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西の平原を抜け、徐々に道は険しさを増していく。地面は柔らかい土から硬い岩肌へと変わり、周囲の木々も背の高い針葉樹が目立ち始めた。
ツルカたちは、ナドラナの町を囲む山岳地帯の麓に入ったのだった。
「ちょっと、ジンさん? 本当に手を離してくれない? 自分で歩けるってば」
「うるさい。信用できねえ」
「してよ。大体、僕の方が君より強いんだから、本気で逃げたら掴まってないし」
「な、なんだと、てめえ!」
「ふ、二人とも、落ち着いて! もうすぐ日が暮れちゃうよ!」
ナユが慌てて間に入り、マリナがその後ろでやれやれと肩をすくめる。
ツルカと三人のやり取りは、まるで以前から知っている仲間同士のように、不思議なリズムを生み出していた。ジンの強引さも、ツルカにとっては鬱陶しいというより、構ってほしがる大型犬にじゃれつかれているような、奇妙な感覚だった。
《マスター。このままだと、日没までに目的地に到着するのは不可能です。野営の準備を推奨します》
(あ、アイナもそう思う? 僕もそう思ってた)
ツルカがアイナと内密に会話していると、不意にジンの足が止まる。
四人は比較的開けた岩棚に到着していた。
「……ちぇ。ここまでか」
ジンが空を見上げると、太陽はすでに西の山の稜線に隠れようとしていた。
空は燃えるような橙色から、深い藍色へとグラデーションを描いている。
「今日はここで野宿だな。ナユ、お前は水と食料。マリナは火だ。ツルカ、お前は─────」
「あ、じゃあ僕も食料調達してくるよ!」
ツルカは掴まれていた手首を隙をついて素早く引き抜いた。
「なっ、お前!」
「大丈夫だって。すぐに戻ってくるから。ね?」
ツルカはにっこりと笑うと、ジンの返事も待たずに身軽な動きで近くの茂みへと姿を消した。
「あいつ……! やっぱり逃げたか……」
「だ、大丈夫だよ」
ジンが苛立ちを露わにするが、ナユが慌てて制止した。
「あの子、悪い人じゃないと思うし……。それより、私たちも準備しないと! 私は近くの川を見てくるね」
ナユはそう言うと、傍らに立てかけていた自身の杖を手に取った。それは熟練の魔法使いが持つような豪奢なものではなく、磨かれた樫の木でできた、実用一辺倒のシンプルな杖だ。
ナユはその先端に、釣り糸と針を器用に結びつけ始めた。まるで、杖を釣り竿にするかのように。
「じゃ、私は枝集め。火がなきゃ夜は越せないからね」
マリナも手慣れた様子で、周囲の枯れ枝をテキパキと拾い集め、一箇所に手際よく積み上げていく。
一方、森に駆け込んだツルカは、すでに獲物を探していた。
《マスター。この先、二百メートル。岩陰に、山岳兎が五羽。夕食には十分でしょう》
「りょーかいっ」
ツルカは音もなく森を駆け抜け、獲物を探していたのだった。
数分後。
ジンたちがキャンプの準備をしている岩棚に、ツルカはひょっこりと顔を出した。
その手には立派な山岳兎が五羽、首の骨を的確に折られた状態でぶら下がっていた。
「……お前、本当に戻ってきたのか」
「だから言ったじゃん! はい、これ夕飯だよ!」
「お、おう……」
ジンは差し出した獲物と、ツルカの飄々とした顔を信じられないものを見るような目で見比べた。
その頃、ナユは川で釣り上げた魚の内臓を取り出しており、どこか渋々とした様子で、ジンもツルカが狩ってきた兎を手際よく解体し始めていく。
「ナユ、お願い」
マリナが積み上げた枝の山を顎で示す。
「うん、わかったー」
ナユは魚の処理を一旦中断し、杖を枝の山に向ける。短い詠唱を呟くと、杖の先端に小さな火の玉が生まれ、それがふわりと飛んで枝へと吸い込まれた。
枝は一瞬の燻りの後、勢いよく音を立てて燃え始める。そして、ジンたちが肉と魚を串に刺さして炙り始めると、たまらない匂いが辺りに立ち込めていった。
ツルカは燃え盛る炎を見つめながら、ごくりと喉を鳴らした。
「わあ……なんか、いいね。こういうの」
「こういうの?」
ナユが魚の串を返しながら、不思議そうに尋ねる。
「うん。みんなでご飯の準備して、火を見て。冒険って感じがする」
「冒険、ねえ。こっちは生活かかってるけど」
マリナが火に手をかざしながら冷静に呟く。
「まあまあ。でも、ツルカちゃんの言うこともわかるよ。こうして、無事に一日の終わりにご飯が食べられるのは、幸せなことだよね」
ナユが優しく微笑んだ。
やがて、肉と魚が完璧に焼き上がる。
「よし、食うぞ!」
ジンの合図で、四人は一斉に串に手を伸ばす。
「んんーっ、おいしい!」
ツルカは熱々の兎肉にかぶりつき、目を輝かせた。
余計な味付けは何もない。ただ、火で炙って軽く塩を振っただけ。それなのに、肉本来の旨味が口いっぱいに広がり、炭火の香ばしさが鼻を抜けていく。
ナユが釣った川魚も、身がふっくらとしていて絶品だ。
「ははっ。お前、噂通り、本当に美味そうに食うな」
ジンが串をかじりながら、少し呆れたように笑う。
「噂の『暴食』は伊達じゃないってわけだ」
マリナが茶化すように言うと、ツルカは口をもぐもぐさせながら目を細めた。
「違うよ、美味しいものを美味しく食べてるだけだって!」
「はいはい。ツルカちゃん、こっちのお魚もどうぞ」
「ありがとう、ナユ!」
火を囲んでの食事は思いの外、和やかで楽しかった。
そこから、他愛もない談笑が始まる。
ツルカがちょっかいを出した時、ジンがいかに自分の剣の反応が早かったかを自慢し始めると、マリナが苦笑しながら肯定すれば、ナユは本気で焦ったと直々にツッコミを入れる。
負けずと、ツルカもナドラナの酒場のステーキがいかに美味しかったかを熱弁し、いつしか一緒に食べようと誘う。
四人の会話は決して中身があるわけではないが、途切れることなく続き、幸せな笑い声が静かな夜の山に響いていた。
《マスター。楽しそうですね》
(なんだろう……この感じ。分からないけど、嫌じゃないね)
ツルカはこの温かい雰囲気を壊したくなかった。
三人との会話が、ツルカの胸にじんわりと染み込んでいくような気がした。
「あ、あのね、ツルカさん」
しばらく雑談が続いた後、ふとナユが真面目な顔つきでツルカに向き直った。
「ん? どうしたの、ナユ」
「こんなこと、急に言われても困ると思うんだけど……。もし、ツルカさんが一人で……特定のギルドに入ってないなら、私たちと一緒に行動しない?」
ナユの言葉に、ジンとマリナも、それまでの冗談めかした表情を消し、真剣な目つきでナユを見つめた。
「え、ギルドって、君たちの?」
「うん。まあ、ギルドって言っても、名前を登録してるだけで、メンバーはこの三人だけの、極小で……多分、ナドラナでは最弱のギルドなんだけど」
ナユは恥ずかしそうに頬を掻く。
「そこまで卑下することねえだろ」
「でも、本当のことだし……。私たちは、まだCランクのクエストを三人でこなすのがやっと。ポイズンドラゴンだって、正直、勝てるかどうか……」
ナユの瞳が不安に揺れる。
「でも、ツルカさんがいれば、きっと違うと思うんだ。あなたの強さは本物だって、大牙猪を見て思ったから……」
「…………」
「もちろん、無理にとは言わない。私たちじゃ、逆にツルカさんの足手まといになるかもしれないし……」
ツルカは黙って、三人の顔を順番に眺めた。
荒々しいけれど、仲間を危険にさらすまいと剣を振るったジン。
心優しく、パーティの潤滑油になっているナユ。
冷静で、的確に状況を見ているマリナ。
確かに、まだ弱いのかもしれない。だがこの三人といる時間は、ツルカがこの世界に来てから感じたことのない、『楽しさ』と『安心感』を教えてくれた気がした。
《マスター。提案ですが、彼らのギルドに加入することを推奨します》
(え、でも……)
《マスターに目標があるのは百も承知です。しかし、あなたがこの世界で『ツルカ』として生きていく上で、社会的な所属を持つことはあなたの行動をカモフラージュする上で極めて有効です。何より……》
アイナは、珍しく言葉を切った。
《……マスターが『楽しそう』だと判断した感情は、今後の精神安定において優先すべき事項です》
アイナの意外な言葉に少し驚きながらも、ツルカは口元を緩めた。
仲間を作るのも、悪くないのかもしれない。
「……うん。いいよっ」
「え?」
「僕でよければ、君たちのギルドに入れてよ」
一瞬の静寂。皆が目をパチパチとさせた。
次の瞬間、ナユが歓声を上げ、ツルカの手に飛びついた。
「ほ、本当!? 本当にいいの、ツルカちゃん!?」
「ち、ちゃん? うん。いい、いいよ。よろしくね、ナユ」
「おいおい、まじかよ……こんなギルドにメンバー増えるとかよ……」
ジンはぶっきらぼうに頭をガシガシと掻きながらも、その口元は嬉しそうに吊り上がっている。
「でもまあ、まずはこのクエストが終わるまで仮加入ってことで! 正式な手続きはやり方知らないから」
「お、おう」
「こりゃ、面白くなってきた。最強の新人、ゲットだね」
マリナもクールな表情を崩して、楽しそうな笑みを張り付けた。
歓喜する三人に囲まれ、ツルカは少し気恥ずかしくなる。
「でも、明日、ちゃんと帰れるかな。ツルカちゃんの手続きは楽しみだけど……勝てるか……」
「帰るに決まってんだろ。生きて帰るんだ」
ジンが真剣に、ナユの瞳を見据える。
「新人にいいとこ見せなきゃねー」
「あ、あのさ。一つだけ言っとくけど」
ツルカはこれから仲間となる三人をまっすぐに見据え、人差し指を一本、ぴんと立てた。
「僕、『暴食』って異名は不本意だからね! そこだけはよろしく! でも、ご飯はいつもより多めにお願い!」
珍しくもツルカの真剣な宣言に、三人は顔を見合わせて大きな笑い声を上げた。
その夜は、四人で交代しながら火の番をした。
ツルカは自分の番を終え、簡素な毛布にくるまる。隣からは、ジンとマリナの健やかな寝息が聞こえる。
空には満天の星が輝き、一つの流れ星が駆けていた。
(仲間かー……ふふっ)
ツルカは照れくさそうに小さく微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。




