第二話 護衛依頼
護衛依頼というものに、俺は少し期待していた。
街道を進んでいると魔物が現れる。
商人を守りながら仲間と連携して戦う。
場合によっては盗賊なんかも襲ってくる。
今回は銀級への昇格試験も兼ねているのだから、少しくらい何か起きてくれた方が俺たちとしても連携を見せやすい。
そう思っていたのだが――。
「……暇だな」
ガルディアを出発してから半日。
何も起きない。
本当に、何も。
「平穏で何よりかと存じます」
俺の隣を歩くマインが答える。
「それはそうなんだけどさ。このままだと試験にならなくない?」
「依頼を完遂することが第一かと」
「まあ、そうなんだけど」
正論だった。
試験のために魔物が出てきてほしいなんて、護衛されている商人からすればたまったものではないだろう。
三台の馬車は一定の速度で街道を進んでいる。
俺とマインが先頭付近。
サラは上空から周囲を監視し、エルは馬車の側面をふわふわと浮遊している。
夏は後方を警戒。
最後尾をマジカが歩く。
隊列については出発前に話し合って決めた。
俺が細かく指示を出すまでもなく、それぞれが自分の役割を理解している。
(これなら連携については問題なさそうだな)
むしろ問題なのは、それを見せる機会がないことだ。
「この辺って、魔物少ないんですか?」
先頭の馬車を操る商人へ尋ねる。
「いえ……」
商人は妙な顔をした。
「むしろ、それなりに出ます」
「そうなんですか?」
「ええ。小型の魔物なら、リヴァティまでに二、三度は遭遇するのが普通です。だからこそ護衛を雇っているわけでして」
「じゃあ運がいいんですね」
「……そう、なのでしょうな」
なぜか歯切れが悪い。
商人の視線が俺の後ろへ向いた。
つられて振り返る。
そこにはマジカ。
虎ほどもある巨体を揺らしながら、悠然と街道を歩いている。
「マジカがどうかしました?」
「い、いえ! 何でもありません!」
慌てて前を向かれた。
変なの。
もっとも、この時の俺は知らなかった。
街道近くに潜んでいた魔物たちが、遥か遠くからマジカの気配を察知して次々と逃げ出していたことを。
さらに少し前。
丘の上から商隊を観察していた十数人の盗賊が、遠眼鏡の向こうにマジカを発見していた。
「……あれ、護衛か?」
「たぶん」
「やめるか」
「ああ」
驚くほど速やかに全会一致し、何事もなかったかのように撤退していたことも。
当然、俺たちが知るはずもない。
「護衛って、こんなに暇なんだな」
だから俺の感想はそんなものだった。
それからしばらく進んだ頃。
「あるじ様」
頭上から声が降ってきた。
見上げると、周辺を偵察していたサラが高度を落としてくる。
翼を大きく広げて速度を殺し、俺の少し前へ静かに着地した。
「前方に停止している馬車がございます」
「何台?」
「一台です。人影は一名。周囲に争った痕跡は見当たりません」
「事故かな」
「その可能性が高いかと」
「分かった。ありがとう」
「勿体なきお言葉です」
サラは一礼すると、再び翼を広げた。
こういうところを見る限り、連携はちゃんとできている。
少し進むと、サラの言っていた馬車が見えてきた。
小さな荷馬車が街道脇に傾き、片方の車輪が不自然な方向を向いている。
その横では一人の男がしゃがみ込み、頭を抱えていた。
「大丈夫ですか?」
声をかける。
「ん?」
男が顔を上げた。
四十歳くらいだろうか。日に焼けた顔に使い込まれた服。荷台には雑多な商品が積まれている。
「ああ……見ての通りだ」
男が壊れた車輪を叩いた。
「車軸をやっちまった」
近づいて見てみる。
車輪を支えていた金属部品が大きく割れていた。
「直せないんですか?」
「予備がない。ここまで割れると応急処置も無理だ。荷物を置いて、リヴァティまで歩くしかないと思ってたところだ」
「歩くとどのくらいです?」
「丸一日ってところだな」
「うわ……」
それは大変だ。
荷物を置いていけば、盗まれる可能性もある。
だからといって、この量を一人で運ぶのも無理だろう。
「ノアルさん」
後ろから声をかけられた。
今回の護衛を依頼した商人だ。
「お気持ちは分かりますが、我々にも予定があります」
「ああ、そうですよね」
危なかった。
俺たちは人助けの旅をしているわけではない。
今の仕事は三台の馬車を無事にリヴァティまで届けることだ。
試験でもそこを見られている。
勝手な判断で依頼人を長時間待たせるわけにはいかない。
でも――。
「夏」
「はい」
後方にいた夏が音もなく近づいてくる。
「これ、直せる?」
夏が壊れた部分へ視線を落とす。
数秒観察した後、静かに頷いた。
「可能です」
「どのくらいかかる?」
「この程度でしたら、数分ほどで」
「それなら……」
俺は依頼人へ向き直った。
「数分だけ待ってもらってもいいですか?」
「数分?」
「はい。それ以上かかりそうなら諦めます」
商人は壊れた車輪と夏を交互に見る。
本当にそんな短時間で直せるのか疑っているのだろう。
少し考えた後、頷いた。
「それくらいでしたら」
「ありがとうございます」
これなら依頼を疎かにしたことにはならないだろう。
「マイン」
「はい、あるじ様」
「悪いけど、馬車を少し持ち上げてくれる?」
「畏まりました」
マインが荷馬車の側面へ手を掛ける。
「え?」
立ち往生していた男が声を上げた。
次の瞬間。
ぎしっ、と荷台が軋み――馬車の片側が持ち上がった。
片手で。
「…………」
男の口が開いたまま止まる。
護衛対象の商人たちまで固まっていた。
「マイン、そのくらいでいい」
「はい」
「……嬢ちゃん」
男が恐る恐る尋ねる。
「重く、ないのか?」
「まったく」
「そ、そうか……」
どう見ても納得していない。
「では始めます」
夏が壊れた金具の前へしゃがむ。
白い指先を向けると、その掌に赤い炎が灯った。
「え?」
今度は男だけでなく、商人たちからも声が漏れた。
炎が金具を包む。
金属が徐々に赤熱していく。
夏は温度を細かく調整しながら、変形した金属を魔法で整えていった。
白い肌。
冷ややかな美貌。
どう見ても氷魔法を使いそうな雪女が、平然と炎を操っている。
「……やっぱり違和感あるな」
「何か問題がございましたか?」
「いや。夏が火魔法使ってるの、何回見ても不思議だなって」
夏が俺を見る。
「あるじ様より授けていただいた力です」
「覚えさせたの俺だけど……雪女だからなあ」
「私は気に入っております」
「ならいいけど」
「むしろ誇りに思っております」
夏がほんの少しだけ微笑む。
俺がゲーム時代、面白半分と狩り効率を兼ねて火属性魔法ばかり覚えさせたことは、黙っておこう。
「終わりました」
「もう?」
話している間に修理は終わったらしい。
マインがゆっくり馬車を下ろす。
男が恐る恐る車輪を回した。
一度。
二度。
問題なく回る。
今度は荷台を軽く動かして確認する。
「……直ってる」
「リヴァティまでであれば問題ないかと」
夏が淡々と答える。
「助かった……!」
男の顔が一気に明るくなった。
「本当に助かった! 荷物を全部置いていくしかないと思ってたんだ」
「よかったですね」
「ああ! いくらだ?」
「え?」
男が懐から財布を取り出した。
「修理代だ。これだけのことをしてもらったんだ。払わせてくれ」
「いや、別にいいですよ」
「……は?」
「数分だったし」
「いやいや、それでは俺の気が済まん」
「俺たちもリヴァティへ向かう途中だったんで」
「それでも――」
「困った時はお互い様ってことで」
そもそも俺は何もしていない。
持ち上げたのはマイン。
直したのは夏だ。
それに、これ以上ここで時間を使う方が依頼人に悪い。
「それよりもリヴァティへ行くんですよね?」
「ええ…名乗ってなかったね、ハインだ。見ての通り、小さな行商をやってる」
「俺はノアルです」
「ノアルか。覚えたよ」
「それでハインさん。一人なんですか?」
「ああ」
「護衛は?」
「雇ってない」
「大丈夫なんですか?」
ハインが苦笑する。
「本当は雇えればいいんだがな。俺みたいな零細の行商人が毎回護衛を雇ってたら、利益なんてほとんど残らん。危ないのは承知で一人で走ってる」
「……なるほど」
それを聞いてしまうと、このまま置いていくのも気になる。
この辺には普通に魔物が出るらしい。
盗賊だっている。
俺たちが通り過ぎた直後に襲われました、では寝覚めが悪い。
「じゃあ、一緒に行きません?」
「……は?」
「俺たちもリヴァティまで行くんで」
ハインが目を瞬く。
「いや、それはありがたいが……お前さんたちは護衛の仕事中だろ?」
「そうなんですよね」
そこが問題だ。
俺は勝手に決めず、護衛対象の商人へ向き直った。
「すみません。一台増やしてもいいですか?」
「私に聞くのですね」
「そりゃそうですよ。依頼人なんですから」
なぜか商人が少し驚いた顔をした。
「俺たちだけの旅なら勝手に決めますけど、今は仕事中なので」
「……なるほど」
商人はハインの馬車を見る。
それから俺たちの隊列を確認するように視線を動かした。
「同じリヴァティまでですし、一台程度なら構いません」
「ありがとうございます」
「ただし予定は変えませんよ?」
「もちろんです」
「野営地も当初の予定通りです」
「分かりました」
「でしたら、私は異存ありません」
「だそうです」
ハインを見る。
「一緒に行きましょう」
「本当にいいのか?」
「はい」
「……参ったな」
ハインが頭を掻く。
「馬車を直してもらった上に護衛までしてもらうなんて、借りが増える一方じゃないか」
「護衛料は取らないですよ?」
「だから困ってるんだよ!」
「何でです?」
「お前さん、変わってるな……」
なぜか呆れられた。
こうして三台だった商隊に、一台の小さな荷馬車が加わった。
隊列を組み直す。
サラは上空。
俺とマインは前方。
エルが中央。
夏は新しく加わったハインの馬車を含めて後方を見る。
最後尾は変わらずマジカ。
「これでいい?」
「問題ございません」
マインが答える。
「では参りましょう、あるじ様」
「うん」
再び商隊が動き出す。
しばらく進んだところで、マインが俺の隣へ並んだ。
「あるじ様」
「何?」
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「先ほどのハインという商人から、なぜ対価をお受け取りにならなかったのでしょう」
「え?」
そんなこと?
「困ってたから」
「それだけでございますか?」
「それだけっていうか……数分で直せたし、こっちもほとんど損してないだろ?」
「では、同行までお許しになった理由は?」
「一人だと危ないじゃん」
「……」
「俺たちが通り過ぎた後で魔物に食われたとか聞いたら嫌だし」
「なるほど」
マインが考え込む。
俺を見る。
それから後方へ視線を向けた。
商隊の最後に近い位置で、ハインの小さな馬車が走っている。
「何?」
「いえ」
珍しく、すぐに答えが返ってこない。
「どうしたの?」
「……今の私では、あるじ様の御考えを完全には理解できていないように思います」
「いや、本当に深い意味ないよ?」
「はい」
「そこで素直に頷かれると、それはそれで嫌なんだけど」
マインの口元が僅かに緩む。
しかし、その瞳はまだ何かを考えていた。
「ただ、一つだけ分かりました」
「何が?」
「あるじ様は、対価を求めず助けるだけでなく、その後の安全まで保証された」
「保証ってほどじゃないよ。同じ方向だから一緒に行くだけ」
「ええ」
「……絶対何か考えてるだろ」
「私が未熟なだけでございます」
「何が?」
「いずれ私なりの答えへ辿り着きましたら、改めてお話しさせてくださいませ」
「別にいいけど」
変なマイン。
夕方。
俺たちは予定していた野営地へ到着した。
結局、その日は一度も戦闘がなかった。
魔物も出ない。
盗賊も来ない。
「本当に試験になってるのかな」
焚き火へ薪を放り込みながら呟く。
「十分すぎるほどなっていますよ」
護衛対象の商人が苦笑した。
「そうです?」
「ええ。間違いなく」
その視線が少し離れた場所へ向く。
そこには伏せたマジカがいた。
巨大な身体を休ませながら、金色の瞳だけが周囲を警戒している。
上空ではサラが最後の偵察を続け、夏は馬車を確認している。
エルは野営地の周囲を見回り、マインは俺の近くに立ちながら全員の位置を把握していた。
そして今日から一台増えたハインの馬車も、その輪の中にある。
考えてみれば、一度も戦わなかったからといって、何もしていなかったわけではない。
「……まあ、依頼人が無事ならいいか」
「それが護衛の仕事ですよ」
「確かに」
その時、向かい側に座っていたハインが笑った。
「俺まで混ぜてもらってるがな」
「一台くらい増えても変わらないですよ」
「お前さんにとっては、そうなんだろうな」
「?」
「いや、何でもない」
今日は変なことを言う人が多い。
俺は焚き火へ視線を戻した。
明日にはリヴァティへ着く。
初めて見る交易都市だ。
どんな店があるんだろう。
何を食べよう。
どんな種族が暮らしているんだろう。
そんなことを考えている俺の少し離れたところで、ハインはマインたちとマジカを順番に眺めていた。
迷わずの森から現れたという、奇妙な六人組。
恐ろしく強い。
なのに、困っていた自分を助けても金を取らない。
それどころか、一人では危ないからと当然のように同行まで許した。
ハインが俺たちをどう見ていたのか。
この時の俺は知らない。
俺にとっては、同じ方向へ向かう馬車が一台増えただけだった。
けれどハインにとって、この一日は違った。
後に彼が誰も近づきたがらない迷わずの森へ自ら荷馬車を走らせることになる、その理由の一つは――この日、確かに生まれていた。




