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いずれ神に至るため  作者: 鍋谷葵
運命を憐れむ人々

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阿呆

 薊が纏う失意の念を悟ることの出来ない者など、この場にはいなかった。それなり感受性がある者しかいないのだから、当然と言えば当然であろう。そして、この当然の結果は彼の起床による微かに空いた温い日差しの差す穴を塞いでしまった。このため、部屋の中には再び冷たい空気が満ち始め、彼らの心にずっしりとのしかかるのであった。

 しかしながら、彼らの胸中に冷たい空気が流れ込もうとも、薊はもう一人の殺人を仕方がなく容認しているのである。つまり、彼が見せる内外における矛盾の結果が今だとしても、この矛盾は外から彼を観測している彼らはどうにか捉え方を変えることが出来るということである。そして、この捉え方を早速変えたのは彼にもう一人の標的を伝えた播磨であった。

 播磨は息を飲むと、大きなため息を吐いて後頭部をポリポリと掻いた。同時に彼を見つめて、にやりと不敵に笑って見せた。柔和な笑みである。しかし、播磨の笑みの中にはある種の嘲笑も含まれていた。この嘲笑の正体というのは、彼の自己矛盾に対する嘲笑であり、人を殺すという選択を取っているのにもかかわらず、その選択に則した責任を纏わないことへの嘲笑でもあった。すなわち、起き抜けに八千代が伝えてくれたことを履行できていないことに対する嘲りであった。もちろん、彼は播磨が自身に向けてくる笑みの正体に気付いていた。加えて、自らのあまりにも虫の良すぎる発想に辟易していた。大切な人を自らの甘さで二度も助けられなかったのにも関わらず、未だに明確な敵対者に対して持っている妥協的な精神性に彼はため息を吐かざる負えなかった。

 だが、播磨は薊の溜息すら嘲笑した。そして、彼もまた播磨の嘲笑を受け入れた。

 薊が滅入ってる調子は、酷く珍しいモノであった。特に普段より彼と友達付き合いをしている喜多からすれば、見たことのない表情であり、どのような心持でそういった弱さを自らに映し出しているのか分からなかった。これは決して喜多が朴念仁で、人の感情に疎いためではない。観測したことのない表情であったため、仕方がなかったのである。

 ただし、八千代からすれば見慣れた表情でもあった。一年間共に暮らしていれば、いくつかの精神的なストレスが過剰にかかるタイミングで、薊は現在のような弱り切った表情を見せていた。そして、その都度、彼女は彼に優しい言葉をささやき、彼のことを支えていた。しかし、今はこの慰めとも言える甘やかしをすることは出来ない。他人の目があり、彼のプライドを酷く傷つけてしまうからだ。もっとも、彼女としては彼が持ち合わせる皆に頼られる人間像に付随するプライドなど酷く下らないモノであり、どうして他人行儀な評価を重要視するのかは全くもって分からなかった。だが、妹として、この都市における唯一の肉親として彼自身の尊厳を守るためには致し方ないことであったのだ。そして、これゆえに彼女は彼を庇うことはしなかった。

 ただ、この八千代の言動が薊の心持を変化させる。


「ああ、クソッタレが」


「何がだよ、弱虫野郎」


「自分がクソ過ぎて嫌になるんですよ。自己嫌悪ってやつですか? こんなどうしようもない感情、二度と持って堪るかって思ったんですけどねえ……」


 適当な遊びに興じる手元を見つめながら、薊は柄にもない口調でぼそぼそと言葉を紡ぐ。これに播磨は微かな苛立ちを表情に示す。

「馬鹿じゃねえのか。今更、感傷的になってどうするんだ」


「分かってますよ。今更、感傷的になったところで状況が好転する訳でもないし、むしろ状況を悪化させるだけだってね。けど、どうしても殺人を是として肯定できないんですよ。割り切れることは出来ますけどね」


「じゃあ、割り切れよ」


 ヴァイオレットの瞳で播磨は薊を睨みつける。


「割り切りたいのも山々ですよ。けど、俺だって自分の身が可愛いんです。クソみたいな利己的なことですけど、やっぱり俺だって人間です。聖人じゃねえんですよ」


「聖人? もともと、手前は成人になれるような御大層な身分じゃねえよ。手前が成れるのは、せいぜい神父様くらいだよ。それも罪に手を汚した擁護しようの無い罪悪を背負ったな」


「……そりゃあ、そうですね。助けようと思った奴ら、全員助けられて無いんですからね。けど、そう、こいつは俺の弱さでしかねえです。けど、俺だって人波の承認欲求があります。勝てば官軍負ければ賊軍の世の中で、賊軍にだって大義があっても良いじゃないですか。負け犬に与えらえる栄誉があっても良いじゃないですか。負けて続けてきたやつの人間性を認めてくれたって良いじゃないですか……」


 これに播磨はしびれを切らしたのか、薊の胸倉を掴み上げる。


「馬鹿言ってんじゃねえぞ。死人に口なしだ。良いか、俺たちがこれからやることは手前が今言いやがった阿保みたいな不条理に則ったことだし、俺たちが大儀として掲げてるもんもその不条理だ。だから、手前の感傷を、手前の私情を、どうしようもない承認欲求をぶらさげるんじゃねえ」


ご覧いただきありがとうございます。

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