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「……あァ? テメェ、今なんつった?」
「だから、頭が悪そうだなって。……あ、ごめん。もしかして、事実だった? なら謝るよ。可哀想な人に事実を突きつけるのは、失礼だったね」
ツルカは本気で申し訳なさそうに頭を下げた。
バンパーの額には、どす黒い血管がミミズのように浮き上がっている。ツルカの純粋すぎる同情が、バンパーの堪忍袋を最大限に刺激した。
「……調子に乗るなよ、クソガキが」
バンパーが獣の唸りのような低い声で、ツルカを見下ろす。
「おい、テメェら。この礼儀知らずのメスガキに、冒険者の『上下関係』ってやつを身体に刻み込んでやれ。この町じゃ、俺がルールだ。従わないなら許さん」
バンパーの号令一下、背後に控えていた取り巻きたちが拳を鳴らしながら、ツルカたちを取り囲んだ。
「へへっ、悪いな嬢ちゃん。バンパーさんの機嫌を損ねたのが運の尽きだ」
「痛い目見たくなかったら、その綺麗な顔がぐちゃぐちゃに壊れる前に土下座したほうがいいぜぇ?」
一人の男がどこか下品な手つきでツルカの細い腕を掴もうとした。ジンが反射的にその手を払おうしたが、それよりも早くツルカが動いた。
「触んないでよ」
ツルカは男の手首を逆手で優しく掴むと、直後には、流れるように男の巨体が宙へと放り投げられた。男は美しい放物線を描いてギルドの入り口付近の床へと叩きつけられ、男は白目を剥いて意識を失う。
「……ッ! やりやがったな!」
「囲んで袋叩きにしろ!」
残りの取り巻きたちが一斉に拳を振り上げ、ツルカに襲いかかる。
「丸見えだよ~」
ツルカは洗礼された体捌きで拳撃を回避し、男たちの懐へと潜り込む。
鳩尾、顎、脇腹と、人体急所への打撃を繰り出し、乾いた打突音が連続して響くたびに、屈強な冒険者たちが糸の切れた操り人形のように崩れ落ちていく。
あの竜との戦いを経験したツルカにとっては、男たちの力量は取るに足らないものだった。
ものの数秒でバンパーを除く全員が床に突っ伏し、苦悶の声を漏らすだけの石ころになっていた。
「チッ。使えねえ無能どもが」
バンパーの表情には隠しきれない苛立ちを帯びていた。
「ねえ、こんなことやめようよ」
ツルカが無邪気な笑顔で一歩近づく。
「中々やるようだな。だが、舐めるなよ、ガキが。俺はナドラナの町長にして、この町唯一のAランク冒険者だ。俺に逆らうことの意味を……その身体で理解させてやる」
激昂したバンパーの手が、腰の剣帯へと伸びた。
金属が擦れ合う鋭利な音が鳴り響き、ミスリル銀で作られた業物の大剣が、鞘から抜き放たれる。その瞬間、ギルド内が騒然となった。
「おい、正気か!?」
「抜刀したぞ、ギルドの中で! しかも相手は子どもだぞ!?」
「バンパーの奴、本気で殺す気か!?」
冒険者同士の小競り合いは日常茶飯事だが、抜刀や戦略魔法の行使は一線を画す。それは明確な殺意の表明であり、『冒険者ギルド』の不可侵の掟に背く禁忌であった。
だが、Aランクの膂力と町長の権力を持つバンパーにとって、周囲の雑音など意味を持たない。この町では、バンパーが絶対だった。
「死ねェェェッ!」
岩をも両断する銀閃が、ツルカの頭上から躊躇なく振り下ろされた。ジンたちが制止の声を上げる間もなかった。
だが次の瞬間、破砕音が響き渡ると、ミスリルの破片が雪のように煌びやかに宙を舞った。バンパーの手元に残ったのは、半ばから無残に砕け散った剣の柄だ。
「……っ!?」
バンパーが目を見張る。
目前には、拳を突き出した姿勢でいるツルカ。まさかこの少女は、剣を正面から素手で殴り砕いたのか。
「……武器に頼る前に、自分の心を鍛えた方がいいよ。少なくとも、僕は……何も守れなかった自分を……頑張って鍛えた」
ツルカは冷たく言い放つと、無防備になったバンパーの腹部めがけて、その小さな拳を放った。
「……ぁ、が……ッ……!」
衝撃が黄金の鎧を貫通し、バンパーの口から、苦悶の声と共に胃液が噴き出した。巨体がくの字に折れ曲がり、床に膝を突く。
「て、てめぇ……!」
バンパーは脂汗を滝のように流し、よろめきながら再び立ち上がる。
「……ふざ、けるな……。ありえねぇ……こんなこと、あってたまるか……ッ!」
バンパーは砕けた剣の柄を握り潰すかのように力を込め、血走った目でツルカを睨み据えた。
「俺は……俺はAランクだぞ……! この町の長だ……! 俺は選ばれた『強者』なんだよ……ッ!」
それは誰かに言い聞かせるというより、崩れそうになる自我を必死に繋ぎ止めるための呪詛に近かった。
「強い奴が、弱い奴を従える……。強い奴は、何を奪ってもいい、何をしてもいい……! それが、この世のルールだろうがッ!」
バンパーの脳裏に、過去の記憶が蘇る。
かつて力なき弱者として泥水をすすり、理不尽な暴力に踏みにじられた日々。そこから這い上がるために、他者を蹴落とし、騙し、奪い尽くしてきた。そうして手に入れた『強者』という座。黄金の鎧も、町長という地位も、すべては自身が奪われる側ではないことを証明するための虚飾。
こんな小娘に否定されることなど、バンパーの魂が許容できなかった。
「俺は……もう奪われる側じゃねぇ! 奪う側なんだよッ!」
バンパーは折れた剣を投げ捨て、獣のような形相でツルカに襲いかかった。
「……ほんとうに、可哀想な人だね」
ツルカは迫りくるバンパーの拳を掌で軽々と受け止める。
「な、なぜだ……! なぜ動かねぇ!」
「君の拳は軽いよ。……何も、守るものがないから」
ツルカの手に力が籠っていき、バンパーのガントレットが軋み始める。
「強さってのはね、誰かをいじめるためのものじゃないよ」
ツルカはまっすぐにバンパーの濁った瞳を見据えた。
「大切なものを守るためのものだ」
空いた反対の手で、渾身の掌底をバンパーの顎へと叩き込んだ。
その瞬間、バンパーの意識が白一色に染まる。
過去のトラウマも、現在の地位も、歪んだ信念も、全てが彼方へと吹き飛んだ。
バンパーは今度こそピクリとも動かなかった。
完全な沈黙がギルドを支配する。
Aランク冒険者、そして町の権力者であるバンパーが、完膚なきまでに叩きのめされた瞬間であった。
「……僕の仲間を馬鹿にするやつは、誰だろうと許さない」
その声は静かだったが、揺るぎない決意が込められていた。
ジン、マリナ、ナユは呆気にとられながらも、ツルカの言葉に胸を熱くした。
「ツルカ……お前……」
受付嬢は完全に腰を抜かし、口をパクパクとさせていた。Aランク冒険者が子ども扱いされた光景が、まだ信じられないらしい。
「あ、あの……受付のお姉さん!」
ツルカは受付嬢の方へと歩み寄り、申し訳なさそうで、気まずそうに顔を顰める。
「は、はいっ!? な、何でしょうか!?」
「えっと……この人たち、邪魔だからどっかに片付けよう! ……あ、あと、このおじさんが壊した床とかの修理代、この人のお財布から出しといてね!」
ふと、ツルカは気絶したバンパーの懐からジャラジャラと重そうな音を立てる財布を無造作に抜き取ると、受付カウンターにドンと置いた。
「……は、はい! 承知いたしました……! この、ゴ、ゴゴ、ゴミたちはのちほど衛兵に引き渡しときます! えぇはい!」
受付嬢は震える手でずっしりと重い財布を受け取る。
「さ、行こう! クエスト、クエスト!」
先ほどまでの修羅場が嘘のように、ツルカは明るい声で仲間たちを促す。その切り替えの早さに、周囲の野次馬はただ唖然とするばかりだった。
ジンは引きつった笑みを浮かべ、足元で無様に倒れ伏すバンパーと、無邪気なツルカを交互に見比べた。
「……はぁ。お前なぁ、本当に後先考えないんだな。お前の強さは分かったが……相手は腐ってもAランク、一応はこの町の顔役だぞ? 後でどんな報復が来るか……」
「顔役? 顔が悪いってこと?」
「違うわ! 偉い人ってことだ。……まあ、俺たちもこんな奴、敬っちゃいないが」
ジンは乱暴に頭を掻きむしるが、その口元には隠しきれない快哉が滲んでいる。
「でも、本当にありがとう、ツルカちゃん。私たちのために怒ってくれて。私、とっても嬉しかった」
「うんうん! 最後のパンチ、すごかったぁ! 気持ちよくなっちゃったよ。私、ツルカちゃんに一生ついていきますっ!」
マリナとナユがツルカの両脇を固め、その華奢な身体が持ち上がる。ツルカは二人に挟まれ、照れくさそうに胸を張った。
「えへへ。あ、それより早くクエスト決めよ! 美味しいお肉のやつがいいなぁ。さっき邪魔されたからまだ決めれてないもん!」
「……お前、もう魔物を食う気じゃねえか。さっき山ほど食ったばかりだろうが」
「動いたらお腹減るもん。ほら、ジン、みんな。早く掲示板行くよ!」
ツルカは呆れるジンの腕を引いてクエストボードの方へと歩き出す。その足取りは、Aランク冒険者を沈めた人とは思えないほど軽く、遠足に行く子どものように弾んでいた。
「……まったく、とんでもない爆弾を抱え込んじまったなっ」
そうぼやくジンの声色は、かつてないほど明るく弾んでいた。
こうして、ナドラナの冒険者ギルドに新たな伝説が刻まれた。
『暴食のツルカ』は、Aランク冒険者とその一味を単身で壊滅させた、『金ピカ殺し』という不名誉な二つ名と共に、不服にもその名を轟かせることになったのである。




