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第十三話 金級が逃げる森

「……眠い」

 翌朝。

 宿の食堂で朝食を食べながら、俺は欠伸を噛み殺した。

「昨夜は随分遅くまで起きてたからな」

「申し訳ございません」

 マインが頭を下げる。

「いや、楽しかったからいいよ」

「……!」

 マインが固まった。

「何?」

「何でもございません」

 昨日からこればっかりだ。

 エルは妙に機嫌がいいし、サラも時折こちらを見て微笑んでいる。

 夏はいつも通り。

 マジカに至っては、朝からやたら姿勢がいい。

 何なんだ。

「あるじ様」

 エルが自分の皿から果物を一切れ取り、俺の口元へ差し出した。

「はい」

「自分で食べられる」

「昨夜は一緒に来てくれて良かったと仰ってくださったではありませんか」

「それとこれに何の関係があるの?」

「ございます」

「ないよ」

「では私がいただきます」

 エルは果物を自分の口へ運んだ。

「間接――」

「言わなくていい」

「あるじ様は朝からお元気ですね」

「誰のせいだ」

「私でしょうか?」

「多分」

「光栄です」

 駄目だ。

 話が通じない。

「……朝から何をしているんだ、君たちは」

 聞き覚えのある声がした。

 振り向く。

「ヴァルガスさん」

 ヴァルガスが立っていた。

 昨日より少し険しい顔をしている。

「ローデンから話は聞いた」

「ああ、猿の件?」

「……金級指定魔獣を猿と呼ぶのはやめてくれ」

「グレイヴエイプでしたっけ」

「そうだ」

 どうやら、のんびり朝食を楽しんでいる場合ではないらしい。

 俺たちは食事を終え、冒険者ギルドへ向かった。

 通されたのは、昨日より奥にある会議室だった。

 中にはローデンとヴァルガス。

 さらに見知らぬ男が二人いる。

「紹介しよう」

 ローデンが俺たちを迎える。

「銀級冒険者パーティー《赤狼》のリーダー、ガレス。それとガルディア守備隊の副隊長、バルトだ」

 筋骨隆々の男がガレス。

 短く刈り込んだ赤茶色の髪に、使い込まれた革鎧。腰には大剣を提げている。

 もう一人のバルトは四十代ほど。傷の多い金属鎧を身につけ、こちらを値踏みするように見ていた。

「君が例の鉄級か」

 ガレスが俺を見る。

「昨日なりました」

「……聞いていた通りだな」

「何が?」

「いや。何でもねえ」

 まただ。

 最近こういう反応をされることが多い。

「まず状況を確認する」

 ヴァルガスが机の上へ地図を広げた。

 中央にガルディア。

 そこから東へ伸びる街道。

 そして、そのさらに先。

 広大な範囲が濃い緑で塗り潰されている。

 迷わずの森だ。

「フォレストゴブリンが確認されたのはここだ」

 ヴァルガスが街道沿いを指す。

「グレイヴエイプを発見した場所は?」

「この辺です」

 俺が少し奥を指した。

 バルトの眉が動く。

「そんなところまで入ったのか?」

「少しだけです」

「……少し」

 何か言いたそうだったが、バルトは口を閉じた。

「それより」

 俺は昨日の感覚を思い出しながら地図を見る。

「一番大きな反応は、この辺だったと思います」

 指をさらに森側へ動かす。

 その瞬間。

 四人の表情が変わった。

「……待て」

 ローデンが俺の指先を見る。

「本当にここか?」

「多少のズレはあると思いますけど、大体」

「境界を越えているな」

「境界?」

 地図には線なんて引かれていない。

 ガレスが腕を組んだ。

「迷わずの森には壁があるわけじゃねえ。だが、冒険者の間には暗黙の境界がある」

 太い指が地図の一点をなぞる。

「大体、この辺だ。ここから先には入らねえ」

「どうして?」

「死ぬからだ」

 即答だった。

「金級でも?」

「ああ。金級だろうが白金級だろうが関係ねえ」

 ガレスの表情から、それまでの軽い雰囲気が消えた。

「むしろ腕の立つ冒険者ほど、あの森の怖さを知ってる」

「強い人ほど?」

「駆け出しは、自分がどこまで行けるのか知らねえ。だから馬鹿みたいに踏み込む奴もいる。大抵は帰ってこねえけどな」

 ガレスが地図の森を指で叩く。

「だが、生き残って銀級、金級まで上がった奴ほど分かってくる。あそこは『強ければどうにかなる場所』じゃねえ」

「……」

「俺は銀級だ。だからこそ、自分より遥かに強い奴らが森で死んだ話をいくらでも知ってる」

 ガレスが椅子へ深く座る。

「昔、白金級を含む二十人の調査隊が迷わずの森へ入ったことがある」

「白金級まで?」

「ああ」

「それで?」

「帰ってきたのは二人だ」

 部屋が静かになった。

「その二人も、何に襲われたのかまともに説明できなかった」

 ガレスの声が低くなる。

「『木々の間から何かが見ていた』『仲間が一人ずつ消えた』。まともに聞き取れたのは、それくらいだったそうだ」

「見ていた……」

 昨日感じたものを思い出す。

 森の奥。

 妙に静かな空間。

 そして、こちらを見られているような感覚。

「なるほど」

「……お前、怖くないのか?」

 ガレスが怪訝そうに俺を見る。

「いや、怖いというか」

 困った。

 俺たちのギルドハウス、その森の中にあるんだけど。

 とは言えない。

「まだ何がいるのか分からないので」

「分からないから怖いんだろ?」

「何がいるのか分からないものを怖がっても、仕方ないかなって」

「……」

 ガレスが黙った。

 横を見ると、マインが小さく頷いている。

 嫌な予感がした。

「あるじ様は、未知だからこそ正確な情報を得る必要があると仰っているのです」

「いや、そこまでは――」

「確かにな」

 ヴァルガスが頷いた。

 話が勝手に大きくなった。

「問題はグレイヴエイプだ」

 ローデンが地図を指す。

「本来、奴らは迷わずの森の浅部に生息している」

「浅部?」

「ああ。危険な魔獣ではあるが、森の中では比較的外側に縄張りを持つ種だ。そして縄張り意識が強い。理由なく住処を捨てることはまずない」

「じゃあ……」

「何かに追われた可能性が高い」

 俺が考えていたことと同じだ。

 フォレストゴブリンがグレイヴエイプに押し出された。

 そのグレイヴエイプも、さらに何かに押し出された。

「やっぱり玉突きか」

「玉突き?」

「いや、こっちの話です」

 でも。

 そこで一つ疑問が浮かんだ。

「こういう異変って、いつ頃から起きてるんです?」

 ローデンとヴァルガスが顔を見合わせる。

 答えたのはバルトだった。

「最初に異変らしい異変が確認されたのは三日前だ」

「三日前?」

「ああ。森に近い監視塔から報告が上がっている」

 バルトが地図の端を指した。

「日が傾き始めた頃、迷わずの森の方角から複数の魔獣の咆哮が聞こえた。その直後から、普段なら森の外縁から出てこない魔物が西へ移動する姿が目撃され始めた」

「西へ……」

「ガルディアの方向だ」

 俺は黙った。

 三日前。

 日が傾き始めた頃。

 覚えがある。

 薄暗い森。

 頭上に浮かんでいた、輪を持つ見知らぬ衛星。

 ギルドハウスの扉を開けて、初めてこの世界の景色を見た。

 あの日だ。

「あるじ様?」

 マインが俺を見る。

「……いや」

 偶然だろうか。

 もちろん、その可能性はある。

 俺たちが来る前から何かが起きていて、たまたま同じ時期に表面化しただけかもしれない。

 でも。

 巨大なギルドハウスが突然、森の中へ出現した。

 その直後に、森の魔物たちが外へ向かって移動を始めた。

 さすがに無関係と言い切るのは難しい。

「……これ」

 嫌な考えが浮かぶ。

(俺たちのせいじゃないよな?)

「何か心当たりが?」

 ヴァルガスがこちらを見る。

「いや……まだ何とも」

 ここでギルドハウスについて話すのは早い。

 そもそも本当に関係しているのかすら分からない。

 まずは自分たちで確認した方がいい。

「一度、調べたいな」

 俺は地図を見る。

 その言葉に、ガレスが眉をひそめた。

「どこをだ?」

「森」

「やめておけ」

 即答だった。

「昨日倒したグレイヴエイプが金級指定なんですよね?」

「ああ」

「なら、ある程度は大丈夫だと思います」

「そういう問題じゃねえ」

 ガレスが身を乗り出す。

「お前は勘違いしてる」

「?」

「グレイヴエイプは確かに、人間から見れば金級指定の危険な魔獣だ」

 太い指が地図を叩く。

「だがな」

 ガレスが俺を見る。

「迷わずの森じゃ、あいつらは強者じゃねえ」

「え?」

「むしろ逆だ」

 部屋の空気が僅かに重くなる。

「奴らは、迷わずの森では――」

 一拍。

「食われる側だ」

「……」

 金級指定魔獣が。

 食われる側。

「なるほど」

 それは少し面白い。

 この世界にも、ちゃんと強い魔物がいるのかもしれない。

「あるじ様」

 マインが小さく呼ぶ。

「何?」

「楽しそうでございます」

「……顔に出てた?」

「はい」

 マインが微笑む。

 ヴァルガスは頭を抱えた。

「頼むから、今すぐ森へ行くとは言わないでくれ」

「今日は行きませんよ」

「今日は?」

「まず準備します」

 ヴァルガスがさらに頭を抱えた。

 俺としては当然の話だった。

 分からないから、一度戻ってきたのだ。

 情報を集める。

 準備する。

 それから確認する。

 ただ――俺には一つだけ、彼らに言っていないことがある。

 迷わずの森へ行きたい本当の理由。

 そこに、俺たちの家がある。

 そしてもし。

 今回の異変が本当に俺たちの転移によって起きたのなら。

「……確認しないとな」

 小さく呟く。

 その隣で、マインは別の意味に受け取っていた。

(やはり……あるじ様もお気づきになっている)

 三日前。

 迷わずの森に《ミステイク》が現れた。

 ほぼ同じ時刻、森の魔物たちが動き始めた。

 偶然と考えるには出来すぎている。

(あるじ様は、我々の出現がこの地に与えた影響まで既に見据えておられる)

 それだけではない。

 この場で《ミステイク》の存在を明かさなかったことにも意味があるはずだ。

 情報を与える相手。

 与える時期。

 どこまで明かすべきか。

 その全てを見極めているのだ。

(ならば、私が余計なことを申し上げる必要はありません)

 マインは静かに頭を下げた。

 あるじ様が見据える先。

 その深謀の全てを理解したつもりで。

 当然ながら。

 俺が考えていたのは――

(もし俺たちのせいだったら、ちょっと申し訳ないな)

 その程度のことだった。

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