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いずれ神に至るため  作者: 鍋谷葵
胸いっぱいの憎悪を

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和やかで柔らかな仕事

;;

 播磨の表情に際してただ一人、氷花だけは怪訝な表情を示した。それは喜多という喧しい存在に対する不快感を覚えたためである。だが単に不快と言っても、拒絶を意味するような感情ではない。あくまでも親密さが規定にあり、その上に与えられたものが氷花の覚えた不快感である。この奥をもっと深く見れば瑞雲を今のような状態にさせた存在への憎悪が滲んでいたが、そんな負の情にさえ友人の知り合いに対する余所余所しい親密さを根っこに宿していた。

 ある者は懐かしさが誘発する感動の中に放られ、ある者は記憶が呼び起こした存在に対する煩わしさの中に囚われた。二人と一人の情動ではあったが、その奥には共通の観念があり、彼らはその同一の根拠によって各々の反応を示したのであった。そんな反応は専門用語が英語や多言語で羅列された書類を読み込んでいる播磨にも伝わっていた。どうして彼らが自分を見て行動を硬直させたのか、内面においては劇的な感動がどうして呼び起こされたのかを少年はその理知に満ちた脳髄でいとも簡単に看破していたのであった。多くの人々に幸福と不幸をもたらした当事者にとっては、一般人の一般的な情動というのは情報処理を志向しない微細な集中力でも捉えられたのだった。

 微細な集中さえも書類へと集中させ、播磨は書類をぺらぺらと捲った。視覚神経を限界まで研ぎ澄ませ、文字情報を片っ端から脳髄へと入力し、与えられた知識と照合させ、整合性を確かめる。特別な存在でなければ日が暮れてしまいそうな作業は、播磨という超常的な存在によって加速され、結果として彼らとの最後の対話から五分後には厳密な分析を終えた。

 俯きがちの顔を上げた少年の顔には、笑みだけが浮かんでいた。余裕たっぷり、悪戯心たっぷりの表情である。そこには自らの仕事が重荷ではなかったこと、全く疲れていないことを彼らに伝える意図があった。その一方で彼らを驚かせようとする意志も含まれていた。いま手にしている書類が自分たちの求めているモノではないと伝えれば、彼らはどんな顔を見せるだろうか、ことさら自分に対しては仏頂面と著しい苛立ちだけを向けてくる絶世の美少女の顔はどのように歪むのだろうか、そんな嗜虐に満ち満ちた好奇心が播磨の胸中を満たしていた。

 だが嗜虐の発露を播磨は自制した。少年は瑞雲が祈るような瞳でこちらを見つめている現状を捉えた。その傍らで想い人の祈りの強度を高めるようにジッとこちらを見つめる氷花の視線を理解した。それらは真剣そのモノであり、決して茶化してよい情動ではなかった。また純朴なる少女の曇りなき眼もまた欲望の充足に対する制限を要請した。純粋性に満ちた視線を前に自らのくだらない欲求を優先させる播磨ではなかった。かつての播磨であれば話は違ったであろうが、いま現在の中身は特異存在ではなく真っ当な人間なのである。したがって、播磨は緩んだ自らの頬に微細な緊張さえ許さず、徹底的な弛緩を要請して最も柔らかな安堵を顔に浮かべた。


「ああ、問題ねえ。こいつがあの野郎の魔術に関するレポートだよ。弱み強みその他もろもろ、技術開発のために調査されたデータが片っ端から載ってるぜ」


 他者を慮る柔らかな言葉の表情に播磨は最も大きな意味を載せていた。

 だが、受け取る側にとって最も重要なことは人間的な一側面ではなく、伝えられた情報それ自身であった。仕事の成就を耳にした瑞雲は賭けに買ったことに強烈な安堵を覚え、これを提供した氷花は自らの記憶の正確性とわずかな語さに対する自己不安の解決に小さく息を吐いた。二人のような重圧の内側にはいなかったが、それでもここでの数分が無駄になると自分たちの関係に微かな罅が入ってしまうと悟っていた八千代も、二人とは程度が随分と小さい安堵を覚えた。この三者三様の反応はやはり情報に対する反応であり、表情と心情を整えた播磨はここに微かな徒労を覚えたが、それも彼らの安堵を前して生じた善良な仕事の成就に対する喜びの中に飲み込まれていった。

 彼らの顔はこのとき一様に和らいでいた。


ご覧いただきありがとうございます。

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