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いずれ神に至るため  作者: 鍋谷葵
胸いっぱいの憎悪を

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心の余裕も浅ましい

;;

 なぜ研究所所長のデスクを部会社であるはずの氷花が知っているのか。

 この疑問は捜索範囲が絞られたことへの喜びを上書きするかのようにたった一人のヒポコンデリーに与えられた。長時間の緊張と熱狂は、その者の脳裏に多大なる負荷を与えていたのだ。

 著しい抑圧は土台の理性に歪を与える。それは判断に伝播してしまう。これに際して生じるのは、この判断を受容する者たちからの不信である。ここに相互関係にさえ歪が生じる。この歪を治すためには多くの時間擁する上に、それ以上の配慮が必要となる。つまるところ、時間と工程に恐るべき無駄が生じてしまう。損失する機会は時間が限られているために、行動が制限されている者たちにとっては不都合でしかない。したがって、損失機会それ自体を削除することがある意味での彼らの行動原理となっている。このことは彼らの頭の中に叩き込まれていた。彼らは自分たちの一挙手一投足に掛けられる時間に配慮していたのだ。

 理性に刻み込まれ、本能にさえ滲む機会損失への理解。これは抑圧によって生じた瑞雲の歪を即時的に直した。もっとも、熱狂と疑問が消えたわけではない。瑞雲は未だ抑圧の熱狂を抱えていたし、文脈を図れば容易に推察される疑問も強く抱いていた。平生では考えられない熱が生み出した懐疑の念は、思考回路のうちに即刻刻み込まれてしまうらしい。しかし、疑念が刻み込まれたところでその重要性と疑念を晴らすための時間を比較することはできた。感情に際する議論ではなく、自分たちの行動が生じさせる利益不利益に関する損得の合理的判断は熱狂の中にあっても決して鈍ることはなかったのである。つまり、瑞雲は自らの抱いた疑問を保存したまま(氷花への被害妄想的な嫌悪を内包しながら)正鵠を射る判断を下したのであった。もっとも、この判断というのはあくまでも瑞雲自身が勝手に思い込み、その上で勝手に下したものでしかない。言い換えれば独断と偏見に満ちた行為でしかなかった。

 場を混乱させぬ判断を理性の名のもとで下した瑞雲は、胸中の懐疑から湧き上がる嫌悪より目を逸らした。その上で、傍らの氷花に目を向けた。

 八千代の問いかけ、それへの応答の関係性において氷花は得意げな顔をしていた。自らが彼らを導いているというある種の支配欲の成就が精神に余裕を生み出していたためであった。彼ら全体に対する優越感。これが余裕の正体そのモノである。そのため彼ら全体から彼らのうちの一人、そのような主体対主体の関係性においては、これもまた若干埋もれてしまう。自らの感情の鏡像として相手が存在し、相手のうちに自らを見てしまうからである。しかして、他者を鏡像とした自己への恥じらいを超える恥辱もある。それは意中の相手が自身を見つめることである。頭が回り、人間観察に秀でており、他者の欲求の正体について看破することができる人間に想いを寄せていればなおさらである。

 最大の恥辱を与える相手が自分を見つめている。この事実を把握したとき、氷花の顔は真っ赤になった。生理的な恋愛的欲求によるモノと前述のモノ、二重の恥辱が端正すぎる顔を赤く染めたのだ。

 一瞬にして表情と顔色を変えた少女に見下ろす者は何を思うか。男は朴念仁ではない。他方、熱狂に侵されている現状では心理的な面において暗闇にある。瑞雲は顔を赤らめる少女に成就するはずのない恋への申し訳なさを覚えた。同時に、足を踏まれて痛みを与えられたのにも関わらず、視界の隅で生暖かい表情を浮かべる軽薄な男に呆れを抱いた。


「ありがとう、美紀。捜索が楽になる」


 瑞雲は関われば面倒ごとを引き起こす男を無視しながら、氷花の潤む双眸を見つめた。想い人から告げられる微かな淀みを持つ感謝は、その顔に自らの軽薄さを由来とする申し訳なさの影を与えた。この表情の変化を瑞雲はただ肉体的な変質としてのみとらえ、二人を観察していた少女はいじらしさ、例の阿呆は道化の奥にある冷静な視野で初心の美しさを捉えていた。


ご覧いただきありがとうございます。

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