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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ガリロルザ 編

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62/85

6

 バジルが床に崩れ落ちた直後、ギルド職員と衛兵が駆け寄り、バジルを担架に乗せて医療室へと搬送していった。

 その時、開け放たれたままの扉から新たな人影がよろめきながら現れた。


「……誰か、聞いてくれ……」


 その声は掠れ、疲労の色が濃くこびり付いていた。

 現れたのはガリロルザ国の正規兵装を纏った、立派な鬣を持つ屈強な獣人であった。

 だが、その姿は無残だった。鎧は半壊し、何より左肩から先が失われており、止血の包帯が赤黒く染まっていた。


「私は……ガリロルザ国近衛師団長を務める、レオナルド=バノクーラ……」


 獣人の男──レオナルドは、残された右腕で柱を支えながら、ギルド内の冒険者たちを見渡した。


「現在、我が国は……未曾有の侵攻を受けている」


 レオナルドは、一言一句を絞り出すように告げた。


「敵は、正体不明の鋼鉄人形の軍勢。……それを率いるのは、かつて『天下の六柱』と呼ばれた『漆黒の女王』ヒナ=ノーノン」

「ヒナ……ノーノン!?」

「あの裏切り者って言われている……!」


 冒険者の間に、ざわめきが走る。


「ヒナさんって、昔とんでもない事件を起こしたって……」

「ああ、まさか、それが……」


 ナユが眉をひそめたその時、焦燥に駆られたかのようにレオナルドが右腕で柱を殴りつける。


「しかし……それだけではなかった……ッ!」


 レオナルドは一度言葉を切り、絶望を噛みしめるように目を閉じた。

 

「……大魔王グレイ直属の配下、四神魔界王の一人……『炎の使い』バリオンが……裏には存在していた……ッ」

「四神……」

「魔界王……!?」



 その名が告げられた瞬間、ギルド内の空気が極寒へと移り変わった。

『四神魔界王』。それは、国家を一瞬にして灰燼に帰す力を持つ、地上界にとって薬剤と言ってもいい代名詞だ。


「嘘だろ……! 大魔王ちょくぞって言われてる魔王だよな……!」

「なんでなのよ……! ここ最近、魔界の侵攻は全然ないって聞いてたわよ! 今さらになって……」

「十年前のグランディール侵攻以来、沈黙を守っていた魔界が、なんで俺たちの国を襲い始めたんだ!」


 冒険者の不安に駆られた叫びがギルドを満たしていく。

 魔族はここ数年、地上界へ大きな侵攻はするこなく、沈黙を守っていたようだ。それが今になって、なぜ暴れ始めたのか。


「……ッ!」


 ツルカの瞳が、驚愕と警戒で大きく見開かれる。

 

《バリオン。大魔王グレイに忠誠を誓う最高幹部『四神魔界王』の一角にして、『炎』の権能を司る魔王。その力は単体で一国を焦土と化す戦略兵器に匹敵します。……人間が到底相手できる相手ではありません》


 ツルカは無意識のうちに拳を握りしめ、魔族の侵攻に苛立った。個人の感情はともかく、この平和な世界を侵略する魔族を許せない。


「……王都は完全に包囲され、陥落は時間の問題かと思われた。……だが……!」


 レオナルドが顔を上げ、瞳に希望の光を宿す。


「我らが王、『武道覇者』ガリロルザ様が前線に立ち、敵の猛攻を食い止めているッ! さらに……援軍として駆けつけた『不朽の栄光』のメンバー、『土の使い』ノンナ殿の助力により、辛うじて戦線は拮抗している状態だ!」


『不朽の栄光』の名が出た瞬間、場がどよめいた。世界最強のギルドがすでに動いている。それは、絶望に沈んでいた冒険者たちに少なからず勇気を与えた。


「しかし、敵の数は膨大だ。鋼鉄の人形どもは痛みを知らず、無限に湧いてくる……。王とノンナ殿が敵を抑えている間に、雑兵を掃討し、戦況を覆す数が必要なのだ」

「だ、だがどうしてだ! そんな規模の戦争なら他の国が黙ってないだろ! 誰も助けに来てくれなかったってのか」


 冒険者の一人が疑問を突き掛ける。

 確かにその規模の戦争ならば、他国も異変を察知するはずだ。


「それは王国を覆う、謎の結界により……情報を遮断されてるせいだ……。まるで……内部の情報を包み込むかのような……壁だ。それにより、魔法通信さえもできない……最悪の状況だった……。おおよそ、三週間だ」

「な……」


 何も知らずに三週間という長い期間、平穏な世界の片隅で、ガリロルザ国は魔王らと戦い続けたというのか。


「三週間……。我々は孤独な戦いを続けている。拮抗状態ではあるが……それは敵側の作戦によるものだろう……。明らかに手加減されているような……感覚だ。まるで我々で遊んでいるかのような……それとも、全滅させる気はないのか……もどかしいが、よく私にもわからぬ」


 レオナルドは爪が掌に食いこむほどに拳を握り、滴る血液に意にも介さず、虚空を見上げた。


「我々は、その惨状からなんとか逃げてきた……! この惨状を伝えるため、ガリロルザ国から一番近い、この町に。もう、他国などに助けを乞う猶予はない……。ここで戦士を集め、我が国に向かわなければ……いずれ……」


 レオナルドは、深々と頭を下げた。一国の師団長が、見苦しくも庶民に跪く。


「我々はしばしの休養後、再びガリロルザへと応戦へ向かう。……頼む。……力を貸してくれ。我々と共に戦ってくれる勇気ある者は、二日後、この町の中央広場に集まってほしい。……報酬と名誉は、我が王の名において確約する。だが……生きて帰れる保証は、ない」


 レオナルドは顔を上げ、血走った目で一同を見据える。


「……待っている」


 それだけを言い残し、レオナルドはよろめく足取りで、片隅にある医療室の方角へと消えていった。

 残されたギルド内には、鉛のように重い沈黙が広がっていた。誰もが視線を落とし、震える手で拳を握りしめている。

 冒険者。それは国や、弱き庶民のために依頼をこなす勇敢なる存在。しかし、国家規模の戦争、それも魔王が相手となれば、それはただの自殺行為に近い。


「……帰るぞ」


 ジンが短く告げ、踵を返した。

 四人は無言のままギルドを出て、ギルドハウスへと戻った。

 夜まで、各自は無言の時を過ごした。

 ジンは一人でふて寝し、ナユは落ち着かない様子で魔導書を紡ぐ。マリナに至っては一度別れた後、夜までギルドハウスに戻ってこなかった。

 その夜、いつもの温かな夕食の席には、鉛を飲み込んだような重苦しい空気が漂っていた。カトラリーが皿に当たる質素な音だけが響き、誰も口を開こうとしない。ナユが作った自慢の料理も、今日ばかりは砂を噛むような味気なさを感じさせていた。

 しかしツルカは、半分も減っていない皿を見つめながら、決然と口を開いた。


「……僕、行くよ」

「はぁ!?」


 その一言で、張り詰めていた空気が弾け飛んだ。

 思わずジンが椅子を蹴って立ち上がる。


「お前、正気か!? 相手は伝説上の……あの、『四神魔界王』だぞ!? 国一つを相手にする戦争だ! 俺たちみたいな……昇格したばかりのBランク風情が足を踏み入れていい場所じゃねえ!」

「……ジンの言う通りだよ、ツルカちゃん」


 ジンの言葉を受け、俯いていたナユが、顔面を蒼白に染めながら、震える唇を開いた。


「『四神魔界王』……。それは、単なる魔王じゃない。大魔王によって力と地位を与えられた……大魔王軍の最高戦力であり、『神』に等しい存在なの」


 ナユの言葉に、ジンとマリナが息を呑む。


「このグランドシオルを創造した大いなる母。それを統治することを任された、母の子である四柱の神々……炎、水・氷、風、土の女神。伝説では、その女神様の力そのものを奪い取り、顕現したのが、四神魔界王だと言われているわ。あくまで、伝説ね……」

「神の……力……?」

「うん。だから四神魔界王は、魔法という理を超越した、純粋な『現象』を操る。……人間がどれだけ修行を積んでも到達できない……、そう、属性っていう概念を操るかのような存在だよ」

「そんなのを冒険者が相手だなんて……。Sランク冒険者ならともかく……いや、それでも単独での討伐はきっと不可能。不朽の栄光でも、太刀打ちできるか……それくらい強い魔族」

「そんな相手に、私たちが……勝てるわけがないよ……」


 ナユの声が消え入るように小さくなる。

 重苦しい沈黙が、食卓を支配した。


「なら、その上の大魔王はお話にならねえってことだな……」

「うん……。もはや、人類が相手できるわけないんだよ……」

「しかしよ、一体魔族は何を考えているんだ。いきなり、ガリロルザ国を攻め落とそうなんざ……」

「でも、地上との戦争は膠着していただけでしょ……。いつ暴れたっておかしくないし……」

「……大魔王グレイ。なぜ、魔界を統べる『大魔王軍』だけが、執拗に地上を襲うんだろう」

「確かにね……。他の魔王軍による地上侵略は、稀にしか聞かないよね」


 考えても出てこない答え。魔族の考えることなど、人間に理解できるはずもなかった。


「……どちらにしても、行かなきゃいけない」


 しかしツルカは、真っ直ぐに三人を見返す。その碧眼に迷いはなかった。


「何度も言うけど……僕には、記憶がない。自分が何者かも分からない。でも、心に残ってる『約束』があるんだ」


 ツルカは胸に手を当てる。

 そこには、マリアネから託された力と思いが静かに脈打っていた。


「……ある人がいたんだ。僕を暗闇から救い出してくれて、この世界を誰よりも愛していた人。……その人は、誰もが笑って暮らせる平和を望んでいた。……それなのに、あいつらが……魔王たちが、その想いを踏みにじろうとしてる」


 ツルカの脳裏に、マリアネの寂しげな笑顔が浮かぶ。


「これは僕の勝手な事情だよ。……だから、みんなはここにいていい」


 ツルカは、ジン、マリナ、ナユの顔を順に見つめ、意を決して告げた。

 仲間を信じていないわけではない。ただ、今回ばかりは無責任な発言はできない。


「僕一人で行くよ。……みんなを、死なせたくないから」


 そう言って、ツルカは席を立とうとしたその瞬間、ジンの拳がテーブルに叩きつけられた。


「……ふざけんな」


 ジンは震える手でテーブルの端を握りしめていた。

 凄まじい葛藤がそこにはあった。

 行ってはいけない。関わってはいけない。

 相手は古来より人類の敵、天災ごとき魔王だ。

 行けば死ぬ。確実に死ぬ。

 自分たちはまだ、ようやくBランクに手が届いたばかりの凡庸な冒険者に過ぎないのだから。

 ここでツルカを見送れば、自分たちは助かる。平穏な日常に戻れる。

 だが─────


「……一人で行かせるわけ、ねえだろ……」


 ジンは顔を歪め、恐怖で頭がどうにかなりそうだった。


「怖いさ……っ。当たり前だろ。足が震えて止まらねえよ。……だけどな、ここで『はいそうですか』って見送って……もし後で、お前が死んだなんて聞かされたら、俺は一生、のうのうと生きた自分を呪うことになる……仲間を見殺しにしたことに……なる」


 ジンは顔を上げ、ツルカを睨みつけた。その満面には、かつてない確固たる決意が込められていた。


「仲間が命懸けで行くって言ってんのに、尻尾巻いて逃げるような奴が……リーダーなんて名乗れるかよッ! 俺たちは『青嵐の翼』だ! 死ぬ時も一緒じゃなきゃ、チーム組んだ意味がねえだろうがッ! それが、『冒険者』ってやつだろ!?」

「……なら私も、行く」


 マリナが静かに立ち上がり、大きく息を呑んだ。微かに手が震えているが、表情は努めて晴れやかだった。


「正直、足手まといになる確率の方が高いかも。……でも、ツルカちゃんの背中を守るくらいはできるはず。仲間を一人で行かせて自分だけ安全圏にいるなんて、嫌だから……!」

「わ、わわわ私も……!」


 ナユも涙目で立ち上がり、恐怖で顔色は蒼白にしながらも、その瞳には強い意志が宿っていた。


「怖いけど……でも、ツルカちゃんがいなくなる方がもっとイヤ! 私、もっと強くなるって決めたもん! 少しでも……ツルカちゃんの力になりたい!」


 三人の想いが言葉となって、ツルカの胸を打つ。

 ジンたちは、まだ自分たちが無力であることをしっかりと自覚していた。それでもなお、仲間のために死地へ踏み込むことを選んだのだ。

 これが、仲間。計算や損得を超えた、魂の結びつきだった。


《これが、生きることをやめない、諦めの悪い人間ですよ、マスター》

「……みんな……」


 ツルカは唇を噛み締め、溢れそうになる涙をこらえた。

 わがままだ。そんなわがままを仲間は受け入れようとしている。命すら天秤にかかっているというのに。

 

「……ありがとう……分かった! 一緒に行こう、僕たち『青嵐の翼』で……!」


 ツルカは深く頷き、三人に向けて拳を突き出した。そして、互いに拳を突き合わせ、決断した。死にに行くのではない。生き残るために、冒険者として人々を守るために行くのだ。

 ────その翌日、ナドラナの町は早朝から異様な熱気に包まれていたが、『青嵐の翼』の面々はその喧騒を他所に、粛々と準備に奔走していた。先日昇格したばかりのBランク報酬や、これまでの冒険で蓄えた全財産を惜しげもなく放出していく。

 武具店では、ジンが装備や愛剣のメンテナンス用品に加え、予備の短剣を複数購入していた。金貨が減ることへの未練など微塵もなく、ただ己と仲間の命を繋ぐための戦士の顔が、そこにはあった。

 マリナは矢師の元を訪れ、通常の矢のみならず、ミスリル合金製の貫通矢など限界まで買い込んでいた。矢筒に入りきらない分は、布に包んで背嚢に詰め込む。

 ナユは魔道具店にて、普段ならばショーケース越しに眺めることしか叶わなかった最高級の魔力回復薬や、即効性の治癒薬を棚の端から端まで指差して購入していた。

 全ては、生き残るため。そして、勝ち残るために。死地へ赴くための備えを万全にした皆の背中には、もはや迷いなど存在しなかった。

 前日の夜。

 ジンが夜遅くまで剣を磨くが、その手元はいつまでたっても震えていた。

 ナユは怖くて眠れず、気を紛らわせるかのように魔導書を開く。

 マリナは矢を一本ずつ確認し、手入れを怠らなかった。


(……寝れないな)


 ナユが魔導書を開く隣で、ツルカは静かにマリアネを思い出していた。

 あの悲劇を二度と繰り返さない。大切なものを奪われたりはしない。


《おそらく……仲間の生存確率は低い。マスター、心の準備だけは……》


 本当は置いていきたい。でも、仲間の覚悟を踏みにじることもできない。

 アイナの静かな呟きに、ツルカは不安に駆られながらいつの間にか眠りについていた。

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