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第二話 彼女たちは生きている

第二話 彼女たちは生きている


「まず……確認させてくれ」

 俺は玉座から立ち上がり、目の前に跪く五人を見た。

 マイン。サラ。エル。夏。マジカ。

 名前も姿も知っている。能力だってほとんど覚えている。何年も画面越しに見てきたのだから当然だ。

 なのに今は、初対面の人間を前にしているような緊張があった。

 さっきまで、こいつらはNPCだった。

 決められた台詞を喋り、決められた動きをする。それ以上の存在ではなかった。

 それが今は俺を見ている。

 俺が黙れば、何か言いたそうに待っている。

 視線を向ければ、それに気づいて表情を変える。

 ――生きている。

 そう考えた瞬間、急に五人が別の存在に見えてきた。

「マイン。立ってくれ」

「はい」

 衣擦れの音とともにマインが立ち上がる。

「右手を上げて」

「このように?」

「ああ。次は……笑ってみて」

「笑う、ですか?」

 一瞬だけ戸惑った後、マインの口元に微笑みが浮かんだ。

 俺は息を呑んだ。

 見たことのない表情だった。

 いや、違う。

 これからは俺が見ていないところでも、彼女は笑うのだろう。

 怒るかもしれない。悲しむかもしれない。

 俺が命令しなくても、自分で考える。

「創造主様?」

「あ、いや。何でもない」

 マインの眉が僅かに下がる。

 本当に心配している。

 何だこれ。

 すごい。

 少し怖い。

 でも――それ以上に嬉しかった。

 十年近く画面越しに眺めてきたキャラクターが、今は俺を見ている。

「夏」

「はい」

「お前は……その、名前についてどう思ってる?」

 言った直後、自分でも何を聞いているんだと思った。

 もっと確認すべきことがあるだろう。

 それでも気になった。

「名前、でございますか?」

「雪女なのに夏って付けただろ」

「はい」

「……嫌じゃない?」

 当時は完全な悪ふざけだった。

 雪女だから冬。それでは普通すぎる。なら逆に夏でいいか。

 たったそれだけ。

 ゲームのデータだから深く考えもしなかった。

 でも今の夏は、一人の人格を持っている。

 もし彼女がこの名前を嫌っていたら?

 俺は一人の女性に、一生使う名前を数秒で付けたことになる。

 考えてみると酷い話だ。

「私は気に入っております」

「本当に?」

「はい」

 夏は不思議そうに首を傾げた。

「創造主様から賜った、私だけの名ですから」

「……そっか」

 胸の奥が少し軽くなる。

「なら、いいんだ」

「はい」

 夏が微笑んだ。

「では、私は?」

 横からエルが滑り込んできた。

「え?」

「私については、何か気になることはございませんか?」

 浮遊したまま顔を寄せてくる。

 近い。

 とにかく近い。

 ゲーム画面では気にならなかったが、実際に目の前にすると破壊力が違う。

 ……俺、こいつの外見設定、かなり頑張ったな。

「エル、とりあえず離れようか」

「あら。残念です」

 妖艶に笑いながら離れていく。

 なぜかマインが小さく安堵したように見えた。

「マジカも、そんな後ろにいなくていいぞ」

「ですが、私は……」

「新入りだから?」

 マジカの身体が僅かに強張った。

 やはり、その設定も残っているらしい。

 イベントでもらった無料券で、たまたま引き当てた麒麟。

 火力が高かったから育てたものの、他の四人より付き合いは短い。

「関係ないだろ。今は五人とも俺の仲間だ」

「……!」

 マジカが目を見開く。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げられて、少し困った。

 俺にとっては当たり前の一言だ。

 だが、彼らにとって俺の言葉は、俺が思っている以上に重いのかもしれない。

「さて……」

 感傷に浸っている場合ではない。

 サービス終了時刻はとっくに過ぎている。

 それなのにログアウトしていない。

 そもそもメニュー画面が出ない。

 俺自身がここに立っている。

「《ライト》」

 試しに唱えると、指先に白い光球が現れた。

「……魔法は使えるのか」

 倉庫へ向かう。

 五人も当然のようについてきた。

 扉を開ければ、見慣れたアイテムが棚いっぱいに並んでいる。

 ポーション、武器、素材、イベントアイテム。使い道が分からず何年も放置した物まで、そのままだ。

「ギルドハウスごとか……」

 もしこれが現実なら、とんでもないことだ。

 いや。

 まだ現実と決まったわけではない。

 ゲーム世界に閉じ込められた可能性だってある。

 そう思わなければ、頭が追いつかなかった。

「創造主様」

「ん?」

「何か、ご懸念が?」

 マインが心配そうにこちらを見ている。

「ここがどこなのかと思ってな」

「申し訳ございません。我々にも分かりかねます」

「外は?」

「確認しておりません」

「どうして?」

 マインは当然のように答えた。

「創造主様のお許しなく、我々だけで外へ出ることなどできません」

「……そこまでしなくていいんだけどな」

 思わず苦笑する。

 しかし、外か。

 そうだ。

 ここがどこなのか確かめる、一番簡単な方法がある。

 ゲームなら正門の先には《灰色荒野》が広がっている。

 外を見ればいい。

「よし」

 俺は五人を見渡した。

「外へ行こう」

「御意」

 五人が一斉に頭を下げる。

 正門へ向かいながら、俺は妙な胸騒ぎを覚えていた。

 扉の向こうには、いつもの灰色荒野がある。

 そうであってほしい。

 そうでなかったら――。

 巨大な正門の前で、俺は足を止めた。

 何度も通った扉だ。

 ゲームなら、これを抜ければ乾いた風が吹き抜ける灰色の大地がある。

「創造主様?」

 マインの声に我に返る。

「……開けてくれ」

「はい」

 マジカが前へ出て、巨大な扉へ手をかける。

 重い音を立てながら、正門が左右へ開いていった。

 最初に飛び込んできたのは――一面の緑だった。

「……え?」

 そこに灰色の荒野はなかった。

 あるのは、どこまでも重なり合う深い緑。

 空を覆い隠すほどの巨木が密集し、その枝葉の隙間から薄暗い光が筋となって差し込んでいる。

 湿った空気が頬に触れた。

 土の匂い。

 苔の匂い。

 むせ返るような草木の青臭さ。

 葉から落ちた雫が地面を打つ音まで聞こえた。

「……森?」

 一歩、外へ出る。

 足元では柔らかな腐葉土が沈み込んだ。

 ゲームのエフェクトじゃない。

 足の裏にまで感触が伝わってくる。

 振り返れば、ギルドハウスそのものは何も変わっていない。

 なのに、その周囲だけが完全に別の場所へ置き換わっている。

「こんなフィールド……知らないぞ」

 背筋に冷たいものが走った。

 ギルドハウスだけが、どこかへ移動した?

 いや。

 俺たちも一緒に?

「創造主様」

 サラが低い声で呼んだ。

「何?」

「空を」

 枝葉の隙間から空を見上げる。

 最初は雲だと思った。

 白く細長い何かが、青空を横切っている。

 だが、違う。

「……何だ、あれ」

 木々の隙間から見える空の高い場所に、巨大な天体が浮かんでいた。

 月ではない。

 青白い球体。

 そして、その周囲を巨大な環が取り巻いている。

 土星。

 一瞬そう思った。

 だが、当然ながら土星が月ほどの大きさで空に浮かんでいるはずがない。

 しかも環は肉眼ではっきりと見えるほど巨大で、その一部は陽光を受けて白銀に輝いていた。

「……こんなの、ゲームにもなかったよな?」

「はい」

 マインが答える。

「少なくとも、我々の知る空ではございません」

 心臓が強く脈打った。

 知らない森。

 知らない空。

 見たことのない天体。

 自我を持ったNPCたち。

 そして、身体ごとこの場所に存在している俺。

 偶然だとか、アップデートだとか。

 そんな説明で誤魔化せる段階は、とっくに過ぎていた。

「……異世界、か」

 口にすると急に怖くなった。

 帰れるのか?

 現実世界はどうなった?

 俺の身体は?

 考え始めれば、不安はいくらでも湧いてくる。

 胸の奥が冷たくなる。

 だが――同時に、別の感情も確かにあった。

 好奇心。

 見たことのない世界が、目の前に広がっている。

 ゲームを始めたばかりの頃、地図の端にある未探索領域を見つけたときの感覚に似ていた。

 怖い。

 でも、見てみたい。

 そのときだった。

 グオオオオオオオッ――!

 森の奥から咆哮が響いた。

 空気が震え、枝葉から無数の雫が落ちる。

 鳥らしき生き物が一斉に飛び立った。

 マインたちの空気が瞬時に変わる。

「創造主様、お下がりください」

 マインが俺の前へ出た。

 サラが黒翼を広げる。

 エルの周囲に水球が生まれ、夏の掌には赤い炎が灯った。

 雪女なのに。

 この状況でも、そこだけはやっぱり違和感がある。

 少しだけ肩の力が抜けた。

「大丈夫」

「しかし――」

「何がいるのかも分からないだろ」

 俺は森の奥を見つめた。

 何かがいる。

 ゲームの感覚が残っているのか、いくつもの魔力らしき気配まで感じ取れる。

 怖さは消えていない。

 それでも、俺は一歩前へ出た。

「まず、この辺を調べよう」

 マインが俺を見る。

「この森を、でございますか?」

「ああ。どこなのか分からないなら、調べるしかない」

 帰る方法を探すにしても、まず情報が必要だ。

 人がいるなら話を聞きたい。

 街があるなら行ってみたい。

 そして――せっかくなら、この知らない世界を自分の目で見てみたい。

「行こう」

「御意」

 五人が俺に続く。

 俺たちはまだ知らない。

 今から足を踏み入れようとしている森に、人間の道が一本も存在しない理由を。

 森の奥から聞こえた咆哮が、この世界の人々にとって何を意味するのかを。

 そして、この場所が後に俺たちが知ることになる名――《迷わずの森》と呼ばれる、人類最大級の魔境であることを。

 俺はそんなことなど知る由もなく、最初の一歩を踏み出した。

 未知の世界を知るために。

 そして、その先に人間の街があることすら知らないまま。

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