第十一話 森の奥にいたもの
「行こう。森の奥」
俺がそう言った直後、背後から無数の足音が迫ってきた。
「……っと。その前にこいつらか」
忘れていたわけではない。
五十体近いゴブリンが、今にも俺たちへ襲いかかろうとしている。
ただ、森の奥から感じる異様な反応に意識を持っていかれていただけだ。
「あるじ様。私が処理いたしましょうか?」
マインが一歩前へ出る。
「いや、ここまで集めたし俺がやるよ」
それに、初依頼だ。
一匹も倒さず帰ったら何をしに来たのか分からない。
俺は周囲を見回した。
迷わずの森で使った《メテオ・レイン》は論外。街道も近いし、森ごと消し飛ばしたらまた面倒なことになる。
「もっと小さいのでいいか」
右手を前へ向ける。
「《フレイム・サークル》」
魔法を発動した瞬間、ゴブリンの群れを囲むように赤い線が地面を走った。
直後、炎が噴き上がる。
「ギャアアアッ!」
炎の壁が内側へ倒れ込み、逃げ道を塞いだ。
数秒。
それだけだった。
炎が消えた後、立っているゴブリンはいない。
「……これでも強いな」
ゲーム時代なら低レベル狩場でしか使わなかった範囲魔法だ。
それでも一撃。
「やっぱり、この世界の敵って全体的に弱いのかな」
「少なくとも、現状ではその可能性が高いかと」
マインが答える。
「でも奥の反応はこいつらより強い」
「どの程度でしょう?」
「まだ分からない。ただ……」
俺は森の奥へ目を向けた。
先ほど感じた妙な圧。
音が吸われているような空間。
「こいつらが逃げる程度には強いんじゃない?」
そこで思い出す。
「そういえば討伐証明って必要?」
「依頼書には耳の提出と記載されております」
夏が答えた。
「耳か……」
五十体分を切り取るのは面倒だ。
「一匹丸ごと持って帰ったら駄目かな」
「証明にはなるかと」
「じゃあ、それで」
比較的状態の残っている一体を収納する。
改めて見ると、少し違和感がある。
「こっちのゴブリンって、ちょっとゴツいんだな」
ゲームで見たものより一回り大きい。
腕も太いし、牙も長い。
粗末ではあるが、持っている武器も石を削っただけの棍棒ではない。先端に獣の牙らしきものを括り付けている個体までいる。
「そうなのでしょうか」
マインも首を傾げる。
考えてみれば、俺たちの中にこの世界のゴブリンを知っている奴はいない。
「まあ、帰って聞けばいいか」
今考えても仕方ない。
俺たちは森の奥へ進んだ。
数分ほど歩いたところで、明らかに空気が変わった。
「……静かだな」
虫の声がない。
鳥もいない。
先ほどまでは微かに聞こえていた風が木々を揺らす音さえ、ほとんど聞こえなくなっている。
そして地面。
俺は立ち止まった。
「これ……」
太い木が何本も折れている。
一本や二本じゃない。
奥へ向かって、まるで道を作るように続いていた。
折れたというより、押し潰されている。
「かなり大きそうだな」
「あるじ様」
サラが低い声で呼ぶ。
「前方に血痕があります」
見ると、地面に黒ずんだ血が点々と続いていた。
その先。
「……ゴブリン?」
死体があった。
しかも一体ではない。
十体以上。
先ほど倒した個体と同じような体格だが、そのほとんどが原形を留めていなかった。
鋭い爪で胸を裂かれたもの。
胴体を押し潰されたもの。
木へ叩きつけられ、首が不自然な方向へ曲がったもの。
「戦ったって感じじゃないな」
「はい」
マインが死体を確認する。
「一方的に殺害されています」
「これに追われてたのか」
その瞬間。
ズン。
地面が揺れた。
「……」
もう一度。
ズン。
何かが近づいてくる。
サラが翼を広げる。
夏の周囲には赤い火の粉が浮かび、マジカが低く身構えた。
エルも宙に浮いたまま両手を前へ向ける。
俺は五人を見る。
「ちょっと待って。俺が見てみる」
木々の奥で何かが動いた。
そして――現れた。
「……猿?」
全長五メートルほど。
黒い体毛に覆われた巨大な猿だった。
異常に発達した両腕。
胸部だけを覆う灰色の外殻。
右手には、殺したばかりなのかゴブリンを一体掴んでいる。
「グオオオオオオッ!」
咆哮。
空気そのものが震えた。
「あるじ様、お下がりを」
「いや、ちょっと待って」
俺は巨大猿を見る。
サーチで感じた反応の一つ。
ゴブリンとは明らかに違う。
ゲームで言えば中型モンスターくらいだろうか。
ただ――。
「こいつだけじゃないな」
奥に同じ程度の反応が三つ。
さらにその向こう。
あの妙な空白の中心には、こいつより大きな反応がある。
巨大猿が動いた。
「速っ」
巨体からは想像できない速度だった。
拳が振り下ろされる。
横へ避ける。
ドンッ!
地面が陥没し、土が舞い上がった。
「おお……」
思わず声が漏れた。
ちゃんと強い。
ゴブリンとは比較にならない。
少し楽しくなってきた。
「じゃあ、これくらいかな」
右手を向ける。
「《エア・ランス》」
空気が収束する。
透明な槍が巨大猿の胸部へ直撃した。
「グオッ!?」
巨体が浮いた。
そのまま後方へ吹き飛び、一本、二本、三本と木をへし折る。
やがて止まった。
「……」
動かない。
「死んだ?」
「はい」
マインが答える。
「……中位魔法なんだけど」
ちょっと期待していたのに。
「あるじ様」
マジカが口を開く。
「何?」
「今の魔獣を御覧になり、何かお気づきになりましたか?」
「え?」
何だろう。
大きい。
速い。
でも弱い。
「ゴブリンより強い?」
「……はい」
マジカが頭を下げた。
何か違ったらしい。
俺はもう一度を使う。
三体。
同程度の反応が残っている。
そして、その奥。
「……やっぱりいるな」
「先ほどより強大な存在でしょうか」
マインが尋ねる。
「ああ」
ただ、妙だ。
反応自体は確かに大きい。
なのに、輪郭がぼやけている。
生き物を探知しているというより、周囲一帯の魔力が一つの塊になっているような感覚。
そして何より。
「動かない」
「……?」
「さっきからずっと同じ場所にいる」
こちらがゴブリンを集めても。
巨大猿を倒しても。
微動だにしない。
まるで――。
「待ってるみたいだな」
俺が呟く。
マインたちの表情が変わった。
「あるじ様」
サラが俺を見る。
「このまま向かわれますか?」
「うーん……」
少し迷う。
気にはなる。
かなり。
でも今回の目的は、この世界について知ることだ。
俺たちはまだ巨大猿の名前すら知らない。
「今日はやめよう」
「……よろしいのですか?」
「ああ」
巨大猿を見る。
「こいつがこの世界でどのくらいの強さなのか確認してからでいいだろ」
無理に先へ進む理由はない。
相手が逃げるわけでもなさそうだし。
「それに、依頼はゴブリン討伐だからな」
「……なるほど」
マインが小さく呟いた。
俺は巨大猿の死体も収納する。
「帰ろう」
五人が従う。
帰路につきながら、俺は一度だけ振り返った。
木々の奥。
何も見えない。
それでも。
あそこに何かいる。
その感覚だけは消えなかった。
俺たちが去った後。
森は再び静寂に包まれた。
巨大猿の死体が消えた場所。
そこから遥か奥。
生き物が決して近づかない空白の中心で――何かが、ゆっくりと目を開いた。
追わない。
動かない。
ただ、見ている。
その視線の先にあるのは、ガルディアではない。
もっと西。
人類が決して踏み込まない場所。
――迷わずの森。




