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全ては『ミライ』のために  作者: アベル
ギルド 編

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 ──────視界は、清浄なる大気に満ちた未知の領域へと移り変わる。


 天蓋を穿つほどの途方もない巨木。

 天空の雲海すらも眼下に収めるほどの威容を誇るその大樹から、突如として一枚の葉が剥がれ落ちた。その葉は、淡い黄金色の燐光を放ち、まるで自らの意志を持っているかのように、気流に乗って滑空を始める。

 光を帯びた一枚の葉は、優美な街並みの上空を悠然と舞い踊った。大理石の舗装路や、清らかな水路を行き交う住人たちは、一様にその光の軌跡へと視線を奪われている。

 やがてその葉は、街の最奥にそびえ立つ、神殿と見紛うばかりの荘厳な城郭へと導かれるように飛翔した。そして、天窓の隙間をすり抜け、静寂に包まれた玉座の間へと降り立つ。

 無数の植物の蔦が天井から垂れ下がり、木漏れ日のような柔らかな光が差し込むその空間の最奥。

 玉座に腰掛けていたのは、上品で美しい一人の女性であった。

 風もないのにふわりと揺らめく薄紅色の長い髪と、深淵を見透かすような深緑の瞳。朝露を纏った花弁のような薄衣を身にまとい、その存在自体が女神の顕現を思わせるような神聖さを放っていた。

 光る葉はゆるやかな螺旋を描きながら落ちていき、彼女の足元の絨毯へと音もなく舞い降りた。


「……おや、おや。これはまた、随分と懐かしく、そして騒がしい報せが届いたものじゃのう」


 女性の傍らでのんびりと茶を嗜んでいた人影が、その空間の静寂を破った。

 それは、見事なまでにまん丸とした体型の老人であった。

 雪のように白い髭を胸元まで蓄え、目尻には無数の皺が刻まれている。その瞳は温和な好々爺そのもので、この荘厳な空間にはいささか不釣り合いなほどの親しみやすさを醸し出していた。


「よっこいしょ、と……。いやはや、最近は少し屈むだけでも腰の関節が悲鳴を上げよる。歳は取りたくないものじゃな」


 老人は丸い腹を邪魔そうにしながら、足元の光る葉を拾い上げようと悪戦苦闘する。

 そのどこか滑稽な動作に、玉座の女性は小さく上品な笑い声をこぼした。

 彼女が指先を軽く宙に持ち上げると、光る葉は重力から解放されたように浮上し、老人の手元をすり抜け、女性の掌の上へと収まった。


「ああっ、わしが拾おうとしたのに。意地悪じゃのう、相変わらず」

「ふふっ。あなたの腰の痛みが限界を迎える前に、私が手を差し伸べたまでのことですよ。感謝していただきたいものです」


 女性のたおやかな言葉に、老人はわざとらしく肩をすくめてみせる。

 すると彼は、女性の掌で明滅を繰り返す黄金の葉を静かに、そして鋭く見つめた。


「……ついに、停滞していた世界の歯車が、動き出したのじゃな。この光が意味するものは、明白。……変革の兆しじゃ」


 老人の口調から冗談めいた響きが消え去った。


「ええ。……『真実』を知らなければならない者の降臨。あの恐ろしい戦いから今日に至るまで、どれほどの時間が流れたことでしょう」


 女性は慈愛に満ちた瞳で葉を見つめながら、静かに頷く。


「ということは、じゃ」

「ええ……あの、厄災の残影たちによる計画が……」

「……進んだのじゃ」

「……そうですか。ついに、『光の子』を解放する段階まで」


 女性は憂いに沈んだ表情を浮かべ、葉を優しく撫でた。


「大魔王の企み、暗躍する影、そして封印されし禁忌。これから先、数多の異変がこの世界に降り注ぐこととなるでしょう。また……血の雨が降り、絶望が大地を覆う日も、そう遠くはないのかもしれません」

「左様じゃな。じゃが、悲観することはない。あの子が自らの足で歩き、真実を求め、苦難の旅を続ける限り……希望の灯火が完全に潰えることはない」


 老人は真っ白な髭を撫でつけながら、自信に満ちた笑みを浮かべた。


「あの小さな背中が、数多の試練を乗り越え、やがてこの深遠なる地にたどり着く頃には……。きっと、あの方が何よりも愛し、守りたかった『ミライ』へと到達しているはずじゃ」

「ミライ……。ええ、そうですね」

「さてさて」


 老人は再び腰をポンポンと叩くと、大きな伸びをする。


「若い者が必死に前へ進もうとしておるのじゃ。この老いぼれも、ここで美味い茶を啜っているだけではいかんのう。少しばかり、運動しなければいかん時期が来たようじゃ」

「無理は禁物ですよ。あなたが立てなくなってしまっては、導くべき光が迷子になってしまいますから」

「分かっておるわい。これでも、逃げ足の速さだけは昔から誰にも負けん自信があるからのう! ほっほっほ!」


 老人の豪快な笑い声が、玉座の間に盛大に響き渡った。女性もまた、その陽気さに当てられたように、上品な笑みを咲かせた。

 彼女は玉座からゆっくりと立ち上がり、掌の上で輝き続ける黄金の葉を愛おしむように見つめる。そして、優しく息を吹きかけると、光る葉は再びふわりと宙に舞った。

 葉は不自然な気流に乗り、女性の周囲を一度だけ旋回していくと、天窓へと向かって真っ直ぐに飛翔していく。再び広大な蒼穹へと舞い戻った光の葉は、遥か彼方へと消えていった。


「……どうか、あの子の行く末に、健やかなる風が吹きますように」


 女性の切なる祈りの声が、静寂なこの空間に優しく木霊した。

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