10
夜の帳が下りた、ガリロルザ国の城下町。
かつて繁栄を誇った美しい街並みは、今や無惨な瓦礫の山へと変わり果てていた。
その廃墟の一角に残された、半壊した石造りの民家。その中に、二人の人影があった。
壁は崩れ落ち、天井の大半が失われ、そこから夜空が覗いている。床には略奪品と思しき簡素な保存食と、いくつかの水筒が無造作に散らばっていた。
中央で揺らめく小さな焚き火を囲み、バリオンとヒナが座っている。建物の周囲は無数の『バルゴゾーン』によって完全に包囲され、鼠一匹通さぬ厳重な警戒態勢が敷かれていた。
「……不味い」
ヒナは干し肉を一口かじり、不快そうに眉根を寄せた。
その鋭い視線が、対面で胡坐をかくバリオンへと向けられる。
「何を睨んでやがる。食いモンに文句があるなら、てめえで作れよ」
バリオンは夜空を仰ぎながら、つまらなそうに吐き捨てた。
人間──それも英雄と謳われた者と協力するなど、屈辱以外の何物でもなかった。
「……あなたこそ、その態度を改めるべきです。下役の分際で」
「俺は大魔王様の命令でここに来てるだけだ。調子に乗ってるとぶち殺すぞ、ゴミ野郎が」
バリオンは鼻で笑い、ヒナを挑発するように見下ろした。
「大体、てめえは何様のつもりだ? あの時、獣人の王一人に手こずった挙げ句、尻尾を巻いて逃げたなんてよぉ。『漆黒の女王』だなんて、聞いて呆れるぜ」
「撤退ではありません。戦術的判断です。あの場で消耗し続けるのは得策ではないと判断したまで」
「言い訳は見苦しいぜ、元英雄様ぁ。俺を見てみろ。城下町で出くわした、あの『土の使い』……『不朽の栄光』の女だ。あいつとは、きっちり殺し合ってやったぞ」
バリオンは、胸元に残る微かな傷痕を指先でなぞった。
「神に選ばれた者が持つ力ってのは、さすがに手強かったな。俺の業火を土壁で防ぎきるとは、人間のくせに小癪な真似をしてくれる。……だが、あの女は俺との力量差を悟るや否や、すぐに城内へ逃げ込みやがった。賢明な判断だが、次は逃がさねえ。必ず殺してやる」
バリオンは獰猛な笑みを浮かべる。
しかし、すぐに視線をヒナへ戻すと、その目に宿る軽蔑の色を一層強めた。
「それに比べて、てめえはどうだ。……ああ、そうか。てめえは『逃げる』のが得意だったなぁ」
バリオンの言葉が、ヒナの古傷を容赦なく抉る。
「かつての仲間を裏切り、殺し合った末に、自分だけ生き残って魔王の軍門に下る……。ククッ、まさに『クズ野郎』の鑑じゃねえか。おい、どんな気分だ。かつて仲間と守ると誓った世界を、こうして自分の手で壊して回る気分はよぉ」
「……口を慎め、下郎が」
ヒナの全身から、どす黒い魔力が噴き出した。
その影響を受け、焚き火の炎までもが黒く染まる。
「あぁ? 図星を突かれて逆ギレか。人間ってのは、どいつもこいつも自分勝手で見苦しいぜ」
「貴様ら魔族に、人の心の機微など理解できるはずもありません。……私は、私の目的のために最善を尽くしているだけです」
「目的ねぇ。……育ての親への恩返しか? それとも、自分の居場所を守るためか。どっちにしろ、てめえがやってることは、かつての仲間である『天下の六柱』への冒涜だろ」
バリオンの言葉は、なおも容赦なくヒナの心を突き刺した。
「……貴様ごときに、私の何が分かるッ!?」
ヒナが掌に魔力を収束させ、闇の剣を形作ると、切っ先を真っすぐバリオンへと向けた。
「やんのか、あぁ!? 上等だ。ここで消し炭にしてやろうか!?」
バリオンも即座に反応し、全身から業火を噴き上げた。
二人は互いに睨み合い、一触即発の空気に包まれる。
凄まじい魔力によって空間が揺らめき、辛うじて残っていた壁に亀裂が走った。半壊していた建物全体が、今にも崩れ落ちそうなほど激しく軋む。
互いの殺意が頂点に達し、まさに激突しようとした、その寸前、ヒナがふっと息を吐き、魔力を霧散させた。
「……時間の無駄です。今は同士討ちをしている場合ではありません」
ヒナは努めて冷静さを装い、バリオンから視線を逸らした。
これ以上挑発に乗れば、本当に殺し合いになりかねない。そうなれば、任務どころではなくなる。
「……チッ。つまんねえ女だ」
バリオンも舌打ちをして炎を収めた。興が削がれたと言わんばかりに、再びその場へどかりと座り込む。
「……現状を確認します。聞きなさい」
険悪な空気を引きずったまま、二人は作戦会議へと移った。
「城下町の制圧は、ほぼ完了しています。しかし、王城はノンナの結界によって守られており、内部への侵入を阻まれています」
「俺が全部燃やしちまえば、話は早えんだよ。あんな結界、俺が全力を出せば数分で溶かせる」
「それでは、城ごと溶かすのがオチでしょう。……先ほども言いましたよね? 私たちの目的は、国を壊滅させることではありません。あくまで降伏させ、最終的に七光玉の在り処を吐かせる。そのために、王城を破壊しないよう戦っているのではありませんか」
「分かってる。うるせえな。冗談に決まってんだろ」
ヒナはガリロルザ国の全体図が描かれた地図を広げ、その最奥にそびえる王城を指さした。
「『土の使い』ノンナ。彼女が王城防衛の要です。彼女を無力化しない限り、こちらも安全には動けません。相手は『不朽の栄光』です。我々二人で挑んだとしても、どのような戦術で翻弄されるか分からない。力ずくで攻めるのは危険です」
「『不朽の栄光』、ねぇ……」
バリオンはため息交じりに呟き、何もかもが面倒だと言わんばかりに、大きく項垂れた。
「でもまあ、てめえの本来の任務を達成するには、いい機会だ。血液サンプルの採取。ここで手に入れられりゃ、手土産にもなる」
「ええ。接触の叶わなかった相手が袋の鼠となっているのは好都合ですが……こちらの消耗も激しい。魔操使の兵器どもを補充する必要があります」
「知るかよ。あんな気味の悪い人形、全部壊れちまえばいい。大体、何であんなゴミどもを戦場に投入したんだ。俺たち大魔王軍の兵士を使えばよかったじゃねえか。そっちの方が、よほど強い」
「さあ。それはグレイ様と魔操使様に聞いてください」
「ケッ」
バリオンは心底嫌そうに、地面へ唾を吐き捨てた。
「ひとまず、このまま持久戦に持ち込みましょう。そのためには、王城へ続く道を守っているガリロルザ王を無力化するのが、最も手っ取り早い。王さえ倒れれば、城への道も簡単に開きます」
「なんだ。あの獣人を黙らせりゃいいのか? なら、最初からそう言えよ。俺がやっておいたのによ」
「いけません。あなたには、このまま戦場の監視を続けてもらいます。ガリロルザ王の動向にも目を光らせておいてください」
「なんだと? このまま黙って見てろってのか」
「ガリロルザ王の力は強大です。体力を削り、弱った瞬間を狙うのが最善でしょう」
「つまり、お前はビビってんだな? 弱腰が」
「話を聞きなさい。あちらにも、いずれ限界が来ます。それまで降伏を待ちましょう」
「んだとぉ? そんな回りくどいことをして、何になるんだ」
「私は、最も望ましい形で目的を達成したい。七光玉を手に入れ、ノンナも生け捕りにできるような」
「……甘ったれてんのか。さっさとぶっ倒したほうが早いだろうが」
どうにも理解しがたいヒナの作戦に、バリオンは苛立ちを隠せなかった。
「まだ、ガリロルザ王の体力、その士気は全盛です。特攻を仕掛けたとて、それも危険が伴う」
「はん。つくづく弱気な野郎だ。そこまであの獣人にビビってるとはなぁ」
「なら、一度戦ってみては。魔法も使えないあの獣人が、なぜ体のみであそこまで張り合えるのか。もはや戦慄しますよ」
「……けっ。そうかよ……。……………ん」
「……どうしました」
その時、バリオンの獣じみた勘が、異質な気配を捉えた。
そこにあるはずのない何者かの気配が、音もなく廃屋へと接近してきている。
バリオンは目配せでヒナに合図を送った。ヒナもまた微かな違和感に気づき、無言のまま闇の魔力を練り上げる。
バルゴゾーンの監視網をかいくぐり、ここまで接近してきたのだ。凡人でないことは明らかだった。
足音は聞こえない。それでも、その気配は確実に扉の前で立ち止まった。
しばらくすると、錆びついた蝶番が軋み、扉がゆっくりと開いていく。
「──────死ねェッ!」
扉が開くと同時に、バリオンが咆哮とともに火球を放った。
だが火球は、侵入者に触れる寸前、見えない壁に阻まれたかのように霧散した。
煙が晴れると、そこには一人の男が立っていた。
戦場には不似合いなほど上質な黒のロングコートを纏い、整った顔立ちに薄い笑みを浮かべた青年だ。
夜魔将官──チルノーヤである。
「……おやおや。味方への挨拶にしては、少々熱烈すぎやしませんか。人気者は辛いですねえ」
男は服についた煤を払う仕草をしながら、悠然と中へ入ってきた。
「……誰ですか」
ヒナが警戒を解かず、チルノーヤに向けて殺意を向けた。ヒナはチルノーヤの顔を知らなかった。
だが、バリオンは知っていた。
大魔王城で何度か顔を合わせたことのある、得体の知れない男。そして夜魔将官の中では唯一、まだ話の通じる相手だと認識している男でもあった。
「……チルノーヤだ。くそったれな夜魔将官の一人。……何しに来やがった」
バリオンは炎を消し、チルノーヤに剣呑な眼差しを向けた。
「おやおや、つれないですねぇ、バリオン卿。援軍ですよ、援軍。……一応、魔操使殿から、お二方のお手伝いをするよう仰せつかりましてね」
チルノーヤは芝居がかった仕草で一礼する。
相変わらず軽薄な態度で、その表情には怠惰な色が滲んでいた。
「手伝いだと。俺たちが手こずってるとでも言いたいのか」
「滅相もございません。戦況は優勢なれど、少々膠着しているようでしたので」
「それは、こちらにも作戦があるからです。任務を失敗するわけにはいきませんので」
「結構。ならば、その作戦に役立てていただけるよう、僭越ながら情報を持ち込んだ次第です。円滑に任務を遂行するため、まずはこちらを」
チルノーヤは懐から羊皮紙を取り出し、テーブル代わりの木箱の上に広げた。
そこには王城の内部構造と、現在の戦力配置が手書きで詳細に記されていた。
「……これは」
「城内の状況です。……現在、城の防衛は『土の使い』ノンナが一人で支えています。彼女は結界の維持と城の補強に魔力を割いており、攻撃に転じる余力はほとんどありません」
チルノーヤは淡々と説明しながら、時折、二人の表情を窺った。
「また、ガリロルザ王ですが……彼も限界に近いでしょう。現在は廃屋の一角で、兵士たちとともに休息を取っているのを確認しました。ですが、これまで数万ものバルゴゾーンを肉弾戦のみで粉砕し続けてきたため、その肉体はすでに疲弊しきっている。戦場では計り知れない士気と勇猛さを兼ね備えていますが、それはもはや気力だけで立っている状態でしょう。王を狙おうと考えるならば、絶好の機会でしょう。王が倒れれば、前線で戦う者たちの士気は崩壊します。そうなれば、バルゴゾーンも一気に城へ雪崩れ込ませることが可能でしょう」
「……ガリロルザ王の無力化は願ってもないことですが、なぜ、そこまで詳しく知っているのです」
ヒナが目尻をつり上げながら、チルノーヤに詰め寄った。
ガリロルザ王の状況は分かったとしても、王城の内部は結界によって閉ざされている。外部からの探知など、不可能なはずだった。
「隠密こそ、私の専門分野ですので」
チルノーヤはそれ以上を語らず、にこやかにヒナを見つめた。どこか愛おしむような、優しい瞳だった。
「現在、状況は極めて我々に有利です。未だ、ガリロルザ国の惨状は他国に知られていない。それも、この国を外界から遮断している結界──『虚空の檻』のおかげ。あれを展開し、維持しているのは、我らが魔操使殿ですからね。内部の情報は筒抜けですよ」
「……そうですか。あなた方も随分と趣味が悪い。あんな兵器を作り出して、何が楽しいのですか」
「おや、心外ですね。一緒にしないでいただきたい。……魔操使殿の悪趣味には、私もいささか辟易しておりますよ」
チルノーヤは肩をすくめ、やれやれと首を振った。
「だが、肝心の『七光玉』はどうした。宝物庫の位置が分からなければ、攻めたところで意味がねえ」
「残念ながら、それは未だに不明です」
チルノーヤは王城の内部構造図を指さし、指先でその上をなぞっていく。
「現在、城のエントランスには多くの避難民が集まっています。逆に言えば、それ以外の場所はもぬけの殻です。隅々まで探索しましたが、それらしい部屋は見当たりませんでした。……王族だけが知る隠し部屋が存在するのか、あるいは王自身が所持しているのか。いずれにせよ、最終的には城を制圧し、古文の調査や王を尋問する他ありませんね」
チルノーヤは地図から指を離し、薄い笑みを浮かべた。
「彼らの降伏を狙いたいところですが、意志もプライドも強い獣人たちにとって、その選択肢は、正直ないも同然でしょう。きっと彼らは、死ぬまで抗い続けますよ。それだけは、お伝えしておきます」
「……そうですか」
「……フン。相変わらず、コソ泥みてえな真似が得意だな、てめえは。夜魔将官第九位ごときが、ここまでやるとは」
バリオンは皮肉っぽく言ったが、その情報の価値は認めていた。
「目立たず、騒がず、裏方として舞台を整える……。それが私の性分ですから」
チルノーヤは、にこやかな笑みを浮かべた。
「私は引き続き、裏方としてお二方を支援いたしましょう」
「……信用できるのですか?」
ヒナが疑いの眼差しを向ける。
「信用など必要ありませんよ、ヒナ様。……私は、私の目的のために動いているだけですから。貴女方が暴れてくだされば、それだけ私の仕事も楽になる」
「……ですが、あくまで任務のための一時的な協力関係です。いいですね」
「おお、冷たい。まあ、それで構いませんよ」
赤子だった頃は、あれほど愛らしかったというのに。
チルノーヤは、冷たく非情な人間へと変わってしまったヒナをどこか寂しげに見つめた。
「……そうそう。最後にもう一つ、面白い情報があります」
チルノーヤは、もったいぶるように一呼吸置いた。
「魔操使殿からの報告ですが、ガリロルザ国から逃亡した兵士らが、南にあるナドラナ町から、数多くの義勇軍連れてこちらへ向かっています」
「……義勇軍? なんだ、知らない間に、この国から逃げ延びた奴らがいたんだな。まあ、雑魚が何匹来ようが関係ねえ」
「ええ。大半は有象無象です。……ですが、その中に一組だけ、無視できない存在が混ざっています」
チルノーヤの瞳が妖しく輝く。
そして、バリオンに不気味な笑みを向けた。
「『青嵐の翼』という一つのギルド。……そして、その一員である白髪の少女」
「それがどうした」
「彼女こそが、古より魔族の宿敵と伝承されてきた存在──『光の子』です」
「ッ……!?」
その言葉を聞いた瞬間、バリオンの表情が一変した。
「……『光の子』、だと……?」
バリオンの口元が、ゆっくりと大きく歪んでいく。
「大魔王様から逃げ延びたという、あいつが……! まさか、向こうから俺の前に現れるとはな……ッ!」
バリオンの髪が、再び業火となって燃え上がった。
大魔王様の憎き宿敵。その存在を自らの手で葬り去る機会が巡ってきたのだ。
「ククッ……ハハハハハ! 面白え、最高だぜぇッ! 七光玉も、『不朽の栄光』も、もうどうでもいいッ! まずは俺が、そいつを殺してやる……ッ!」
興奮に打ち震えるバリオンを、チルノーヤは満足げに見つめていた。
あとは、混沌の劇場が幕を開けるのを待つだけだった。




