23
「……んん……?」
小鳥のさえずりと、窓から差し込む暖かな陽光に、少女は目覚めた。
鉛のように重いまぶたを持ち上げると、そこは見知らぬ天井であった。
年季の入った木の梁が等間隔に並び、質素ながらも清潔なリネンと、鼻腔をくすぐる微かな薬草の香りが、安らかな空間を作り出している。
少女──ツルカは上半身を起こし、寝相の悪さを如実に物語る、爆発した純白の髪をそのままにして周囲を見渡した。
「……ここ、どこぉ?」
あの、竜との死闘、自分の内から溢れ出した光、そして仲間たちの安堵に満ちた表情。最後、ジンの背中で揺られながら意識が途絶したところまでは、辛うじて思い出せる。
《おはようございます、マスター。ようやくお目覚めですね》
「あ、アイナ。おはよ。僕、どれくらい寝てたの?」
《うんと、丸二日ですかね。文字通り、冬眠を目前に控えた熊のように、深く貪るような睡眠でしたよ》
「おえ、二日!?」
ツルカは驚愕し、慌てて自分の身体を見回すように確認した。
全身は包帯で拘束され、所々に湿布薬が貼付されているが、疼痛は皆無だった。
《外傷に関しては、私がマスターの自然治癒力を過剰促進させることで修復を完了しました。包帯の下のケガは、すでに完治しております。ですが、空腹はいつも通り危険域に達していますね》
「あはは、そっか……。ありがと、アイナ」
ツルカは包帯を解き捨てながらベッドから降り立つ。
窓を開放すると、朝の冷涼で新鮮な空気が室内に流れ込んできた。眼下にはナドラナの町並みが広がり、すでに多くの人々が行き交う活気ある光景が広がっている。
どうやらここは、ナドラナの町にある宿屋の一室らしい。
「ジンたちは……?」
ツルカは急いで衣服を整えると、部屋を出て階段を駆け降りた。一階の受付では、この宿を取り仕切っているだろう福々しい体躯の女将が、帳簿の記帳に勤しんでいた。
「あ、あの! すみません!」
「おや、あんたは……起きたのかい? よかった、よかった。あんたのお仲間さんたちが心配して、ずっと交代制で看病してたんだよ」
「そ、そうなんですか」
女将の言葉に、ツルカの胸中がほっと温かくなる。
「その人たち、今どこにいるんですか?」
「食堂だよ。ちょうど朝食を頂いているところさ」
「ありがとうございます!」
女将は指差して、食堂へ続く廊下を示した。
ツルカは小さく頭を下げると、食堂の方へと駆け出す。
扉を押し開けると、宿泊客たちの喧噪が鼓膜を震わせ、ベーコンが焼ける香ばしい匂いと、スープの湯気がツルカの鼻に突き通る。
「おっと、いっけない。よだれが」
多数の客が食事をとる中、ツルカは見慣れた顔ぶれを探してみる。
その刹那であった。
「わ、わわっ!?」
視線の先で、両手に三人分の朝食トレイを持った女性が、何もない平坦な床でバランスを崩壊させた。
ナユだ。
「きゃああっ!」
トレイが宙を舞い、スープとパンが空中で綺麗な放物線を描き、床へと飛散する。そしてナユ本人はというと、顔面から床へと突っ込むという見事なまでのヘッドスライディングを敢行していた。
「何やってんだよ、ナユ! お前いつも変なところでコケる癖やめろ!」
「もはや才能……」
「癖じゃないもん! 才能じゃないもん!」
頭を抱えて天を仰ぐジンと、呆れ果てて深い溜息を吐くマリナ。
その光景はあまりにも滑稽で、そしてあまりにも平和な喜劇だった。
「あははははっ!」
ツルカの屈託のない爆笑が、食堂の喧噪を切り裂いた。その聴き慣れた声に、三人が弾かれたように視線を向けた。
「「「ツルカ(ちゃん)!?」」」
「おはよう、みんな。ナユ、朝から活発だね! 見事な滑り込みだったよ」
「ツルカちゃーん! 笑ってないで助けてよぉ~!」
ナユが涙目で床に伏したまま、スープまみれの手をツルカに伸ばす。
「しょうがないなぁ」
「うぅ……私のスープが……パンが……」
「もう一回頼め。……ったく、一気に食べようと持ってくるからだろ」
ジンがぶっきらぼうに言い放つが、その表情は安堵に緩みきっていた。
「ツルカちゃん。……身体は、もう大丈夫?」
マリナが少し心配そうに、ツルカの横顔を眺める。
「うん、最高潮! もう、お腹ペコペコだよ」
ツルカが腹をさすると、それに呼応するかのように腹の虫が食堂に轟いた。
そうして、改めて注文した朝食を囲みながら、四人は再会を祝した。
テーブルにはツルカのために追加発注された、山のような料理が鎮座している。
ツルカはそれを作業のように、次々と胃袋へと格納していった。
「……さすが、噂通りの捕食速度だな。見てて爽快感すら覚える」
「捕食って……魔物かい」
「それにしても、二日も昏睡状態だったなんて。本当に焦ったんだからー」
ナユがパンを頬張り、リスのように頬を膨らませる。
「ごめんごめん。思ったより疲れてたみたいで……。でも、みんな無事でよかったよ」
「それは、お前のおかげだよ。……俺たちだけじゃ、間違いなく全滅だった」
一心不乱に食事を進めるツルカを見つめながら、ジンがふと、探るような視線を向けた。
「……なあ、ツルカ。飯食ってる最中に悪いんだが」
「ん、あぁ。そうだよね」
ツルカは骨付き肉をかじりながら、観念したように俯いた。
「お前の、あの時の『力』だ。……光を纏って、あの竜を倒した。あれは一体、何なんだ? ただの身体強化魔法にしちゃあ、レベルが違いすぎる。お前は……」
マリナも頷き、真剣な表情で言葉を継ぐ。
「そうだよねー……。私も、あれは魔法とは違うものに見えた。ツルカちゃんって、一体何者なの。ちょっと、そこは怖くて」
核心を突く問いかけだ。
ナユも不安げだが、どこか興味がありそうな様子でツルカを見つめている。
ツルカは肉を飲み込み、ナプキンで口を拭うと、困ったように眉を下げた。
「べ、別に疑ってるわけじゃないんだ。お前が危険なやつなのか、そういうのを知りたくてよ……」
「うん。実際、私たちはツルカちゃんの力で助けられた。だから知りたいんだ。ツルカちゃんはどこから来て、何者なのか」
ジンたちは仲間として、ツルカのことを必死に知ろうとしていた。
「……正直に言うとね、僕にもよく分からない」
「分からない?」
「うん。気づいたら体が勝手に動いてたっていうか……ふふっ。ごめん。なんか、言い訳みたいで」
「いや、そんな……別に」
「僕さ、昔の記憶がないから、自分が何者かも分からないし。ただ、みんなを守らなきゃって思ったら、ああなっちゃったんだ」
三人はその話を信じていないわけではなかった。ツルカの純粋なその瞳が物語っている。この子は嘘偽りなく、正直に喋っている。
「記憶がない……。初耳だよ。じゃあ、どこで生まれたとか、お母さんの顔も……その、知らないの」
「……うん」
ツルカが寂しそうにうつむく。
見かねたジンが申し訳なさそうに、ツルカから視線をそらした。
「……ごめんな。なんか、嫌なこと聞いちまったみたいだ」
ジンは雑に頭をかくが、その表情にすでに疑心の色はない。
「まあ、いいさ。お前の正体が何であれ、俺たちを救ってくれた事実に変わりはねえ。……ただ、あまり目立つと、余計な注目を集めちまうかもしれねえからな。そこは、気をつけろよ」
「うん……わかった! 気をつける!」
「切り替えはや……」
ツルカの能天気な返事に、三人は苦笑するしかなかった。
そしてジンは居住まいを正し、咳払いする。
「で、だ。ツルカ。あの竜の一件だが」
「ああ。なにか、報酬とかあった?」
「結局、討伐証明になりそうな部位は回収できなかった」
「え、僕が粉砕しちゃった?」
「いや、違う。お前が最後の一撃を決めた後、あの巨体は……まるで最初からいなかったように、消えちまった。牙も、鱗も、何も残らなかったんだ」
「不思議だよね。普通の魔物からは逸脱した現象。もしかすると、何物かの召喚魔法だったり、そういう新種だったり……。でも、あの竜の魔力の質。ナユは感じたことなかったんでしょ」
マリナがふいとナユに視線を移して、首を傾げた。
「そう、だね。私、あんな魔力を感じたことない。それは、ツルカちゃんも例外じゃないけど……。あの竜の魔力、明らかにこの世のものとは思えない質だった」
「確かに、あの禍々しい気配は、僕も嫌いなんだ。だからかな、倒したほうがいいって思ったのは」
あの、ツルカが本能から嫌う気配。それは、ナユも感じ取っていたようだ。
「……ギルドへの報告は『正体不明の魔物と遭遇し、撃退したが遺骸は霧散した』と、申請してある。報酬は発生しねーし。まあ、そもそも、俺たちの話を聞いて、あっちはかなり疑心暗鬼な様子だったがな」
「ねー。命がけで帰ってきたのに……なんもないのはね~」
「あの竜は何だったんだろう。ちょっとでも亡骸が残ってたら、手がかりになったのに」
「……まあ、みんなの命が無事なら、報酬なんて小さな問題だよ! またクエストいけばいいじゃん!」
素材の価値よりも、クエストの報酬よりも、眼前の食事と仲間の生存を優先するその姿勢。ツルカのその言葉には、強がりや欺瞞は一切含まれていなかった。
ジンは短く呼気を漏らすと、困ったような表情で口角を吊り上げた。
「……まったく。お前という奴は、どこまでおかしいやつなんだか」
ジンは手にしたカトラリーを音もなく卓上に置くと、先ほどまでの自嘲気味な笑みを止めた。
「それで、だ。ツルカ。約束……覚えてるよな?」
ジンの真剣な問いかけに、ツルカはフォークを停止させた。
眼前のツルカを真正面から見据えるその顔つきは、不器用なジンなりの、最大限の敬意と礼節を払おうとする、紛れもない真剣そのものだった。
「約束……。あ!」
その時、ツルカの記憶が蘇る。
仲間を持つことも悪くないと感じたあの気持ち。それは今でも、そしてこれからも変わらないだろう。
「もちろん。僕、約束は守るよ!」
ツルカは肉を頬張りながら破顔した。
「……ああ! 俺たち『青嵐の翼』は、お前を歓迎する。……まあ、まだ名声など皆無に等しい弱小ギルドだがな。これからお前と、俺とナユとマリナで、もっと凄いギルドにするんだ……!」
ナユとマリナも、心からツルカを歓迎した。
「よろしくね、リーダー!」
「へへっ、やめろよ」
ジンはあからさまに照れながら鼻の下を擦った。
「よし、そうと決まれば善は急げだ。飯が終わったら、すぐにギルドへ行って手続きをするぞ。正式な登録だ!」
朝食を完食し、宿を出た四人は冒険者ギルドへと向かった。
ギルドに到着すると朝の時間帯ということもあり、堂内は大勢の冒険者で賑わっていた。四人は雑踏をかき分け、堂々と受付カウンターへと進む。そこには、顔なじみの受付嬢が業務に追われていた。
「あら、ジンさん。今日は皆さんお揃いで……って、え?」
以前、ツルカの『眼球提出』という猟奇的な行動に顔を引きつらせていた受付嬢だが、ジンたちとは旧知の仲であるようで、親しげに声をかけてくる。
だが、ジンの背後に控えるツルカを視界に捉え、受付嬢は思わず目を丸くした。
「ツルカさん……? なぜ、ジンさんとご一緒に?」
「おう。今日からこいつ、俺たちのギルドメンバーになるんだ。登録、頼むわ」
ジンがツルカの冒険者カードと、自分たちの冒険者カードを提示する。
「ほえ?」
受付嬢は愕然として、ジンとツルカを交互に凝視した。
「え、ええっ……!? ほ、本当ですか、本気ですか、正気ですか? あの……あの、おかしい……何もかもがわけ分からないツルカさんが、『青嵐の翼』に?」
「いいすぎでしょ! そんな風に思ってたの!?」
「なんだよその反応。何かダメとかあるのか」
「い、いえ! ただ……ツルカさんはその、色々と常軌を逸しておりますので……。堅実なジンさんのギルドとは、その……水と油というか……爆発しそうというか……はい、そういうことです」
受付嬢は言葉を濁したが、言外になぜ自ら爆弾を抱え込むのかという困惑が滲み出ていた。
「へへっ、まあ色々あってな。ほら、なんでもいいから手続き頼むぜ」
「は、はい。わかりましたよ。これを、こうして……よしっ……処理が完了いたしました。これでツルカ様は正式に『青嵐の翼』のメンバーとして登録されます」
ツルカは更新されたカードを受け取り、嬉々として掲げる。画面を表示すれば、そこには『所属:青嵐の翼』の文字が誇らしげに刻印されていた。
「やったー! これで正式に仲間だね!」
四人が顔を見合わせて笑い合った、その時だった。
「───おいおいおい。朝からしけた面々が集結して、何を馴れ合ってんだ?」
突如、思わず鳥肌が立つかのような下卑た声が、背後から投擲された。
冒険者ギルド内の空気が、一瞬にして凍結する。
振り返ると、そこには豪奢だが美的センスの欠片も感じられない黄金の鎧を身に纏った、自己顕示欲の塊のような大男が立っていた。その背後には、同じように品性の欠けた取り巻きが数名、卑屈な笑みを浮かべて控えている。
「……バンパーか」
「よう、万年Cランクの雑魚ども。おやおや、また随分と貧相なガキを拾ったじゃねえか。お前らのところは託児所か慈善事業団体か何かか?」
ジンが嫌悪感を隠そうともせず顔をしかめる。
Aランク冒険者──バンパー。
その実力は確かだが、素行の悪劣さと、自身より下位の冒険者を執拗に愚弄する歪んだ性格により、ギルド内でも悪名を轟かせている男だった。
バンパーはツルカを頭頂部から足先まで舐め回すように視姦し、鼻で嘲笑する。
「おいおい、見ろよこいつら。雑魚が雑魚と群れて、傷の舐め合いか? 『青嵐の翼』だなんて大層な名を掲げてる割に、実態は雑草むしりがお似合いの、底辺冒険者ごっこじゃねえか。ギャハハハ!」
取り巻きたちが、バンパーの発言を肯定するように下品な哄笑を上げる。ジンが屈辱に拳を握りしめ、ナユが怯えてマリナの背後に隠れていた。
だがツルカだけは、無垢な瞳でキョトンとした顔をして、首を傾げながらバンパーを見上げていた。
「ねえ、ジン。この金ピカのおじさん、誰? なんかすごく、頭悪そうな顔してるけど。ただのバカ?」
そのあまりにも純粋で、それゆえに鋭利な刃物のような問いかけに、ギルド内が森閑とした静寂に包まれた。




