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「どういうことだ……ッ!」
ナドラナ町、冒険者ギルド。その片隅にある医務室は、真夜中を過ぎても煌々と灯りがともったままだった。重苦しい空気が立ち込める中、顔面を蒼白にした獣人──レオナルドが、両手で激しく机を叩きつけた。
「なぜ……なぜ、ナドラナ町の魔法通信すら繋がらない……!?」
「わ、私にも分かりかねます……。このような現象は、過去に例がありません」
「クソッ!」
レオナルドは机に突っ伏し、奥歯を噛み鳴らしながら大きく息を吐いた。
「……ナドラナなら、魔法通信で他国へ応援要請をかけられると考えていたのに……! なぜ、ここまできて通信が遮断されている……!」
「もしかすると、敵側もこちらの通信網を把握し、意図的に妨害しているのでは……」
レオナルドの隣で眉をひそめながら、馴染みのある受付嬢が冷静な声で呟いた。
目の前の机には、他国と繋がるはずの魔法通信道具が置かれていた。豪奢な土台の上部に埋め込まれた魔石は、本来なら一定の光を放つはずが、未だ不規則な明滅を繰り返し、通信を繋げずにいた。
「本当に……このまま我々だけで、あの化け物たちを相手にしなければいけないのか……! かといって、伝令を走らせて他国へ向かう猶予など……」
焦燥に駆られるレオナルドの言葉を遮るように、医務室の扉がノックされ、ゆっくりと開かれた。武装した獣人の兵士が一人、レオナルドの御前で片膝をつく。
「レオナルド団長。食材および、戦闘における武器資材の馬車への積み込みが完了致しました。いつでも出陣できる状態にあります」
「……そうか。ご苦労」
兵士は深く敬礼し、部屋から退出していく。
「……本当に、我々だけでガリロルザ国を守り切れるのか」
「団長。我々は誇り高き獣人族ですぞ。魔族ごときに蹂躙されて心を折るような、柔な種族ではありませぬ! 我々ならば、必ずや勝利を掴むことができます!」
「その通りだ! 我々の堅牢な盾を砕ける者など、いるはずがない!」
同席していた兵士たちが、血の気をたぎらせながらレオナルドに檄を飛ばす。
「……違いない。指揮官たる私が弱気になっては、士気に関わるな。諸君らの言葉、しかと受け止めよう。我々は誇り高き獣人族、己の国すら守れぬなどあってはならん」
レオナルドは頭を振り、心の内に巣食う雑念を吹き飛ばすと、鋭い眼差しを前方に向けた。
「弱音はここまでだ。作戦を練ろう。諸君らも耳を傾けてくれ」
「ハッ!」
落ち着きを取り戻したレオナルドは、明滅を続ける魔法通信道具の上に手を置いた。
「見ての通り、魔法通信は完全に無効化され、他国への応援は絶たれた状態だ。我々ガリロルザの民だけで、あの強大な大魔王軍に立ち向かい、打ち倒さなければならぬ」
「しかし、未だ不明なのは奴らの『侵攻理由』ですな」
「その通りだ。ここで一度、忌々しき魔族どもの情報についてまとめるぞ」
レオナルドは一尺ほどの羊皮紙を広げると、インクをつけたクイルで素早く文字を連ね始めた。
「まず、今回我が国に侵攻してきたのは、正体不明の軍隊だ。エルフやドワーフ、獣人、人間のような風貌をしていながら、その肉体に異質な武器や機構を携帯している、気味の悪い連中だ。だが、その裏で四神魔界王バリオンが首領として動いている以上、これを仕掛けてきたのは『大魔王軍』と見て間違いないだろう」
「ええ。大魔王軍は他の魔王軍とは異なり、地上で最も活発に活動していますからね。その前線拠点も、地上に多く点在しています」
「そうだ。魔王バリオンも、正式な許可なく我がガリロルザ領に基地を置き、軍事勢力を拡大し続けてきた。これは我が国の議会でも常に火種となってきた問題だ。奴らは、ガリロルザ領を侵す気をもはや隠そうともしていない」
「しかし、それがなぜ『今』なのですか。大魔王軍は、グランディール国への侵略に失敗して以降、長らく沈黙を守っていたはず。突然ガリロルザを強襲して、何になるというのです……?」
「その理由など、征服以外考えられないでしょう! 魔族はグランドシオルを完全に征服し、魔族社会を創り上げたいだけですぞ!」
「そうです。前回攻め入ったグランディール国は、世界一の大国。流石の大魔王軍にとっても強大すぎたのですよ。だからこそ侵略は失敗に終わり、今回は相対的に組みしやすいガリロルザへと狙いを変えて攻め入ってきた。それだけのことに過ぎません!」
「舐められたものを……!」
兵士たちが魔族に対する嫌悪感を隠そうともせず、一方的な物言いでレオナルドを見つめた。
言いたいことは分かっている。
魔族は敵。それは世界における周知の事実だ。
しかし、仮に国を一つ滅ぼしたとして、大魔王軍に何の得があるというのか。後々、他国の反感と結託を招き、自らの首を絞めるだけではないのか。
「……単なる征服とは別の、何か大きな理由があるんじゃないでしょうか」
これまで傍聴していた受付嬢が、両手を胸の前で合わせながら憂いを帯びた声で割り込んだ。
レオナルドは文字を書き記していたクイルを止め、彼女へ視線を向ける。
「と、いうと?」
「ギルドに蓄積された過去のデータによれば、大魔王軍は他とは違い、常に明確な目的と打算を持って軍を動かします。も、もちろん、征服も目的にはあると思いますよ。しかし、……征服そのものが目的ではない……そんな気がします。確証はありませんが」
「ふむ……」
「それに、あちらには今回、首領としてヒナ=ノーノンも参戦していると聞きました。それも、あまりに不可解だとは思いませんか」
受付嬢の発言は、レオナルドたちが無意識に目を背けていた核心へと静かに迫るものだった。
「ヒナ=ノーノン。元『天下の六柱』の一人。『不朽の栄光』に次ぐ羨望の的であった最強のギルドは、他でもない、そのヒナ自身の手によって凄惨な最期を迎えました。あの事件は、今では誰もが知る悲しき出来事です」
「……そう、だな。バジルも……さぞ無念だったろう」
レオナルドは医務室の隅に設えられたベッドへ視線を移した。
そこには、他のギルド職員と回復魔法使いの必死の看病を受けながら眠り続ける男──バジルの姿があった。巻き直されたばかりの包帯はすでに血痕で赤黒く滲み、回復魔法でも到底面倒見切れない状態だった。
「ヒナは人間でありながら魔族側へと寝返った、類を見ない異端者。それが今回、先陣を切って戦場に出陣している。ヒナの起用、正体不明の不気味な軍隊。そして、まるでそれに保険をかけるかのように後方に控える魔王バリオンの存在。……単なる領土侵略にしては、あまりにも布陣が『歪』すぎます」
「言われてみれば、確かにそうですな。征服が目的なら、出し惜しみなどせずに全軍で蹂躙すればいいはず。奴らは、我々を追い詰めながらも、どこか手加減をしているような、時間を稼いでいるような素振りすら見受けられます」
「不可解だな……。大魔王は何を……」
結局のところ、敵軍側の意図が読み取れない以上、レオナルドたちにできるのは、一刻も早く防衛線を立て直し、侵攻を食い止めることだけだ。
「ひとまず、我々は大魔王軍の侵攻をナドラナで死守する。それだけだ。各部隊の配置だが──」
「まて」
レオナルドが指示を出そうとしたその時、威圧的な声が響いた。
全員の視線が一斉に、部屋の片隅へと突き刺さる。
「……なんだ」
それは、壁にもたれかかりながら、まるで他人事のように耳を傾けるバンパーの姿だった。
「バンパー町長。一応、客人を前にしているのですから、態度は少し改めたほうがいいかと……」
受付嬢が顔を引きつらせる。
「うるせえ。俺は町長として、話を聞いてただけだ。国の滅亡なんざ、黙っちゃいられねえだろ。せっかく、町長なんて柄じゃねえ椅子に座ってんだからな」
「え、ええ……」
バンパーの鋭い視線はレオナルド一点に結ばれるが、やがて力なくため息をつく。
「国の危機。そりゃ、手は貸してやる。国がなくなりゃ、俺達も生きていけねえからな」
「何か、不満が?」
いつまで経っても横柄な態度に、獣人の兵士たちも黙っていられなくなった。
「貴様! 町長といえど、目前におられるのはガリロルザ近衛師団長だぞッ!? 態度を改めろ!」
「はんっ、獣人は口より先に吠えるのが好きなようだな。話くらい最後まで聞いたらどうだ」
「な、なんだとぉ……!」
「落ち着け。私はいい。ひとまず、バンパー殿の話を聞こう」
レオナルドは苛立つ兵士を手で制す。
「こういう作戦会議は、まず信頼できるやつでやるべきだ。そうだろ」
「なんだ。バンパー殿は、信頼できる存在と見ている。それとも、我々が信用ならないか」
「違う。俺はずっと見ていた。お前だ、お前」
「………」
バンパーが顎でしゃくった先──それは、バジルが横たわるベッドの片隅だった。
フードを深く被り、顔を隠す一人の女性。冒険者ギルド大魔法協会が公認した回復魔法使いだけが羽織る事を許される上質なローブを着用し、バジルの治療に当たっていた人物だ。
「お前、さっきからその男を治療しているように見せて、全然魔力を通してねえよな。むしろ、こちらの会話の様子を伺う素振りすらある。誰だ、てめえ。ナドラナ町に滞在する回復魔法使いなんざ、名簿を見りゃ一目瞭然だぞ。俺は、お前なんて奴を見たことねえ。なんたって、回復魔法使いは貴重だ。この町には両手で数えるくらいしかいねえからな」
「…………」
針のような視線が、その女一人に集まる。
すると女性は顔をゆっくりと上げ、まるで感情が読み取れない無の表情で、バンパーを見る。
「凄いね。君、戦士でしょ。魔力持たざる者が、感覚だけで魔法の偽装を見破るなんて」
冷静沈着で、淡々とした声だった。
女性はゆっくりと立ち上がると、羽織っていたローブを床に滑り落とす。
現れたのは、薄桜色の長い髪を複雑に編み込んだ、華奢な少女のような姿だった。
しかし、その身を包んでいるのは、身体のラインが露わになるほどタイトに密着した、色鮮やかなコンバットスーツである。軽量の装甲が施され、明らかに隠密や戦闘に特化した異質な出立ちだった。そして何より、精巧な作り物のように端整な顔立ち。後から嵌め込まれたかのような紫の瞳は、生命の温もりを一切感じさせない。
「別に、君たちに何かをしようとか、そんなことはしない。私は、君たちの敵にはならない」
「な、何者だ!?」
兵士たちが一斉に武器に手をかけ、レオナルドも腰の剣を半ば引き抜く。
「私……。名前を名乗っていい命令は出されてない。申し訳ありません」
すると、彼女の紫の瞳が怪しく明滅し始めた。
「ガリロルザ国情勢、および大魔王軍の詳細記録。恐らく、『魔操使』も関係しています」
彼女は静かに見えぬ誰かと会話するように、淡々と言葉を紡ぐ。やがて踵を返すと、バンパーたちを歯牙にもかけず、そのまま窓辺へと向かう。
「逃がすかッ!」
バンパーがいち早く大剣を引き抜いて投げつけるが、彼女は振り返りもせずに、ただ首をわずかに傾けただけでその凶刃を避けた。
「なんだと……!」
「あいにく、私に戦闘許可は出ていない。そして、危害を加えてはならないと申し付けられています。よかったですね」
「くっ……」
「……でも、一つだけ忠告します」
夜風に薄桜色の髪を揺らしながら、彼女は初めて、眉をひそめて表情を変えた。
「心を無にすること。あれはもう、ただの『動く兵器』だから」
「なんだと……?」
「あと、その男」
彼女はベットで眠るバジルに視線を変える。
「彼の様態はかなり悪いですが、数週間もすれば目覚めるでしょう。その時は、適度なウォーキング等でのリハビリを推奨します」
「なっ……」
「失礼します。精々、足掻いて。ヤツの、新たな『素材』になることだけは、どうか避けて」
彼女はそれだけを言い残すと、開け放たれた窓から、夜の闇へと音もなく消えていった。
「バンパー殿。……貴殿の目利きに感謝する」
「気休めはよせ。結局、逃したことには変わりねえ」
バンパーは頭を掻きむしりながら、窓の外の暗闇を睨みつけた。
「それにしても、厄介なことになりやがったな」
「どうやらこの戦争は、思ったより多くの不明組織が関わっているようだ……」
不穏な空気の中、会議を終えたのだった。
そして、運命の日の朝。
ナドラナの中央広場には、悲壮な決意を秘めた数百人の冒険者たちが集結していた。彼らは皆、ガリロルザからの救援要請に応え、命を賭して戦うことを選んだ義勇兵たちだ。
広場の中央に設営された壇上には、一人の男が立っていた。ガリロルザ国近衛師団長──レオナルド。あの瀕死の状態からは幾分か顔色が回復しているものの、失われた左腕の袖は虚しく風に揺れ、全身に巻かれた包帯からは痛々しさが滲んでいた。しかし、その双眸に宿る光は、精悍に燃え盛っていた。
レオナルドは残された右腕を胸に当て、数百の冒険者たちを見渡す。
「……感謝する。これほどの勇士が、我らの声に応じ、集まってくれるとは……!」
レオナルドはその巨躯を折り曲げ、深く頭を下げた。種族や身分の垣根を超えた、純粋な感謝と敬意が込められていた。
「──────諸君ッ!」
やがて、広場が静まり返り、風の音さえも遠慮するような静寂の中、レオナルドが顔を上げ、腹の底から重厚な声を張り上げた。
「現在、我が国ガリロルザは、存亡の機にある! 正体不明の軍勢、そして、魔王の侵攻により、誇り高き獣人の盾は砕かれようとしている!」
レオナルドの悲痛かつ勇敢な叫びが、冒険者たちの鼓膜を震わせる。
「国が堕ちれば、ノリマルンナを含めたガリロルザ領は侵略され、我々は生きる場所を失うだろう。だが、今日は国を守るため、これほど多くの義勇兵が集まってくれた! ガリロルザまでは、馬車で四日の道程だ。その間の食料、物資、そして移動手段は全て我が国が負担する。……どうか、力を貸してくれ! 我が祖国を、民を、理不尽な侵攻から救うために、君たちの剣と魔法を貸してほしいッ!」
レオナルドの魂の演説に応えるように、冒険者たちから力強い鬨の声が上がった。
広場には、軍用と思われる十数台の大型馬車が列をなして待機していた。
冒険者たちは隊列を組み、それぞれの馬車へと分乗を開始する。
ツルカたち『青嵐の翼』の四人も、指定された馬車へと乗り込んだ。
「……いよいよだな」
ジンが板張りの座席に腰を下ろし、鞘に収められた大剣を強く握りしめながら呟いた。
「俺たちは別に、化け物と戦うわけじゃねえ。雑兵を減らして、避難民の道を作る。それならBランクでも役目はある」
「……うん」
ツルカも短く応じ、隣に座るナユの手をそっと握った。ナユの手は冷たかったが、ナユは意を決したようにツルカの手を握り返す。
御者が手綱を振るい、鞭の音が空気を裂く。車輪が重々しく軋みながら回転を始め、馬車の列がゆっくりと動き出した。
ナドラナの町の出口へと続く街道沿いには、早朝にもかかわらず、多くの住民が見送りに来ていた。馬車の列に向かって手を合わせ、涙を流しながら戦場へ向かう冒険者たちの無事を祈っている。
その人垣の中に、ツルカは見覚えのある顔を見つけた。
以前、クッキーをくれた菓子店の店主が、エプロンで目元を拭っている。
酒場の店員が、心配そうに眉を下げてこちらを見ている。
そして、ギルドの受付嬢が必死に笑顔を取り繕うとしながらも、その目から涙を溢れさせて大きく手を振っていた。
「許さない……絶対に、魔族の好き勝手させない」
ツルカは窓から身を乗り出し、遥か北の空──戦火に包まれたガリロルザの方角を見据えた。
こうして、『青嵐の翼』を含む義勇軍を乗せた車列は、朝霧の中を北へと進んでいった。




