第六話 静かな異変
翌朝。
リヴァティの街は、昨日と変わらぬ活気に満ちていた。
大通りでは荷馬車が行き交い、露店からは威勢のいい呼び込みの声が飛ぶ。焼きたてのパンや肉の匂いが漂い、早朝だというのに商人たちはすでに忙しなく動き回っている。
「串焼き……」
宿を出たノアルが、昨日印を付けた店の方角へ目を向ける。
「あるじ様」
すぐ横からマインの声が飛んだ。
「先に冒険者ギルドへ向かわれるのでは?」
「分かってるよ」
ノアルは名残惜しそうに視線を戻す。
「昼には行けるかな」
「用件次第かと」
「じゃあ早く終わらせよう」
目的は、護衛依頼完了の確認と昇格試験についての報告だった。
リヴァティにも当然、冒険者ギルドが存在する。
ガルディアより遥かに大きな都市だけあって、その建物も立派だった。
三階建ての石造りで、入口には武装した冒険者が絶えず出入りしている。
扉を開けると、広い一階にはいくつもの受付が並び、依頼掲示板には大量の紙が貼られていた。
「でかいな」
ノアルが辺りを見回す。
「ガルディアの倍くらいあるんじゃない?」
「冒険者の数も随分多いようですね」
マインが答える。
六人が入ってきた瞬間、周囲からいくつもの視線が向けられた。
特に目立つのはマジカだ。
簡易識別札を身につけているとはいえ、虎ほどの大きさの麒麟が冒険者ギルドの中を歩いていれば当然である。
さらにサラの翼やエルの人魚の尾も目を引いた。
しかし多種族が集まる交易都市だからか、ガルディアで初めて姿を見せた時ほど騒ぎにはならなかった。
受付で護衛依頼書を提示すると、担当の男が確認する。
「ガルディアからの昇格試験組か」
「そうです」
「報告はすでに届いている」
男は書類を一枚取り出した。
「依頼人からは非常に高い評価だ。戦闘こそなかったが、偵察、警戒、野営時の役割分担、それに途中で行商人を加える際にも依頼人へ確認を取っている。護衛として問題なし、だそうだ」
「よかった」
ノアルは素直に笑う。
「じゃあ銀級?」
「最終判断はガルディアのギルドになる。こっちで勝手に上げるわけにはいかん」
「ですよね」
少し残念そうなノアルに、男は苦笑した。
「まあ、この報告ならまず問題ないだろう」
そこまで話したところで、隣の受付から声が聞こえてきた。
「またか?」
「今朝もだ。北東の街道近くで群れが移動してる」
「種類は?」
「それが妙なんだ。牙猪に森狼、その後ろにオーガまでいたらしい」
受付の職員たちが低い声で話している。
ノアルは何となくそちらを見た。
「何かあったんですか?」
担当の男が少し迷った後、肩を竦めた。
「大した話じゃない……と言いたいところなんだがな」
机の上の書類を指で叩く。
「ここ数日、周辺の魔物の動きがおかしい」
「おかしい?」
「縄張りを離れる個体が増えてる」
男は続けた。
「魔物には魔物なりの縄張りがある。特に強い種ほど、理由もなく長距離を移動したりしない。だが最近、普段なら見ない場所で目撃される例が増えてるんだ」
「季節的なものじゃないんですか?」
「それなら楽なんだが」
別の職員が口を挟む。
「おかしいのは種類だ。森狼と牙猪が同じ方向へ走っていたという報告もある」
「仲良しになったとか」
ノアルが言う。
職員は一瞬黙った。
「……普通なら、途中で食う側と食われる側になる」
「なるほど」
「昨日はオーガと小型魔獣まで同じ方向へ移動していた。縄張り争いでもなさそうだ」
マインが僅かに目を細めた。
「すべて同じ方向へ?」
「今のところ、北東から南西へ向かう例が多い」
ノアルは壁に貼られた周辺地図を見る。
その先にはリヴァティがある。
「街に向かってる?」
「まだ何とも言えん」
男は首を振った。
「数もせいぜい数頭から数十頭だ。ギルドから調査隊を出している」
その時だった。
「あら?」
エルの身体が僅かに揺れた。
いつも地面から少し浮いている彼女の身体が、不意に数十センチほど沈む。
尾の先が床へ触れそうになり、すぐに元の高さへ戻った。
「エル?」
ノアルが振り返る。
「どうした?」
「……分からないわ」
エル自身が最も不思議そうだった。
「一瞬だけ、浮遊魔法が乱れたみたい」
「魔力切れ?」
「まさか」
エルは苦笑する。
「この程度の浮遊で、私の魔力が尽きることはないわ」
ノアルもそれは分かっている。
ゲーム時代から知っているエルの能力を考えれば、日常的な浮遊など消費に入らない。
「体調は?」
「問題ないわ」
「じゃあ、今日は無理して飛ばなくていいよ」
「あら。心配してくださるの?」
「そりゃするよ」
あまりにも当然のように返され、エルが一瞬黙る。
それからいつもの妖艶な笑みを浮かべた。
「では、お言葉に甘えるわ」
エルは浮遊高度を最低限まで落とした。
その様子を、マインは静かに見つめていた。
エル自身に問題がないのなら。
原因は別にある。
そして周辺では魔物の異常行動が起きている。
偶然。
そう片付けるには、少し引っ掛かった。
「あるじ様」
「うん?」
「本日は周辺の状況にも注意を払った方がよろしいかもしれません」
「そうだね」
ノアルも素直に頷いた。
「何もなければ、それでいいし」
その後、一行はギルドを出た。
昼には念願だった串焼きも食べた。
ハインの推薦だけあって、香辛料の効いた肉は美味かった。
ノアルはすっかり満足し、午後も市場を見て回った。
だからこそ。
夕刻。
街中に突然鳴り響いた鐘の音が、最初は何なのか分からなかった。
ゴォン――。
ゴォン――。
ゴォン――。
昨日まで一度も聞かなかった、低く重い鐘。
通りを歩いていた人々の表情が変わる。
商人が店先から顔を上げる。
衛兵が走り出す。
冒険者たちが一斉に武器へ手を伸ばす。
「何の鐘?」
ノアルが尋ねる。
近くにいた男が青ざめた顔で答えた。
「警鐘だ」
「警鐘?」
「都市の外で異常が起きた時の……」
その言葉を遮るように、馬が石畳を蹴る音が響いた。
一頭の馬が大通りを駆け抜け、冒険者ギルドの前で止まる。
乗っていた冒険者は泥まみれだった。
肩には血が滲み、息も絶え絶えになっている。
男は馬から転がるように降りると、ギルドへ飛び込んだ。
「北東だ!」
その叫びは通りにまで響いた。
「北東から魔物の群れが来る!」
周囲が静まり返る。
「数は!?」
誰かが叫ぶ。
冒険者は荒い呼吸を繰り返した。
そして震える声で答えた。
「分からねえ」
「分からない?」
「数えられるような数じゃない!」
その瞬間。
マインの表情から、僅かに残っていた柔らかさが消えた。
ノアルも北東の空へ目を向ける。
遠く。
まだ何も見えない。
だが――。
エルがゆっくりと自分の胸元へ手を置いた。
「……まただわ」
「エル?」
「今度は分かる」
妖艶な微笑みは消えていた。
「私の魔法がおかしいんじゃない」
エルは遠い北東を見つめる。
「周りの魔力が――揺れているわ」
マーメイド種のエルは人化で歩くことはできますが、本来は人間種と交わるための形態のため、多少戦略が落ちるなどの副作用がある裏設定です。




