13
三人はまるで新鮮な獲物を品定めするかのように、大牙猪の亡骸を囲んでまじまじと観察している。
その真剣な横顔を木の陰から覗き見ながら、ツルカの心に悪戯心が芽生えた。
(よし、ちょっと驚かせてやろう~)
《……子どもか》
ツルカは口元に人差し指を当てて猫のような笑みを浮かべると、音もなく三人の背後に回り込んだ。
そして、思い切り息を吸い込む。
「──────わっ!」
森の静寂に、ツルカの底抜けに明るい声が響き渡った。
三人は文字通り、肩を跳ね上がらせて飛びのいた。
だが、その中で剣士の男の反応だけが明らかに異質だった。
男は悲鳴も上げず、振り向きもせず、ただ反射的に腰の剣を引き抜くと、背後──ツルカのいた場所を、空間ごと断ち切るように真横に薙ぎ払った。
ツルカはその獣のような反射速度に、一瞬だけ目を見開いた。
「危なっ!?」
空気が裂けるような音と甲高い金属音を残し、ツルカがとっさにしゃがみ込んだ頭上を抜き身の刃が通り過ぎる。切っ先がツルカの髪の先端を掠め、切り離された毛先が花びらのように宙を舞い散った。
「ひ、ひゃああああっ!」
やや遅れて、魔法使いの女が腰を抜かさんばかりの悲鳴を上げた。
「な、なんだお前っ!」
剣を振り抜いた男が、ようやくツルカを視界に捉えた。その顔は、今しがた人を斬りかけたことで真っ青になっている。
「ご、ごめんなさい! ちょっと、面白半分で驚かせようと……」
ツルカは両手を上げ、慌てて謝罪した。
さすがに、挨拶代わりに首を刎ねられそうになったのは予想外だった。
「バカ野郎! 面白半分でお前が死ぬところだったんだぞ……!」
男は剣を鞘に納めながらも、荒々しくツルカを睨みつける。
「……ん、待てよ。お前……」
男はふと何かを思い出したように、ツルカの顔と、そこらに転がる大牙猪の亡骸を交互に見つめた。
「この大牙猪、首筋の打撃痕だけで即死……。まさか、あんたがやったのか」
「え、ああ、うん。そうだけど……」
「……やっぱりか。お前、噂の『暴食』ツルカだろ」
男の言葉に、ツルカは不服にも変な異名がついていたことに、思わず首を傾げた。
「暴食……?」
「ほら、ナユ。ナドラナの町で噂になってるCランクの冒険者だよ。Bランクの魔物もソロで平然と倒す、とんでもない新人だって話」
弓を背にかける少女が、悲鳴を張り上げた魔法使いの女に耳打ちする。
「俺たちはナドラナを拠点にしてるCランク冒険者だ。俺はジン」
そう名乗った剣士の男──ジンは、気まずそうに黒髪のアップバングをかき上げた。黄土色の瞳は細められ、険しい目尻はジンの荒んだ雰囲気を際立たせている。
「わ、私はナユ。魔法使いです。ご、ごめんなさい、ジンが乱暴して……。もう、ジンったら。殺人に手を染めたら縁を切るところだったよ」
「……ん、俺が悪いのか!?」
慌てて駆け寄ってきたのは魔法使い──ナユだった。
陽光が木々の間から差し込み、彼女の茶髪のポニーテールを金に輝かせている。宝石のように光彩を放つ大きな橙色の瞳が、温厚そうな垂れ下がったまなじりの下で、心配そうにツルカを映していた。
「私はマリナ。弓使い」
一歩下がった位置で短く名乗ったのは、弓矢使いの少女──マリナだった。
三人の中では一番年齢が低く、さらにはツルカよりも幼く見える。
黄金が混じったようなヘーゼルの瞳が、警戒と好奇の入り混じった光を宿していた。光を悉く反射する漆黒のミディアムと、もみ上げから垂れる三つ編みが印象的だった。
「俺たちはこれから、この先の山岳地帯にいる『ポイズンドラゴン』の討伐に向かうところなんだ」
ジンが仕切り直すように言うと、首を回しながら気だるげに脱力した。
「ポイズンドラゴン?」
《Cランクにしては少し強い魔物と言われていますね。群れで動くことの多い小型のドラゴンです。舐めてかかれば……集団で袋叩きにされることもしばしばで……》
「わお……。Cランクにしては少し強い魔物なのか……」
ツルカが純粋な感想を口にすると、三人の間に重い沈黙が流れた。
ナユが不安そうにジンの横顔を見上げ、ジンは苦々しげに舌打ちをする。
「……そうだな。だが、今日はこの依頼しか金にならなくてな」
その言葉に、ツルカは先ほどまでの悪戯心を急速にしぼませ、わずかな罪悪感を覚えた。彼らは彼らで、必死だったのだ。
「あ、あの、本当にごめんなさい! 驚かせたりして……。僕はこれで失礼しますので……」
ツルカはそそくさとその場を離れようと、一歩踏み出した。
「おい、待てよ」
しかし、無骨な手が強くツルカの肩を掴んだ。
振り向くとそこにはジンが立っている。
その顔には先ほどの怒りとは違う、ちょろい獲物を見つけたかのような、下品な笑みが浮かんでいた。
「脅かしたんだから、なんか、お詫びくらいしていけよ」
「……うん?」
ジンはツルカの肩に腕を回し、馴れ馴れしく引き寄せる。
「どうせこの後、暇だろ。Bランククエストをほいほいこなす野郎だ。俺たちのポイズンドラゴン討伐、手伝え」
「え、ええ……?」
ツルカは予期せぬ展開に、困惑の表情を浮かべるしかなかった。
「なぁ? 俺たちを驚かした罰だよなぁ」
「え、そんなぁ。ご冗談が上手でー……」
ジンはツルカの肩を掴む腕に、さらに力を込める。
「なぁ?」
「えっと………」
「なぁぁぁぁぁぁ?」
(終わった……! この人意地でも逃さない気だ!?)
ツルカがジンの圧に気圧されていると、今まで黙っていたナユが慌てて割って入る。
「ちょっと、ジン! さすがに強引だよ。ツルカさんも困ってるし、これは私たちのクエストなんだから」
「あ? 部外者が手伝っちゃいけないなんてルールあったか」
「そういう問題じゃ……」
「まあまあ」
ナユが必死にジンを諌めようとするが、今度はマリナが割り込んでくる。
「でも、面白そうじゃない? ナユ」
「あえぇぇ? マリナまで……?」
「だって、噂の人だよ? どんな戦い方するのか、ちょっと見てみたいかも」
マリナは好奇に満ちたその瞳で、ツルカをまじまじと見つめている。
「ほら、マリナもこう言ってる。決まりだなっ」
ジンは勝ち誇ったように笑うと、ツルカの背中をパンと叩いた。
強引なジン、心配そうなナユ、好奇心旺盛なマリナの三人に囲まれ、ツルカは完全に逃げ場を失ったことを悟る。
《おめでとうございます、マスター。見事に自業自得という名の罠に捕獲されましたね。浅はかな悪戯が招いた結果ですっ!》
(うるさいなぁ!?)
内心でアイナの嘲笑を振り払い、ツルカは観念したように大きくため息をついた。
「……わかった、わかったよ! 手伝えばいいんでしょ、手伝えば……」
「おう、さすが話が早い!」
ジンは満足そうに頷くと、今度はツルカの右手首をがっしと掴んだ。
「よし、交渉成立だ。善は急げ、山岳地帯に向かうぞ!」
「え、ちょ、手、手を離してよ! 逃げないからぁぁ!」
「駄目に決まってんだろ。また悪戯して逃げられたら困る」
「しないってばー!」
ツルカの抗議も虚しく、ジンはまるでわが子を引率するかのように、ぐいぐいとツルカの手を引いて森の奥へと歩き出した。
そうして四人は、山岳地帯へと続くさらに薄暗い獣道へと入っていき、木々はより鬱蒼と茂り、空気もひんやりとしてきた。
ツルカはジンの大きな手に引かれながら、必死に足を動かす。その後ろをナユが心配そうな顔で寄ってくる。
「ごめんね、ツルカちゃん。ジンったら、昔から強引で……」
「つ、ツルカ、ちゃん? あ、いや、ううん、僕が悪戯したのが悪いし……。でも、ちょっと力が強いかな……」
ツルカが赤くなり始めた手首に視線を落とすと、ナユは苦笑しながら声を潜めた。
「あのね。ジンって、本当はとっても優しい人なんだよ。……特に、子どもが大好きで」
「え、こ、この人が?」
ツルカは、ジンの大きな背中を意外そうに見つめた。
「町じゃ、いつも広場で子どもたちを集めて遊んであげてるの。だから、ツルカちゃんのことも……その、年下だから気にしてるのかも?」
(僕、子ども扱いされてるのか……。悪い気は……しない、か?)
ツルカが絶妙に複雑な表情を浮かべていると、二人の会話が聞こえていたらしいマリナが、くすくす笑いながらジンを見る。
「私たちには全然優しくないのにね~。ジンはやっぱり、小さい子専門なんだ。私には飽きちゃったのかなぁ~」さ
「あ? なんか言ったか、マリナ!?」
ジンが獣道の前方で足を止め、振り返ってマリナを睨みつける。
「べーつにー。早く行こうよ、お子ちゃまの手を引く優しいジンさーん」
「うるせえ! お前らもさっさと歩け!」
ジンは顔を赤くして怒鳴ると、再びツルカの手を引いてずんずんと山道を進んでいくのだった。




