本当の理由
力強い伊野の言葉に、薊は軽口を叩く気にはなれなかった。しかしながら、彼の軽薄な精神が及ぼす新庄への信頼が崩れることも無かった。多少なりとも彼は伊野が放った前後の言葉で、自らの信念に問いかけ、ある程度改善することが出来た。だが、伊野の突き刺すような視線と澄み渡った鋭い言葉を受け取っても、彼の心持が根本から直されることは無かった。もっとも、彼の強情で軽薄な心情は、他人の意見一つで自らの意思を変えない頑固さを持っていた反証とも言えるであろう。彼の良い部分とされ、彼の悪い部分ともされる彼の心情の性質は、状況を鑑みた時、絶妙なバランスで保たれているこの瞬間に発動されてしまった。果たして、彼の軽薄な強情が良い方向に彼らを導くのか、はたまた破滅へ導かれることとなるのかは分からない。何せ、あの二人を除いて未来を見ることは出来ないのだから。
表面上の理解を示すため、薊は伊野を見つめ返してゆっくりと頷いた。そして、伊野は彼の心情を覗くことは無く、自らの審美眼にかけて頷き返した。つまり、伊野は彼が自らの言葉を、全て自分が思ったことのまま伝わってくれたのだろうと、楽観的に信じたのである。先ほどまで悲観的な視点を取っていたのにもかかわらず、漠然とした中にも芯が通っている彼の表情を見た瞬間、その視点は安易な方向に流れてしまったのだ。
かくして二人の間で一応の合意を果たすことは出来た。だが、そこには伊野が懸念していた理解の齟齬が生じており、新庄に対する二人間の視点は異なる地点を観測する状況を産んでしまった。加えて、二人の認識の齟齬を、唯一俯瞰的に観測することが出来た秋等は、二人が無事に合意しているだろうとこれまた楽観的な視点を持ってしまったのである。しかし、これは三人がそれぞれ愚かだと言っている訳ではない。三人は自らの視点に立って、分かったことを理性によって判断し、咀嚼して自らの理解を努めたのである。
理解の齟齬の中心に居る伊野の言葉を最後に、薊も伊野も秋等も笑みを浮かべた。彼らの笑みは、美しくもあり不気味さも誇っていた。互いが互いを理解しているようで、理解できていない奇妙ですれ違いの現実が幻影を示したのである。しかし、この幻影に包まれている者たちは、自らが置かれている状況に気付くことは出来ない。したがって、彼らは自らが創り上げている幻影の中に取り残されたのであった。
「それじゃあ、情報処理室に行こうか。時間もないことだしさ」
「ええ、分かったわ」
自ら観測できない状況に置かれた者たちは、危険を冒して福音機関にまでやってきた目的を達成しようと、いざ行動に出ようとした。いつものように軽やかに微笑む伊野が目的を支持し、これに追従するように後輩二人が首を縦に振るはずであった。しかし、このいつものようには、二人が共通して抱くモノではなかった。というよりも、ここに来る目的が極めて不明瞭であった薊の事情を鑑みれば、追従しないことを良しとする判断が産まれることは容易についたのだ。そして、この考察に従って彼は自らの目的を達成しようと場を乱すのである。
二人は自らの言葉に則り、一歩前に進み始めた。それはエレベータから見て右側の方向であり、伊野だけが知り得る場所に行こうとする道行である。しかし、薊は二人の背中を追いかけることなく、むしろ二人が二から三歩進んだ際、大きな咳払いをして、二人を振り返らせた。
「すいません、俺だけ別行動しても良いですか?」
薊の言葉はあまりに身勝手なモノであった。これは彼自身分かっていたのことだし、いくら二人が自らの奇妙な言動の理由をなんとなく察していたとしても許されないこととなるであろうと理解していた。このため、彼の声帯は平生のように震えることなく、また口も半ば閉じた状態で、少々詰まった声となったのである。
「……どうしてだい?」
詰まった薊の言葉を追求するように、先ほどと同様に精神的な重圧を含んだ声音を発した。彼は先輩としての伊野の言葉に、震えあがったが、自らの臆病を飲み諾して言葉を紡ぐこととした。
「漠然とした理由ですけど、この施設を見てみたいんですよ。滅多にない機会ですし」
あたふたと慌ただしく、薊は思ってもない言葉を口走った。
「本当にそれだけかい?」
しかし、突発的すぎる薊の嘘はすぐさま伊野にバレてしまい、伊野は冷たい笑みを浮かべたまま彼を問いただした。嘘を看破されたことにより、動揺の色を全身に見せた。彼の状態を示すように、秋等は彼をほくそ笑んでいた。
だが、彼は親友の苛立たしい表情に感情をぶつけている場合ではなかった。彼は閻魔大王が如き、問いかけを投げかけてくる伊野を納得させる回答を見出すことに迫られたのである。
しかし、ごく短時間で、嘘を吐くことに慣れていない人間が、隙の無い嘘を吐くことなど不可能である。このため、薊は自らが福音機関に訪れた理由を語ることとした。
「……俺は知りたいんですよ。どうして、新庄が天国の鍵計画なんてもんを思いついて、実行しようとしているのかが知りてえんですよ」
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