羊
連日の急用で体調を崩していました。
申し訳ございません。
個人としての自由を粉砕するが如き播磨の発言に、薊はニヤリと笑みを浮かべる。まるで播磨の発言を待っていたように、そして自らの中途半端な覚悟に蹴りをつけるような憎たらしい笑みである。彼の表情に際して、播磨は眉間に皴を寄せて不快感を示す。確実に自分よりも知性が無いと思っていた相手の掌の上で、いくらかの不可抗力があったにしろ、操られていたことに播磨は苛立ったのである。
内面にて湧き上がる苛立ちを播磨は大きな舌打ちとして、彼らの前に示した。人前に示す感情に任せた行動というのは、多少なりとも空気を揺らがす。しかしながら、今度の播磨の言動は反って張り詰めた空気の中に再び穴を開けた。その穴は薊の目覚めの時に空いた穴とは異なり、大きな風穴であった。緊張に満ち満ちた精神的空間には新しい空気が流れ込み、冷え切った温度は上昇し、心地よい空気が彼らの間に満たされることとなった。
「全部演技だったのか?」
「違いますよ。九割は本当ですよ」
播磨は大きな溜息を吐きながら、自分が先ほどまで見せていた情熱的な態度に恥じらいを覚える。そして、馬鹿々々しい熱狂に興じていた自分自身に呆れを覚えて、プラチナの髪をかき上げる。艶やかな髪がかき上げられたことにより現れた播磨の額には、冷や汗がびっしりと付着しており、播磨の感じ得た恥じらいがいかなるものかを証明している。すなわち、照れ隠しのために行った播磨の言動は裏目に出たのである
見事に自らの動揺に見せつける播磨に、薊は口元に手をあてがってこみ上げる笑いを耐えて見せる。この様子に播磨は無性に苛立ち、一発殴ってやろうかとも思ったが、暴力に身を任せたところで自らの感情が解決するわけでもないために、播磨は自らの拳を収めた。
そして、播磨は自らの拳を抑え、恥じらいに対してある一程度の理性的な対処が出来たところで薊の言葉の意味を初めて受け取った。九割の内情を吐露してくれたことは、彼の表情から見て間違いないことであった。加えて、一割の嘘も播磨はなんとなく理解していた。ただし、この理解を咀嚼し、腑に落としたところ播磨は彼の脆さを危惧するに導いてしまった。もちろん、播磨が先ほど彼に紡いだ言葉の中に嘘は無い。そのため、播磨は本気で彼が自らの自由を手放して、自分たち集団のシンボルとして行動することを願っているし、これを強制しようとしてる。
しかし、これもまた分かっていたことだが、薊の本心を建前と縛り付け、気丈な振る舞いをさせ続けることは彼自身の精神を壊してしまうことになってしまうのではないという危機感を播磨は具体的に抱いたのであった。もっとも、こんなことは誰もが気付くことであり、人格の方向性を強制された人間が壊れないということは傲慢な見解なのだが。しかしながら、播磨はこの瞬間まで彼の精神は並の人間よりもはるかに頑強であり、どのような状況下に置かれてもある一程度の傷を負うことはあるだろうが、すぐさま回復し、再び自我を取り戻すモノだと考えていた。ただ、それは播磨が抱いていた幻影でしかなく、実際は彼もまた、ただの少年であった。したがって、彼が象徴であり続けることは不可能に等しいことであり、また彼に対して責任を押し付ける自分たちからしても中々辛い立場になるモノであった。
「そうかよ。けど、手前にはシンボルになってもらう必要がある。いついかなる時でも、俺たちの精神的支柱になってもらわなきゃ困るぜ。さっきも言ったけど、それが俺たちをここまで導いたことの責任だ。責任は履行されてこその責任だ。だからよ、頼んだぜ」
だが、播磨は共倒れになる可能性を孕んだ関係性を無理やりにでも押し通すこととした。それは薊に無理をしてもらわなければ、彼に自分たちの十字架を背負ってもらわなければ倒れてしまう人間が多すぎると踏んだためである。ことに自分たちの作戦の指揮官である瑞雲、彼の唯一の家族である八千代、技術を担当する胡散臭い秋等、それらの崩れてはならない人間が崩れてしまうことを播磨は危うんだのである。つまり、彼は捧げられる羊なのであった。身に余る十字架を背負いこむことを損得の非常に利己的な感情によって彼は定められたのである。
「ええ、分かりましたよ。こんな俺が播磨さんみたいな素晴らしい人材の支柱になれるかどうかは、不安ですけどその役割をやって見せますよ」
そして、何も知らない、いや、播磨の思惑を微かに掴んでいるであろう薊は播磨に向けて手を差し出す。
「本当に良いのか?」
「ええ、良いですよ。そんでもって、その役割を担うからには殺人を肯定しますよ。もう、道徳に囚われてクソみたいな我が儘は言いませんよ」
「そうかよ。それだけ言えりゃ、問題ねえな。じゃあ、よろしく頼むぜ」
捧げられる羊となることを受容した一人の哀れな少年の手を播磨は力強く握りしめる。
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