11(15)
「さて……私も、そろそろ行きますかね」
マリアネは朝露に濡れた街道のど真ん中で、塊然と立ち尽くす。
帰るべき場所はない。残り一週間を身分を隠して人助けをして過ごすしかない。
魔族の誇りを否定する汚行だが、マリアネという魔王は『こう』なのだと、彼女はすでに開き直っていた。
澄み渡る青空を見上げ、今日も誰かの笑顔のために働こうと、マリアネは決意を新たにした────直後だった。
「───ッ!?」
いざ足を前に踏み出そうとした瞬間、マリアネは背筋も凍るほどの異常な高エネルギーの接近を捉えた。
常人から放たれるとは到底思えない、桁外れの魔力。胃液がせり上がってくるほどの禍々しさと凶悪さを孕んだそれは、マリアネにとってあまりにも身近で、絶対に感じたくない魔力の波長だった。
「な、なんで……っ!」
肌を刺すような魔力の気配は秒単位で強まり、確実にマリアネのいる座標へと接近してくる。
マリアネは冷や汗を流しながら、魔力の源泉である空の彼方を凝視する。視界に映ったその姿は、最悪の予想を裏切らなかった。
「あれは……バリオン……!?」
空気を焼き焦がすような爆炎を纏い、上空を弾丸のごとく飛翔してきたのは、魔王バリオンであった。
マリアネは恐慌状態に陥りながらも、街道脇の鬱蒼とした木々の陰へと咄嗟に身を投げ出して、息を殺した。
バリオンとの距離は、およそ数百メートル。幸い、あの破壊狂の視線は前方に向いており、そもそもマリアネの存在には気づいていないようだ。
「一体、なんで……。どうして、あのバリオンが人間界のこんな所に!」
全く想定外の事態に、マリアネの思考はパニックで白濁する。
「大丈夫……バレない……」
マリアネは現在、魔力を極限まで抑え込み、完全に自然と一体化している。バリオンの大雑把な魔力感知の網に引っかかるはずはない。仮に万が一、感知できたとしても、闘争にしか興味のないあの男が、自分のような落ちこぼれをわざわざ探しに人間界へ降り立つなど、天地がひっくり返っても有り得ないことだ。
「バリオンは、一体何をしに……」
疑問がマリアネの脳裏で渦巻く中、バリオンはそのまま上空を通りすぎていくかと思いきや、少し離れた場所に広がる林の上空で、突如として獲物を見つけた猛禽のように急降下した。
それに伴い、大地そのものが崩落するかのような、鼓膜を劈く轟音が平原一帯に鳴り響く。降下したその地点を中心として、一瞬にして紅蓮の火柱が立ち上り、瞬く間に周囲は灼熱の炎の海と化し、草木が黒焦げに焼き尽くされていく。
「ひ、ひどい…………」
あまりの悲惨な情景に、マリアネは口元を覆う。
風に乗って、こちら側へと炎が燃え移ってくるのも時間の問題だろう。
「逃げなきゃ……!」
マリアネはすぐさまバリオンから距離を取ろうと、道を外れて林に身を隠して駆け出した。
その時、パニックに陥った何かが、マリアネの背後から猛スピードで駆ける足音が、耳に飛び込んでくる。
「ま、まさかバリオン─────!?」
マリアネはすぐさま背後を振り返ったが、砂埃を上げて走ってきたのは、一頭の馬だった。
「う、馬……?」
マリアネはその場で立ち止まり、目を凝らす。
どこかで見たことがあるような毛並み、斑模様。焦燥の中で、必死に記憶を探る。
「────ッ!? あ、あれって!」
あれは、自分が何度も荷運びを手伝った、あの親切な野菜売りの老人の馬車を引いていた馬だ。
「ま、まさか……!」
マリアネは震えながら、炎が燃え盛る方へと視線を変える。
バリオンはただの動物である馬なんかに興味を示すはずがない。これらの事実から導き出される最悪の推測は、ただ一つ。
「─────おじいさんッ!」
マリアネは意を決して、無我夢中で炎の海と化した林の方向へ駆けだした。
炎はすでに広範囲に燃え広がり、どす黒い煙が天を焦がすように上空高く立ち昇っている。このままでは、近隣の町から人が駆けつけ、大騒ぎになるのも時間の問題だろう。
「おじいさん……、おじいさん!」
マリアネは走りながら、ポロポロと涙を流す。
あの人の良い老人が今、炎の中でどうなっているか、想像したくもない。その残酷な光景を決して見たくもない。
「はぁ……っ……はあっ」
猛烈な炎を目の前にし、マリアネは一度足を止めた。
慌てふためきながらも目を凝らすと、揺らめく灼熱の炎と黒煙で視界は朧気だが、僅かに人影のシルエットが見える。
マリアネは迷いなく炎へと飛び込み、その場へ躍り出た。
そこには、業火の中で愉悦に歪んだ笑みを浮かべるバリオンと、その腕に首を掴まれ宙吊りになっている老人の姿があった。
やはり、あの野菜売りの老人だった。
「お、おじいさん!」
「………あぁ、マリアネ……? なんでてめぇが、こんなところにいやがる……」
バリオンは不快そうに眉間に深いしわを寄せ、足元の虫を見るような、どうでもよさそうな表情でマリアネの方に目を向ける。
バリオンもまた、何故こんなタイミングでマリアネがここに現れたのか、状況が全く整理できていない様子だった。
「うっ、お……姉さんや………。逃げるんじゃ、ここは……危ない………」
「そ、そんなわけにはいきません!」
「あ? お姉さん……? おい人間、なんでてめぇみたいな下等生物が、魔界王第二位のこの女を知ってやがる」
「ぐぁ……っ! ま、まかい……おう……!?」
バリオンは苛立たしげに掴んでいた老人の首をさらに強く握りしめ、老人の顔色は苦痛で紫色に変色していく。
「や、やめてくださいバリオン! そのお爺さんは、なにも悪い事をしてないでしょう!」
「は? 頭狂ったか? 何を言ってやがる。こいつは人間だぞ。俺たち魔族が殺す他ねえ害悪だろうが」
バリオンの狂暴な言い分は、魔族、そして魔王としての在り方としては決して誤りではない。
しかし、意識が朦朧としている老人は、この絶望的な状況下でも、マリアネを安心させるような笑みを浮かべていた。
「に、逃げるのじゃ……お姉さん……ワシの命など……いいから……」
「……そんなわけにはいきません! 私は……あなたを………助けなければならないッ!」
そして、マリアネは感情のまま無意識に、魔王として絶対に口にしてはならない発言を放ってしまった。
「………助ける、だと? まさかお前……人間と関わりを持っている……のか……?」
「ッ……!」
マリアネは完全に失念していた。
目の前の人間を助けなければという純粋な一心のせいで、魔族の掟や己の立場など、完全に眼中になかったのだ。
マリアネは今、取り返しのつかない大罪をバリオンの前で自白してしまったのだ。
「……フフッ、フハハハハハ! 傑作だ! そうかそうか。てめぇは任務の猶予をもらったこの二週間、人間の真似事をして、そんなくだらねえお遊びをしてたってわけか!」
「…………」
「……チッ。ふざけんなてめぇ! この魔族の面汚しがッ!」
バリオンは掴んでいた老人の首を汚物でも捨てるように放り投げ、荒々しい勢いでマリアネに肉薄する。
そして、マリアネの胸ぐらを凄まじい力で掴み上げ、吐息が当たるかのような近さまで引き寄せる。
「おい、お前、自分が今何をしたか分かってんのか……。てめぇは魔界王第二位の立場でありながら……いや、一人の魔族として、絶対に取り返しのつかない重罪を犯したんだぞ! あぁ!?」
「うっ……」
マリアネはバリオンから視線をそらし、ただ恐怖に震えながら神妙にバリオンの怒声を受け止めるしかなかった。
「俺……正直言って、少しは期待してたんだぞ。お前が土壇場で覚悟を決めて、任務を達成できるってな」
「…………」
「あんなにも大魔王様に追い詰められてりゃ、流石の腑抜けなお前でも必死になって働くトコが見れると思ってた。あのドマンナも、必死になってお前を庇って応援してたしな。だが、そんな事は微塵も無かったみてぇだな! 少しでも期待した俺がバカだったぜ。てめえは相変わらず、芯まで腐った無能でクソな野郎だ。役に立たねえどころか、おまけに人間と馴れ合うだと……お前はどこまで魔族の誇りを貶める気だ! あぁ!? 黙ってねえで答えてみやがれ!」
「うっ……」
バリオンは血眼になり、全身から炎を噴出させながら怒り狂っていた。
するとバリオンは、完全に消沈し抵抗する気力すら失ったマリアネを見て、さらにどす黒い殺気を露わにする。
「あぁ!? このくそったれがッ! てめえのそのツラ、見てるだけで反吐が出るぜッ!?」
「────なっ!?」
バリオンはマリアネを突き放すと、右手に灼熱の炎を召喚し、地面に倒れ込んでむせ返っている老人めがけて容赦なく放った。
老人は悲鳴を上げる間もなく一瞬にして炎に包まれ、文字通り塵となって姿を消した。
「お、おじいさん………っ」
マリアネは地に両膝を突き、空虚な瞳から暗涙を流した。己の勝手な行動、そして無力さが招いた結果だった。
バリオンは、そんな生ける屍のようになったマリアネを見下ろし、さらに不快な苛立ちを覚える。
「なに被害者ぶって泣いてんだてめぇッ!?」
バリオンはマリアネの髪の毛を荒々しく掴み、力任せに引っ張ってその身体を激しく揺さぶる。
しかし、マリアネは一切の表情を浮かべず、痛みに呻くことすらなく、返事すらしなかった。
とうとうバリオンも呆れたようにマリアネの頬を蹴り飛ばすと、踵を返してつばを吐いた。
「この件は、大魔王様に俺の口から直接報告する……。人間との接触、任務の放棄。後に……お前は魔王城に帰ってこい。その後のてめぇの命に関しての保証は一切しない。……せいぜい、無様に断罪を受けるがいい」
バリオンは底知れぬ失望を帯びた表情で言い放つと、空高く飛び上がり姿を消した。
一人残されたマリアネは、延焼し続ける炎の中心で膝を突いたまま、両手で顔を覆い隠すようにして泣き崩れる。
今さらながら、自分がしでかした取り返しのつかない罪の重大さと、非力な自分によって一つの命を散らせてしまった事実に打ちのめされ、立ち直ることができなかった。
正直、マリアネは最初から心のどこかで分かっていた。魔王である自分が人間を助けるなど、人間と共生して幸せにするなど、現実的にできるわけがないと。
だが、マリアネは、彼と同じように信じたかったのだ。魔族と人間が、互いの垣根を越えて楽しく関われる世界が実現する事を。
だが、それは畢竟、無力な者の見る幻想に過ぎなかった。
その果てしない絶望のさなか、マリアネの感知領域が、炎の外側から接近する新たな複数の気配を感知した。
「なんだ、この大火事は!」
「ただの火事じゃない、これら……魔物の仕業か!?」
バリオンが引き起こした轟音と、天を真っ黒に焦がす煙が、ついに人々を呼び寄せた。
遠巻きに集まってくる不安げな野次馬。武装した町の衛兵。そして、グランディール国から急行してきた、ひときわ練度の高い鋭い気配……高位の冒険者たち。
炎の海と化した林の縁で、群衆が騒然とざわめいている。その最前列に、一際目立つ二つの影があった。
「ひどい有様だ……。この広範囲の破壊力……並の魔物の威力じゃねえな……」
凄まじい剣幕で、一人の男──あの『不朽の栄光』のリーダーが炎の中心を厳しい眼差しで睨み、生存者がいないか探している。
どうやら彼も、この異常な騒動を察知し、黙っていられなかったらしい。
「……あそこに、誰かいます」
彼の隣で、冷静な声でそう呟いたのは、まだ十四歳ほどの幼い少女だった。
その年齢には不釣り合いなほど精巧な刀を腰に下げ、雪のように白い髪を熱風になびかせている。
「ですが……あれほどのすさまじい業火の中心にいながら、火傷一つ負わず平然としている……。とても、ただの人とは思えませんが……」
少女の鋭い観察眼と指摘に、彼は息を呑んだ。
炎の中心で、絶望に暮れて膝をつく、小さな人影。あの見覚えのある姿、あの独特の雰囲気。間違いない。
「マリアネ……!? なぜ君が、こんな所に……!」
彼の心臓が、激しい鼓動を鳴らして騒いだ。
この大火事と惨状は、彼女が引き起こしたものなのか? いや、違う。
この場に色濃く残る魔力は、彼女本人の持つ静かな波動とは似ても似つかない。彼の長年培ってきた感知能力は、マリアネ以外の魔力であることを正確に捉えていた。
彼は今すぐにでも炎に飛び込んでマリアネに声をかけたいところが、隣には事情を全く知らない、鋭い勘を持つ少女がいる。彼女に『魔王の知り合いだ』などと、どう説明して納得させればいいのか。
彼が苦悩し、助けに行くべきか逡巡している間にも、少女は氷のように冷静に、状況を分析していた。
「……周囲の呼びかけにも、応答する意志がないみたいですね。話が通じる相手なのか……。ひとまず、危険です。これ以上は無闇に近づくべきではありません。もし、あの者が我々に攻撃を仕掛けようものなら、私が即座に先制をとり、あの首を落とします」
少女の吹雪のように冷たい制止も耳に入らないほど、彼の目はマリアネの姿に釘付けになっていた。
マリアネが深くうなだれ、生きる気力すら失って絶望している様子が、痛いほどに伝わってくる。
「いったい、彼女の身に何があったんだ……!」
彼が思わず、少女の制止を振り切って一歩踏み出そうとしたその時、虚ろだったマリアネの肩がビクリと跳ねた。
顔を上げると、揺らめく炎の向こうで集まった野次馬たちの最前列に、決して見間違えようのない彼の姿があった。
「彼は………!?」
思いがけない彼の来訪にマリアネは取り乱し、混乱で頭が真っ白になる。
(やめて……私を見ないで……! 私は、人間を殺す側にいる魔王なのだから……これ以上、あなたの前に……優しいあなたの前に……もうこれ以上……いられない……!)
彼がいる。あの、優しくしてくれた、私の中の勇者が、この惨めな私を見ている。
もう、これ以上ここにいてはいけない。犯した罪の罰を、己の責任で、受けなければ。
「……行かなきゃ……」
しばらくの間、悲しみに打ちひしがれていたマリアネだったが、最もこの状況で会いたくなかった相手との再会が、皮肉にもマリアネの身体を動かす動力になった。
一刻も早く魔王城に帰り、大魔王にすべての事実を洗いざらい話し、裁きを受けなければならない。
「あっ……!」
マリアネはふらりと、糸で操られるように立ち上がる。
彼がマリアネを引き留めようと何かを叫ぼうとするより早く、炎の中心にいたはずのマリアネが、陽炎のように空間を揺らめかせ、その場から音もなく掻き消えた。
「……消えた? 空間転移ですか……。全く、魔法は便利なものですね」
彼はマリアネが消え去った虚空を呆然と見つめていると、隣の少女が動揺する彼の横顔を訝しげに一瞥した。
「……どうしましたか。まるで……先ほどの女を知っているような素振りですが」
「……いや……違う。ただ、あまりにも悲しそうな顔をしていたから、疑問に思っただけで」
彼は咄嗟に、白々しい嘘をついた。
だが、少女はそれで一応納得したのか、それ以上深く追及することはしなかった。
「……ここで何が起きたかは分かりませんが……あの女、やはりただ者ではないでしょう。アイギス。急ぎ、あなたのギルドとその他上位ギルド。国の上層部に事の顛末を報告するべきです」
「……ああ、分かっている。だが今は、生存者の捜索と、この火の消火が先だ……」
『不朽の栄光』リーダー──アイギスは苦々しく顔を歪め、焼け焦げた地面を睨みつけたまま、簡易的な水魔法の詠唱を開始した。アイギスの脳裏には、すべてを失ったようなマリアネの横顔が焼き付いて離れなかった。
一方、マリアネはすでに城への転移を済ませ、玉座への道をひた走っていた。
嚮後、自分がどうなるかなど、考えたくもない。それでも、自分の甘さと失態による罰を深く受け入れる義務がある。もう逃げるわけにはいかない。これ以上、友に迷惑をかけないためにも、魔族としての最後のケジメをつけるためにも──────
「……それで。二週間もの猶予を与えたにもかかわらず、貴様はその時間を任務ではなく、人間との馴れ合いに費やし、帰って来たと」
玉座の間。マリアネは大魔王グレイの足元で平伏していた。
大魔王は深い溜息をつき、酷く失望したように首を振る。
それでも尚、激昂することなく泰然たる態度を保っていたが、やがてグレイは眉間に深い皺を寄せ、頭を抱えた。
「まさか、マリアネ……そんな事をしていたなんて。バリオンから全部聞いた時は耳を疑ったよ! 流石にそれは、擁護しきれない……」
「……見損なったぞ。お前はそこまで、魔族としての本能がひねくれた、出来損ないのやつだったのか」
部屋の隅に控えているシバニー、そしてガインナーも、呆れ果てた表情でマリアネを冷視する。
「本当に、不肖者で申し訳ありません………っ!」
マリアネは必死な思いで、床に額を擦り付けて、頭を下げ続けた。
すると一人の少女が、今にも泣き出しそうな面持ちでマリアネに近づいてきた。
「マリアネ………」
胸の前で祈るように震えた手を組み、儚げな声で親友の名を発する。
「ど、ドマンナ……」
マリアネを影で支え、応援してきてくれたドマンナだが、今は凄まじい衝撃をその相貌に湛えていた。
ドマンナはマリアネの冷たい手を取り、悲しみに項垂れる。
「なんでなの……。私、あんなにしっかり応援したのに……。私の応援が足りなかったから、マリアネは違う道へ行っちゃったの……? やっぱり私のせいで、マリアネを追い詰めちゃって──────」
「違う、それは断じて違いますッ! ……違うんですよ、ドマンナ……。私が、私の意志の弱さが全部悪いんですよ……!」
二人は手を取り合い、共に涙を流す。
ドマンナは何も悪くない。全て、マリアネの甘さが導いた、最悪の結果である。
泣き崩れるドマンナを見かねたのか、ガインナーはドマンナの背中をさすり、手を引いて玉座の端へと共に退いていく。
「お前は大罪人だ。魔王としての自覚もない、種族としての誇りもない。魔界王第二位……聞いて呆れる称号だな。お前はもう魔王ではない、いや、魔族として完全に失格だ……!」
「はい……」
いつもは感情を見せない冷静なグレイが、僅かに怒気を孕んで声を荒らげる
怒りを紛らわせるようにグレイは肘掛けに拳を振り下ろすと、やがて平伏するマリアネに冷酷に最後の判決の言葉を告げる。
「断罪する。貴様を『深淵の狭間』へと投獄する」
「………」
その言葉が発せられた瞬間、透明なガラスのような魔力の壁が、マリアネを囲うようにして四方に生成された。
(あぁ……終わりか……)
玉座の間との空間が完全に隔てられる。姿は見えるというのに、まるであちら側が別次元の世界のように、声も届かず遠く感じる。
「ふん……当然の報いだ。素直に断罪を受けやがれ、裏切り者が」
バリオンは部屋の片隅で、檻の中のマリアネを嘲笑うように謗るように呟く。
マリアネの愚行に対して、適切な、いや、むしろ命があるだけ温情とも言える罰。もはや反論する余地も、資格もない。
「マリアネ……」
「……一人で頭を冷やしておけ」
シバニーとガインナーも、当然の帰結だと思っていた。
(仕方がない……仕方がないんですよ……マリアネ。もう自分は魔族の誇りを捨てた大罪人なのだから……これくらいの罰を受けて当然なのだから……!)
だが、マリアネにも心から愛してくれていた友達がいたのだ。
「マリアネ……マリアネッ!」
「ちょっ、ドマンナってば、危ないよ!」
一人だけ違った。
ドマンナは、自分を引き留めていたガインナーの手を強引に振りほどき、慟哭しながら透明の壁へと駆け寄ると、その小さな両手で壁を激しく叩きつけた。
だが壁は微動だにせず、傷一つ付かない。大魔王が詠唱する封印魔法を、ドマンナが破壊できるわけもなかった。
それでもドマンナは、手の皮が破れるのも構わず、泣き叫びながら壁を叩き続けた。
「いやぁっ! マリアネッ! 一人にしないでッ! マリアネぇぇぇぇ!」
その悲痛で魂を削るような叫びは、最後にマリアネの胸を激しく締め付けた。
泣き叫びながら顔を歪ませるドマンナの姿に、流石のマリアネも耐えきれず雨のように涙を落とす。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……。ドマンナ、こんな私を、いつも優しく支えてくれて、本当にありがとう………」
「────いやぁぁぁぁぁっ! マリアネぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ドマンナの血を吐くような嗄声の叫びを最後に、マリアネは透明な檻に拘禁されたまま、瞬時に姿を消した。
─────そこから、約一年の長い日々が過ぎた。
マリアネはあの日から、この謎の遺跡の祭壇のような場所で、たった一人で封印され続けていた。
外の世界ではたった一年。だが、何も変わらない封印の内側では、それは百年にも等しい孤独だった。
もう時間の感覚など、閉鎖空間での封印により漠然として失われていた。この場でずっと、何も変わらない冷たい石の風景を眺め続けている。
しかし、マリアネは終わらない時間の中で、いつも一つの疑問を考えていた。
なぜ、冷酷なグレイは自分を即座に殺すという手段を選ばなかったのか。不要な私に与えた強大な力を奪おうともせず、ただ生かしたまま封じることを選んだのか。まだ……私を使って、なにか恐ろしい計画を企んでいるのか。
そして……ここはどこなのか。この祭壇は何のために造られ、残されているのか……。
といっても、ここで何をどう深く考えようが、この絶対の封印の中では何もできない。ただ眠って、起きては上の空で時間を消費する、そんな無為な毎日だった。
今日も静かに目を閉じ、現実を忘憂するようにして眠りにつこうとした。
もう少し、もう少しで深い眠りに落ちそうだった。
それなのに、マリアネは眠りにつく事ができなかった。
何もないはずの空間から、物音、足音……そして、声がし始めたからである。
「……みたいだね。うん、うん、うん……。でも人間ではなさそうだね」
(人の……声。何故……?)
──────そう、これが私の、最初で最後の出逢いだった。
それは若々しく、どこか能天気で元気のある、少年のようにも聞こえる女の人の声だ。
「如何にも封印されているって感じだね。何をやらかした魔族なんだか……。うん、うん、うん……え? まてまて、全盛期の三割以下でSランクを更新してるって? 全盛期ならバケモンじゃんか! Sランクってこの世界の最高値なんだよね? 僕も流石に記憶あるよ?」
──────不思議な女の子だった。
はじめは、どこか腑抜けていて、後先考えないような無茶苦茶な子だと思っていた。
だけど違った。彼女は、迷うことなく、どんな困難にも立ち向かえる、勇敢で、心強い子だった。
「……だれ?」
「………!? げっ……ま、まさか目覚めた……?」
「あなたは……誰? ……人間?」
──────私は、彼女と過ごす短い中で知った。あの少女が、どれほど優しく、どれほど無茶をしてでも誰かを救う人間なのかを。
私は、その時。
心から守りたいものを。
ついに見つけたんだ──────。
それは、暗黒がツルカの内側へ流れ込んだ瞬間。
気を失った彼女の夢の底に、マリアネの記憶と想いが流れ込んでいた。
────────────。
──────────────────。
分かっていた。
魔族は、人間と仲良くなれない。
剣で、魔法で、ずっとみんな傷ついてきた。
でも、信じてみたかった。
当たり前のように地上に魔族がいて、みんなと楽しく会話している、そんな夢のような世界を。
そんなことを思う私は、ただの異端なのかもしれない。
この世界で、そんなことを願う人はいないと思っていた。
何もかもが中途半端で、魔族としても、人としても半人前で、……そんな私でも心から分かったことがあった。
それは、自分を信じる心。勇敢になる心。
今まで会ってきた人たちのように、そして、彼のように、迷わず勇敢に、そして諦めずにしつこく、人に寄り添うことができたなら。
それは誰にも負けない強さになると。
私は、いつまでも中途半端。いつまでもいい加減だった。
だけど、私を前にして無邪気に笑うあなたを見て、そして全力で救ってくれた姿を見て、やっと心から知ったんだ。
人は『守るため』なら、もっと強くなれる。
魔族である私を、あなたは信じ、全力で助けてくれた。
まるで、彼のように。
あなたはこの先どうなろうとも、私を助けるその一心で動いてくれた。
私も、あなたを守ると決めた。
今度は躊躇わない。
何も、失わせない。
迷いだらけの過去の自分を捨て、今度は自分の心に正直になって生きることを誓った。
私は、自分の心を信じた。
私は、あなたのためなら命を捧げてもいいと思えた。
死んでも、後悔はないと思えた。
たとえ強大な相手でも、勇敢に立ち向かえた。
無様に散ることになろうとも、迷わなかった。
そして、私は、心から信じようと思った。この少女を。
心から私を助けてくれた、この希望を。
決して上手くいくとは思えない。
この少女が歩む未来は、きっと絶望のはずだ。
だけど、少女は魔族の私を信じてくれた。
ならば、私もあなたを、信じなければ割に合わない。
分かっている。
人間と魔族は仲良くなれない。
だけど、不思議とそれが叶う気がしてならない。
あなたに、その力があると思ったから。
私は知った。世界の悲しみを。
そして出来損ないの私に宿った暗黒──『四封の暗黒』を。
その全てを、あなたに背負わせるのは本当に心苦しい。
わがままなのかも知れない。もちろん、分かっている。
でも、あなたなら必ず真理にたどり着ける。
世界のために、その力を使えるはず。
あなたは、誰よりも──優しく、強く、勇敢な心を持っているはずだから。
誰にでも手を差し伸べ、救い、時には涙を流してくれるはずだから。
私がどうなろうと、あなたは強く生きてほしい。
あなたなら、いつかきっと──────。
────────────。
──────────────────。




