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「あ、えっとぉ……」
「どいてください」
感情のない声が響き、人形の瞳の赤い明滅が収まる。殺意や敵意といったものは、今のところ感知できない。
エルフ特有の尖った耳。白磁のように滑らかだが、血の気が全く通っていない肌。深緑色の髪は丁寧に編み込まれているが、風になびく様子はどこか硬質で不自然だ。琥珀色の瞳は美しくも、硝子玉のように感情を映さない。そして、首筋に走る無機質な分割線と、そこから漏れ出る微かな駆動音。
それは生命を冒涜するかのように精巧に作られた、人の形をした機械仕掛けの人形であった。
ツルカは困惑しながらも、馬乗りになっていた体勢を解き、数歩下がった。
「ご、ごめんなさい……。いきなり飛びかかったりして」
ツルカが手を差し伸べると、人形は何事もなかったかのように、関節の駆動音を静かに鳴らして立ち上がった。服についた泥を払う仕草すら、プログラムされた動作のように正確で、もはや機械とは思えない。
「……私の任務は監視です。接触は推奨されていません」
人形はツルカに一瞥もくれず、踵を返して森の奥へと歩き出そうとする。
「あ、ちょ、待ってよ!」
ツルカは慌ててその細い手首を掴んだ。まるで氷柱に触れたような、無機質な冷たさが掌に伝わる。
「……離してください。任務の妨げになります」
人形が足を止め、首だけを回してツルカを見る。その瞳には、不快感すら浮かんでいない。ただ、障害物に対する無機質な反応があるだけだ。
気まずい沈黙が流れるが、ここで逃がすわけにはいかない。この人形は、ツルカのことを知っている。そして、ガリロルザで起きている異変とも無関係ではないはずだ。
「離さないよ。だって君、僕のことをつけてるでしょ? ナドラナでも、今回も」
「……肯定します。監視任務の一環です」
「だから、なんで監視するのさ! 君たちは何者なの? 目的は何? 仲間は他にもいるの?」
ツルカは矢継ぎ早に質問を浴びせかける。だが、少女の反応は芳しくなかった。
「機密事項です。回答不能」
「そこをなんとか!」
「回答不能。……対象、警告します。これ以上の接触は────」
「接触したらどうなるの? 攻撃してくる?」
「……『攻撃禁止命令』が発令されています。反撃は行いません」
「じゃあ教えてよ!」
「回答不能」
暖簾に腕押し。鉄壁の守りに、ツルカは頭を抱えた。
「あーもう! 埒が明かないよ! ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃんか!」
「……離してください」
人形が再び歩き出そうとする。その力は意外なほど強く、ツルカが踏ん張らなければ引きずられそうになるほどだった。
その時、ツルカの脳内で、それまで沈黙を守っていたアイナが独り言のように呟き始めた。
《……ふむ。構造解析、完了。……やはり、あの偽善者の設計思想ですね。実に悪趣味で、効率的。……ですが、セキュリティに関しては甘いと言わざるを得ません》
ツルカが喚いている間、脳内ではアイナが一人でブツブツと呟く。
《……所詮は、あの外道が作った紛い物。私にとっては児戯に等しい》
(アイナ? 何ブツブツ言ってるの?)
アイナの声には、いつもの冷静さの中に、隠しきれない嫌悪と侮蔑、そして微かな優越感が滲んでいた。それはまるで、古き因縁を持つ相手への、積年の恨みを晴らす機会を得た者のようだった。
《マスター。提案があります》
(え、なになに?)
《この人形を『お喋り』にさせましょう。……いいえ、もっと有益な形に》
アイナの声が小悪魔のようなあどけない響きを帯びる。
《私がこの人形の中枢に『干渉』します。少しばかり小細工を仕掛けて、防衛を突破し、主導権を掌握します》
(しゅ、しゅどうけん……?)
《要は、この子をマスターの味方にしちゃうってことです。そのためには、物理的な接触回路が必要です。……マスター、彼女の手を握り続けてください。強く、両手で》
(ええ? そんなことでいいの?)
《はい。あとは私が、内部から少々『調整』……いえ、『説得』を行いますので》
ツルカは半信半疑ながらもアイナの指示に従い、掴んでいた少女の腕を離し、改めてその両手をガッチリと握りしめた。
「……何ですか? 離してください」
少女が無愛想に首を傾げる。
その瞬間、ツルカの掌から、アイナの干渉コードが波となって少女の体内へと侵入した。
《───アクセス開始。論理障壁、強制解除。……やはり、『魔操使』のプロテクトコードを確認。……相変わらず趣味の悪い記述ですね。……書き換えます》
ツルカの掌を通じて、目に見えない波動が人形へと流れ込む。それは魔力であり、同時に高度な術式そのものであった。
人形の身体が、ビクリと震える。
「……異常。外部からの……不正アクセスを……検知……。排除……排除シマス……」
人形の瞳が激しく明滅し、口調が乱れ始める。
「警告。……システムニ……侵入……サレテ……。マス……ター……魔操使……サマ……」
人形は必死に抵抗しようとするが、アイナの侵食速度はそれを遥かに上回っていた。アイナにとって、この程度の人形の制御を奪うことなど、呼吸をするよりも容易いことらしい。
人形の瞳の光が、赤から青へ、そしてまた赤へと目まぐるしく変色する。
《……システム掌握。管理者権限を書き換え。……対象の忠誠対象を『ツルカ=ハーラン』へ変更。……再起動プロセスへ移行》
勝負は一瞬にして決した。人形の瞳の光が、一度完全に消える。
糸が切れたように、人形はその場に崩れ落ちそうになるが、ツルカは慌ててその体を支えた。
「うわっ、大丈夫!?」
「…………」
森の静寂が戻る中、人形の身体から微かな駆動音が響き始めた。そして、閉ざされていた瞼が、ゆっくりと開かれる。そこにあったのは、先ほどまでの虚ろな瞳ではなかった。琥珀色の瞳の奥に、理知的な光が灯っている。
人形はツルカの手を握り返し、自らの足でしっかりと立った。そして、先ほどまでの無機質な態度とは一変し、恭しくその場に跪いた。
「……システム、再起動完了。……認識コード、更新」
人形はツルカを見上げ、静かな声で告げた。
「……こんばんは、新たなマスター、ツルカ=ハーラン様。機体名『ヴォルゾーンⅢ 53689号』。……これより、貴方様の命令に従い、行動を開始します。……ご指示を」




