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「────うんめぇぇぇっ!」
冒険者ギルドに併設された酒場。その一角で、ツルカの魂の叫びがこだました。
ツルカのテーブルの上には、先ほどのBランククエストの成功報酬──Cランクの新人としては破格の金貨によって、この世の幸の全てが具現化していた。
肉汁滴るステーキと、山と積まれた揚げポテト。チーズがとろける熱々のパンシチューに、色鮮やかな果実の盛り合わせ。その全てが、ツルカの口の中で至福の交響曲を奏でる。
いったい、それはツルカの小さな身体のどこに消えていくのか。
《……はぁ。ギルドに戻ってカードを提示した時の、あの受付嬢の引きつった顔……。まさか、目玉も持ってくるなんて思ってなかったでしょうね》
「いいじゃん、アイナ! 結果オーライでしょ! 念の為、実物も持っていったほうがいいと思ったし。でも、ちゃんとカードに魔力情報を読み込ませられてよかった! それよりコレ! この肉、うんめぇ!」
《え、ええ。……まさか、あの木っ端みじんの状態から、唯一眼球が残るとは……奇跡としか言いようがありませんが……。ですが、あの破壊痕の報告がギルドに届くのも時間の問題かと……》
「もぐもぐ……だいじょーぶ、だいじょーぶ! ……たぶんね!」
アイナの心労をよそに、ツルカはひたすら食べ続ける。その尋常ならざる食べっぷりは、酒場の喧騒の中でも、異様な注目を集め始めていた。
「……おい、新人。あのテーブルに、またステーキ三皿とパン五個だ」
「ひっ……! ま、またですか店長!? あんな子のどこにあれだけの食べ物が……。もう、なんか……見てると怖くなってきます……」
注文を取りに来た若いウエイトレスは、空腹の獣のように料理を口に運ぶツルカの姿に、絶えず顔を引きつらせていた。
だが、その異様な光景は、酒の入った男たちにとって格好の的だった。
「よう、嬢ちゃん。ずいぶんと景気のいい食いっぷりじゃねえか」
下卑た笑いと共に、三人のチンピラ風の男がツルカのテーブルを取り囲む。
「Cランクのガキが、Bランククエストをクリアしたって噂ぁ聞いたぜ? 調子乗ってんじゃねえか、あぁ?」
男の一人が、ツルカの純白の髪に手を伸ばそうとする。
しかし、ツルカは顔を上げない。
「もぐもぐもぐもぐ……」
ツルカは男の手を無視し、ただ目の前の骨付き肉に集中していた。
「……あ? 無視してんじゃねえぞ、コラ」
今度は苛立ちを込めて、男はツルカの肩を掴もうとした。
「……ねえ」
ツルカは肉を頬張りながら、初めて男たちを見上げた。その碧眼は、食事を邪魔されたことへの純粋な不快感に満ちていた。
「君たち、うるさいよ。せっかくのソースの香りが、君たちの腐ったエールみたいな口の匂いで台無し」
「……は?」
「それに、僕の美味しいご飯の時間を邪魔するなんて、何様のつもり? もしかして、君たちのお母さんから『人が食べてる時は静かにしなさい』って習わなかったの? かわいそうに」
「なんだとぉ!?」
ツルカお得意の煽りが始まった。
完全に頭に血が上った男がツルカの顔面めがけて、その大振りな拳を叩きつけようとする。
だが、ツルカは椅子に座ったまま、迫りくる拳をこともなげに掴んで見せた。
「……え?」
男の巨体が、少女の華奢な腕一本でピタリと静止する。
「……くさっ!? 手、臭すぎでしょ! こりゃ、消毒しなきゃ!」
ツルカが無造作に男の手首を握りしめる。
その直後、骨が砕けるような乾いた音が酒場に響いた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
男が手首を押さえ、絶叫しながら床に転がる。
残りのチンピラ二人が怯んだ隙を見て、ツルカはすでにその背後に回り込んでいた。
「──え?」
二人のチンピラがツルカの姿を認識するよりも早く、ツルカは二人の首筋に寸分たがわず手刀を叩き込む。
「ぐっ……!」
「がっ……!」
二人は声も出せずに床に沈み、ツルカは満足そうに手をはたく。
「……ふぅ。お会計、お願いしまーす!」
ツルカは何事もなかったかのように店員を呼び、金貨をテーブルに置いた。
「今の見たか?」
「あのガキ、ヤベェ……」
酒場は一瞬の静寂の後、新たな酒の肴ができたことを喜ぶように、再び喧騒を取り戻した。
ツルカは満腹のお腹をさすりながらギルドの外に出てみると、空はすっかり茜色に染まり、日が傾きかけていた。
「ぷはー! 食べた食べた! いやー、生きてるって最高だね、アイナ!」
《……あなたという人は。まあ、食欲が満たされたのなら、次は宿ですね。……あれ、ちょっと待ってください》
「ふっ、気が付いたようだな」
ツルカは悪巧みしているような下品な表情を満面に貼り付け、鼻で笑ってみせた。
「そう。僕はご飯に、全てのお金を使った……! なんて、ワイルド」
《ただのアホだろ》
「悪口はだめです」
《ちょ、何やってるんですか。野宿ですよ、全く。とにかく、日が落ちる前に、早く寝床を確保しな───》
「───ほぅ。見事なものじゃ」
その時、朗らかだがどこか不思議な響きを持つ声が、ツルカの足を止めた。
「……ん? おじいちゃん、誰?」
ツルカが振り向くと、そこには一人の老人が立っていた。
その姿は、奇妙の一言に尽きる。
まず、まん丸だった。背は低いが、横幅もそれと同じくらいあり、まるで球体に手足が生えたかのように丸い。ただ丸い。
服装は、これでもかと星と月の刺繍が施された派手な紫色のローブ。その手には、自らの身長よりも長い、先端に巨大な水晶玉が埋め込まれた杖を突いている。
その老人は満面の笑みで、ツルカを心底感心したように見つめていた。
「ホー、ホッホ。いやはや、驚いた。その若さで、これほどの『暴威』と『武威』を……その小さな器に収めておるとは」
「……暴威? 武威? おじいちゃん、何の話?」
《………!》
あからさまに動揺したアイナが、言葉を発することなく黙り込んだ。それは恐怖ではなく、明らかに想定外の存在に遭遇したことによる混乱だ。
《なぜ、このタイミングで……!?》
アイナの異常な取り乱し方に、ツルカは目の前のまん丸な老人を改めて見据えた。
「……おじいちゃん。一体何者?」
ツルカが怪訝を帯びた声色で問うと、老人は楽しそうに目を細めた。
そして、その視線はツルカの目を見ているようで、彼女の『内側』を見通しているかのように深淵を覗き込んでいた。
「わしは、ただの『傍観者』じゃよ。……しかし、実に興味深いのぉ」
老人の瞳が人懐っこい笑みの奥で、鋭くツルカの『魂』を観測している。
「『光』だけでなく、四封の力……魔界王第二位の『闇』までその身に取り込むとは。……ほう。それだけではない。その二つの相反する理を調停する、なんとも懐かしい『神器』の気配まで宿しておる」
「え……!」
ツルカの表情が、初めて険しくなる。
魔界王第二位。光。闇。
そしてツルカの記憶にはないが、明らかに自分の魂が知っている、その言葉が脳裏に焼き付く。
(……神器……?)
ツルカは老人の言葉の意味を全く理解できず、大きく首を捻った。
「……おじいちゃん。……僕のこと……一体どこまで知ってるの?」
ツルカから放たれる空気が、先ほどのチンピラに向けたものとは比較にならないほど、冷たく張り詰める。
「ホー、ホッホ。怖い、怖い。安心せい。わしは敵ではないとも。なにせ、わしら『七星』は、グレイの計画を止める側でなくてはならぬのでな」
「グレイ……! 計画……マリアネが言ってた……?」
「……『光の子』よ。君が『光』の力を振るわせるのは、もしかするとグレイらの計算の内やもしれぬ。……じゃが、決して奴に知られてはならぬぞ。君の内に、マリアネ殿の『闇』までもが宿ったという事実は。……それこそが、奴の計画の『最後の鍵』であると同時に、最大の『誤算』となるゆえな」
「…………!」
「それでは、また会おう。……ああ、そうだ」
老人はくるりと杖を回すと、ツルカに一枚の金貨を投げ渡した。
「明日の朝食代じゃ。先ほどの暴食で、宿分すら残ってないじゃろう? 腹が減っては戦はできぬ、からのう」
「傍観者って言いながら金貨くれるの、けっこう介入してない?」
「ホッホ。腹を空かせた子に飯代を渡すのは、世界の命運への介入ではなく、老人の道楽じゃ」
ツルカが金貨を受け取ると、老人は満足そうに頷き、まるでツルカの肩越しにいる誰かに語りかけるように、優しく目を細めた。
「主との久方ぶりの再会で大変じゃろうが、正しく導いてやるのじゃぞ。ほっほっほ!」
(……誰と喋ってるんだろう? 歳も歳だし、もしかすると幻覚かな?)
ツルカが見当違いなことを考えている間に、老人の姿は夕暮れの人混みの中に、まるで最初からいなかったかのように溶けて消えていた。
「あ、いなくなっちゃった……」
ツルカは渡された金貨を握りしめ、困ったように頭をかく。
「……なんだったんだろ、あのおじいちゃん。それに『神器』って、僕の新しい武器のことかな? どこにあるんだろね、アイナ!」
《…………》
ツルカがワクワクした様子で問うが、アイナからの返事はない。
「……あれ、どうしました?」
《宿を探しますよ、マスター。早くしないと良い部屋が埋まってしまいます!》
明らかに動揺を隠しきれない上ずった声で、アイナは強引に会話を打ち切った。
「た、たしかにそれはそうだっ! なんか金貨もらっちゃったし、ちょっと贅沢してふかふかのベッドで寝ようっと! 明日の朝食も豪勢にいっちゃおうかな? それでもう一回──────」
《……あの『七星賢者』……。よりにもよってこのタイミングで接触してくるなんて……。余計なことを……!)
アイナの焦りを知る由もなく、ツルカは貰った金貨を握りしめて、夕闇の迫る街を歩き出した。




