第七話 最初の一歩
「あるじ様……」
背後から、低く震える声が聞こえた。
振り返ると、マジカが俺を見ている。虎ほどもある巨体。神獣を思わせる威厳ある姿は、黙って立っているだけでも十分に恐ろしい。だが今、その大きな身体はどこか申し訳なさそうに縮こまっていた。
「私は、外でお待ちしております」
「何で?」
「私一人のために、あるじ様の御目的を妨げるわけにはまいりません」
「別に妨げてないだろ」
「しかし……」
マジカはちらりと城門を見る。
なるほど。こいつなりに気を遣っているのか。
ゲーム時代、マジカは最後に手に入れたNPCだった。イベントでもらった無料ガチャ券を何となく使ったら、運よく引けた高レアキャラ。火力が高かったから育てたものの、他の四人とは付き合いの長さが全く違う。
その設定まで、今の人格に影響しているのだろうか。
「全員で来たんだから、全員で入ればいい」
「ですが――」
「お前も仲間だろ?」
俺としては、それだけの話だった。
ところがマジカは何も言わなくなった。
「……マジカ?」
「はい」
ようやく返ってきた声は、さっきより震えていた。
マジカが前脚を折り、巨体を深く伏せる。
「その御言葉、この命尽きるまで忘れません」
「いや、そこまで重く受け取らなくても……」
思わず苦笑する。だが、マインたちは笑っていなかった。
マインは静かに俺を見つめている。その瞳に宿る感情が何なのか、俺にはまだ分からなかった。
「……分かった」
ヴァルガスが口を開いた。
「全員の入城を許可する」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、条件は先ほど伝えた通りだ。街中での戦闘と魔法の使用は禁止する」
「もちろんです」
「それと……マジカ殿」
ヴァルガスが少し言いにくそうに続ける。
「その姿では、街の者が騒ぐ可能性がある。可能な限り刺激しないでもらいたい」
「承知した」
マジカが答えた瞬間、ヴァルガスの後ろにいた兵士が目を見開いた。
喋ると思ってなかったのか。まあ、俺も最初は驚いたから仕方ない。
やがて巨大な城門が、低い音を響かせながら開き始めた。
その隙間から街並みが見えてくる。
「おお……」
思わず声が漏れた。
石造りの建物。赤茶色の屋根。荷物を積んだ馬車。道の両脇には露店が並び、肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
剣を腰に下げた男。尖った耳を持つ女。小柄な獣人らしき子供。
ゲームの背景じゃない。
人が生活している。本物の異世界の街だ。
「すごいな……」
自然と足が前へ出た。
門をくぐる。その瞬間だった。
街が静かになった。
「……ん?」
さっきまで聞こえていた商人の呼び声が止まり、道を歩いていた人々がこちらを見ている。
「めちゃくちゃ見られてない?」
「そのようですね」
マインは平然としている。
俺は自分たちの一行を振り返った。
銀髪のエルフ姿の俺。妖艶なマイン。黒翼を持つサラ。宙に浮かぶエル。白い着物姿の夏。そして虎ほどの大きさがある麒麟のマジカ。
「……そりゃ見るか」
むしろ見ない方がおかしい。
マジカの近くにいた子供が母親に抱き上げられ、慌てて離れていった。
マジカの耳が僅かに下がる。
「気にするなよ」
「はい、あるじ様」
「そのうち慣れるって」
「……はい」
少しだけ耳が戻った。
俺たちは大通りを進む。
見るもの全てが珍しい。店頭に積まれた見たことのない果物。淡く光る石。奇妙な形の武器。
全部見たい。
だが――その前に。
「……いい匂いするな」
視線の先で肉が焼かれていた。串に刺した肉へ何かのタレを塗り、炭火で炙っている。
腹が減っていることを思い出した。
「あれ食べたい」
エルがくすりと笑う。
「先ほどから食事を楽しみにされていましたものね」
「異世界の料理だぞ? そりゃ気になるだろ」
屋台へ近づくと、店主の顔が引きつった。
「これ、一つください」
「へ、へい!」
「いくら?」
「銅貨三枚です!」
銅貨。当然、持っていない。
ゲーム内通貨ならある。インベントリから金貨を一枚取り出した。
「これ使えます?」
「なっ……」
店主が目を見開く。
「駄目ですか?」
「い、いえ。ただ……」
店主は金貨を受け取り、何度も表裏を確認した。
「旦那、これ……どこの金貨です?」
「どこの?」
「見たことのない紋章です。それに、こんなの釣りが出せねえ」
「そんなに?」
「正確には鑑定しないと分かりませんが……下手したら、うちの屋台ごと買えます」
「え?」
後ろでエルが吹き出した。
「あるじ様らしいですね」
「いや、知らなかったんだって」
俺は慌てて金貨を回収した。
「仕方ない。両替してから――」
「これでいい」
横から手が伸びた。
ヴァルガスだった。
店主の手へ銅貨を三枚置く。
「え?」
「ガルディアへ来たばかりの客人から、最初の食事まで取り上げるつもりはない」
「でも」
「銅貨三枚だ。気にするな」
ヴァルガスが串焼きを受け取り、俺へ差し出した。
「……ありがとうございます。後で返します」
「必要ない」
「いや、借りたものは返します」
ヴァルガスが一瞬こちらを見る。そして小さく笑った。
「好きにしろ」
一口かじる。
少し硬い肉から脂が溢れ、香辛料の辛さと炭火の香りが鼻へ抜けた。
「……うまっ」
思わず声が出る。
「これ何の肉です?」
「ホーンラビットですよ」
「ウサギか」
「お気に召しました?」
エルが楽しそうに尋ねる。
「うん。結構うまい」
「でしたら、この店ごとお持ち帰りになりますか?」
「ならないよ」
こいつは冗談なのか本気なのか分からない。
「しかし、まず金をどうにかしないとな」
「それなら冒険者ギルドへ行くといい」
ヴァルガスが言った。
「冒険者ギルド?」
思わず反応してしまう。
「この大通りを進んだ先にある。貨幣の両替や魔獣素材の買い取りも扱っている。見たことのない金貨なら、商人よりギルドへ持ち込む方が安全だ」
冒険者ギルド。
異世界に来て、その単語を聞いてしまった。
行かないという選択肢はなかった。
「行ってみます」
「部下に案内させよう」
「ありがとうございます」
俺は残った串焼きを口へ運びながら、大通りの先を見る。
まず両替。ヴァルガスへ銅貨三枚を返す。それから――せっかくだ。冒険者ギルドというものを見てみよう。
俺にとっては、それだけだった。
その隣で、マインはヴァルガスの背中を静かに見つめていた。
――あるじ様に、この世界で最初に食事を献上した人間。
少なくとも、敵として処理する優先順位は下げてもよいでしょう。
本人が知れば全力で否定する評価が、ひっそりと下されていた。
なろうでの投稿は初めて、寝不足です…
まだまだストックはあるので、しばらく毎日投稿します。




