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第四話 お泊まり

リヴァティの大通りは、ノアルが想像していた以上に賑やかだった。


左右には露店と商店が途切れることなく並び、通りを行き交う人の数もガルディアとは比べものにならない。


香辛料の匂い。

焼いた肉の香ばしさ。

甘い果実の香り。

鍛冶場から響く金属音。

店先で客を呼び込む商人たちの声。


ノアルは完全に目を奪われていた。


「あるじ様」


背後からマインの声が飛ぶ。


「まず宿を確保すべきかと」


「分かってる。ちゃんと分かってるよ」


そう答えながらも、ノアルの視線は右へ左へと忙しく動いている。


「……ただ、あれだけ見てもいい?」


ノアルが指差した先には、色とりどりの果物が山のように積まれた露店があった。


マインがわずかに目を細める。


「先ほども、そのように仰っておりました」


「今度こそ最後だから」


「先ほども同じ言葉を」


「……よく覚えてるね」


ノアルは苦笑しながら露店へ向かった。


その後ろをマインたちが続く。


サラは翼を小さく畳み、人混みにぶつからないよう歩いている。

エルはいつものように浮遊魔法で地面から少し離れ、尾を揺らしながら周囲を眺めていた。

夏は静かに歩きながらも、時折珍しい商品へ視線を送っている。

そしてマジカは、門で付けられた簡易識別札を身につけ、最後尾を歩いていた。


その威圧感のある姿に道行く人々は驚くものの、識別札を確認すると距離を取るだけで騒ぎにはならない。


「兄ちゃん、見る目あるな!」


果物屋の店主がノアルへ声を掛ける。


「今朝入ったばかりの銀蜜果だ。リヴァティじゃ今が一番うまい時期だぞ」


「銀蜜果?」


ノアルは一つ手に取った。


掌ほどの大きさで、薄い銀色の皮が光を反射している。


「甘いんですか?」


「そりゃあもう。名前の通り蜜みたいに甘い」


「じゃあ一つください」


ノアルは代金を払い、その場で店主に切ってもらった。


中身は淡い黄金色だった。


一口食べる。


「……うま」


強い甘味の後に、僅かな酸味が残る。


ゲーム時代には当然なかった味だ。


ノアルがもう一口食べようとした時、横から視線を感じた。


サラだった。


「……食べる?」


「よろしいのですか?」


「もちろん」


ノアルは自分が一口食べた銀蜜果を、そのままサラへ差し出した。


サラの動きが止まった。


「……あるじ様が、口をつけられたものを……私が?」


「嫌なら別の買うけど」


「嫌などということが、あるはずがございません」


即答だった。


サラは両手で銀蜜果を受け取る。


その仕草は妙に丁寧で、まるで神聖な品でも扱っているかのようだった。


そしてノアルが噛んだ場所を一瞬見つめ――そのすぐ隣へ口をつける。


「……っ」


僅かに頬が赤くなる。


「どう?」


「……甘いです」


「でしょ?」


ノアルは満足そうに笑う。


すると反対側から、エルがゆっくり近づいてきた。


「あら。サラだけ?」


「え?」


「私も味が気になるわ」


エルが妖艶な笑みを浮かべる。


その視線が銀蜜果へ向かい、それからノアルへ戻る。


「新しく買おうか?」


「せっかくだもの。同じものがいいわね」


「同じ?」


「ええ。“同じもの”が」


妙に強調された気がした。


さらに夏まで静かに口を開く。


「……私も、少し興味があります」


「銀蜜果に?」


「はい」


夏の表情はいつも通り涼やかだ。


だが視線はサラの持つ果実へ向いたままである。


ノアルは首を傾げた。


「じゃあ、何個か買おうか」


「あるじ様」


マインが横から割り込んだ。


「私も頂けますでしょうか」


「もちろん」


結局、銀蜜果を追加で五つ購入することになった。


ノアルはなぜ皆が急に果物へ強い興味を示したのか分からなかったが、喜んでいるなら悪くない。


一方、サラは最初に受け取った銀蜜果を大切そうに食べ続けていた。


その顔が普段より随分幸せそうに見えたことについては、ノアルも気づかなかった。


しばらく市場を歩いた後、ようやく宿へ辿り着いた。


交易都市だけあって宿の規模も大きい。


一階は食堂、二階と三階が客室になっており、裏手には馬や従魔を預かるための専用区画まであるという。


受付で空室を確認すると、ちょうど三部屋空いていた。


「じゃあ三部屋取ろう」


ノアルがそう言った瞬間、背後の空気が変わった。


「あるじ様」


最初に口を開いたのはサラだった。


「私はあるじ様と同室で問題ございません」


「いや、三部屋あるから」


「私は床で構いません」


「床で寝なくていいよ」


「では寝台の下でも」


「どうしてそうなるの?」


サラは真剣な顔だった。


「あるじ様の御傍をお守りするためです」


「寝台の下から?」


「はい」


「守りにくくない?」


サラが一瞬考える。


「では、同じ寝台で」


「余計におかしくなったな」


エルが口元へ手を当て、小さく笑った。


「だったら私も一緒でいいんじゃない?」


「一緒って?」


「あるじ様のお部屋」


「エルまで?」


「広い寝台なら問題ないでしょう?」


「問題あると思うけど」


「私は構わないわよ?」


エルは微笑みながら尾を緩やかに揺らしている。


その隣では夏が少しだけ視線を伏せた。


「……私も、同室であれば警護は容易かと」


「夏まで?」


「はい」


ノアルが困ったように頭を掻く。


するとマインが一歩前へ出た。


「あるじ様」


「マインまで同じこと言わないよね?」


「いえ」


マインは極めて冷静だった。


「警護という観点だけで申し上げれば、私があるじ様と同室になるのが最も合理的です」


「結局言うんだ」


「戦力、判断能力、緊急時の対応力。そのすべてを考慮すれば私が適任かと」


「なるほど」


筋が通っているような、通っていないような話だった。


「では私があるじ様と同室に」


「ちょっと待ってください、マイン」


サラの表情が変わる。


「戦力だけで警護役を決めるのはいかがなものかと」


「では何を基準に?」


「忠誠心です」


「それなら私が劣っていると?」


「そうは申し上げておりません」


二人の間に妙な緊張が走る。


「私は夜間でも飛行できますから、窓からの侵入にも対応可能よ」


エルまで参戦した。


「私は室温を下げられます」


夏も静かに続く。


「それは警護と関係ある?」


ノアルの疑問に、夏が僅かに目を逸らした。


「……快適な睡眠は重要です」


「そこ?」


話が完全に別方向へ進み始めたため、ノアルは手を叩いた。


「はい、決めた」


四人が一斉にノアルを見る。


「俺一人で一部屋」


空気が止まる。


「マインと夏で一部屋。サラとエルで一部屋」


「あるじ様」


サラが何か言おうとした。


「決定」


「……承知いたしました」


明らかに残念そうだった。


「マジカは?」


受付の男が恐る恐る尋ねる。


「裏の魔獣用区画を使えます。大型従魔用ですので、十分な広さがありますがいかがでしょうか?」


ノアルはマジカを見る。


「どうする?」


「我はどこでも構いませぬ」


「無理そうなら言ってね」


「御心遣い、感謝いたします」


部屋を確保し、荷物を置いたところで、ノアルは再び街へ出た。


今度の目的は地図だった。


市場の一角にある書店兼地図商を見つけ、リヴァティ市内の詳細地図と、この周辺一帯を描いた広域地図を購入する。


「へえ……」


ノアルは店の前で地図を広げた。


ガルディア。


リヴァティ。


自分たちがすでに知っている土地は、広い地図の中ではほんの一部に過ぎない。


そこからさらに離れた場所には、見知らぬ都市名がいくつも記されている。


山脈。

大河。

巨大な湖。

国境線。

そして遠くには海まで描かれていた。


「海もあるのか」


ノアルは思わず呟く。


ゲーム時代であれば、地図の先には運営が作ったエリアがあるだけだった。


だが今は違う。


この地図に描かれた場所には、本当に誰かが暮らしている。


さらに、この地図に載っていない場所すらあるかもしれない。


ノアルの胸の奥に、強い好奇心が湧き上がった。


「ここまで来たんだから、色々見てみたいな」


背後にいた五人が静かにノアルを見る。


ノアルは地図の遠方を指でなぞった。


「そのうち遠征とかしてみたら面白そうだな」


「では私が同行いたします」


マインが即答した。


「いえ、私が」


サラが続く。


「海へ行くなら私でしょう?」


エルが微笑む。


「あるじ様の行かれる場所であれば、私も」


夏の声も静かだが迷いはない。


最後に、低い声が響く。


「あるじよ。我も御供を」


マジカだった。


「いや、まだ行くって決めたわけじゃないんだけど」


誰も聞いていない。


五人の視線だけで、すでに何かの競争が始まっている。


ノアルは苦笑した。


けれど、広げた地図へもう一度目を向ける。


知らない街。

知らない国。

知らない種族。

知らない魔法。

知らない景色。


この世界へ来た時、自分たちがどこにいるのかすら分からなかった。


それが今では、世界の広さに心を躍らせている。


「まあ、いつか行こう」


ノアルは地図を折り畳んだ。


「せっかく別の世界に来たんだし」


その何気ない一言に。


五人全員の目が静かに輝いた。


そしてノアルだけが、その言葉が後にギルドハウス全体を巻き込む猛烈な“遠征同行争い”の始まりになることを、まだ知らなかった。

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