第六話 あるじ様
「それで……俺たちは街に入ってもいいんですか?」
俺が尋ねると、ヴァルガスはすぐには答えなかった。視線が俺からマインへ、マインからサラ、エル、夏へと移り、最後にマジカで止まる。
特にマジカを見る時間が長い。
まあ、気持ちは分かる。虎ほどの大きさがある麒麟が街に入ってきたら、俺だって警戒する。
「目的は何だ?」
「目的?」
「このガルディアを訪れた目的だ」
そんなことを聞かれても困る。異世界に来たから観光したい――さすがにそのまま言うわけにはいかない。
「情報収集……ですかね」
「情報収集」
ヴァルガスの眉が僅かに動いた。
しまった。言い方が悪かった気がする。
「いや、怪しい意味じゃなくて。この辺りのことを全然知らないので、地図を見たり、この国のことを聞いたりしたいだけです」
「……迷わずの森を知らないと言っていたな」
「はい」
「ガルディアも?」
「今日初めて知りました」
ヴァルガスの表情がさらに険しくなる。
完全に不審者じゃないか。
身分証明書はない。この世界の金も持っていない。国名すら知らない。
「創造主様」
隣からマインが小声で呼びかけてきた。
「必要であれば、私が彼らを説得いたしましょう」
「ちなみに、どうやって?」
「まずは代表者のみを残し、他の者を――」
「俺が話す」
「承知いたしました」
聞かないほうがよかった。
……いや、待て。
今、こいつ普通に創造主様って言ったよな。
さっきヴァルガスにも聞かれていた気がする。
「マイン。ちょっといい?」
「はい、創造主様」
「それ」
「……?」
「これから人前では、創造主様って呼ぶのやめない?」
五人の表情が固まった。
「……我々から、その御名を口にする栄誉をお取り上げになるのですか?」
マインが明らかにショックを受けている。
「違う違う。そういう意味じゃない」
どうして呼び方一つでそんな悲しそうな顔になるんだ。
「考えてみろよ。俺たちはこの世界について何も知らないんだぞ? そんな奴が五人から創造主様なんて呼ばれてたら、どう考えても怪しいだろ」
「なるほど……」
マインの表情から悲しみが消えた。
代わりに、何かを理解したような光が瞳に宿る。
……嫌な予感がする。
「つまり、この世界の情報が揃うまで、あるじ様の真なる御身分を秘匿せよ、と」
「そこまで大袈裟じゃない」
「自らの御力を明かすことなく人間社会へ溶け込み、その内情を見定める……」
「違うからな?」
「さすがでございます」
駄目だ。もう聞いてない。
サラまで感心したように頷いている。
「確かに、無知な者どもに創造主様の御存在を知られるのは――」
「無知な者どもとか言わない。それと今もう創造主様って言ってる」
「……失礼いたしました」
とにかく代わりの呼び方が必要だ。
ギルドマスターでは意味が分からないだろう。ご主人様は……マインやエルからそう呼ばれると、別の意味で目立ちそうな気がする。
「『あるじ様』くらいでいいんじゃない?」
「あるじ様……」
マインがその言葉を噛み締めるように繰り返した。
「嫌?」
「まさか」
胸元へ手を添え、恭しく頭を下げる。
「このマイン、あるじ様より賜りました新たな呼称、謹んで拝命いたします」
「呼び方変えただけだからな?」
「はい、あるじ様」
サラたちも次々と頭を下げた。
「承知いたしました、あるじ様」
「私はどのような呼び方でも。あるじ様がお望みでしたら」
「かしこまりました、あるじ様」
最後にマジカが巨体を低くする。
「この身、この命とともに、新たな呼称を心へ刻みます。あるじ様」
「だから重いって……」
思わずため息が漏れた。
まあ、「創造主様」よりはマシだろう。
俺がそう納得したところで、ヴァルガスが咳払いをした。
「……話は終わったか?」
「あ、すみません」
めちゃくちゃ聞かれていた。
これ、本当に呼び方を変えた意味あったか?
「一つ確認させてくれ」
ヴァルガスは何も追及せず、話題を変えた。
「森で四十体ほどの魔物を狩ったと言ったな」
「はい」
「種類は?」
「角の生えた大きな狼とか、猪とか、熊みたいなのとか……」
「狼の口から紫色の液体は?」
「ああ、出てました。草に落ちたら溶けてましたね」
「……ヴェノムホーン」
後ろの兵士が呟く。
「猪は?」
「背中に黒い棘がありました」
「アイアンボア……熊は?」
「赤い毛で、胸の辺りだけ白かったかな」
「ブラッドベア」
魔物の特徴を話すたび、兵士たちの表情が険しくなっていく。
「もしかして、珍しい魔物だった?」
ヴァルガスが俺を凝視する。
「ヴェノムホーン一体を討伐するなら、通常は銀級冒険者を含む六人以上の隊を組む」
「……銀級?」
「それも知らんのか?」
「すみません」
銀級がどの程度なのか分からないので、結局強いのか弱いのかも分からない。
「では聞き方を変える。四十体をどうやって倒した?」
「集めて、まとめて魔法で」
「……集めた?」
「はい」
「四十体を?」
「多分、それくらい」
「なぜそんなことを?」
「一匹ずつ倒すより早いから」
沈黙。
まただ。
俺が何か言うたびに、この人たちは黙る。
「……何か変なこと言いました?」
ヴァルガスは答えない。代わりに後ろの若い兵士が呟いた。
「四十体の魔獣を……効率のために集めた……?」
もしかして、この世界では範囲狩りが一般的ではないのか。
「まあ、昔からそういう戦い方だったので」
「先ほど森の空を赤く染めた魔法も、お前が?」
「見えてたんですか?」
「ガルディア中からな」
「……すみません」
「なぜ謝る?」
「騒がせたみたいなので」
ヴァルガスが黙った。
その後ろで兵士たちが顔を見合わせる。
「あるじ様」
マインが小さく呼ぶ。
「何?」
「やはり、全てお考えの上だったのですね」
「何が?」
「圧倒的な力を先に示し、その直後に自ら頭を下げる。彼らに抵抗が無意味であると理解させながら、同時に敵意がないことを示された」
「違うけど」
「では、偶然を装われるおつもりで?」
「本当に偶然だから」
「なるほど」
何がなるほどなんだ。
ヴァルガスが深く息を吐いた。
「……分かった。入城を許可する」
「本当ですか?」
「ただし条件がある。街中での魔法および戦闘行為は禁止。問題を起こした場合は即刻退去してもらう」
「もちろんです」
「それから――」
ヴァルガスの視線がマジカへ向いた。
「その魔獣は、街の外で待機させてもらいたい」
マジカの頭が僅かに下がった。
「魔獣じゃないですよ」
「……何?」
「マジカです」
俺は振り返る。
巨大な麒麟が静かにこちらを見ていた。
「俺の仲間です」
自分でも驚くほど、自然にその言葉が出た。
少し前までならNPCと呼んでいただろう。
でも今は違う。
「マジカだけ外に置いていくなら、俺たちも入りません」
ヴァルガスの目が細くなる。
その背後で、マジカが息を呑む音が聞こえた。




