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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ギルド 編

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46/86

18

 あれから数時間後、一険しい岩の斜面を慎重に下り続けた一行は、ついに目的の谷である底へと降り立った。

 そこは太陽の光がほとんど差し込まない、切り立った崖に挟まれた深い渓谷だった。

 空気は淀み、冷たい風が崖と崖の間を反響しながら吹き抜けていく。

 ツルカたちが歩いているのは、かろうじて道と呼べる程度な川岸の岩場だった。

 すぐ側では、山頂からの濁流が、轟音を立てて流れ下っている。


「全員、足元気をつけながら歩けよ!」


 ジンの声が、反響する水音に負けじと響く。

 マリナは弓をつがえ、ナユは杖を握りしめ、周囲の薄暗い岩陰を警戒しながら進む。

 ツルカはその緊張感に満ちた空気を肌で感じながらも、自分にしか聞こえない声に意識を集中させていた。


《マスター。先ほどの咆哮の主は、この渓谷の奥深くにいます》


 ツルカはアイナのその声に、小さく頷いた。


《データ不足により算出不能。ですが、この谷の構造からして、逃げ場はほとんどありません。戦うことになれば、かなり……》

(う、うん……)


 ツルカの表情がわずかに硬くなる。


《しかし、声の主はとてつもなく大きい反応を示しています……。強大な相手なのは、間違いないかと……》


 ツルカはその不穏な警告を胸にしまい、黙ってジンたちの後を追った。

 ナユはというと、あの山牙兎との戦闘の後から、あからさまにツルカから距離を取っていた。時折、怯懦な眼差しでツルカのことを盗み見ている。

 その様子に気づかないツルカではなかったが、なぜナユが自分をそんな目で見るのか、その理由は全く見当がつかなかった。


「……しかしよぉ」


 張り詰めた空気に耐え切れなかったのか、ジンが不意に口を開いた。


「腹、減らねえか」

「……ジン。今、その話いる?」


 マリナが前方を警戒したまま呆れたように答える。


「いや、さっきの兎だよ。一口くらい貰えばよかったと思ってよ」

「あ、あれね。とってもおいしかったよ!」


 ツルカが待ってましたとばかりに会話に割り込んだ。


「やっぱり獲れたては違うよね。表面はカリッとしてて、中はジューシーで!」

「……だろうよ。あの匂い、よかった……。けどよ、今さっき倒したばっかの魔物を食おうとは思えんくてな」


 最後尾のナユは、その会話を驚嘆の目で見つめ、やれやれと小さく首を振った。


「っていうか、ツルカちゃん」


 マリナが不意に、ツルカの方に振り返った。


「あの火の魔法、どこで覚えたの。魔導書も使ってなかったし、詠唱も『おいしくなーれ』って……あれ、詠唱じゃないよね? あんまり魔法に詳しくないけど、どうやったのー?」

「え? ああ、うん。なんとなく、こう、『燃えろー』って思ったら、燃えた」

「……燃えた。ふーん」


 マリナはそれ以上聞くのは無駄だと判断したのか、納得したような素振りを見せた。

 ナユの顔がまた一段と青ざめる。今朝説明したばかりの『無詠唱魔法』をなんとなくで使ったという事実に、ナユの理解が追いつかない。


「ま、ツルカは規格外ってことだ。便利でいいじゃねえか!」


 ジンが豪快に笑い飛ばして、ツルカの背を叩く。


「それより、この依頼が終わったら、報酬はきっちり四等分だからな! Cランクのポイズンドラゴンだ。素材だって持って帰ったらそこそこの値になるだろ」

「ポイズンドラゴンの素材でしょ? 牙と毒袋がメイン。皮はなんとか、服に使えたり……。せいぜい銀貨数枚。山分けしたら、宿代で消えちゃうよ」

「夢がねえな、マリナは」

「現実を見てるだけ。それより、あの咆哮の主。あれがもし、最近話題のAランク指定『大規模地形変動』の原因だったとしたら、ポイズンドラゴンどころの騒ぎじゃないよ。もしかしたら私たちは、とんでもない魔物に近づいているのかも」


 マリナの冷静な分析に、ジンの口数が減る。ジンの強気な態度は、この底知れない谷のプレッシャーに対する、彼なりの虚勢だったのかもしれない。


「……だ、だからよ」


 声を震わせながら、ジンはマリナの方に振り返る。


「だから、色々なクエストをこなして、俺たちのランクを上げる必要があんだろ! Cランクのままじゃ、ナドラナのギルドの家賃だって払うのがやっとだ!」

「……それは、そうだけど」

「ランクが上がれば、もっとデカい依頼が受けられる! そうすりゃ、マリナの弓だって、ナユの魔導書だって、もっといいのを買える!」

「え、あ、ありがとう、ジン……」


 ナユは少し頬を赤らめて、思考に沈むように俯いた。


「……もっと凄い魔導書があれば、ツルカちゃんみたいに魔法が使えるようになる、のかな……?」

「魔導書って高いの?」


 ツルカが純粋な好奇心で尋ね、ナユの方へと振り返る。


「奇術級の魔導書でも……金貨二十枚はしたよ。色々な依頼で稼いだお金、全部……」

「うおっ、高っ! ステーキ何皿分だ……」

「ツルカちゃん、そればっかりだね」


 今度は本気で呆れたように、マリナは苦笑した。


「でも、確かに。私も新しい矢筒が欲しいし、ジンの剣もそろそろ研ぎ直さないと……刃こぼれが酷い。……結局、私たちはお金のために、こんな谷底まで来てるってわけだ」

「そうだ! 金だ、金。金さえあれば、大抵のことは解決する!」


 自分に言い聞かせるように、ジンが再び声を張り上げた。

 ツルカは哀愁漂よわせながら、三人の話を聞いていた。

 お金。家賃。魔導書。矢筒。三人が語る言葉は、ひどく現実的で、切実なものばかりだった。


「……ん?」


 そんな雑談が途切れ、一行が谷の分岐点に差し掛かった時、鋭いマリナの視線が、片方の岩壁を捉えた。


「みんな、あれ」


 全員がマリナが指し示した先を見ると、巨大な岩が折り重なる谷の壁に、空洞が黒々と口を開けていた。


「……なんだ」


 ジンの声からそれまでの軽薄な響きが消え、一行に緊張が走る。


《マスター。この内部です。この奥に、先ほどの巨大な反応が居座っています》

 

 ツルカの頭の中で、アイナの声が冷静に響く。


《なにか、異様です。警戒を》


 ツルカが内心で状況を整理している間にも、ジンは決断を下していた。


「……入るぞ。ナユ、灯りを」

「う、うん……!」


 ナユは緊張で唾を飲み込み、杖を構えた。


「【集え、源素。我が指先に、小さき光を灯せ】……『灯火』!」


 今度はナユが使い慣れた詠唱だった。

 ナユは魔導書に記された基本公式を携えている杖の先端へと適用させた。杖に備え付けられた安価な魔石が触媒として機能し、ナユが流し込んだ魔力を効率よく灯りへと変換する。ナユの杖の先端に、洞窟の闇を払うには十分な明るい炎が灯った。


「よし。俺が先頭だ。マリナは援護。ナユとツルカは、俺のすぐ後ろだ。絶対に離れるな」

「わかった」

「う、うん」


 ジンを先頭に、マリナが弓を構えて続き、ナユとツルカが中央に入る。四人は慎重に、その暗い洞窟へと足を踏み入れた。


「ちょっと寒いね……」

「うん。冷えてる」


 洞窟の中は外の渓谷よりもさらに空気が冷たく湿っていた。


「……それに広い、な」


 しばらく進んだところで、ジンが呟いた。

 道は下り坂になり、徐々に空間が広がっていくのを感じる。ナユの『灯火』が照らす光が、遠くの壁に届かなくなっていた。

 そして、四人が最後の狭い通路を抜けた瞬間、全員が息を呑んだ。


「な、なんだこれ……」


 目の前に広がったのは、目を疑うほどの巨大な空洞だった。山の内側がまるで削り取られたかのように、ホール状の部屋を抱え込んでいる。

 だが、そこは完全な地下ではなかった。

 遥か頭上を見上げると、巨大な穴がまるで火山の火口のように、まっすぐに空へと突き抜けていた。穴から眩しい光が差し込み、地下ホールの輪郭を淡く照らし出している。

 するとナユが、震える手で中央を指さす。


「ひ、ひぃ……!」

「でかい……!」


 それは、とぐろを巻いて眠る巨大な竜だった。

 大きさは優に二十メートルを超える。

 鱗の色は濡れた岩肌のような、黒に近い深緑色。天から照らされる陽光を受け、その表面がぬらりとした光沢を放っていた。閉じられた瞼は、それだけで人間ほどの大きさがあった。

 その圧倒的な存在感を前に、ジンとマリナ、ナユは恐怖で一歩も動けなくなっていた。

 しかし、ツルカだけがその巨大な竜を見つめて、静かに喉を鳴らした。

 竜が発する『穢れ』とも呼ぶべき気配。ツルカが本能で最も嫌悪する気配が、その満面に静かな怒りを形作っていた。

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