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太陽の光が、薄く閉じた瞼を容赦なく刺す黎明。
その眩しさに耐え切れず、マリアネは一度だけ薄く目を開いたが、どこか拭えない疲労感のせいで、二度寝をかまそうとする。
「……んんんっ」
だが、マリアネは不快な違和感を感じ取り、二度寝を許してはくれなかった。
「……んん……なんだか、左肩が……重い……?」
何かが乗りかかったかのように重く、加えて生温いような居心地の悪さ。
一体何事かと、マリアネは渋々と重い瞼を持ち上げ、ひどく眠そうな目で自身の左肩を確認する。
しかし、左肩のそれを視認した瞬間、マリアネの脳髄を覆っていた眠気は、突風に吹き飛ばされるように霧散した。
「ぐがー……すー……」
「…………へ?」
なんと、見知らぬ人間の女性が、マリアネの華奢な左肩を完璧な安眠枕として代用し、胡坐をかいたまま熟睡していたのだ。
あろうことか、無防備に開いた口からは一筋のよだれが垂れ流されており、マリアネの衣服の左肩部分は、すでに生温かくベトベトに汚染されている。
「え、え? は、え?」
マリアネは一切の言葉を失い、案山子のように全身を硬直させた。
なぜ、人間の女性が自分の肩で熟睡しているのか。
(この人も野宿……? いやいや、そうじゃなくて)
状況を理解しようと、マリアネは取り乱した意識を落ち着かせようとした。
だが、それも束の間であった。
「……って、誰ですかぁーっ!?」
「う、うわぁっ!?」
ついに考えることをやめたマリアネが、悲鳴とともに勢いよく立ち上がり、謎の女性から弾かれたように距離を取る。
土台となっていたマリアネが急に立ち上がった衝撃で、女性は前のめりに地面に倒れ込み、思わず驚愕の声を上げる。
「あ、あれ? いつの間にか朝ッスね。お姉さん、起きるの随分と早いッスねー」
女性は寝ぼけ眼をこすりながらも、独特の口調で会話を自然に展開する。
マリアネの困惑など、全くお構いなしのマイペースぶりだ。
「いやいや、なに勝手に一人で朝の挨拶を済ませてるんですか。誰ですかあなたは! 見ず知らずの人の横で、ちゃっかりよだれまで垂らして寝ちゃって……!」
マリアネが罵声のような声を張り上げるが、女性はしばらく本気で首をかしげ、まるで殴りたくなるような、純度百パーセントの不思議そうな表情を作った。
もはやここで寝ていることも忘れていそうな顔だった。
しばらくきょとんとした顔でマリアネを見つめていたが、彼女はやっと何か重要なことを思い出したかのように、ポンと手を打った。
「あ、忘れてたッス。そういやウチ、昨日お姉さんのこと様子見に来たんだ」
「いやいや……本当に忘れてたんかい……」
女性が地面から起き上がり、うーんっと大袈裟に背伸びをしていると、彼女の手についた土が、まるで意思を持つようにさらさらと落ちていった。そしてなぜか、彼女の足元の草だけが妙に生き生きとしている。
マリアネは警戒しながらジッと観察する。
「あれ……」
マリアネは彼女の装いを細部まで見ているうちに、ある重大な事実に気づいた。それは、彼女が首から太い革紐でぶら下げている、鈍く光る大きな勲章である。
明らかに勲章の着用方法が違うのはさておき。マリアネはその勲章に施された精緻な装飾を見て息を呑んだ。
「そ、それって……」
決して見間違えるはずのない、剣と盾、そして杖がバランスよく意匠されたその紋章。
「……ん? これッスか?」
マリアネはおどおどと震える指先で、彼女が首から提げている勲章を指差す。
「その勲章………『不朽の栄光』の……ですよね……?」
「はい。そうッスよ。ウチ、これでも一応、『光の使者』で、そこのギルドメンバーなんスよ」
彼女は今日の天気を答えるかのような軽薄さで、あっさりと肯定した。
まさか、こんなガサツで無防備な人間が、あの『不朽の栄光』の一人だとは。マリアネはまず、この女性の人格と組織の品を本気で疑った。
「いやー、ね。昨日の夜、見回りが終わったリーダーに帰りが遅くなった理由を問い詰めてて。リーダーってば、その理由をなかなか吐かなかったんスけど、ずーっと聞き続けてたら、観念したように『……ちょっと、困ってる人を助けてた』ってボソッと零したんスよ。そんで、面白そうだから私がこっそりここへ偵察に来てみたら、本当にいたんッスよ、お姉さんが」
「へ、へぇ」
どうやらあの不器用な彼は、しつこい仲間の事情聴取に耐え切れず、マリアネと遭遇した事を話してしまったらしい。
「にしても、うちのリーダーってば、優しさのベクトルが少し曲がってるッスよねー。野宿してる女の子を見つけたなら、なんで安全な街に保護して連れてこなかったんスかね。わざわざ自分の上着だけポンと渡して放置とか……。鬼畜ッスよね? 連れて帰ってきたら、寝床ぐらい私たちの拠点でちゃんと用意してあげるっスのに。人格疑うわー」
(それはそっちもでしょう……)
思わずマリアネはため息をつき、力なく肩を落とした。
とにかくも、せっかく彼は、マリアネの正体を伏せ、『困っていた一般人』として話をごまかしてくれている。この設定で話を押し通すしかない。
「昨日の夜は、本当にリーダーの困り果てた表情が面白かったんスよ~。ずっとしつこく尋問してたメンバー……あ、不朽の栄光を知ってるなら分かると思うんスけど、『水・氷の使い』の女の子がですね。とぉーっても心配性で、仲間思いなんスよ。そんでもって、リーダーの事を日頃から凄く気にかけてる子なんスよ! 昨日はその二人が超いい雰囲気で、こっちは遠くから見ててニヤニヤが止まらなかったッス。青春ッスねー。あ、それとウチは一応、『土の使い』ッス、それで─────」
マリアネは引きつった苦笑を浮かべながら、彼女のマシンガントークに黙って耳を傾ける。
どうやら彼女は『土の使い』らしい。
と、言う事は、この粗暴な女性は本当に『不朽の栄光』の一人であり、神に選ばれし絶対的な『光の使者』だと言う事になる。
よく観察してみれば、彼女の右手甲には、光の使者としての証である神聖な幾何学模様の痣が確かに刻まれていた。
「────まあ、そんな感じで、愛ある尋問を終えて解放されたリーダーに、その困ってる人はどの辺りにいるかこっそり聞いたら、ここの周辺だって言うんで、ちょっと見に来たッス。どんな美人か興味があったんで。まあ、みんながすっかり眠った後、自分一人でこっそり抜け出して来たんッスけどね!」
「それは………よろしいのですか? 単独行動ですよね?」
「うーん。たぶん、バレたらめちゃくちゃ怒られるッスね!」
「ダメなんかーい」
マリアネは、あまりにも無鉄砲で後先を考えない彼女の行動に、思わずその場に倒れそうになった。
本当にこの人物が、グランドシオル全土の希望を背負う、不朽の栄光のメンバーなのかと本気で疑うレベルである。
「でも、私なりにお姉さんのこと心配して来たんッスよ? 悪い事じゃないッス。イコール、問題なしッス!」
「本当に、そんな理論が罷り通ると思っているんですか、あなたは……」
マリアネはこの『土の使い』の存在が色々な意味で不安でならなかった。
これほどまでに底抜けに明るく、そして信用できない人間と会ったのは、マリアネの長い生涯の中で初めてである。
「ま、夜はぐっすりとお姉さんは寝てたんで、わざわざ起こすのも悪いし、夜風も冷たかったんで、私も一緒に温め合いながら寝てやったわけッス!」
「寝てやったってなんですか、寝てやったって! こっちは別に望んでないですよ、よだれで服がベトベトなんですよ!」
彼女に対する怒涛のツッコミが、息を吐くようにマリアネの口から飛び出してくる。もう何もかもが雑で、魔王としての威厳など保っていられない。
あのリーダーは、いつもこんなテンションな子と、毎日を過ごしているのか。
「でも、お姉さん、こんなところで野宿なんて、一体どうしたんッスか?」
「え? いや、そ、それは………」
軽い気持ちで女性と漫才のような会話を交わしていたマリアネだが、いざ核心を突く質問を持ち出されると答えに窮する。
マリアネはなんと言い訳しようかと口をモゴモゴさせ、思考を巡らせた。
困り果てているマリアネの複雑な表情を見て何かを悟ったのか、彼女は人差し指でポリポリと自身の頬をかきながら目をそらした。
「なんか……言いたくない、深い事情でもあったんッスね。すいませんなんか、ズケズケと。私は別に、お姉さんを困らせたい訳じゃないッス。本当に心配で来たんスよ。こんな、か弱い一人の女の子が野宿なんて、見て見ぬふりして見放せるわけないッスからね」
「え………」
驚きと共に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
マリアネはまだ彼女を完全に信用していたわけではない。だが、不器用ながらも純粋に身を案じてくれるその言葉に、深く感動していた。
(また、だな……私ったら)
自分の甘いところが出ている。こうやって、自分に向けられた少しの善意にほだされ、すぐ人を信じてしまう。
(でも、この人は無神経でガサツだけど……根は彼のように他者を思いやれる真っ直ぐなお方。だからきっと、不朽の栄光にいる……)
「余計なお世話ならいいッス。これ以上、ウチは無理に聞き出そうとはしないッス。お姉さんの無事は確認できましたし、私はこれで満足ッスよ。それに、そろそろ本気で帰らないと、リーダーたちに朝の点呼で怒られちゃうッス」
「そ、そうですか。……あ、あの。後、余計なお世話なんて、絶対に思っていませんよ。私、とても嬉しいです。私のことを、心配してくださって……ありがとうございます」
マリアネが心からの感謝を込めて微笑むと、彼女もそれを見て、パッと花が咲いたように優しく微笑んだ。
「そうッスか、よかったッス」
彼女は両手をパンと叩いた後、何やら体の柔軟を行い始めた。
「さて、ならウチは全力で帰るッス! あ、後、自己紹介してなかったッスね。名前だけ教えとくッスね。ウチ、ノンナって言うッス。覚えてくれると嬉しいッス! あ、そうそう。リーダーの上着、一応回収しとくッスね~」
彼女──ノンナはニカッと太陽のように屈託なく笑い、マリアネが大事に抱きしめていた彼の上着をひったくるように回収した。
マリアネは少し、残念そうに力なく笑った。
「あえて、お姉さんの名前は聞かないッス! 何故かと言うと、マジで早く帰らないと怒られるからぁ! じゃあ、またどこかでー!」
「え……は、はい!」
そう言い残すと、ノンナは目にも止まらぬ猛烈なスピードで、何者から逃げるかのように街道の方角へと走り去っていった。
とてもめちゃくちゃで、勢いだけで生きているような騒がしい人物だった。彼女の行動は何もかもが喧しく、忙しない。毎日関わったら間違いなく心労が絶えないだろう……が、それでもマリアネは、ノンナと言う土の使いにいつかまた会えたらいいなと、自然と心の中で願っていた。




