19
この感覚には既視感があった。
(嫌な気配だ……。マリアネが使っていた力……それととっても似てる……)
《……これは……》
(なに……?)
《生態反応は『ポイズンドラゴン』と九十四パーセント一致。しかし、観測されるエネルギー規模が、定義された脅威レベルを逸脱しています……。この『穢れ』は……》
(……この気配、僕がずっと嫌いな力。本能が、魂が拒絶してる……そう、きっと昔から身体に染み込んでるんだ)
《……まさか。暗黒の『因子』が……? これほどの高レベル侵食がこれほど身近に……。ですが、まだ『危険種』には至っていない……か》
アイナの言っていることが、ツルカには理解できなかった。
《コホン……。マスター。対象はポイズンドラゴンの特異種。何らかの外的要因を受け、悪性変異した個体です。危険レベルS……『特級種』と判断します》
(なっ……)
《警告します。仲間を失いたくなければ、即時撤退を》
ツルカがこれまで出会ったどの魔物をも凌駕する力だ。アイナの分析通り、撤退こそが唯一の正解だろう。
「……おい……」
その時、金縛りから解けたジンがかろうじて声を漏らした。
「なんだよ、これ……」
「大きすぎる……。こんな魔物、見たことないよ……」
「みんな……あれ」
マリナが震える指で空洞の隅を指差した。
ナユがおそるおそる杖の『灯火』の光量を上げ、そちらへ向ける。
「えっ……」
そこには無数の骨が山と積まれ、さらにはまだ新しいいくつかの竜の亡骸が、食い散らかされた無残な姿で捨てられていた。
そのおぞましい残骸の形状は、間違いなく通常種のポイズンドラゴンのものだった。
《あの特異種は、同族をこの巣穴に誘引し、捕食しているようです。なんという……》
「ポイズンドラゴンが……た、食べられてる……!」
ここは竜の巣などではない。強大な捕食者の、ただの餌場だったのだ。
「……撤退だ」
ジンが絞り出すような声で言うと、即座に踵を返して三人を見つめた。
「おい、戻るぞ……。静かにだぞ……!」
「わ、分かった……!」
ジンは音を殺しながら後退し、マリナとナユも強張る足をもつれさせながら、ジンに続く。
だが、ツルカだけが動かなかった。ツルカのその碧眼はただ一点──眠る竜が放つ『穢れ』に縫い付けられていた。
「つ、ツルカ……! 何やってる、早く来い!」
ジンの焦燥に満ちた声に、ツルカははっと我に返ると、仲間たちの方へゆっくりと体を反転させた。
「待って。ジンさん」
「あぁ……!? 何言ってんだ、早く!」
「ちょ、ジン……! 声抑えて……」
「……あれは、ここで仕留めなきゃいけないやつだ。僕の勘が、僕の本能がそう言ってる」
《なっ……》
制止するかと思いきや、アイナはまるでツルカの意見を静かに飲むかのように黙り込む。
「馬鹿野郎! あんな化け物に挑むやつがあるか……!?」
ジンがツルカの腕を掴もうと一歩踏み出した。
「どうやったって勝てるわけ──────」
「スウウ……フウウ……」
ジンの声が不吉に響き渡ったと同時に、それまで一定のリズムを刻んでいた巨大な呼吸が、不意に途絶えた。
水滴が落ちる音すら大きく聞こえる静寂が、ホールを支配する。
そして、巨竜の閉じられていた瞼が、ゆっくりと開かれた。その縦に裂けた邪悪な瞳孔が、ナユの『灯火』に焦点を結ぶ。
「……あ……」
ナユの呼吸が止まった。
「ツルカ! 隠れろ!」
「うわっ!?」
ジンが絶叫と同時にツルカを突き飛ばし、通路の岩陰へと押し込んだ。
竜はとぐろを解き、ゆっくりと巨体を隆起させる。その全長は、もはや三十メートルに達しようかというほどであった。
しかし竜は、通路の入り口で恐怖に竦むジンたち三人には目もくれなかった。視線はただ一人、突き飛ばされた先で静かに立ち上がったツルカだけを凝視している。
竜の視線には奇妙なことに、純粋な殺意や食欲は感じられなかった。竜はその巨大な頭部をゆっくりとツルカへと近づけていくと、まるで何かを確かめるように訝しみ、探るような仕草を見せた。
「……ツルカちゃん、危ない……!」
ナユが見てられないと視線をそらす。
竜の巨大な鼻面が、ツルカの目前まで迫る。竜はツルカの匂いを嗅ぐように、その場で深く息を吸い込んだ。
「──────グルルアアアアアアアアアアアアッッ!」
竜の巨体が、まるで雷に打たれたかのように激しく後方へ跳ね退った。
狂気を孕んだ絶叫がホールを震撼させ、竜はツルカの存在そのものを拒絶するように、激しく頭を振り乱す。
「来る……!」
ツルカはジンたちが隠れる通路とは逆方向へと全力で跳躍した、その直後。先ほどまでツルカが立っていた場所へ、竜の巨大な顎が叩きつけられた。
「ツルカッ!?」
「僕はいい! 三人は絶対にそこから動かないで!」
ツルカは着地と同時に、再び駆け出す。
「シャアアアアッ!」
竜は再び頭部を振り下ろすが、ツルカは迫り来る牙を紙一重で右へとかわす。
だが、竜は巨体に見合わぬ速度で、長大な尾を大鎌のように薙ぎ払った。ホール全体を掃き清めるかのような、回避不能の広範囲攻撃だった。
《マスター! 回避を!》
「いいや、なんならこれはチャンス……!」
《無茶ばっかり!? 何を言ってるんですかぁ!》
常識外の選択。
ツルカは迫り来る尾の側面を跳躍の踏み台として利用した。強靭な脚力で側面を蹴りつけ、その反動を利用して尾の上へと飛び乗ると、ツルカは鱗に覆われた竜の背中をまるで平地であるかのように駆け上がる。
「グルアアアッ!」
背を走るツルカに気づいた竜が、身を捩らせて振り落とそうと暴れ狂う。
「よいしょぉっ!」
ツルカはその振り落とされる遠心力を利用して、さらに高く跳躍した。壁面に着地し、そこを足場にして再び竜の死角へと回り込んでいく。
まるで蜘蛛のような所業。
壁に張り付きながら走るツルカを認識し、竜が再び突進しようと身を屈めた、その瞬間。
「そこっ!」
ツルカは壁を蹴って虚空を飛び、神速で竜の顔面へと迫った。
竜がツルカを捉えるよりも速く、渾身のツルカの蹴りが竜の左頬にめり込む。強烈な衝撃が走り、あの竜の巨大な頭部が、その勢いでわずかに横を向く。
「グルルル……!」
怯んだ竜が、体勢を立て直そうと首を振る。
その一瞬の隙を逃さず、ツルカは空中で身を反転させ、落下する勢いを利用した第二撃を放つ。
「おまけだぁ! ツルカちゃん必殺その一、『スーパーマジカルかかとブレイク』ぅぅぅぅ!」
まるで幼稚なふざけた技名を叫びながら、全体重を乗せた踵が、竜の頭頂部へと叩きつけられた。
鱗は砕けずとも、その衝撃は確実に脳髄を揺るがす。
竜は明確にたたらを踏んだ。
「あ、あいつ……竜の顔面を……蹴り飛ばした……?」
「どういうこと……? あの竜をいとも簡単に牽制してる……」
「や、やっぱり普通じゃないぃぃ!?」
通路の影から三人は、ツルカの行動に少なからずドン引きしていた。
《お気をつけ下さい。竜がなにやらエネルギーを溜め込んでいます!》
体勢を立て直した竜が大きく息を吸い込み、喉の奥深くから不気味な光を垣間見せていた。
それはツルカが嫌う『穢れ』そのものを圧縮した、致死の瘴気だった。
「グルオオオオオッ!」
竜の顎から放射された闇の毒霧は、ホール全体を覆い尽くさんばかりに広範囲へと拡散する。
ツルカは咄嗟にホールの天井近くまで跳躍し、垂れ下がった鍾乳石に掴まってそれを回避。
だが、その毒霧が触れた岩盤は瞬時に黒く変色し、泡を立てて溶解していく。
「ぎゃゃゃゃっ!? 岩が溶けてる、溶けてるぅぅぅ!」
「おい、触るな!」
三人が慌てふためく中、ツルカはぶら下がった岩から、竜の背後へと飛び降りた。その着地と同時、脳内にアイナの切迫しながらも、どこか覚悟を決めた声が響いた。
《マスター、これまでクエストを経験してきて、魔力のコントロールが徐々にできてきたはず……。マスターの全力で、この竜を仕留めるのです!》
「うん……もちろん……っ!」
《……まず、竜に確実なダメージを与えましょう。マスター。最小限の魔力出力で、最大の『貫通力』だけをイメージしてみてください》
「ど、どういうこと……」
《魔法は、術者の創造の世界。そう。頭に思い浮かべて……マスターの魔力そのものを『槍』にするように。あの、魔王マリアネの封印を破った技のように》
(あの時の……)
今朝、ナユから教えてもらった魔法についての話を思い出す。
イメージさえできれば、どんな魔法も実現する。
地下洞窟。あの時だってそうだ。
イメージすれば、火の玉も生み出せる。
そして、マリアネを助けたように、魔力はどんな形にもなれる。
(やるしかないねっ……! 創造するんだ)
アイナの信頼が、ツルカの集中力を極限まで高める。
《魔力を一点に集めて見てください。感じて。身体に巡る、あなたの魔力を》
「うん……!」
ツルカは神経を研ぎ澄まして、魔力を一点に収束させる。
(ちょちょちょ……! アイナさんの補助がなかったら、こんなに魔力制御って難しいの!?)
まるで、激しく振り注ぐ豪雨の雨水を一点に集めるかのような、途方もない感覚。
いつも影で補助してくれていたアイナのありがたみに、ツルカは改めて痛感した。
(ふふ……でも、アイナも分かってるじゃん。今回は、手伝ってほしくないって……)
《……倒したいのでしょう。自分の力だけで》
(そうさ……! いつまで経ってもアイナに頼りっぱなしはダメだね。今回は僕が仕留めるって決めた……!)
《はぁ。マスターは、そういう人です。ならば、最小限の助言程度はお手伝いさせてください》
「──────もちろんさ!」
ツルカの右手に、溢れ出す白熱の魔力が収束していく。
「ツルカちゃんの右手に……光が……! なんの魔法なの……?」
通路の影で、ナユがその光景に息を飲む。
そして、ただ一点を穿つためだけに研ぎ澄まされ、凝縮された『槍』が、ツルカの掌中で形成された。
《非常に素晴らしい制御です……! このまま!》
「──────おりゃゃゃゃゃっ!」
ツルカは踏み込んだと同時に、その槍を竜の脇腹目掛けて全力で投擲した。槍は竜の硬質な鱗に直撃し、凄まじい爆発を引き起こした。
「ギャアアアアアアッ!」
竜は初めて、明確な苦痛の叫びを上げた。
鱗が数枚、高熱によって砕け散り、その下から生々しい肉が垣間見える。
「き、効いたの……!? あの化け物が……苦しんでる……!」
マリナは無意識に口元を手で覆い、その隙間からくぐもった声を漏らした。
「グルオオオオオオオオオッッ!」
竜は傷口の痛みなど意にも介さず、ツルカに向かって咆哮した。
するとその場で巨体を屈め、先ほどの毒霧とは比較にならない、おぞましい量の『魔力』をその身に集束させ始めたのだ。
「グルァァァァァッ!」
それは怒りであると同時に、明確な『詠唱』だった。
《なっ、魔法を唱えた!? マスター、危険です! あの巨竜は魔力による『魔法構築』も可能のようです!》
「ま、魔物が魔法だってぇ!?」
《魔物がこれほど高度な魔法を行使するなど……! 並のドラゴンは、本能的なブレスや特殊能力しか使えません! これこそが特級種が特級種たる所以……Sランクの力です!》
「なっ……なんだよ、あれ……!」
「さっきの毒霧と、濃さが、桁が違う……!」
魔力を持たないジンとマリナも、肌を刺す竜の魔力を少なからず感じ取っていた。
「ま、魔力だよぉ!? あの魔物、魔法使おうとしてるぅ!?」
竜の開かれた顎の奥に、凝縮された闇の球体が形成されていく。そのエネルギーの矛先は、まっすぐにツルカへと向けられていた。
だがツルカは、ホールの奥まった行き止まりの岩壁に向かって駆け出したのだ。
「──────な……っ! ツルカ、そっちは行き止まりだ!」
「大丈夫……! 心配しないで」
袋のネズミ状態であるツルカを眼下に、竜はその魔力の集束を完了させた。
ツルカは岩壁に背を預け、竜を正面から迎え撃つ体勢を取る。
(……やれる)
「グルァァァァッ!」
ツルカを岩壁ごと消滅させんと、竜はその『穢れ』の魔法を解き放とうと顎を上げた。
「──────はぁぁぁぁっ!」
ツルカは背後の岩壁を強く蹴り、目にも留まらぬ速さで真上へと跳躍した。
竜はツルカの素早い動きに対応できず、放たれた攻撃はツルカが背にしていた岩壁へと命中する。
凄まじい爆発音が鳴り響くと同時に、空洞全体が地震を通り越した激震に揺れる。それは、空間を保てるはずもなく、岩盤が蒸発するように消し飛び、そこを起点として山そのものの構造に亀裂が駆ける。
「や、やばい……! 上が……!」
マリナが天上の穴を指差した。
空洞を支えていた壁面が破壊されたことで、均衡が崩壊していく。轟音と共に、天井、岩盤、数千トンもの土砂が、無慈悲な瀑布となって降り注いだ。
「うわあああああああっ!」
ナユの絶叫も虚しく、崩落の音に掻き消される。
ツルカは落下する岩盤を足場にしながら、入り口付近で待機するジンたちの元へと向かって跳躍した。
「ツルカちゃん、早く!」
竜は崩落に巻き込まれ、その巨体が大量の土砂に埋もれていく。
数瞬後、まるで世界が終わったかのような轟音が止み、静寂が訪れた。
山の頂上部は完全に吹き飛び、地下ホールはもはや地下ではなく、巨大なクレーターのような、剥き出しの谷へと変貌した。
眩いばかりの太陽光が、もうもうと立ち込める粉塵を容赦なく照らし出す。
「……げほっ、げほっ……! お、おい……みんな、無事か……!」
粉塵の中から、ジンの声が響く。
「なんとか……!」
「ツルカちゃんは!?」
「僕は、ここ!」
崩落から間一髪、ツルカは通路の入り口へと飛び込んでいた。
「だ、大丈夫か、お前! あんな無茶しやがって……」
「う、うん。心配してくれてありが──────」
すると瓦礫の山が、内側から爆ぜるように盛り上がった。
「グオオオオオオオオオオッッ!」
全身に無数の傷を負いながらも、竜が瓦礫の中からその姿を現した。
そして、その視線は再びツルカを捉える。
「……ま、マジかよ」
ジンが乾いた笑いともつかない呼気を漏らした。
「ひ、ひぃ……! なんて魔物なの……!」
「まだ、立てるの…、」
「やっぱあいつは普通じゃねえ。勝てるのか……?」
ツルカは服についた土埃を払い、またしても竜の前に立ちはだかる。
《これは……おそらく、今のマスターの制御技術では、全魔力を引き出しても決定打には……。まだ、マスターは未熟だ。無理をさせては……》
アイナの不安に満ちた呟きが静かに響く。
しかし、今のツルカには、そんな声も届かず、ただ目前の竜を見上げ、精悍とした佇まいで睨み返す。
「……ジンさん。それに、マリナさん、ナユさん」
ツルカは凛と、改めて仲間の顔を見つめる。
「僕は、普通じゃないのかもしれない。ありえないことをしたり、なんなら不気味で怖くなっちゃったり……。僕と喋るのが怖くなるかもしれない」
「ツルカ……ちゃん?」
「でも、僕は君たちが仲間に誘ってくれたことがとても嬉しかった。それは本心。もし……」
ツルカは迷いのない屈託のない笑みを浮かべ、三人に拳を突き出した。
「それでも僕を仲間として迎えてくれるのなら、それ以上嬉しいことはないよ!」
ツルカは先ほどとは比較にならない、膨大な魔力をその身から放出させた。
それは今のツルカが出せる、全力の魔力だった。
「僕は、あれを倒す……!」




