第十二話 それはゴブリンではある
「お帰りなさいませ。依頼の結果はいかがでしたか?」
ガルディアへ戻り、冒険者ギルドの受付へ向かうと、昨日と同じ女性職員が迎えてくれた。
「一応、終わりました」
「ゴブリンは何体ほど?」
「五十体くらいです」
「……はい?」
受付嬢の手が止まった。
「正確には数えてないですけど、四十五よりは多かったと思います」
「五十……?」
「やっぱり多かったですよね」
「多いというか……」
受付嬢が俺たちを見る。
「負傷者は?」
「いません」
「……少々お待ちください」
まただ。
この世界に来てから、「少々お待ちください」と言われる回数が妙に多い。
数分後。
奥からローデンが出てきた。
「話は聞いた。五十体いたそうだな」
「多分」
「討伐したのか?」
「はい」
「全て?」
「一匹逃げたような気もしますけど、ほぼ」
ローデンが額へ手を当てる。
「鉄級の初依頼で五十体……」
「でもゴブリンですよね?」
「数が問題だ」
「なるほど」
確かに集団になると面倒なのかもしれない。
「討伐証明は?」
「あ」
忘れるところだった。
「耳を五十個切るのは大変そうだったので、一匹丸ごと持ってきました」
「……丸ごと?」
収納から死体を取り出す。
ドサッ。
床へゴブリンの死体が落ちた。
周囲にいた冒険者たちの視線が集まる。
「これです」
「……」
ローデンが固まった。
「どうしました?」
返事がない。
隣にいた受付嬢も死体を凝視している。
少し離れた場所では、冒険者らしき男が椅子から立ち上がっていた。
「……おい」
誰かが呟く。
「それ、フォレストゴブリンじゃねえか?」
「フォレスト?」
初めて聞く名前だ。
ローデンがしゃがみ込み、死体を確認する。
太い腕。
長い牙。
普通種より発達した耳。
背中に生えた短い体毛。
そして、牙を括り付けた粗末な武器。
ローデンがゆっくり俺を見る。
「君はこれを何だと思っていた?」
「ゴブリン」
「……間違ってはいない」
「ですよね?」
「だが、普通のゴブリンではない」
ローデンが立ち上がった。
「フォレストゴブリン。森林地帯に適応したゴブリンの上位種だ」
「上位種?」
「通常種より身体能力、知能ともに高い。森の地形を利用した奇襲を得意とし、簡単な武器を自作する程度の知能もある」
「へえ……」
そう言われてみれば、確かに少しゴツかった。
武器も普通のゴブリンにしては凝っていた。
「一発で死にましたけど」
ギルド内が静かになった。
ローデンのこめかみが僅かに引きつる。
「君を基準にするな」
「すみません」
「一体なら銅級でも討伐できる。問題は、こいつらが群れを作ることだ」
「はい」
「十体を超えれば銅級だけでの対応は危険になる。三十体以上なら銀級冒険者を含む討伐隊を編成する」
「……」
俺は少し考えた。
「五十体って結構まずかった?」
「今さら気づいたのか!?」
怒られた。
「依頼では十数体って」
「遠目からの目撃情報だったからだ! しかも街道周辺に現れるゴブリンなど、通常種だと考えるのが普通だ。まさかフォレストゴブリンが五十体も押し寄せているなど、誰が考える!」
「なるほど」
確かに。
俺だって普通のゴブリンだと思った。
「あるじ様」
マインが静かに口を開く。
「やはり、あの者たちは本来の生息域から外へ押し出されていたようですね」
「ああ」
それで思い出した。
「そうだ。多分、あいつら何かから逃げてきてます」
ローデンの顔が止まった。
「……何?」
「森の奥から」
「待て」
声色が変わった。
「フォレストゴブリン五十体が?」
「はい」
「何かに追われて?」
「多分」
ローデンの顔から血の気が引いた。
周囲も静かになっている。
「何を根拠にそう判断した?」
「散らばり方が変だったんですよ。森の奥を避けるみたいに外側に集まってて」
ローデンの表情が険しくなる。
「それと、一匹だけ奥へ戻っていったので追ってみました」
「……追った?」
「はい。それで奥を調べました」
「……君は」
ローデンがゆっくり俺を見る。
「なぜそう簡単に話を進める」
「原因分からないと、また来るかなって」
「……それで?」
「でかい猿がいました」
「猿?」
「五メートルくらいの」
「特徴は?」
「黒い毛。胸だけ灰色の硬そうな殻があって、腕がすごく太い」
ローデンの表情がさらに険しくなる。
「まさか……」
「これです」
収納から巨大猿の死体を取り出す。
ドンッ!
巨大な死体が床へ落ちた瞬間、ギルド全体が揺れたような音が響いた。
「……」
誰も喋らない。
「ちょっと大きいので邪魔ですね」
「戻せ!」
「はい」
怒鳴られた。
慌てて収納する。
ローデンは深呼吸した。
「グレイヴエイプだ」
「知ってる魔物です?」
「金級指定魔獣だ」
「……金級」
鉄、銅、銀、金、白金。
「結構上ですね」
「結構どころではない!」
また怒られた。
「単独でも小さな村を壊滅させる可能性がある。普通なら金級冒険者を中心に討伐隊を編成する相手だ」
「でも一体しか倒してません」
「一体で十分だ!」
「まだ三体くらいいましたけど」
「……何?」
「あと、それより大きい反応が一つ」
ローデンが完全に固まった。
「あるじ様」
マインがこちらを見る。
「その情報は、順番にお伝えした方がよろしいかと」
「そう?」
「ローデン殿の処理能力を超え始めております」
「失礼だぞ」
「……否定できん」
ローデンが椅子へ腰を落とした。
「整理させてくれ」
額を押さえる。
「本来鉄級依頼だったゴブリンは、実際にはフォレストゴブリン約五十体」
「はい」
「それらが何かから逃げるように街道近くへ移動していた」
「多分」
「その奥には、金級指定のグレイヴエイプが最低四体」
「三体残ってるので、元は四体ですね」
「そして、それ以上の反応が一つ」
「はい」
「その正体は?」
「分かりません」
「確認しなかったのか?」
「はい」
ローデンが意外そうに俺を見る。
「どうしてだ?」
「グレイヴエイプがどのくらい強い魔物なのかも知らなかったので。一回戻って確認してからでいいかなって」
「……」
また黙った。
「何か?」
「いや」
ローデンが首を振る。
「少なくとも、最低限の危機管理能力はあるらしい」
「どういう意味ですか?」
「そのまま奥へ行かなかったことだけは褒めている」
「ありがとうございます?」
褒められた気がしない。
ローデンは大きく息を吐いた。
そして表情を変えた。
「……これは依頼どころの話ではない」
立ち上がる。
「ガルディア守備隊へ緊急連絡。ヴァルガスを呼べ!」
受付嬢が走り出す。
「そんなに?」
「そんなにだ」
ローデンは俺を睨む。
「なぜ君は平然としている?」
「いや……」
俺は少し考えた。
「昔の感覚だと、あれくらいは普通だったので」
「君の昔について、私は聞かない方がいい気がしてきた」
「俺も説明しづらいです」
ローデンは大きく息を吐いた。
その横でマインは、静かに状況を整理していた。
フォレストゴブリン。
グレイヴエイプ。
この世界の人間にとって、それぞれが明確な脅威。
だが、あるじ様にとって前者は一括処理の対象。
後者でさえ、中位魔法一発。
(……物差しが違う)
理解していたつもりだった。
だが現地の評価を聞いたことで、その差が初めて数値ではなく意味を持ち始めた。
そしてもう一つ。
(フォレストゴブリンを押し出したのはグレイヴエイプ。では、そのグレイヴエイプを動かしたものは?)
あるじ様が感じ取った、さらに大きな反応。
偶然ではない。
弱い者が強い者に押し出され、その強い者さえ、さらに何かに押し出されている。
まるで波紋のように。
マインはゆっくりと目を細めた。
その連鎖を逆に辿った先。
あるじ様が指し示した方向。
――迷わずの森。
そして、その中心に今存在するものも知っている。
自分たちのギルドハウス。
(……まさか)
一つの可能性が浮かぶ。
だが、まだ口には出さない。
情報が足りない。
「マイン?」
「何でもございません、あるじ様」
「そう?」
「はい」
彼女は微笑んだ。
その胸中で初めて、一つの仮説が形を持ち始めていた。
この異変は、この世界で元々起きていたものなのか。
それとも――。
自分たちが来たから、始まったのか。




