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───ナドラナの町を出発してから二日。
ガリロルザ国へと続く道の途中、鬱蒼と茂る森切りが開けた広場が、数百人の義勇軍のための臨時宿営地となっていた。
日が沈み、辺りが暗闇に包まれる頃、馬車の列は停止し、兵士たちによって手際よく野営の準備が進められる。支給された保存食に加え、周辺で調達した獣肉や川魚が焚き火で炙られ、香ばしい匂いと紫煙があちこちから立ち上り始めた。無数に揺らめく焚き火の明かりが、冒険者たちの顔を赤く照らし出している。
ある場所では、顔に無数の傷を持つ古参の戦士が、愛用の戦斧を無言で研ぎ澄ませていた。その瞳は炎を見つめているようで、遥か遠くの戦場を見据えているようだ。
またある場所では、まだあどけなさの残る若い魔法使いたちが、震える手で魔導書を握りしめ、互いに励まし合うように低い声で詠唱の確認を行っている。
戦争へと向かう緊張感と、それでも前に進もうとする強い決意が、夜の空気の中に重く澱んでいた。
そんな中、一際明るい空気を放つ焚き火があった。
『青嵐の翼』の四人である。
支給された干し肉は硬く、パンはパサついている。だが、ナユが手際よく香草をまぶして焼き直し、即席のスープを添えるだけで、それは極上の晩餐へと昇華されていた。
「はふっ……ん~! やっぱりナユのご飯は最高だね! 生き返る~!」
ツルカは熱々の干し肉を頬張り、満面の笑みを浮かべる。その屈託のない様子は、周囲の重苦しい空気を一時忘れさせてくれるようだった。
「そんなに褒めても、これ以上は出ないよ?」
「えへへ、分かってるって。でも美味しいのは事実だもん」
ナユが照れくさそうに微笑み、ジンとマリナも同意するように頷く。だが、ふとした瞬間に落ちる沈黙が、心の奥底にある不安を映し出してしまう。
「……ガリロルザ、どうなってるんだろうな」
ジンが焚き火を見つめながら、ポツリと漏らす。
「噂じゃ、もう王都の一部は陥落してるって話だ。……俺たちが行って、本当に役に立つのか? 相手は魔王だぞ」
「弱気だね、リーダー。らしくないよ」
マリナが薪をくべながら言うが、その声にも硬さがある。
「でも、相手が悪い。……『四神魔界王』に、元『天下の六柱』。正直、私たちじゃ足元にも及ばない」
「……『不朽の栄光』の皆さんがその場にいてくれればなぁ……」
ナユが膝を抱えて呟く。その言葉に、ジンが深く頷いた。
「ああ。あの五人なら、魔王相手でも互角以上に渡り合えるだろうな。……なんせ、神に選ばれし『光の使者』だ。俺たち凡人とは違う、生まれながらの超越者たち。……それが背中にいてくれるだけで、どれだけ安心できるか」
ジンはその存在に憧憬を抱きながら、大きく夜空を見上げた。決して手の届かない神域の象徴。それが戦場にいるだけで、言葉に表せないほど心強い。
「だけどよ、今回はすでにメンバーの一人が現地入りしてるって話だろ?」
「うん。『土の使い』ノンナ様だよね」
ナユが目を輝かせて、胸の前で手を組みながら空を仰いだ
「噂じゃ、すごく小柄で可愛い人らしいんだけど……土魔法の腕は随一。どんな堅牢な城壁も一瞬で作り出すし、逆にどんな要塞も指先一つで崩壊させるくらい、自由自在に操れる凄腕なんだって!」
「へえ……。そんなに凄いんだ」
「でも、性格はちょっと……独特らしいね」
マリナが苦笑いして、確かな情報を思い出す。
「なんでも、極度の気分屋で、面白いことなら何でも首を突っ込むトラブルメーカーだとか。……まあ、その破天荒さが『土』の力強さに通じているのかもしれないけど」
「ははっ、そりゃ頼もしいな。魔王相手に真っ向から喧嘩を売れる度胸があるってことだろ?」
ジンが笑いながら肉にかぶりつく。
「俺たちも雑魚を片付けて、城への道を作るぞ。少しでも、英雄様の手助けをしないとな」
英雄の手助けになるかは分からない。だが、無様に散ることだけは決してしない。
「英雄様……。なんで、英雄と英雄が戦うことになったの……」
「……ヒナ=ノーノンだよね。同じくSランクの力を持つ、冒険者だった人。……彼女が所属していた『天下の六柱』もまた、伝説だった」
マリナがスープの器を一度置き、懐かしむように語り出す。
「個々の能力が突出した六人の天才たち。数々の偉業を成し遂げ、世界最強の名をほしいままにしていた。……でも、数年前の『ある事件』を境に、みんな散り散りになった」
「事件?」
ツルカが肉を食べる手を止めて尋ねる。
「……詳しくは分かっていない。ただ、ヒナ=ノーノンが仲間を裏切り、禁忌に触れたと言われているわ。その結果、ギルドは崩壊し、彼女は姿を消した。……まさか、魔王と手を組んでいたとはね」
「悲しい話だね……」
「ああ。だが、そんな化け物たち相手に、ガリロルザはまだ持ちこたえてる。……それもこれも、ノンナさんと、あの国王のおかげだろうな」
ジンが話題を変えるように、力強く言った。
「『武道覇者』ガリロルザ王。……魔法全盛のこの時代に、己の肉体一つで頂点に立った獣人の王だ。噂じゃ、素手でドラゴンの首をねじ切ったとか、山を拳一つで砕いたとか、デタラメな逸話ばかりだ」
「すごい……! そんな強い人が味方なら、百人力だね!」
「おうよ。俺たちも負けてらんねえ。……必ず生きて帰って、Bランクのさらに上を目指すぞ」
ジンの言葉に、三人が力強く頷いた。
夜は更け、火の始末をして眠りにつく時間が訪れる。ジンたちは毛布にくるまり、すぐに寝息を立て始めた。
だが、ツルカだけは眠れなかった。
目を閉じても、瞼の裏に浮かぶのはマリアネの最期の笑顔と、グレイの冷酷な瞳。そして、体内で渦巻く光と闇の力。
ツルカは音を立てないように立ち上がり、野営地を離れた。木々の隙間から差し込む月光が、道なき道を青白く照らしている。冷たく澄んだ夜気が、火照った思考を少しだけ冷やしてくれる。
「アイナ、起きてる?」
《いつでも稼働中です。……散歩ですか? 戻ったほうがいいのでは。十分な睡眠は戦闘能力の維持に不可欠ですよ》
「分かってるけど、なんか胸がざわざわして……。ねえ、僕たち、本当に勝てるのかな」
《勝算は未知数です。ですが、可能性はゼロではありません。……それに、マスターには私がついています》
アイナの言葉に、ツルカは少しだけ救われた気がした。
「大魔王と戦った感覚が忘れられない。あれは……格が違った。自分で言ったのもなんだけど、やっぱり魔王と戦うのは怖い」
《ええ。魔族の頂点、大魔王。その右腕たる四神魔界王もまた、計り知れない。ですが……アイナは勝てないとは思いません》
「……というと?」
《マスターはこれまで……不可能を可能にした人だ。それは……そばで見てきたアイナだからこそ言える。きっと……》
「……ほんとに僕は何者なんだって。アイナさんー、やっぱり気になってしょうがないよ」
《ほらほら。そんなことより、とっとと戻って休養したほうがいいですよ》
「なんだよもぉー」
他愛のない会話を続けながら歩いていると、木々が途切れ、視界が開けた。
そこには、鏡のように静まり返った湖があった。満月が湖面にくっきりと映り込み、周囲の風景を幻想的に反転させている。さざ波一つない水面は、まるで別世界への入り口のようだ。
「わぁ……綺麗……」
ツルカが感嘆の声を漏らそうとした────その時。
湖の畔に、異質な人影を捉えた。ツルカは反射的に身を低くし、近くの茂みに身を隠す。
(……誰だ?)
月明かりの下で湖面を見つめるように佇んでいるのは、全身を深いローブで覆った小柄な人物だった。
その背格好、そして漂う無機質な気配。ツルカの記憶が蘇る。以前、ナドラナの町ですれ違った、あの感情のない少女。それと同じだった。
《……マスター。あの反応は……》
アイナの声が、脳内で鋭く響く。
《以前、ナドラナ町で遭遇したものと同じです。森で出会ったあの少女と、同じ『質』を漂わせている別個体です。恐らく、義勇兵に紛れて尾行していると思われます》
(えぇ……。なら、やっぱり僕が狙いなのか……? でも、森で出会った人は、僕のことなんてどうでもいいみたいなこと言ってたのに……)
《……以前申し上げた通り、あれと関わるべきではありません。目的も所属も不明な上、戦闘になれば非常に厄介です》
アイナの警告はもっともだが、人影は微動だにせず、ただ湖面を見つめている。よく見ればローブから覗くのは、規則的に明滅している赤い光だった。何かを通信しているのか、あるいは観測しているのか。ツルカの中で、好奇心と、正体を知りたいという衝動が鎌首をもたげる。
(……チャンスだ)
ここで見失えば、もう正体を掴めないかもしれない。それに、相手が義勇軍に紛れているなら、仲間にも危険が及ぶ。
《マスター? まさか……》
(あいつらの正体、ずっと気になってたんだ。ここで捕まえて、問い詰めちゃおう! ナドラナで僕を見てたってことは、何か知ってるはずだ!)
《……はぁ。またですか。以前の教訓を忘れたのですか? 相手は得体の知れないものですよ》
(大丈夫だって! 不意打ちなら絶対いける!)
アイナの呆れ声と警告を無視し、ツルカは足に魔力を込める。
音もなく、風のように。草木を揺らすことすらなく、ツルカは人影の背後へと肉薄した。
「────とったぁ!」
ツルカは地面を蹴り、人影の背中に飛びついた。完全に不意を突かれた人影は、抵抗する間もなく押し倒される。ドサッという鈍い音と共に、二人は地面に転がった。
「…………!」
人影が初めて声を発する。それは少女のようで、どこか抑揚のない機械的な声だった。
ツルカは馬乗りになり、相手の身体を地面に押さえつけると、その顔を覆っていたフードを乱暴に剥ぎ取った。
「正体見たり────って、え?」
月光に照らされたその顔を見て、ツルカは言葉を失った。
それはエルフ特有の長い耳と、白磁のように整いすぎた美貌を持つ少女の顔だった。
だが、その瞳には生気がなく、ガラス玉のように虚ろだ。そして何より、その首筋には、皮膚の継ぎ目のような無機質なラインが走り、そこから微かな駆動音が漏れ出ている。
「……人形……なのか?」
ツルカの問いかけに、エルフの少女は表情一つ変えず、ただ無言でツルカを見上げ返した。その瞳の奥で、赤い光が警告色のように激しく点滅を繰り返す。
「……対象、接触。……個体名『イレギュラー』。エスノルア第二総司令の伝達通り、危害を加えないものとする」
感情のない声が、冷たい夜の湖畔に響き渡った。




