「ジンは囮になって注意を引きつけて! マリナは弓で動きを制限して、ナユは魔法で遠距離から相手の胸辺りを狙って! そこが、弱点だ! 接近させちゃダメだよ、囲んで叩くんだ!」
「おうよ……! こうなったらやってやるぜ!」
「うん……!」
ジンが大剣を構え、突進してくる獣人型のバルゴゾーンを正面から受け止めた。
「ぐぅ! なんて、威力だよ……!」
衝撃で足が沈むが、ジンは一歩も引かずに耐え抜く。
「……ここ……っ!」
その隙にマリナが矢を放ち、バルゴゾーンの関節部を射抜いて体勢を崩させた。
「【大気に遍在する炎の源素よ、敵を討つ閃光となれ】! 『フレイム・ランス』!」
さらにナユが詠唱を完了させ、炎魔法を撃ち込む。
小さな炎の槍がバルゴゾーンの胸部を貫通し、内部から爆発させた。
三人の連携は見事だが、戦場全体を見れば、状況は依然として劣勢だ。
あちこちで断末魔が上がり、手足をもがれた冒険者が苦痛にのた打ち回っていた。
ツルカの耳に、誰かが助けを求める声や肉が裂ける音が、嫌でも飛び込んでくる。
聞かないふりはできなかった。目を背けることもできなかった。
「……くそッ!」
ツルカは歯を食い縛り、戦場を駆けた。
倒れ込んだ冒険者に迫るバルゴゾーンを蹴りで弾き飛ばし、瓦礫の下敷きになった者を抱え上げて安全な場所へと運ぶ。
「ミライちゃん、怪我人を隠して! 死なせないで!」
「……了解。救護命令を並列実行」
ミライもまた、驚異的な機動力で負傷者を回収し、岩陰へと退避させていく。
冒険者たちの必死の抵抗により、バルゴゾーンの数は確実に減っていた。だが、その代償として流された血の量はあまりにも多かった。
戦場には、五体満足な死体などほとんどなかった。
切断された腕と千切れた足、無残な肉塊が散乱し、地面は泥のようにぬかるんだ血溜まりとなっている。
「負けるな、逃げてはダメだッ! 背中を見せれば殺されるぞぉッ!」
レオナルドが声を枯らして、斧を振り回し続ける。
だが、恐怖に駆られて逃げ出した冒険者が、背後から追いつかれ、無慈悲に首を刎ねられていく。
そして、最後の一体。
仲間を全て破壊されたバルゴゾーンが、標的をツルカに定め、猛然と突進してきた。
その顔は、かつてどこかの村で暮らしていただろう、あどけない少年の成れの果てだった。今は、その口から砲身を突き出し、ツルカに迫りくる。
「……う、うぅ……!」
何の感情もなく、ただ殺戮命令に従い、回転鋸を振り上げて突進してくる。
「──────うあぁぁぁぁぁッ!」
ツルカは思考の何もかもを紛らわせるかのように咆哮し、真正面から踏み込んだ。回転鋸が振り下ろされるよりも速く、ツルカの拳がバルゴゾーンの顔面を捉え、頭部は粉々に粉砕される。首から上を失った人形は、数歩よろめいた後、どうと倒れ込んだ。
静寂が戻り、冒険者らはぐったりと地面に膝をついた。
戦闘は終わったが、誰も歓声を上げる者はいなかった。空間を支配するのは、荒い息遣いと、負傷者の呻き声だけだった。
ツルカは拳を突き出した姿勢のまま、静かに涙を流した。
足元に転がる、冒険者たちの成れの果て。そして、自分が壊した少年の残骸。勝利したはずなのに、胸に残るのは鉛のような重みだけだった。
「……なんで……こんな……」
ツルカもその場に膝を突き、震える手で顔を覆った。




