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グランドシオルの中心部から遥か彼方、絶海を越えた先に存在する東の大陸。
その最北端に位置するノリマルンナ地方は、年中吹き荒れる寒風から守られるように、険峻な山脈に閉ざされている。その天然の要塞とも言うべき盆地の中央に、獣人族が誇る大国『ガリロルザ』は存在した。
屈強な種族性を象徴するように、巨石を積み上げて築かれた堅牢な城壁が都市を幾重にも囲い込み、内側には多種多様な種族が共生する広大な城下町が広がっている。
その最奥、山脈の岩肌を削り出して建造された王城は、大陸を見下ろす巨人のごとき威容を誇っていた。
しかし、本来であれば獣人たちの豪快な活気に満ちているはずのその都は、今、焦熱の地獄へと変貌を遂げていた。
町の至る所から立ち上る黒煙が蒼穹を汚し、美しい石畳の街並みは無残な瓦礫の山へと帰している。
地上を蹂躙するのは、見るもおぞましい出所不明の異質な軍勢であった。
ある者は長い耳を持つエルフ、ある者は剛毛に覆われた獣人、そしてある者はごく平凡な人間。だが、その瞳に光はなく、四肢は無慈悲に切断され、代わりに回転鋸や魔導砲といった殺戮機構が埋め込まれており、生体反応のみを標的として惨殺している。
ガリロルザの屈強な兵士たちでさえ、痛みを知らずに特攻する未知の軍勢に対し、決死の防衛戦を強いられていた。
それが夜魔将官第三位『魔操使』が製造した殺戮特化型魔法道具人形兵器──『バルゴゾーン』であるという真実は、この場においては侵略者側のみが知る秘匿事項であった。
そして、その混沌の深部。
王城へと続く大通りの中央広場にて、周囲の戦いとは次元を異にする、翠緑の暴風と、底知れない闇が、激しく拮抗する。
一方は、身の丈を超える巨大な戦鎌を振るう青年だ。
逆巻く風に亜麻色の髪を乱舞させ、その翡翠の瞳には悲痛な決意が宿っている。
身に纏うのは、全身を覆うほどの丈がある深い緑色の長大なケープ。暴風の中で激しく翻るその姿は、まさに『嵐』そのものを体現しているかのようだった。ケープの下には機動性を極限まで追求した黒の軽装戦闘服を着用し、要所には魔石を埋め込んだプロテクターが鈍く輝いている。
対するは、戦場に咲く毒花のごとき少女。
葡萄酒を彷彿とさせる赤紫の髪は腰まで届くほど長く、側頭部から丁寧に編み込まれた房が、後頭部で複雑な模様を描くように結い上げられている。その結び目には、黄金の装飾が煌びやかにあしらわれ、彼女が動くたびに髪飾りの小さな鈴が、戦場に小さく響き渡った。
フリルのついたジャボブラウスにミニスカート、分厚い黒革のロングコートを羽織ったその姿は、深窓の令嬢のようでありながら、支配者のごとき風格を漂わせていた。
「ふん……ッ!」
青年が戦鎌を一閃させるたび、空間そのものを断ち切るような真空の刃が生成され、石畳を紙片のように切り裂きながら、少女へと殺到する。
だが、少女は表情一つ変えず、指先を指揮棒のように軽く振るった。ただそれだけの動作で、彼女の足元から湧き上がった闇が障壁を形成し、青年が放った斬撃を飲み込み、無効化す?。
「……詠唱なしかよ! 相変わらずデタラメなやつだ……!」
青年はさらに魔力を練り上げた。
「お前、やっぱつえーよ。だけど、負けねえ」
青年もまた、熟練の魔法使いとして、『無詠唱』の技術は習得していた。だが、それは中級程度の魔法や、威力を抑えた牽制においてのみ可能な芸当だった。
しかし、目の前の少女は違う。
彼女は戦略級に匹敵する、高密度かつ複雑な魔法を呼吸をするかのような自然さで、一切の詠唱破棄にて行使する。構築速度、魔力容量、そして制御能力。その全てが、人間の領域を逸脱していた。
「……人間って、こんなにも強くなれるんだな……!」
「……人間……懐かしい響きですね。かつて、世間では人間かも疑わしいと言われていました」
少女の声は、戦場の喧騒の中でも鮮明に響いた。静かで、大人びていて、そして凍るように冷たい。
「……邪魔をするなら、ここで消えてもらいます」
少女の瞳が細められると同時に、周囲の空間が歪み、無数の黒い球体が出現した。
詠唱はない。予備動作すらない。ただ彼女がそうあれと願っただけで、世界が塗り替えられていく。
「くっ……!」
青年は即座に反応し、ケープを大きく翻しながら戦鎌を旋回させる。空気が圧縮されて彼を包み込むドームとなり、障壁としての役割を持った魔法が展開される。
「……ふん」
少女が人差し指を前に倒したと同時に、黒い球体が一斉に射出され、青年が展開した風の障壁に衝突する。伴って、突風が広場を蹂躙し、周囲の建物が根こそぎ倒壊し、瓦礫が木の葉のように舞い上がった。
「ヒナ、いい加減にしろ! お前は何を考えている!?」
砂嵐の中で、青年は少女──ヒナの名を叫んだ。
「俺たちは……まだ終わっちゃいないだろ! お前が何を抱えていようが、こんな……国一つ滅ぼすような真似をしていい理由にはならねえ!」
青年は喉が裂けんばかりに咆哮し、ヒナを睨み据える。
脳裏をよぎるのは、かつての記憶。『天下の六柱』として栄華を極めた日々。その中で、彼女は常に孤独だった。圧倒的な才覚を持ちながら、当初から仲間とも群れず、誰にも心を開かず、ただ任務を遂行する機械のように振る舞っていた少女だった。
そんな彼女を遠巻きに見守ることしかできなかった。『嵐の番人』などと呼ばれながら、最も近くにいた仲間の心の嵐に、気づいてやることさえできなかった。
そして起きた、あの『事件』。ギルドの崩壊。彼女の失踪。
後悔が、今も青年の胸を焼き続けていた。
もしあの時、一歩踏み込んでいれば。もしあの時、彼女の手を掴んでいれば。
「俺は……もう二度と、お前を一人にはさせねえ。だから戻ってこい、ヒナ=ノーノン!」
ヒナの指先がわずかに止まるが、その揺らぎは一呼吸にも満たず消えた。
「……バジル。あなたは間違っている……。私を助けようなど」
青年──元『天下の六柱』の一人、『嵐の番人』バジルは、戦鎌を振りかぶり、魔力を極限まで圧縮する。
「『風牙・断空』ッ!」
振り下ろされた刃から、目視不可能な真空の斬撃が放たれた。
それはヒナが咄嗟に展開した闇の障壁を一点突破し、ヒナの頬をかすめて背後の瓦礫を粉砕した。数本の髪が切り落とされ、儚く宙を舞っていく。
「なんで……なんでこんな事をする!」
「……理由、ですか」
ヒナは、頬に走った赤い線を指で拭い、それを無感情に見つめた。
バジルの悲痛な叫びも、傷の痛みも、ヒナの凍てついた心には届いていないようだった。
「任務を遂行するだけ。母のために……。それ以外の理由は不要です」
「母って……魔王のことか」
「………」
「……俺らはかつて、孤児だったな。本当の親の顔も知らない。だけど、幸せな家族ができた……と思ってた……」
「………」
「お前は……幸せになれていなかった。あの時、連れて行かれるお前を見捨てなければ……」
「関係ありません。母を侮辱するなら、許しませんよ」
ヒナの瞳に狂信的とも言える強い光が宿る。
「早く、私の前から消えなさい」
「ぬおっ!?」
ヒナが右手を軽く握り込むと、バジルの周囲の空間が重力崩壊を起こしたかのように歪曲した。不可視の圧力がバジルを四方八方から押し潰さんと迫る。
「こんなとこでくたばるかよ!」
バジルは瞬時の判断で戦鎌を地面に突き立てると、魔力を放出してありったけの風を内側から爆発させた。爆風に乗って脱出し、そのまま地面を転がる。
しかし、ヒナの指先が次なる旋律を奏でていた。
ヒナの背後より、またしても無数の闇の魔力弾が出現し、それはバジル目掛けて雨のように降り注ぐ。
「無茶苦茶な……!」
バジルは戦場を縦横無尽に駆け巡った。
着弾する魔力弾が地面を穿ち、爆ぜる。その爆風を背中で受け、加速する。一瞬の隙を突き、バジルはヒナの懐へと飛び込んだ。魔法使いの間合いではない、戦士の距離だ。
「捕らえたッ!」
戦鎌の柄を短く持ち直し、刃ではなく石突きでの打撃を繰り出す。
だが、ヒナは視線すら動かさず、左手で虚空を掴むような動作をすると、バジルの戦鎌が目に見えない何かに阻まれるように、空中で停止する。
「……無粋です」
「──────ぐふッ」
ヒナの冷徹な声と共に、バジルの腹部に衝撃が走った。至近距離で生成された魔力弾が炸裂したのだ。バジルの体は弾き飛ばされ、数軒の建物を貫通して瓦礫の山に埋もれた。
「がはッ……」
口から血を吐き出しながら、バジルは瓦礫を押しのけて立ち上がった。
煙が晴れるのを待たずして、瓦礫の陰から無機質な駆動音が響き渡った。数十体ものバルゴゾーンが、バジルの隙を突くように現れる。
「くっ」
バジルは息を呑み、自ずと冷や汗が滴る。
精巧なエルフの顔立ちをした少女の腕が、巨大な刃物に置換されている。
屈強な獣人の戦士が、口元に砲口を携えている。
虚ろな瞳をした人間の青年の身体は、原型ないほどに機械化している。
「間違いねえな……!」
今でも鮮明にその感覚が残っている。まるで生きたままの生命を両断したような、あの生々しい手応え。
国を蹂躙しているこれらは、恐らくただの魔法兵器ではない。バジルは密かに、裏で動く闇組織に感づいていた。
「……悪趣味な……ッ」
煙の中から飛び出したバジルは、自慢のケープをボロボロにしながらも、戦鎌を構えた。
迫り来るエルフ型の人形が、生気のない顔で刃を振り下ろした。バジルはそれを柄で受け流し、苦渋の決断と共にその首を刎ねる。
さらに獣人型の突進を回避し、人間型の砲撃を風で逸らす。
息つく暇もない、乱戦というよりは掃討だった。
「……もし、こいつらが本当に……、かつて生きていたのなら……ッ!」
バジルは心を鬼にし、無心で鎌を振るう。
個体の強さも十二分なものだが、バジルの戦力を前には赤子当然だった。
しかし、一体を倒せば二体が現れ、バジルの体力と精神を削り取っていく。
ヒナはその様子をただ退屈そうに眺めていた。瓦礫の上に優雅に腰を下ろし、懐から銀時計を取り出しては時間を確認している。
「……くそっ、キリがねえ!」
バジルは肩で息をしながら、群がる異形の兵士たちを睨みつける。
このままでは消耗戦で磨り潰される。バジルは戦鎌を頭上で旋回させ、周囲の大気を極限まで巻き込んだ。
「塵に還れ! 奥義──『天嵐・鎌鼬』ッ!」
詠唱後、バジルを中心に巨大な竜巻が発生した。
それは鎌鼬の刃のように鋭い風を帯びた暴風の塔となり、周囲のバルゴゾーンを残骸へと変えながら巻き上げ、粉砕していく。十数体の兵器が、断末魔すら上げられずに一瞬で沈黙した。
「くっ、はぁ……」
破壊の嵐が消え去ると、その中心でバジルは戦鎌を杖にして膝をついていた。全身は切り傷だらけで、突然の魔力の大量消耗による目眩が襲う。
「まだ、やれるぞ、ヒナ」
バジルが苦しそうに顔を上げるが、そこには拍手を送るでもなく、ただ冷ややかに見下ろすヒナの姿があった。
「無駄な足掻きですね。限界が見えています」
ヒナがゆっくりと立ち上がり、その全身から先ほどとは比較にならないほどの、濃密で禍々しい闇の魔力が噴き上がった。空間がぐしゃりとねじ曲がり、広場の瓦礫が重力に逆らって浮遊を始める。
「もういいでしょう。私に構わないでください」
ヒナが右手を天に掲げた瞬間、彼女の意志で、世界は書き換えていく。
「な、なにを……!?」
その時、ヒナの上空に広場全体を覆い尽くすほどの巨大な闇の球体が生成された。
「……『ヴォイド・イクリプス』……ッ!?」
その魔法は紛れもない。ヒナの奥義と言っても過言ではない『破滅級』破壊魔法───『ヴォイド・イクリプス』だった。それは光も音もねじ伏せ、ただ絶望的な質量を持ってバジルの頭上に君臨する。
「な……ッ!?」
バジルは戦慄し、すぐには立ち上がれなかった。
(無詠唱で、これほどの規模の魔法を……? これが、今の彼女の力なのか……。……防ぎきれない。今の消耗した自分では、相殺することさえ……)
バジルは嘆息混じりの鼻息を大きく漏らすと、わずかに口角を上げた。
(……かつての仲間は、ここまで遠い存在になってしまったのか)
バジルは逃げなかった。ここで退けば、ヒナを永遠に失うことになる。
「……やってやるさ」
バジルは震える足で立ち上がり、戦鎌を構え直す。
最期の一瞬まで、ヒナの戦友であり続けるために。
「消えなさい」
ヒナが手を振り下ろしたと同時に、巨大な闇がゆっくりと、バジルを押し潰さんと落下を始めた。
「────グルぉぉぉぉぉぉッ!」
その隙を突いて、大気が破裂するような、裂帛の気合が戦場に轟いた。一人の巨漢が王城の城壁を跳躍し、バジルと闇の球体の間に躍り出る。
獅子の鬣のような金髪をなびかせ、鋼鉄の筋肉を鎧の下で躍動させる。彼は武器を持たず、途轍もない覇気を纏った己の拳一つで、落下してくる巨大な闇の球体を殴りつけた。
あまりにも常軌を逸した衝撃が、魔法の力を凌駕した。信じがたいことに、ヒナが放った魔法が、純粋な打撃によってひび割れ、軌道を逸らされ、空中で四散した。
「……ふうん」
ヒナが初めて、驚愕に目を見開く。
黒い粒子となって消えゆく魔法の下で、もうもうと立ち込める土煙の中から、その男は悠然と姿を現した。その背後には、精鋭なる獣人兵団が続々と到着し、広場を包囲していく。
「ガハハハッ! 我が国で好き勝手暴れるとは、いい度胸だ、若造ども!」
豪快な笑い声を張り上げ、バジルの前に仁王立ちするのは、この国の王にして最強の戦士。拳一つで万物を消し飛ばす強靭な肉体と、他の追随を許さないその武道。
その名はグランドシオル全土に轟く──『武道覇者』ガリロルザ王であった。
「……国王、自らのお出ましですか」
ヒナは瞬時に冷静さを取り戻し、警戒を強める。
バジルは救われた命に安堵しつつ、意識が遠のくのを感じた。
「……ガリロルザ王……すまねえ……」
「気にするな、若き戦士よ。よくぞ持ちこたえた。……あとは、我に任せよ」
ガリロルザ王は太い腕組みをし、眼光鋭くヒナを睨み据えていた。




