奇想天外な伊野
精神的な喜多の言葉が感傷的な作用しかもたらさなかったことを認めた秋等は、再度溜息を吐いた。これに喜多は脱力した笑みを浮かべて、自らの心に嘘が吐けないと言わんばかりに残念そうな声音を漏らした。喜多の言葉は、秋等にも作用し、秋等は再び自己嫌悪に陥る一歩手前まで追い詰められてしまった。
しかし、窮地に追いやられたとき、善行さえ積んでいれば助けが来るというモノである。もっとも、それは必然ではなく、偶発的に起こるモノでしかないが。ともあれ、二人の辛気臭い空気は口論と冷静な計画立案を実行している者たちの間にも伝わったのだ。そして、その中でも最も人を見ることに長けている者がこれを見過ごしてはならぬと二人に接近するのである。
「やれやれ、あの兄妹はどっちも頑固で嫌になっちゃうよ。君たちもそう思わないかい?」
わざとらしく辟易とした身振りをしながら、伊野はキッチンへ近づいた。伊野の接近に二人は一瞬びくりと、全く同じ動作をして見せた。しかしながら、二人の動作が以心伝心に動いたのはこれっきりであり、秋等に関して疲労を覚えながらも普段通りの体裁を整えた、しかし喜多に関してはぴしりと固まってしまった。先ほどまで意気揚々と動いていた喜多は、瞬間、メデゥーサに睨まれた人間のようにすっかりと固まったのだ。これに秋等も伊野も疑問を覚えた。そして、この疑問に一方はすぐさま回答を得られ、また片一方はやはり疑問を引っ提げたままである。
理解と無理解との間に挟まれる喜多の動きは、ぎこちなく、普段は見ることの出来ていた伊野の顔を見ることが出来なかった。理解の側にある者から言えば、それは愉快なメロドラマの一コマであり、無理解の側にある者から言わせれば珍妙奇天烈な訳の分からない三文芝居の一コマでしかなかった。しかしながら、伊野にとって重要なことは喜多の硬直に関する直接的な解決ではなく、二人の辛気臭い雰囲気の解決であった。こと、殺人に関して重要な役割を持つ秋等から、やる気の減衰を伴う雰囲気を取り除かなければならないと伊野は考えていた。
したがって、伊野は自分と目も合わせてくれない喜多から目を離して、秋等の方に視線を向けた。この瞬間、喜多は安堵の息を吐き出すと同時に、残念そうに肩をがっくりと落とした。そして、秋等は喜多を見ながら一切の辛気臭さが取り除かれた笑みを浮かべていた。
「それで、君たちは一体何に落ち込んでいるのかな? この頼れる先輩に相談したまえよ。一応、君たちの先輩なんだからさ」
無垢な笑みを浮かべる秋等をよりおだてようと、伊野はわざとらしく胸を叩いて、極めて嘘っぽい声音で、真実の言葉を紡いだ。
「そうね、一応先輩ですものね」
演技染みた言葉の中から伊野が自分に伝えようとしていることを捉えた秋等は、穏やかな表情で伊野を見つめる。伊野は秋等の真摯な瞳を見て、昨夜秋等に対して抱いた猜疑心に疑問を抱いた。加えて、本当に目の前の筋骨隆々な女性口調の少年が昨夜の少年と同じ人物なのかを疑った。もちろん、秋等という人間はこの世に、目の前の人間一人しかいない。だが、伊野は目の前の人間に二人の人間を見たのである。これが幻影かどうかは分からない。
「そうだとも。僕は君たちの先輩さ。それで、何があったんだい?」
しかし、伊野は自らの違和感をいったん放置することとした。それは別段分からなくとも良いことと判断したためである。
「ここじゃ仕事が出来ないのよ。いや、出来ないっていうよりは捗らないって言った方が正しいですけどね。自分の部屋だったら十割の能率で仕事は出来るわ。けど、ここじゃ三割の能率の仕事しかできないのよ。自分でも面倒な性分だと思いますけど、これだけはアタシの体に染みついた習性だから仕方ないわ」
「それは大変なことだね。しかも、最大出力の三割の仕事しかできないってなると時間の無い僕らにはかなり難しい話になるね」
「そう、だから仕方なくここで仕事をするわ」
諦めきった秋等の声音に、伊野は顎先に人差し指を当てがって唸り始めた。どうすれば自分たちの技術を担う少年の仕事能率を安全に上げられるのかを、その優秀な頭脳で伊野は考え始めたのである。
そして、優秀な頭脳は突発的な解決方法を浮かび上がらせた。もっとも、その方法というのは完全無欠な安全を担保している訳ではないのだが。ただ、少なくとも秋等の仕事で成す成果と危険性とを天秤にかけた時、圧倒的に天秤は前者の方に傾くと伊野は判断したのだ。
「それじゃあ、僕たちの根城でやるかい?」
「根城?」
「そう、僕ら聖使徒たちの根城。あの白い鉄塔に設けられている福音機関、つまるところ敵の根城だね。あそこなら空いている部屋もあるし、何より窓が無いし、素晴らしいコンピューターたちも揃ってる。うってつけだろ?」
伊野の奇想天外な提案に対して、秋等は愕然と得意げな笑みを浮かべる伊野を見つめた。
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