12
どれほどの時間が経過したのか。
絶対的な静寂と石畳の冷たさが、ツルカの意識をゆっくりと闇の底から引き上げる。
「……ん……」
重い瞼をこじ開けて視界に映ったのは、岩盤が迫る洞窟の暗がりだった。
思考が凍てついたように動かない。
なぜ、ここで寝ていた?
「……あ……」
乾いた喉から、掠れた声が漏れる。
痛む全身など意にも介さず、ツルカはさっと上体を起こした。
その瞬間、全てを思い出した。
グレイの追撃。落下。そして──────
「マリアネ……?」
すぐ傍らに、彼女は倒れていた。
あれほどの覇気を放っていたのが嘘のように、まるで古い人形のように色褪せた姿だった。
ツルカは這うようにしてマリアネの手に触れる。
「……つめたい……」
血の気を失い、石のように冷たくなった肌。呼びかけても、もうその瞳が開くことはなかった。
「……いやだ……。うそだ……。マリアネ……」
揺さぶっても、抱きしめても、返ってくるのは無情な沈黙だけだった。
「こんな……こんなのって……ないでしょ……」
嘘のように涙が溢れていく。
それはマリアネから託された『闇』のせいか、それとも悲しみからか。
頬を伝う涙は、まるで彼女の肌と同じように冷たく感じた。
《マスター……》
頭の中に、アイナの静かな声が響く。
そこにはいつもの機械的な冷静さとは違う、感情を押し殺したような、優しい響きがあった。
「アイナ……! マリアネが……マリアネが……」
《……分かっています。ですが、今は……立ち上がってください》
非情な言葉だった。
だが、アイナはツルカの心を抉ることになっても、百も承知で続ける。
《魔王マリアネは、マスターに全てを託しました。その命と、その力を。……そして、あの唯一の脱出口……ゲートのことを》
「ゲート……」
ツルカははっと顔を上げた。
マリアネの最期の言葉が蘇る。
──────あのゲートには……おそらく地上へと……行ける……一方通行の転移ぐらいは……できる力がある……。
「……そう、だ。行かなきゃ……」
ツルカはマリアネの亡骸からゆっくりと手を離した。
身体の内側で、二つの力が渦巻いているのが分かる。灼熱を放つ『光』と、全てを飲もうとする『闇』。二つがせめぎ合い、ツルカの身体を器としてかろうじて均衡を保っている。
《あの声………。まさか、この力をあろうことか………》
「……どういうこと」
《……今のマスターに話せば、精神が耐えられない。ごめんなさい、教えたくないです。いつかきっと……知る日までどうか》
「……そう」
《……今はゲートへ向かいましょう。魔王マリアネの、最後の希望を……無駄にするわけにはいきません》
ツルカはマリアネの亡骸をまっすぐに見つめた。
彼女に掛ける言葉は見つからない。ただ、ツルカは深く、さらに深く頭を下げた。
「……ごめん。……いいや……。ありがとう、マリアネ」
ツルカは彼女の手を胸の上で組ませて、そして、立ち上がる。
「いつか、必ず、戻ってみせる。君に、土産話をしてあげたい……」
ツルカは手を合わせ、静かに祈りをささげた。
膝はまだ震えていた。だが、その瞳には先ほどまでの絶望ではなく、託された闇のように静かで、冷たい決意の光が宿っていた。
全ての元凶である大魔王グレイを討つために。そして、マリアネが愛した世界を見るために。
「行こう、アイナ。地上へ。ツケを払わしてやらなきゃ……大魔王に……!」
ツルカは、二度と振り返らなかった。
託された命と力をその身に抱え、あの黒曜石のゲートへと向かうために踵を返す。
(……僕は、守れなかった……自分を過大評価しすぎてたみたいだ……)
後悔が思考を黒く塗りつぶそうとするたびに、体内で二つの力が激しくせめぎ合った。
その均衡の悪さがツルカの全身を痛めつける。立っているだけで意識が飛びそうになるほどだった。
《マスター、意識を保って。大丈夫です、アイナが直に、魔王マリアネの力をマスターの体に適用できるよう最善を尽くします。ですが、歩みを止めるわけにはいきません。……マスターは、マリアネが託した希望を叶えるために、地上に出ねばなりません》
アイナの静かな声に、ツルカは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
「大魔王……グレイ……。絶対にぶん殴ってやる……!」
視線を上げると、この地下大空洞に不気味にそびえ立つ、あの黒曜石のゲートが目に見えてきた。
「……あれ」
風化して崩れかけていたはずの二本の柱が、ツルカが近づくにつれて、表面に刻まれた無数のルーン文字がまるで脈動するかのように、ぼんやりと禍々しい明滅を始めた。
「……ゲートが……光ってる……?」
《……ゲートが、マスター自身に反応しているんです……》
「僕に……?」
《魔族のみ使われることを許されたゲート……。マリアネから譲渡された力……魔王の権能に、この魔界への扉が共鳴しています。この力を使えば、この朽ち果てたゲートの機能を強制的に実行させて、一方通行の転移路をこじ開けられるかもしれません……》
「……この、力で……」
ツルカは自身の右手を気に食わなそうに見つめた。
「結局……君の犠牲なしで、僕は地上に出られなかったってことかい……」
集中を解けば自然と溢れる、制御不能な闇の力。それを使わなければ、ここから脱出できないという事実が、ツルカを苛んだ。
《……マスター。ゲートに手を触れてください。そして、意識を集中して……地上へ繋げと強く念じるのです》
「……っ」
ツルカは意を決し、震える右手をゲートの冷たい石柱へと押し当てた。
その瞬間、待っていたとばかりに体内の闇が怒涛の勢いでその右手へと集束し、ゲートへと流れ込んでいく。
「うっ……あああああっ!」
慣れていない力を無理やりに使われるため、ツルカは全身の血液が逆流するような激痛に襲われた。
だが、それと同時に、ゲートの文字が眩いほどの黒紫の光を放ち始めた。
二本の柱の間が異様に揺らめき始める。何もないはずの空間がバリバリと耳障りな音を立てて裂けていくと、やがて空間そのものが捻じ曲ったような、不安定に渦を巻く深淵が口を開けた。
《転移路、強制開門……! 座標、グランドシオル地表部でロック! マスター、早く! このゲートは長くは持ちません!》
アイナの焦燥に駆られた叫びが響く。
ツルカは振り返ることはなかった。
ただ胸に宿る彼女の力を背負い、その闇の渦の中へ決然と足を踏み入れた。




